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愛という名の聖戦(57)

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《ご注意》第一話の注意事項をご確認の上、ご了承いただける方のみ閲覧下さい。
■7~53話はお気に入り登録限定です。シャルルが病気設定です。閲覧は自己判断でお願いします。
 今後の公開範囲は、内容により適宜判断させていただきます。






愛という名の聖戦(57)



ミシェルに会いにいざいかんっ!
と勢い込んで「2」と番号がついたドアを開けて入っていこうとした途端、あたしはガシャーンと何かものすごく硬いものにぶつかったのだった。
当然のことながら、あまり起伏のないあたしのかわいそうな顔は、眼鏡を筆頭に額と鼻と顎をしこたま打ち付ける形になったのよっ、なによ、これ!?

「いったぁ……」
「マリナさん、大丈夫ですか?」

あまりの痛さに思わずしゃがみこんだあたしを、後ろからジルがいたわってくれた。うう、優しいわね。

「うん、大丈夫。ちょっと痛かったけど」

あたしは眼鏡をかけ直し、おでこをさすりながら瞬きを繰り返して、やっと唖然とした。
だって、白いドアを開けてすぐにあるのは、さっき、この棟に入ってくる時にあったのと同じような鉄格子なんだもの。この鉄格子は戸枠にがっしりと隙間なくはめられていて、出入りできる戸の部分には掌大の南京錠がかけられている。
こんなものがあったら中に入れないじゃないのよ!?

「邪魔よ、この鉄格子! どきなさいよ!」

あたしが鉄格子に向かって怒鳴っていると、くすくすという微笑む声。

「お説教で開くのは心のドアだけだぜ、マリナちゃん?」

鉄格子の向こうから低めのバリトンボイスが聞こえて、それであたしはようやくハッとして、声の聞こえた方角を見たの。
鉄格子の中は、パリのアルディ家にあるような瀟洒なサロンだった。
広さは、学校の教室ぐらい。
白いソファやこれまた白いテーブルセット、サイドボードにライティングビューローなんかの家具類も全部白で、それらが整然と置かれている。
四方の壁はここまでの廊下と同じく白一色で、奥の壁にかかってある丈の長いカーテンの色もだった。唯一違う色合いを感じるのは、白いカーテンのドレープの襞が重なってできる影ぐらいだった。
それにしてもなんでこんなに白白白なのかしら、目がチカチカするわ。
部屋の左側の奥の方に二つ扉が付いていて、あれは寝室や洗面室かしらとあたしは思った。
ミシェルは、カーテンの前にあるソファにいた。
白いシルクのリボンブラウスに黒いぴったりとした乗馬ズボン姿をしている。
彼は、西洋絵画で中世貴族の婦人が妖艶な体を寝椅子にそうしているみたいに、ソファに横たわっていた。
あたしはその光景に、自分がパリに戻ってきたかのような錯覚を感じた。
だって、シャルルがそこにいるみたいなんだもの……。

「あんた……ミシェルね」

あたしが訊くと、彼は口角を上げて微笑んだ。
それで彼は「ウイ」の返事を表しているつもりのようだった。
そのバラのような形のいい唇、限りなく青に近い灰色の瞳、雪のように白い肌、天使のようなカーブを描いたほお、高く通った鼻筋、そして全身からにじみ出る気品と誇り。
厭世的な微笑み方も気だるそうな雰囲気も、シャルルとよく似ている。とても。
あたしはなんだか泣きそうになってしまい、それを慌てて隠そうと、顔を背けた。

「ああ。我が愛しのマリナ!」

突然ミシェルが大声をあげたので、びっくりして彼の方を見ると、ミシェルは横たわったまま、まるでロミオがジュリエットに愛の告白をするときのように、両腕を高く上げていたの。
顔つきはさっきまでとは打って変わり、目を細めて空にやり、あでやかな笑顔を浮かべて、まさしく自己陶酔の極みといった感じ。

「幽閉の地マルグリットまでオレを助け出しに来てくれたのかい? ありがとう、オレのジャンヌダルク。体が震えるほど愛してるぜ」

な、何言ってるのよ!?
あたしはあんたになんか、本当は会いたくなかったんだからねっ!
でも、シャルルのためにしょうがなくここに来たのよ。
と言おうとして、あたしはミシェルとの出会いでもある「アンテロス」事件を思い出した。
そうだ、ミシェルってそもそも演技がかってるやつだったわ、油断大敵っ。
あたしは心を落ち着けて、つとめて冷静に言った。

「残念でした。あたしはあんたに用事があるだけよ」

途端、ミシェルは高く掲げていた両腕をパタンと下ろした。
表情まで一気になくなった。
冷たいよそよそしさがただようその顔は、はっきりとシャルルとは別人なんだと、あたしに思い知らせてくれたのだった。

「用事? 君がオレに?」

あたしは頷いた。

「そうよ。あんたに頼み事があるの」

彼はソファに横になりながら、片口を歪めて笑った。

「へえ。一体なに? シャルルを一緒に倒そうって相談?」
「まさか! そんなわけないでしょ!」
「なんだ、つまらないな」
「ふざけてる場合じゃないのよ。事態は深刻なんだから」
「深刻?」

きらっと目を輝かせる彼に、あたしはちょっと口ごもってから、思い切って言った。

「シャルルの命を救って欲しいの」

それからあたしは一気に説明した。
現在シャルルが白血病であること、あらゆる治療法を試したけれど、効果がなく、あと残されたすべは造血幹細胞移植しかないということ。
そして、それにはHLA型が一致するミシェルの協力が必要なんだということを、一生懸命に伝えたのよ。

「だからね、一緒にパリに帰って欲しいの。骨髄移植をして、シャルルを助けて」

ミシェルはあたしが話し終わるまで、一言も口を開かなかった。
ソファに横たわり、片腕で自分の頭を支えるようにして、強い光を浮かべたまなざしであたしをじっと見ながら、ただ黙ってあたしの言葉を聞いているだけだった。
あまりにもなんの反応もないので、あたしは首をかしげた。

「ミシェル? ちょっと、ちゃんと聞いてる?」

すると、ミシェルはいきなりガバッと起き上がった。
ソファに浅く座り、膝の上で両手を組んで、顔を少し伏せるようにする。そうすると、白金のストレートの髪が顔を覆って、表情があたしからはまったく見えなくなった。
ああ、そばにいって返事を求めたい。
この鉄格子が邪魔っけなのよ!
とあたしがもだえていると、

「はは、はははは……」

と笑い声。それがミシェルのものだと気付いた時には、

「はははははは!」

ミシェルは白漆喰で塗り固められた天井を仰いで、顔をしわくちゃに歪めて大笑いを始めていた。
あたしはびっくり。
なんでこいつは笑ってるのよ?!

「神から愛されたシャルルは、死神からも愛されちまったってわけだ」

ミシェルは笑うだけ笑ってから、顔をゆっくりと下げて、あたしを蔑むような目で見ながら言った。

「いいじゃないか、そのまま静かに死なせてやれば。――オレが唯一残念だと思うのは、できれば病死なんかじゃなく、オレがこの手で殺してやりたかったってことだけさ

ひどいわ。
シャルルはもうすぐ死ぬかもしれないのに、それなのに、どうしてそんなことが言えるの?
血を分けた兄弟でしょ?
いくら憎しみ合っていたとしても、もう二度と会えなくなるのよ?
あたしがそう言っても、ミシェルの態度は変わらなかった。

「オレたちは二度と会う必要はないんだよ、マリナちゃん」

どうして!?

「あいつもそう望んでるさ。オレに助けられるぐらいなら、死を選ぶってね」

あたしはぐっと言葉につまった。
それは確かにシャルルが言った通りのセリフだった。

「さ、用事がそれだけなら帰ってくれ。もっとも、ランサールが君たちを素直に帰すかどうかは知らないけれどね。それはオレの関知するところではないから」

ミシェルはそう言うと、あたしたちに背を向けて、部屋の奥にあるドアに向かっていった。
ままま、待って!
この目の前のサロンからいなくなられちゃあ、困るのよ。
だって、鉄格子があって、あたしは中に入れない、つまり話が終わってしまう。
それだけは絶対に避けないとならない!!

「お願い、ミシェル。シャルルを助けて!」

あたしは叫んだ。
だけど、ミシェルの足は止まらず、彼は奥のドアのノブに手をかけた。
あたしは必死で再び叫んだ。

「なんでもする! あんたの言うことをなんでも聞くから、シャルルを助けて!!」

瞬間、ミシェルの動きが止まったように見えた。
あたしの後ろで、悲鳴のような声が上がった。

「マリナさん、いけません! 交渉はもっと理性的に行わないと……っ」

ジルの声だ。彼女があたしの肩をつかんだ。彼女の着ているコバルトブルーのつなぎが、白一色の世界にあざやかに映えている。

「ミシェル、あなたが骨髄移植に応じてくれた場合、アルディ家内でのあなたの復権を約束します。具体的には、このマルグリット島からの即時解放と、当主であるシャルルに次ぐナンバー2のポストを用意します。プラス、アルディ家の総資産の30%と所有株式の十分の一をあなたに譲渡します。それではいかがでしょうか?」

ジルが持ち出した提案は、彼女が言った通り非常に理性的で、あたしはそれで自分が言ってはいけないことを言ったのを悟った。
だけど、一旦口から出した言葉はもう止められなかった。
あたしは再び同じ言葉を継いだ。

「お願いよミシェル。あたし、なんでもするわ。だからシャルルを、彼を助けて……!」

ミシェルがドアノブを握りしめたままゆっくりと振り返る。
最愛の人と残酷なほどに似たその顔を見て、あたしの中に何かが込み上げて来て、涙腺が熱く潤み始めた。
シャルル、どうしてる?
きっと睡眠薬が効いて眠っているわね。
あたし、あんたを助けたい。
絶対に死なせたくない。
だからそのためならなんだってやる、やってみせる。
思いっきり下唇を前歯で噛み締めて、寄せては返す激情を必死でこらえた。
泣かない、泣いたりするもんか。
あたしはありったけのプライドとシャルルへの愛という誇りを胸に、ただただ鉄格子越しに数メートル離れた場所に対峙するミシェルを、のめり込むように見据えたのだった。

「ジル、オレをバカにするな」

ミシェルは言った。

「アルディを餌にすればオレがなんでも言うことを聞くと思ったのか?」

ジルは唇を引き結んで沈黙した。彼女の歯ぎしりの音が聞こえた気がした。

「もうアルディなんかいらない」
「じゃあ何が欲しいのですか? 言ってください」

とジルは食いさがる。

「欲しいものは……そうだな」

ミシェルは視線を巡らせて、それをあたしにぴたりと据える。

「マリナちゃん、かな?」
「ミシェル!」ジルが叫んだ。
「シャルルのためならなんでもするんだろう?」

ほとんど口を動かさずミシェルが言う。その声には威圧的な響きがあった。

「ええ、確かにそう言ったわ」

心臓が高鳴りながら、あたしは頷いた。

「たとえば裸になれと言っても?」

カミーユのところでもそんなこと言われたなと思い出す。
あの時はシャルルが身代わりになってくれたっけ……とあたしの胸に甘く切ない感傷がよぎった。

「それぐらい朝飯前よ」

ならば、とミシェルは言った。

「オレとベッドを共にしろと言っても?」

あたしはほんの一瞬だけひるんだ。時間にすると0.01秒ほどだと思う。
でも、すぐに彼を睨みすえて答えた。

「いいわ。それでシャルルが助かるのなら、こたつだろうがベッドだろうが、なんだって共にしてやろうじゃないの!!」
「マリナさんっ!」

ジルがまたあたしの名を呼んで、今度は後ろからあたしを強く抱きしめた。
暴走するあたしを懸命に止めようとしてくれていることを感じ、あたしはまた泣きそうになった。
けれどあたしは首を振って、そっと彼女の手を外し、そんなジルの動きを制した。

「ジル、見ててといったはずよ。あたしがやることを」
「マリナさん……」

あたしはちょっと笑った。

「見ていて。しっかりと」

双子よりも淡くほんのわずかに翡翠がかった瞳をまたたく間に潤ませて、ジルはあたしを見つめた。マリナさん、という形に唇が動いたけれど、声にならなかった。

「いいだろう。その条件で」

ミシェルの声がして、あたしが部屋の方を見ると、ミシェルはサイドボードの前に行き、一番上の引き出しから何かを取り出した後、その引き出しを閉めて、つかつかとあたしたちの方にやってきた。

「ちょっとどいて」

そう言ってあたしとジルを下がらせると、ミシェルは鉄格子の隙間から手を伸ばして、ぶら下がっている南京錠に触れた。
彼はU字型のヘアピンを一本持っていた。
細くて長い指でそれを南京錠の鍵穴に差し込むと、何回かカチャカチャと回した。
やがて、カチャンという鍵が回った音が上がった。
鍵が、鍵が開いた!
ミシェルは器用に鉄格子の内側から南京錠を外し、それを床に放り出すと、鉄格子をゆっくりとあたしたちのいる外側に向かって押し開けた。

「あんた、鍵開けられたの?」

訊くと、彼はうなずいた。

「こんなものはいつだって開けられる。だけど、この島から出る手段がないから、おとなしくしていただけだ」

ミシェルは手にしていたヘアピンを捨てた。それからあたしに背を向け、顔だけ半分で振り返って、人差し指でちょいちょいと招く動作をした。暗い感じのする彼の目はまっすぐにあたしに向かってそそがれている。

「来いよ。こっちだ」
「え……?」

戸惑うあたしに、彼は一層低い声で言った。

「やるんだろ。ベッドルームは奥だ。楽しもうぜ」







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*次回第58話は登録者様限定公開になります。

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