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愛凍る 第7話

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《ご注意》この記事はいわゆる二次創作です。苦手な方は閲覧しないでください。cpはシャル×マリです。登場予定キャラはシャルル、マリナ、ミシェル、和矢、ジル、カーク。オリキャラあり。
舞台はパリ。
シャルルとの恋を叶えるために必死で奮闘するマリナちゃんを見たい!と思ったのが、このお話を書いた動機です。
2017マリナBD創作。全20話程度を予定。






愛凍る


第7話


事件の章――刑事の捜査(その2)


「情報はだいたい出揃ったわね。靴下怪人はAB型の男(ナポレオン16世の歯から検出されたDNAにより)。身長170センチ前後で、バスケットエースを抑え込めるほど腕っぷしが強い。なおかつトイ・プードルに馬鹿にされる程度のチンケな男よ」

通りすがりによったカフェの、テラス席で、クリームたっぷりのオレを飲みながら、シャロンは自信たっぷりに言った。日本語に訳された彼女の言葉を聞いて、マリナがすぐに意見を返す。

「犬からチンケだと思われる人って、一体どんな人かしら? 被害者を襲いながらヘラヘラ薄ら笑いをしてたとかかしら? うーむ、それだったら、ナポレオン16世が噛み付いた気持ちもわかるわ。あたしだって噛み付いてやりたくなると思うっ」
「べーべちゃん、人に噛み付いたら傷害罪よ。今度こそ刑務所行きよ」
「げげ。冗談じゃないわ。これはたとえばの話よ!」
「あーら、たとえばの話にしては実感があったわね~。マリナ、あなた誰かに噛み付いたことがあるんじゃないの?」
「な、ななな、ないわ! あたしは人に噛み付いたことなんて天地神明に誓ってないわよ」
「焦るところが怪しい。取調室に来なさい」
「あそこはもう絶対に嫌よ!」
「ぷっ……あははは、冗談よ。あー面白い。さすがカークの友達ね、からかいがいのあるところは同じだわ。こういうの、日本語で類は友を呼ぶっていうんだっけ?」

怒りで顔を真っ赤にしたマリナは、乱暴にカップをつかんで、ぬるくなったカフェを一気飲みした。マリナが飲んでいるのはチョコ・ラテだ。小さな上唇には白い泡が筋になってついている。晩秋でも半袖のTシャツを愛用しているカークは、アイスカフェのグラスを手づかみしながら、女二人の通訳に徹していた。――というよりも、先ほどから二人の会話の内容がおそろしくて、口を挟めないのだ。

「さて、事件の話に戻りましょうか」とシャロンが言った。すねていたマリナもちらっと彼女を見て、しぶしぶうなずく。
「ヘラヘラ笑っている人間なら、犬にチンケに見られるんじゃないかということだけど、私は一概にそうとも言えないと思うわ。見た目だけで判断するのは危険よ。外見はちんちくりんでチビでも、日本が誇る名探偵だという少女だっているくらいだもの」

シャロン流の皮肉を、どう通訳していいものかカークが悩んでいるうちに、シャロンの話はどんどん先へ進んだ。

「犬に限らず動物は本能的に相手の強弱を見極めるわ。ガタイの大きさもそうだけど、まず第一の判断基準になるのは、殺気よ」
「殺気?」
「そう。向かい合っている相手は自分を食う気があるのか――動物はそれを一番に感じ取ろうとする。野生で生き抜くためにね。ペット用に飼いならされたトイ・プードルだって同じでしょう。だからこそ、刑事の殺気を出したカークにビビって失禁したのよ」
「だったら、靴下怪人は、その殺気を――」
言いかけたマリナの言葉を、シャロンが引き取って続けた。
「みじんも感じさせなかった。このことから、わかることは以下の二つ。靴下怪人とはよほど犯罪に手慣れた悪魔か、もしくは天使のようにピュアな心の持ち主。そのどちらかよ」

シャロンはカップを取り上げて、オレを飲み干した。

「悪魔か天使……」マリナはごくんと唾を飲んだ。「それで、これからの捜査はどうするの?」
「決まってるわ、ベーベちゃん。わかっている条件をもとに犯人を探すのよ」
なるほど、とマリナは素直にうなずいた。「まず、プレミアリーグから当たりましょう」とシャロンが言った。「有名選手の身体情報は公開されているから、AB型で身長170センチ前後の人間を探す。それから、写真もだいたいの選手のものが公開されているから、それを見て、第二の被害者ジョー・カーターを羽交い締めにできそうなやつを絞り込みましょう――」
「待って。プレミアリーグってなに?」とマリナが質問した。
「サッカーの国際リーグだよ」とカークが答えた。
「サッカー? どうしてサッカーなの?」不思議そうに首をかしげるマリナに、シャロンが直ちに仏語でピシリと言い放つ。
「サッカー選手ってのはね、悪い人間が多いのよ」
「どうしてサッカー選手が悪い人が多いの?」
「刑事としての私の経験よ」
カークは慣れていたが、マリナは気になったらしい。彼女は首をかしげながらシャロンに言った。カークはできるだけ柔らかく通訳したのだが、彼のその気遣いはあまり功を奏さなかった。
「そういう決めつけっておかしいと思うわ。サッカー選手だっていい人はいるわ。あたしが前に付き合っていた人は、サッカーが大好きだったけど、とても優しくて素敵な人だったわよ」
「言ってくれるじゃないの、べーべちゃん」

シャロンはムッとした様子でマリナを睨みつけた。その目は明らかに怒りに満ちていた。

「あなたに世の中の何がわかるというの? 小さな事件のひとつやふたつにかかわったからといって、何もかもを知ったような顔をしないで。こちらは毎日犯罪者と向き合っているのよ。生きるか死ぬかの繰り返しなの。銃弾を体に受けたこともあるわ」

マリナは沈黙した。カークははらはらしながら、そんな二人の様子を見つめるしかできなかった。

「サッカークラブに行くわ。私のやり方に文句があるなら、ついてこないで」

シャロンは立ち上がり、店の会計を済ませて出て行った。厳しい顔をして、うつむいて両手を膝の上で握りしめるマリナに、カークは優しく言った。

「ごめんな、マリナ。シャロンは捜査のことになると、言葉がきつくなるんだ。でもお前を嫌っているわけじゃない。ただ仕事に真剣すぎるだけだよ。それは認めてやってくれ」
「それはわかるけど……シャロンはどうしてあんなにサッカーにこだわるの? サッカーをする人はみんな悪い人間だなんてちょっと異常よ」
「それは……」カークは言い淀んだ。
「何か秘密があるのね? 話して、カーク!」

「俺が言ったって内緒だよ」そう前置きしてから、カークはシャロンには離婚歴があることを打ち明けた。「離婚した夫というのが、サッカー選手だったんだが、不慮の事故でプレイできなくなってから、自暴自棄になって、酒・博打・女とおきまりのコースにはまって、シャロンにもひどい乱暴をしたようでね、彼女は幼い息子を抱えてシェルターに逃げた。だがそこにも夫がやってきて、シャロンは息子を連れてフランス中を逃げ回った。ところが突然、彼女の夫が他殺体で発見されたんだ。当初はシャロンが犯人扱いされたが、捜査の結果、同期だったサッカー仲間が金のトラブルで殺害したことがわかって、彼女は無罪放免された。そのあとすぐシャロンは幼い息子を抱えながら警察学校に入り、刑事になった――だが」
「だが?」とマリナは訊ねた。
「実際の捜査に加わるようになると、シャロンはどんな事件でもまずサッカー選手を疑うんだ。それがたとえ、事務系の弱々しい人間が犯人像であっても――女でない限りは――そんな彼女にはついに『私情デカ』というあだ名がついてしまった」

マリナはかなり驚いた様子を見せた。神妙な顔つきで、次の言葉を探すように、目線をさまよわせている。

「過去がどうあれ、私情を捜査に挟むシャロンに署内中があきれている。ひどい刑事だって皆言っている。でも俺はシャロンにとことんまで付き合おうと決めている。いつか彼女が自分でサッカーへのこだわりを捨てられるときまで。シャロンは俺の大切なバディだからね。――だからマリナ。お前には迷惑だろうけど、まずはサッカークラブに行ってみないか? 今回は腕っぷしの強い男だろう? サッカーに限定することは危険だけど――スポーツ関係者は互いに交流をしているケースもあるから、その線から情報を得られるかもしれない。いく価値はあると思う」
「わかったわ。そうしましょう」

マリナがカークとともに店の外に出ると、パトカーは止めた場所にそのままあり、後部座席にシャロンがいた。カークとマリナは互いの顔を見合わせて、小さく笑いあった。

「いい人なのね、彼女」
「うん。ただ最近、息子さんまでサッカーをやりはじめたらしくて――それでシャロンも心が騒いでるんだ」
「彼女は反対しなかったの?」
「むろん大反対だったさ。親子の縁を切るとまで言ったらしい。でも、反対に、だったら家を出て行くと言われて、折れたんだ」
「あらら。息子さんもやるわね」
「シャロンは息子ラブだからね。そうやって、強引にオーケーさせられたもんだから、ストレスがたまって、余計にサッカー憎しになっちまったってわけ」
「いっそのことサッカーを好きになっちゃえばいいのに」
「署内のみんながそう助言してるよ。その度に、彼女に蹴られる」
「激しいわね」
「なんせ私情デカだからな」

二人はまた笑った。パトカーの方から何かを叩きつけるような大きな音が上がった。どうやらシャロンが中から扉を蹴飛ばしているらしい。

「いそごう! 今度は直に蹴られる! マリナ、乗って!」カークはぶるっと身を震わせながら、運転席に向かって車の向こうに回り込んだ。






まず最初に訪れたのは、プレミアリーグの中でも老舗のクラブ。パリ郊外のど真ん中に広いグラウンドと、選手たちの暮らす寮や事務棟などがある。いずれも新しい建物で、資金的に潤沢な経営であることが窺い知れた。三人は、シャロンの先導で、ガラス張りの事務室に入っていった。

「またあんたかい、シャロン」

カウンターの中でパソコンに向かっていた事務員は、シャロンの顔を見るなり、いやな顔をした。パンチパーマをかけた、一見すると夜の商売をやっているような中年男だ。

「今度はどんな事件でうちの選手を犯人にしようっていうんだい?」
「靴下怪人よ」
「ああ、今、市内を騒がせている変態野郎ね。残念だがうちにはそんな変態はいないよ――いや、うちのクラブは100名以上いるから、中には変態もいるかもしれないけど、少なくとも僕の知る限り、靴下に異常な関心を持つやつはいないね。みんな単純明快な、いいやつばかりさ。シャロン、それはあんたが一番よく知ってるだろう? これまで事件が起こるたびに、うちのクラブメンバーを洗いざらい調べてきたんだからさ」
「バカ言わないでくれるかしら。一つの事件で無実だったからといって、次に起こった事件の嫌疑から逃れる理由にはならないわ」
「やれやれ」とパンチパーマの事務員はチリチリの頭をかいた。「あんた、それでよく首にならないね。いつも事件が起こるたびにここにきて、油を売ってさ。無能って言われないかい?」
「余計なお世話よ――それよりも、選手の身体データを見せてちょうだい。顔写真付きのものをね」
「はいはい」

手慣れた動作で、彼は後ろのキャビネットから分厚いデータ帳を取り出してきた。これまた慣れた感じで、シャロンは応接コーナーに勝手に入って行き、そのデータ帳をめくり出した。
その間、カークがパンチパーマに質問をした。

「最近、他のスポーツ選手との交流はされてますか?」

たちまち「カーク!」という厳しいシャロンの叱責が飛んでくる。カークは「参考質問ですよ」と手刀をシャロンに向かって切りながら、パンチパーマに再び向きなおる。

「どうですか?」

パンチパーマは考えるそぶりを見せた。

「ジャンルを超えた親睦会とかあるよ」
「では、他のスポーツ選手の中で、身長が170センチ前後で、バスケット選手を一撃で羽交い締めにできるほどの腕力を持っているのに、トイ・プードルに馬鹿にされそうな男に、心当たりはありませんか?」
「なんだ、それ?」
「詳しいことは話せないのです。お心当たりはないですか?」
「んー……犬に馬鹿にされるやつ、ねぇ」と顎を手でかかえて首をひねる。「いないでもないな」
カークは色めき立った。
「誰ですか?」
「トム・クーベルタン。ラクビー選手だ。彼は犬嫌いでね、どんな小さな犬っころでも怖がるんだ。そういう意味では犬に馬鹿にされてもおかしくないだろう?」
「確かに」

カークはうなずき、お礼を言ってからマリナを伴ってシャロンの元にいった。シャロンは熱心にデータ帳を調べているところだったが、カークたちが来た途端にそのデータ帳をバタンと閉じた。

「だいたいの見当をつけたわ」
「え、もうですか?」
「二、三人怪しいやつがいるわ」
そう言ってシャロンが見せてくれた選手データは、一見すると悪魔よりの連中だった。魂は天使かもしれないが、筋肉が異様についていて、無駄に悪魔っぽいのだ。この様子から判断すると、シャロンは、サッカークラブには天使なんかいないと思っているのだろう。
「こいつらを調べましょう」
言いながらデータ帳を手に立ち上がったシャロンは、それをパンチパーマに返した。
「メルシィ。これから聞き込みをさせてもらうけど、文句ないわね?」
「シルブプレ、マダム」肩をすくめながらパンチパーマはokした。「どうせうちの連中は無実なんですから、あんたの気の済むようにしてください。連中も楽しみにしてますよ。次はどんな事件であんたが来るだろうってね」
「フン、くそったれ!」

シャロンは不愉快きわまりないという顔で、とびきり大きな鼻息をパンチパーマにお見舞いしてから事務棟を出て、選手たちの暮らす寮に向かった。

そしてそこで彼女の見当をつけた選手たちに調べたわけだが、その結果だけを述べると、まるで的外れだった。靴下怪人の事件が起きたすべての日時に、シャロンが怪しいと思ったサッカー選手たちは皆が皆、試合日だったか、もしくは遠征中で、誰もが完璧なアリバイを持っていた。選手たちが互いのアリバイを証言し合っているだけならばシャロンは決して受け入れなかっただろうが、彼らのアリバイは、遠征先の相手チームのメンバーや、スタジアム関係者、ファン、マスコミ、挙げ句のさらには、新聞までもが証明した。スポーツ欄にデカデカと写真付きで記された彼らの活躍振りを見た途端、シャロンは塩をかけられたナメクジのように、意気消沈した。

カークとマリナはそんな彼女に辛抱強く付き合った。その他、パリ市近郊にあるすべてのサッカー選手を無実と断定するのに三日かかった。ちなみにパリ市警の他の署で行われている捜査の方も、さっぱり進展がなかった。そうこうするうちに、パリ市民は靴下怪人のことを忘れ始めた。靴下怪人の事件はいつもこうであった。靴下かたっぽだけを盗られるというセコさのため、市民に警戒心を持てといっても無駄であり、人々は事件が起きた時だけ、フィーバーするのだ。そういうわけで警察も適当な捜査だった。おそらく今、靴下怪人のことを最も思っているのは、シャロンとカークと、そしてマリナの三人だろう。

マリナは毎日、カークたちとの捜査が終わると、カークに送られてアルディ家により、その日に行った捜査をシャルルのカプセルに話して聞かせた。

マリナがパリに来て9日目。靴下怪人の事件に巻き込まれてから5日が経過している。彼女はその間、毎日夜になるとシャルルのカプセルの前に来ては、時間を惜しまず語りかけるのだ。
「シャルル、お願い、起きて」と。
泣きもしないし、嘆きもしないが、だんだんとその声は絶望感を帯びてきていた。少なくともカークにはそう感じられた。それでも、マリナの声には希望が宿っていた。新月の夜に輝く星のように。そしてその星は暗闇の中にあっても燦然と輝いていて、どんな暗闇でもその光を消すことはできなかった。
白い部屋のドアの内側で、その様子を見守るカークに、ジルはそっと近寄ってささやいた。

「マリナさんはいつまでこれを続けるのでしょうか?」

シャルルによく似たブルーグレーの瞳は、悲しみに満ちていて、彼女が、マリナの一途な思いを哀れんでいることがカークにはよくわかった。

「マリナは諦めないと思うよ」
「でも、カプセル越しにいくら言っても」とジルはため息をついた。
「カプセル越しで、声が届かないのはマリナもわかってる。それでも、マリナは信じてるんだ」
「信じてる? 奇跡をですか?」
「マリナは念だと言った。気持ちは届くって」
「念など、現実的ではありません」
「俺もそう思う。でも現実的解決も近づいてきているだろ?」
「といいますと?」不思議そうにカークを見上げるジル。カークは彼女に微笑んだ。
「そろそろミシェルが帰国だろ?」

あ、という顔をするジル。手記にミシェルは帰国予定日を、一週間後と記してあった。日付で言うと11月16日の土曜日だ。あと三日。

「俺からも頼むよ。シャルルを起こしてくれって」
「ミシェルは簡単ではありませんよ。はっきり言って偏屈です」

ジルは不審そうな視線をカークに注いだ。あなたに何ができるというのです?とその顔は問いたげな感じだった。
カークはあざやかな笑顔を浮かべて明るく言った。

「大丈夫。偏屈はシャルルで慣れてる」






11月14日木曜日。

昨夜、目当てにしていた最後のサッカー選手の嫌疑が晴れて、朝、警察署に現れたシャロンはひどくいらついていた。部屋に入ってきて、轟音を立てて扉を閉めたあと、椅子がきしむぐらい乱暴に座った。全身から雷がピリリと出ているような感じだ。
カークは恐る恐るシャロンに提案した。トム・クーベルタンの調査についてだ。カークの下調べではトムの血液型はABだったのだ。
「調べてみないか?」
カークの提案に、シャロンは目を閉じて沈黙した。この分じゃダメかな、とカークが思ったころ、シャロンは薄目を開けてしぶしぶ了解した。
「いいわ、そいつを調べましょう」

マリナも連れて、三人はトムの所属しているラグビークラブに行き、彼の素性や生活、アリバイなどを調べた。だが、トムもまた事件当日のアリバイがしっかりしており、靴下怪人ではありえないことがわかった。

「なんなのよ一体。靴下怪人って幽霊なの?」
愚痴をこぼすシャロンを慰めるため、三人はいつぞやのカフェで、またそれぞれお気に入りの飲み物をいただきながら、さんざん走り回りながらも完全に空回りしている捜査について、嘆きあっていた。

「こうなったら、外国のサッカークラブにまで捜査を広げるべきかしら」

シャロンはテーブルに頬杖をついて、顔をしかめた。どうやら彼女は原点回帰で、またサッカー疑わしという思考に舞い戻ってしまったらしい。

「待ってよ、シャロン。それはまずい」とカークはたしなめた。「俺たちにはそこまでの権限はないよ」
「わかってるわ。でもどうしたらいいの? いつ5件目が起こるかわからないのよ」
「警備を強化するように頼もう」
「神出鬼没の靴下怪人を、そんなことで防げるものですか。これで5件目が起こったら、警察はマスコミにまたバカにされるわよ。靴下かたっぽだけ奪うようなセコイやつに、私たちのプライドは粉々にされるのよ」
「俺たちのプライドなんてどうでもいいけど、5件目は防ぎたい。だから、犯人を突き止めたいよ」
「それをどうすればいいのかって言ってるのよ、バカ。うーん、どこで怪しいやつを見落としたのかなぁ?」

二人のやりとりを黙って聞いていたマリナは(仏語だから理解できなかったのだが)、二人の会話が一段落つくのを見計らって、おもむろにこう切り出した。

「昔、シャルルが言ってたんだけど、怪しいと思う人間をあげていって、そいつが犯人であるかどうかを調べていくって、一番馬鹿なやり方だって」

一瞬、場が沈黙した。カークがマリナの言葉の翻訳をためらったのだ。だが――彼は意を決したように、粛々と通訳を始めた。たちまちシャロンの顔色が変わる。

「言ってくれるじゃない、ベーベちゃん。じゃあどうすればいいのか教えてよ」

マリナは考えてから答えた。

「そもそも、犯人はなぜ靴下が欲しいの?」
「変態だからに決まってるわ」
「その線で調べたの?」とマリナは訊いた。
「もちろんよ」とシャロンは苛立たしげにうなずく。「過去の性犯罪リストを調べて、どんな軽犯罪であっても変態傾向のある人間はすべて調べ上げたわ。それからパリ中の警官が地域住民に聞き込みをして、変態の洗い出しもしたわ。靴下に異常な執着を持つものはいなかったのよ」
「そうなんだ……」
「だから動機からはこれ以上犯人像を絞れないのよ。わかった? ベーベちゃん? それとも犯人をずばりと言えるの? 名探偵さん?」

マリナはうつむいた。

「ごめんなさい。あたしにはわからない」

カークはマリナをかわいそうに思った。シャルルのことだけを思って、過去にシャルルに言われた言葉を思い出しながら、彼ならばどうするだろう、こういう時になんと言うだろうと必死で考えているその健気さが哀れだった。
本当ならばマリナもシャルルとともに、この事件の捜査に当たりたかったはずだ。そして彼が瞬く間に解決してしまうのを見たかっただろう。的外れな捜査ばかりするシャロンとカークのそばにいることは、シャルルの冬眠という現実を、マリナに常に突きつけているにちがいない。

「名探偵マリナって口だけね。役立たず」
とシャロンは呆れたように言った。
「それは言い過ぎだ、シャロン。マリナだって考えてくれているんだ」
カークが諌めると、シャロンは不愉快そうにフンとそっぽを向いた。マリナはうつむいたまま、黙り込んでしまった。
非常に悪い雰囲気のまま、三人は警察署に戻ってきた。
署の前で、シャロンは明るく言った。

「今日はこれで解散しましょう。とにかくお互いに美味しいものを食べて、よく寝て、リフレッシュして明日からまた頑張ろう。明日はリセのサッカークラブに当たることにするわ。それでもダメならコレージュに」

と彼女がそこまで言った時だった。警察署前の通りの向こうから一台の黒塗りの車が近づいてきた。カーク達がよけると、車は警察署の正面で止まった。運転席から運転手が降りてきて、反対側の後部座席のドアを開けた。やがて現れたのは――カークにとって、見覚えのある、懐かしい友人の姿だった。ああ、とマリナが小さく叫ぶ。
カークは地面を掘り返す勢いで飛び上がった。

「マリナ、シャルルだよ、シャルル! すげぇ、お前の念が通じたんだよ。――シャロン、やったぜ、これで事件は解決するっ!」

「シャルルって、例の『当家』の?」

とシャロンは戸惑った声を上げた。手記を読んだだけのシャロンには、自らカプセルで眠ることを選んだ人生退屈男が、なぜここで名探偵のように名を呼ばれるのか、まったく理解できないのであろう。



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