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Channel: りんごの木の下で
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S・O・S

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《ご注意》シャルマリ?創作です。モンシク来春の設定。(6,000字。読了時間13分)


 S・O・S


「アルディ!」
成田空港で出迎えた梓は、到着客の中からシャルルをすぐさま見つけた。182センチという身長は、エールフランス便から降りてきた客の群れの中では、特に大きいわけではない。事実、シャルルよりも背の高い男は他にもたくさんいた。
やはりオーラが違うのかな。
白金色の髪は、艶やかで他の色が全く混じっていない。プラチナの束のよう。白い肌は真珠を平らにして人間の形にはめ込んだみたいだった。強い眼差しに、キラリと光る美しい色はブルーグレー。外国人が多い成田空港の中でも一際目立つ瞳だった。彼自身が誰をも見つめていないから、それが皆の注目を集めるのかもしれない。
そんなシャルル――梓は苗字のアルディでずっと呼んでいた――は、梓の顔を素早く見つけると、慌てる様子もなく、近寄って来た。この素晴らしい男を待っていたのは、こんな女かという声が周りから聞こえてくる気がして、梓は萎縮してしまう。
「大声を出さないでくれ。みっともない」
苦り切った顔をされて、梓は思わず口に手をやる。しまった。
「ごめんなさい。つい喜んじゃって」
「子供みたいだな」
「それだけあなたと会えたことが嬉しいってことよ」
愛想ではなく心からそういうと、シャルルは憮然とした表情を崩さないまま、下に降りていた梓の手を掴んで引き寄せ、彼の方へと寄りかかった梓のほおに押し付けるようなキスをした。
年甲斐もなく、顔にかあっと血がのぼるのを感じる。
こら、と自分を叱咤する。
「やめなさい。年上のレディに向かって失礼よ」
シャルルは心外そうに梓の手を離した。
「ほおへのキスは、最高の礼儀だと思うが」
「ここは日本よ。礼儀はこれでいいわ」
と、梓が右手を差し出すと、
「手の甲がいいの?」
シャルルが首をかしげる。
「違う! 握手よ、握手!」
「わかってないな。握手なんて野蛮で無粋な風習なんだぜ。ロマンのかけらもないし、何を触ったかわからない手を握るのも嫌だ」
「あなた、私をウィルス扱いするつもり?」
「つまり、それぐらい、ほおに口づけする方が、伝統的で、上品かつ素晴らしい挨拶だと言いたいだけだ」
「わかったわかった」際限なく続きそうなシャルルの主張を、梓は両手を上げて止めた。「いずれ日本もそういう国になるといいわね。でも、まだ日本は乳飲み子なの。いきなりキッスで挨拶は無理よ。ほら、周りをみて。あなたみたいに綺麗なイケメンが、私のようなおばさんと、たとえほおでもキスを交わしていると注目を浴びるのよ。それが日本よ」
「そういわれると、唇に思いっきりキスしたくなるね」
梓はぎょっとした。顔を引きつらせて絶句していると、その反応に満足したのか、
「もう少し君が経験を積んだら、そうしてあげるよ。お嬢ちゃん?」
シャルルはそう言って、憎らしいほど鮮やかな微笑みを浮かべながら、颯爽と到着ロビーを出口に向かって歩いていった。



都心に向かうタクシーの中で、梓は訊ねた。
「桜が見たいとは言っていたけれど、すぐ次の年に来るとは正直思っていなかったわ」
シャルルは後部座席に深く持たれて、腕も足も優雅に組み、梓を見て物憂げな微笑みを浮かべている。例の、何を考えているかよくわからない顔だ。
「俺の予定は決定なんでね」
「なるほど」梓は笑った。「一応、桜の開花予想をメールしておいてよかったわ。あのメールを見て来てくれたんでしょう?」
シャルルは小さく頷いた。
「あのね、あなたに頼みたいことがあるんだけど」
「頼みごと?」
ある殺人事件について、取材が行き詰まっていると梓はいった。
「法医学者としてのあなたの意見を聞かせてもらいたいわ」
「ダメだ。今回はプライベートな来日だ。仕事をする気は無い」
「ちょっとだけ」
梓は手を合わせて拝んだ。
「ノン」
ほうっと息を吐く。この男がこういう言い方をするときには、容易には意思を変えないことを梓は知っていた。
仕方がない。確かに桜を見に来ただけの彼に、仕事の協力を頼む方が無理強いなのだ。
諦めて、これから千鳥ヶ淵に行く、と梓はいった。
「皇居の堀か」
「そうよ、よく知っているわね。先週がとても寒かったから、咲きかけた桜も一旦止まっていたんだけど、週末は暖かさが戻ったから、一気に花が進んだわ。今は五分咲きくらいだと思う」
「満開ではないのか」
「そうね。ちょっと早いわ。でもこのぐらいの方が綺麗なのよ。葉も出てないし、見物人も少ないし。今日は一日休暇をとったから、ゆっくり桜の下を歩きましょう」
シャルルは梓の誘いが聞こえていなかったかのように、青灰色の透き通る瞳を虚空にさまよわせた。そして、
「千鳥ヶ淵、か……」
と、微かな声で呟いた。
その様子に、梓は不審に思った。どうしたんだろう?
「千鳥ヶ淵じゃ、まずかった?」
「いや」シャルルは軽く首を振って、口を真一文字に結んで黙り込んだ。彼の中で何やら憂鬱めいた物思いが駆け巡っていることが、その表情と眼差しから大いに察せられたので、梓は何も言わず、シャルルを見守った。
ややしてシャルルは糸のような細く長い息を吐いてから、ボソッと言った。
「君は出版社に勤めていると言ったな」
「ええ」梓は慎重に返事をする。「そうだけど?」
「君に頼みたいことがある」
「何?」
シャルルは体ごと梓に向き直って、次の言葉を切り出した。



―――――――――――
飯田橋◯丁目◯番地◯号、XXアパート4号室。
そこに行き、ドアをノックして出て来た女性を連れて来てくれ。
これがアルディの指示。
千鳥ヶ淵で彼を下ろして、そのままタクシーを走らせた梓が、目的のアパートに降り立ったのは、午後3時を少し回った頃。
今にも倒壊しそうな古びた二階建てのアパート。ポストが一階に集合していて、その上に木製の屋根がかかっているところなんて、登録遺産にしたくなるぐらい懐かしい雰囲気。
部屋番号を確認して行くと、4号室は二階の端だった。端っこが腐食した鉄階段を登って、梓はその部屋の前にいき、ドアをノックした。ドアの札は「池田」となっている。
「すみませーん」
一分ほどの沈黙。留守だろうか?
と思った頃だった。
「はーい……だぁれ?」
死にかけたカエルをさらに十字架に磔にしたような、惨めで陰惨な声が部屋の中から聞こえて、ドアが開いた。パジャマ姿の、子供のような女性。癖の強い長めの髪はモジャモジャで、まん丸のメガネは指紋や油脂で曇っている。
「あれ、あなたはどちら様?」
小さな背で、こちらを値踏みするような眼差しをよこしてくる。
「はじめまして。眉村梓と申します」
「梓さん?」
「はい」
「あたし、寝てたんだけど」
「はい?」
「まんが家は夕暮れとともに起き出して、夜明けとともに就寝するの。だからまんが家の家に、お日様が登っている間は訪問しちゃいけないわ。これ、常識よ。覚えておいてね。また後で出直してちょうだい。あっ、でもお土産があるならもらっておくわよ。生モノ、甘いモノなんか大歓迎なんだけどっ、何を持って来てくれたの?」
期待に満ちた潤んだ両手を出されて、梓はうろたえた。土産など持っていない。
「すみません、何も持って来てないんです。私は、あなたを花見にお誘いしたくて」
「花見?」
突如現れて何を言うの、と彼女の顔に書いてあったので、梓は簡単な自己紹介をしてから、シャルルのことを話した。途端、パジャマの上に乗っかっていた寝ぼけ顔が光る。
「シャルル? 彼が日本に来ているの?」
「ええ。それであなたと一緒に桜を見たいから連れて来てほしいと……」
言っているのでご一緒に来てはいただけないでしょうか、とそこまで梓は言いたかったのだが、言えなかった。パジャマ女にブラウスの襟元を掴みあげられたからだ。
「シャルルは元気なの? 無事に当主に戻れたの?」
「ぐ……は、く、苦しい」
「どうなのよ! 教えてよ!」
「こ、この手を離して……い、言えない……ぐえっ」
それでようやく相手は自分が梓を締め上げていることに気づいたらしく、
「きゃあ、ごめんなさい」と梓を離した。急に息が吸えるようになった梓は、何度もむせて、荒い呼吸を繰り返しながら、涙目でパジャマ女を見た。なんだ、この子は?
「とにかく」衣服を正しながら梓は威厳を持って言った。「アルディは元気ですし、私が知る限りではあの家の当主として振舞っていました」
「本当?」
「ええ。本人は斜陽の家だなんて皮肉ってましたけどね。豪華な食事に素晴らしいベッドルーム、あれで斜陽なら、私のマンションなんて豚小屋です」
ところが、彼女は梓の言葉を聞いて、不快そうに眉間に深いシワを寄せた。
「梓さんでしたっけ? あなたのお家はどんなマンション?」
「2LDKですが?」
途端、呆れたとばかりにため息が上がる。
「だったら、うちはどうなるのよ?」
と言われて、梓は黙る。パジャマ女の奥に見える室内の様子に、言葉を完全に失ってしまった。うまい切り返しが思いつかない自分を殴ってやりたくなる。バカ! あんた、一応文章で飯を食ってるんでしょうが! こんな時に愛想の一言も言えないでどうするのよ!
「いいの。いいの。わかってるわ」梓の葛藤をよそに、相手が自虐しはじめた。「うちはさしずめ牢屋ね。それも巌窟王に出てくるみたいなジメジメした最暗黒の地下牢。このアパート、一日中日がほとんど差さないの。あたしの布団なんて、キノコが生えたことあるのよ。白地に金の水玉模様。餓死寸前だったから、炙って食っちまったけど」
梓がぞっとしていると、彼女は明るく笑った。
「シャルルとお花見かぁ。いいわね。どこ? ――千鳥ヶ淵? あらすぐそこね――わかったわ。これからすぐに支度しますから、待っていてください」



―――――――――――
池田マリナは、車中で自己紹介をしてくれた。よく話を聞くと、三流まんが家だと自称する彼女が出入りする出版社とは、梓の勤務する会社だった。
「すごいご縁」とマリナは喜んだ。「まんがのほうに知り合いはいませんか?」
ちゃっかり自分を売り込んでくるマリナに苦笑しながら、
「いるわよ。仲のいい編集が一人。同期生」
「誰ですか?」
「松井久治という中堅なんだけど、紹介しましょうか?」
途端に、糸が切れたからくり人形のように全身を弛緩させてうなだれるマリナ。あら。
「いいです……やっぱり自分で頑張ります……」


そんな話をしていると、あっという間に千鳥ヶ淵についた。靖国神社の前でタクシーを降りて、信号を渡り、堀側に向かう。満開前の平日とは言え、すでに花見客は大勢おり、普段は閑散としている堀沿いの道が賑わっていた。
「こっちよ」
梓は、靖国通りを神保町に向かって少し進んだ。先ほどシャルルと別れた場所に、シャルルはいた。
イメージ 1

柵に腕をのせ、堀を覗き込むようにして、皇居側に植わった桜を眺めている。端正な横顔には何の表情も浮かんでおらず、透明に見えるほど澄んだ灰色の瞳にはあたりを蠢く群衆の影が映っている。
「アルディ!」と梓が声をかけると、シャルルは反射的にこちらを振り向き、そのままの体勢で動きを止めた。彼の目が捉えているのは、梓の隣にたつマリナであることは、その瞳の強張りからもよくわかった。
「シャルル」とマリナが彼の名前を呼んで、ゆっくりと近づいていく。シャルルはまだ動かない。
二人は視線をまっすぐにぶつけたまま、その体の距離を縮めていった。
梓はそんな二人を見て、心の中でエールを送った。
シャルルから「飯田橋に行って欲しい」と頼まれた時から、彼の思い人がいると言うことはわかっていた。シャルルは決してはっきりと言葉に出してそうは言わなかったけれども、桜を見に来たのもそのためだろう。きっと梓の誘いは言い訳にすぎない。彼は日本に来る理由が欲しかったのだ。
あの自信家で、ちょっぴり傲岸で、鼻持ちならないシャルル。
そんな彼がここまで震えながら、一人の女の子を待ちわびるなんて――
案外可愛いところもあるじゃない。
息子の翔を思いながら、梓はシャルルの恋の応援団長のような気分になった。
二人の距離が1メートルになったのを見て、もう大丈夫だろうと梓は二人に背を向けた。
その直後だった。
「シャルルのばか!」
という怒声とともに、周囲からどよめきが上がった。びっくりして振り返ると、シャルルが倒れ込んでいた。マリナは彼の前で、右手を拳に固めていた。彼女の顔は仁王のようにいかつい顔になっていて、その口元は小刻みに、はっきりと震えていた。
ま、まさか殴ったの!?
「当主に戻れたのなら戻れたって連絡ぐらいしてこいってのよ! こっちがどれほど心配していたかわかってんの? このスカタン、バカチン、あんぽんたん!」
シャルルは目を白黒させて、赤くなったほおに手をやった。
「いや、俺は」
といいかけた彼の言葉をひったくって、マリナは続ける。
「うるさい! 薄情者、卑怯者、最低最悪者!」
「でも、俺は君にアデュウしたから連絡してはいけないと配慮して……っ」
「そんなもの配慮とは言わんっ! お世話になった人にはきちんと連絡をする。報告、連絡、相談、略して報・連・相(ホウレンソウ)は人間の基本よ。それができないで何が当主よ。何が天才よ! そのなよっちい、引きこもりな精神をあたしが叩き直してやるわ。ほら言いなさい、人生はホウレンソウ!」
「人生は、ホウレンソウ」
かわいそうに、戸惑い切ったという声でシャルルは言った。
「声が小さい! もう一度。人生はホウレンソウ!」
シャルルが立ち上がった。彼のその目をみて、梓は背筋がゾクゾクした。マリナはよくあのような目で睨まれて平気だと思う。自分だって彼の冷たい眼差しにはかなり慣れたつもりでいるが、次元が違う。
「人生は、ホウレンソウ」
それでもシャルルは言った。屈辱を抑え込めない声で。
「まだまだ!」
「人生は、ホウレンソウ」
「もっと大きく!」
皇居の堀端で突如始まった、天使のように美しい男のホウレンソウコールに、周囲の聴衆が集まり出した。
梓はププーっと笑った。

アルディ。あなたのかわい子ちゃんは、一筋縄ではいかない子みたいね。
はてさて、この二人は恋に発展するのかしら。
マリナは面白い子だし、アルディもややこしい性格をしているから、二人の行く末は流石の私でも全然先が読めないわ。

梓はそっと喧騒に包まれる皇居堀を立ち去った。靖国通りを九段下の駅に向かって歩きながら、空を仰ぐ。気持ちよく晴れた空に、風に飛ばされた桜がひとひら自由気ままな曲線を描いて蝶のように舞っていた。

でも、頑張れ、アルディ!
もし困ったら、私にまたいつでもS・O・Sを出していいからね。
幸い、彼女の出入りの出版社は私の会社。
コネを使って、彼女に漫画の仕事を発注して、彼女を連れ出してあげる。
その代わり、あなたも私の仕事に協力するのよ。
お互いにWin-Winな関係でいましょう。

死闘をともに潜り抜けたよき相棒であり、私の理解者でもある、
思ったよりもずっと恋に一途な可愛い友人へ、
人生のちょっとだけ先輩より愛を込めて♡




終わり

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