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札幌物語 第六話

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《ご注意》この記事はシャルマリ二次創作です。苦手な方は閲覧しないでください。
 この物語はフィクションです。現実の組織・制度とは異なる場合がございます。(4, 500文字。読了時間10分)
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札幌物語


第六話


一時間後、マリナは小さな箱を抱いて戻って来た。子供のような彼女の手のひらにすっぽりと隠れてしまうほど小さく薄い紙の箱だ。思ったよりも自販機の場所が遠かったといって、息を切らせていた。シャルルが「どこまで行ったんだ」と問うと、すすきのだとマリナは答えた。かつて住んでいた時、川ぞいにその手の自販機があったのを見た記憶があったからだと。
「どうしてそんな危険なことをするんだ。夜の繁華街にひとりでいくなんて」
マリナはソファにすわって、先ほど飲みかけのティーカップに指を絡ませる。
「アヤちゃんの職場近くよ。危険なんかないわ」
「君は子供のように見られる」
「失礼なことを言うわね」
「心配しているんだ」
「そういうのを余計な心配っていうのよ。さっ、これを飲んだら、シャワーを浴びよっと。あんたはまだなの? 待ってる間に済ませておいてくれればよかったのに」
丸みのある顎をあげて紅茶を飲み干したマリナは、満足そうな吐息をつくと、やおらに立ち上がって、ベッドルームに向かった。
シャワーの音を、シャルルは沈んだ思いで聞いた。
「はあ、さっぱりした。シャルル、あんたも入りなさいよ」と、マリナはバスローブに着替えて、頭にタオルを巻いた姿で出て来た。清潔な石鹸の香りが彼女のあとを追いかけた。マリナはシャルルの前を通り過ぎ、
「んー、何がいいかな。炭酸はいやだし」とつぶやきつつ冷蔵庫を物色して、缶のオレンジジュースを取り出して栓を開けた。そして一気に呷った。
「おいしいっ!」
それから、缶に口をつけたままシャルルを横目で見た。
「あんたもお風呂にいってらっしゃいよ。入らないと眠れないタチでしょう」
覚えておいてくれたのか、とつい喜んでしまいそうになったシャルルだったが、
「君が寝たあとで入る」
あとで? 一緒に寝ないの」
「俺はこのリビングで寝る」
「リビングねぇ」
と言いながら、マリナはシャルルの隣に腰を下ろした。ジュースの缶をテーブルに置き、シャルルをじっと見る。シャルルは息を詰めた。
「初体験がソファっていうのもなかなかオツね」
マリナはバスローブの合わせから、買ってきた小箱を取り出した。もう片方の手でマリナはシャルルの手を取り、小箱を彼の手に握らせ、両手でしっかりと封じる。
「あたしの心は決まってるの。だからシャルルも逃げないで」
たまらずにシャルルは目をそむけて、マリナの手を押し返した。
「やめろ」
「どうして?」
「君らしくない」
「あたしらしいってなんなの?」
シャルルが彼女の方を見ると、全身全霊を込めたマリナの眼差しが自分に注がれていた。
「ねえ、教えて。あたしらしいってなんなの? シャルルはあたしの何を知っているというの? どうか教えてくれない? 一から十まで言葉にして欲しいのよ。そうでないと馬鹿なあたしの頭には理解できない。こうやって手を振り払われたということだけで、嫌われたと思ってしまう。もしそれが正解ならそうはっきり言って。諦めるから」
「馬鹿なことをいう」
シャルルは目を閉じた。なぜこんなときに笑ってしまうのか自分でもわからぬが、声を立てて笑ってしまう。
「どうして俺が君を嫌いになるんだ?」
「だってあたしに怒っている」
「怒っていたら、嫌いなのか」
「違うの?」
「そういう人間も世の中にはいるのかもしれないが、俺は違う。少なくとも君に関してはだが」
「じゃあ、あたしのこと、好き?」
それには答えず、シャルルは立ち上がった。窓の前まで行くと、夜景を背に懐からタバコとライターを取り出して、タバコの先端を数回ライターに打ち付けてから火をつける。
「タバコ、吸うの?」
「ああ。これが四年間の唯一の変化かな。そういったら信じるかい?」
マリナはちょっとけむそうに数回咳き込んでから、うなずいた。
「おじさんになったみたい」
「よしてくれよ。22だぜ」
「そうか」
「そうだよ。それをいったら、俺と一つしか変わらないだから、君だっておばさんだ」
「ダメよ。女性にそんなことを言ったら」
シャルルはタバコをくわえたまま、大仰に手をあげた。
「男女不平等な世界だ。嘆かわしいね」と、笑いながら、シャルルは目の前でマリナが屈託なく笑うのを見ていた。このホテルに入ってから、こんな風に彼女が笑っていなかったと、今更ながらにシャルルは気がついた。
マリナも笑いながら、目尻の涙をぬぐっていたが、やがて思い立ったように立ち上がった。
「あたしの四年間の変化も見る?」と、彼女はつとめて気軽に、
「あんまりお見せできるほどのすばらしい変化でもないんだけどね」と言いながら、バスローブの紐に手をかけた。結び目をほどいたあと、若干なまめいた眼差しをよこしてきながら、背をそらしているせいか、鳩胸に見える合わせに手をかける。
「もういいよ」とシャルルはいった。瞬間、マリナの手が止まった。
なんでも興味津々に見てきた大きな目がこぼれ落ちそうなほどに見開かれて、その下にある小さな鼻はひくつき、風呂上がりでかすかに上気した唇は開いて乱れた呼吸を繰り返している。明らかにマリナは動揺していた。
シャルルはすばやくマリナのところまでやってきて、くわえていたタバコをオレンジジュースの缶に入れると、バスローブの合わせをつかんでいた彼女の手にそっと重ねた。
缶の中でタバコが音を立てて、くすんだ煙が一筋あがった。
「そんなに無理しないでいいから」
「無理なんかっ」
と、マリナは即座に叫んだが、
「してる。ものすごく。一から十まで無理ばかりだ。そうだろ?」
と畳み掛けると、彼女はくっと身をすくめて沈黙した。恐ろしいものでも見たという顔をしてシャルルを見た。その視線よりもさらに強く彼女を見つめていると、やがてマリナは岩が砕けるように破顔した。そしてシャルルの胸を乱暴に叩いた。
「わーんっ、いじわる! シャルルの馬鹿! あたしがこんなに頑張ってるのに! は、はは、初体験だってあんたに捧げようと思って必死に頑張ったのに、なのに、そんな純情な乙女の祈りを踏みにじって、このトーヘンボク、アンポンタン、死んでしまえ!」
それは紛れもなく、マリナの裸の心の叫びで、四年間の空白など全く感じさせない素の彼女だった。シャルルは暴れるマリナをきつく抱きしめた。
「ごめん」と、何度も謝りながら、腰をかがめて、彼女の濡れたほおをなでる。「ちょっとヤキモチを焼きすぎた。本当にすまない。やっと思いが通じた君が、また他の男の方を見てしまったと思うと、自分を見失ってしまった。すまなかった」
「どうしてそんな風に思うの? あたしはシャルルが好きってちゃんといったじゃないのよ。あたしの言葉を額面通りに受け取って信じてよ。疑わないで」
「わかった」
「今度こそ信じてくれる?」
よく見ると、マリナの顔は白粉のあとさえない素顔だった。普通の女であれば、初めての男と同衾するときに、薄化粧を施す。たったそれさえのことすら知らない幼いままの彼女を、あらためて宝物のように抱きしめる。
ああ、この愛に呪われた我が身が愛おしい!
どういう神の配慮かわからぬが、この女性と出会った時から、すでに自分の負けは決まっていたのだ!
だったらどこまでも転がっていこうではないか。
愛の指し示す道のままに。
「信じるよ。今度は信じる」
「約束よ」
シャルルは強く頷いた。
「約束するし、君を傷つけた罰もちゃんと受ける」
マリナはそのシャルルの言葉に興味を惹かれたらしく、顔を起こして、
「罰って何?」
と涙声で訊ねた。
「その1、小林玲の件についてだが、俺も協力する」
「ほんと!?」
そうしなければまたヤキモチをやいてマリナを苦しめるだけだということが大きな理由だが、アヤたちから聞いた事件がシャルルの関心を引いていた。
「その2、札幌にいる間は、君に手を出さない」
この罰はかなり予想外だったらしく、マリナは驚いた様子で、「どうして?」と訊ねた。
「君を一度抱いてしまったら、たぶん、離せないだろうから。そうしたら、夜も昼もこの部屋から出せなくなってしまうから」
マリナがポッと赤面した。その隙をついて、シャルルは紐が解けたままになっていた、彼女のバスローブをさっと脱がせた。彼女の足元にそれは力なく落ちる。
「やっぱり四年間で変わったよ。大人になった」
と言い置いてから、すばやく背を向けた。
「シャルル!」
「さっきから君が暴れるたびにほとんど見えていたんだから、いいじゃないか。それに、これも罰のひとつさ。魅力的な君を前に我慢するんだ。このいじらしい愛情を、褒め称えてほしいね」
笑いながら、シャルルはまたタバコを取り出して火をつけた。失望と希望を繰り返して眺めた札幌の街。大通りがまっすぐ麓まで伸び、そこに沿うように無数のネオンが美しい街を作っている。夜景に映り込んだマリナが、恥ずかしそうにバスローブをかき合わせつつ、何度もこちらに視線を送りながらベッドルームに消えた。



――――――――

あくる朝、二人は久しぶりに寝坊をした。ツインに並んだベッドで、マリナの騒々しいいびきを聞きながらの睡眠だったが、これほどよく眠れたことはなん年ぶりだっただろうかと思うほどの快適な朝だった。
日航ホテルでは朝寝坊の客のために、朝食がブランチに変更できる。マリナはこの素晴らしい配慮をいたく喜び、またこのホテルに来たいと告げて、レストランの従業員を喜ばせた。
昨日同様、よく晴れて青空が広がっており、レストランからの眺望は見事だった。白く一点の汚れもない雲が、空の一番高いところに薄く優しく広がっていて、青すぎる空に穏やかなベールをかけていた。太陽はその狭間で活力のある光を地上に降り注いでいる。
月曜日ということもあり、12時を迎えたレストランはほどよく混み合っていた。北海道ならではの野菜やメニューが並び、なかなかの繁盛具合が窺わせる。
「とりあえずどこに行きたい?」と、マリナがお茶漬けを食べながらいった。すでに彼女はパンを数種類食べていて、これはシメの茶漬けだ。
「昨日は行けなかったジャンプ台とか行ってみようか」
「いや。それよりも調べ物がしたい」
「調べ物?」
「十二年前の小林夫妻殺害事件の資料が見たい」
ああ、とマリナは嬉しそうに顔をほころばせる。
「本当に協力してくれるのね、ありがとう! でもどうやって調べるの?」
「問題ない。北海道警に連絡して、ここまで資料を届けさせる」
「そんなことできるの?」
「無論。だいたい、あのバイオリニストと行動を共にしている君を見つけ出したのだって、奴らを使ったんだ。もう少し利用させてもらっても悪くないだろう。その分、見返りはたっぷりとやるさ」
マリナは茶碗をもったままシャルルをじっと見ていたが、
「あたし、前から思っていたんだけど、シャルルって時々悪いよね?」
シャルルは面白そうに声を立てて笑った。
「今更気づいた? でも、逃げたいって思っても無駄だよ」
「逃げたいなんて思わないわ」
「それなら結構」
と、シャルルはにっこりうなずいた。
「もし逃げたら、俺は君専用の隔離施設を作るかもしれないぜ。なにせ、俺は、マルグリット島を作ったアルディの直系だから」
マリナは驚いた顔で、茶碗を置いた。
「これ、食べてごらん。美味しいよ」
シャルルは自分の皿のコーンのサラダをフォークですくって、マリナの皿に乗せた。黄色い粒が白い皿に転がって可愛かった。
「ありがとう」と、マリナは一粒を箸でつまんで口に入れた。
いつもならば、もっと盛大に食べるはずのマリナの慎ましげな仕草に、シャルルはふっと涙が出そうになった。無邪気に笑うマリナが好きで、ずっと彼女を笑わせていたいという思いは真実だが、一方で怯える彼女も好ましかった。
目を上げると、店はますます混んでいた。巣をつつくようにビュッフェに客らがトレーを持って群がっている。コーヒーを取りにいくのは、しばらく待とうとシャルルは思った。
モーツァルトのピアノ曲が聞こえていた。
中年女性の団体が入ってきて、子雀のように騒ぎ始めた。
マリナは黙って、茶漬けをすすった。



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