カーテンを開けると、ビルの谷間に朝焼けが見えた。夕焼けよりも透明度の高いオレンジ色で、鳥の音がバックサウンドだ。
「きれいだな」
思わずひとりごちる。
窓を開けて、ベランダに出た。日本の二月は寒い。暦の上では春だが、一年で最も気温が低下する時期だ。この冷たく張り詰めた空気が、薫は好きだった。身も心も引き締まる気がするのだ。
夜が明けて、朝が来る。
毎日がやってくる。
こんな当たり前のことに感謝できるようになったのは、最近だ。生まれて十八年間、いかに何も考えずに過ごしていたかと思う。心臓病を患っていたせいで、命の危険は何度も感じたが、「今日生きていてよかった」と実感するには、薫はまだ若すぎて、数え上げる幸福の数も足りなかった。
だけど、薫は朝焼けの空を見ながら、今、しみじみと思っていた。
生きていてよかった、と。
そう考えている間にも、朝焼けはどんどん色が薄くなっていく。夜を迎える夕焼けとは違い、朝焼けは希望の始まりに似て、色を失っても、光が消えることはない。
「薫、風邪をひくよ」
背後から声がかかる。優しい声だ。振り向いて、笑って見せた。
「一緒に見ない? 空、きれいだよ」
「空か」
「うん。なんてことない普通の空だけどさ。それがすごく素敵なんだ」
サンダルをつっかける音がして、薫のそばに暖かさがちかづいてきた。二人はベランダの柵にもたれて、同じように空を見た。
「本当だ。とてもきれいだね」
「だろ?」
「ああ。ありがとう。声をかけてくれて」
「いいものは一緒に楽しみたい。これ、あたしのわがまま」
くすと微笑む声。
「そういうわがままは大歓迎だよ」
そのまま二人で明るくなっていく空をじっと見ていた。
特別なこともドラマチックな事件も起こらない普通の朝。ただ肩を並べて見上げる空。
幸福な人生って、こういう「今幸せだな」と思えるささやかな瞬間瞬間を積み上げていくことをいうんだなと、薫は思った。
《Fin》