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綺麗に抱かれたい 第二十三話

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《ご注意》シャルマリ2次創作。大人向け。




第二十三話


半年がたった。シャルロットの怪我は完治し、不自由ない生活に戻れるようになっていた。オレはできる限り仕事を減らし、家で過ごすようにしていた。
冬が厳しかった反動か、三月を迎えてからは汗ばむほどの陽気が続いていた。
執務室に飛び込んできたエロイーズが、オレの椅子に纏わりついてせがんだ。
「ねぇパパ、今日のお昼ご飯はお外で食べたい」
四歳になったエロイーズは、かなり言葉が達者になり、自分でもコミュニケーション能力が上がったことが嬉しくて仕方がないようで、誰にでも盛んに話しかけては、ますます語彙力を高めていた。
「外でねぇ」
とオレは書類を読んだまま答えた。エロイーズは椅子の両側から首をぴょこぴょこ出して、ねだる。
「こんなに気持ちのいい日に家の中にいたらダメよ。お日様をいっぱい浴びて、テーブルセットを出して、糊のきいたクロスを敷くの。絵画は青空と庭のお花達が務めてくれるし、BGMは小鳥のさえずりよ。うるさいシジュウカラもきっと鳴いているけれど、あたし達がうるさいと思っても、神様は喜ばれるわ」
気取ったことをいうようになったと、オレは笑いつつ書類を放り出した。
「庭でランチか。悪くないね。いいよ。じゃあ、そうしよう」
執事に命じて、庭にテーブルセットと、サンドイッチを中心とした軽食を用意させた。テーブルには糊の聞いたクロスをかけたが、花は飾らなかった。庭に春の花が満ちていたからである。早い話が花見のようなもので、エロイーズはこの趣向をひどく喜んだ。
「パパ、ママン、乾杯しよう」
「お昼間から何ですか。下品よ、エロイーズ」
とシャルロットがたしなめた。
「まあ、いいだろう。今日は特別だ」
とオレが笑うと、
「シャルルがそういうなら、いいけど……」
とシャルロットは矛を収めた。
「ヤッタァ」
エロイーズは両手を上げて喜んだ。メイド達がオレとシャルロットにはペリエを、エロイーズにはオレンジ・ジュースを注いだグラスを用意し、俺たちはそれぞれのグラスの縁をチインと合わせた。
「乾杯!」
そうして始まった食事を、エロイーズは普段の倍以上も食べ、よく喋った。今日のメイドの失敗談、執事のちょび髭について、明日のお天気情報、サミュエルのほっぺたの乾燥状態など、思いつくままに喋っていたという感じだった。
「喋るか、食べるか、どちらかにしなさい」
「あん。だって」
と、ふてくされた顔をしながら、何分間も手にしたままのハムサンドを頬張った。何とか急いで食べて、話の続きをしようとしているらしい。
「サミュエルがぐずりだしたから、少し歩いてくるわね」
シャルロットはそういうと、サミュエルを抱き上げた。オレは思わずシャルロットの顔を見た。彼女はどちらかというと、青白い顔をしていた。
「疲れたら代わるからいって」
シャルロットは足を止めて振り返り、嬉しそうに微笑した。
「ありがとう、でも大丈夫よ」
そうして彼女はまたオレたちに背中を向けて、ゆっくりと歩きだした。地に足がついていないというか、歩くことを楽しんでいるというのか、とにかく見ているこちらが心配になるようなフラフラとした足取りだった。やがて、小道に沿って植えられてある薔薇のそばに、サミュエルを抱いたまま妻は座り込んだ。薔薇はまだ花はなかった。シャルロットは枝に手を伸ばして笑っているようだった。その様子をオレが見つめていると、エロイーズがいった。
「ママン、やっぱり薔薇なのかなぁ?」
「え?」
ギクッとして娘を見ると、彼女はすでにハムサンドを食べ終わっていて、じーっと遠くの母親をじっと見つめていた。
「だってママン、薔薇の精みたい」
「ハハハ、何をいうんだ。面白いな」
エロイーズはオレを睨んだ。
「面白くない。なんか、ママン、怖い」
するどいなと、思った。半年前に、両親の間に起こったいざこざを彼女は知らない。
あの日、迎えにきたジルとともに帰宅したオレは、シャルロットと話し合い、離婚の撤回と、夫婦としてやり直すことを誓ったのである。当然エロイーズには、シャルロットの災難はただの事故として伝えられ、オレの家族は元どおりになった。
しかし、それで夫婦仲が完全に戻るというものでもなかった。
足と腕を骨折したシャルロットは、しばらくの間、家族と離れて療養の日々となった。ふたたび家族で暮らすようになったあと、オレがどんなに優しくしても、以前のような明るく小憎らしいシャルロットはどこにもいなかった。少女時代を永久にどこかに置き去りにしてしまったように静かな女に変わってしまったのである。
あれほど好きだった晩餐会も行かなくなった。
それがオレに媚を売るためだというのは、よくわかっていた。シャルロットは、オレに気に入られる女を演じているのだ。いや、演じているというと悪意にとり過ぎで、彼女はただ捨てられたくなくて必死なのだ。
しかし、そんなシャルロットのことを、もはやオレは愛しいとは思えなかった。子供達のために、オレはシャルロットと夫婦生活を続けることを選んだ。こうして両親のことを不安に感じるエロイーズを見ていると、オレがした選択は間違いなかったと、しみじみ思う。
「大丈夫だよ。ママンが薔薇になっちまわないように、パパが守るから」
「ほんとっ!?」
エロイーズは顔を輝かせた。
「ああ。任せておけ」
エロイーズは喜んで、残ったサンドイッチを美味しそうに食べ始めた。オレは彼女から視線をそらして、妻を探した。シャルロットはまだ薔薇のそばに座っていた。口がモゴモゴと動いている。まるで薔薇と喋っているようにも見え、エロイーズがいった通り、確かに薔薇の精になりそうな様子だった。彼女の肩に抱かれたサミュエルがオレを見つけてニコッと笑った。オレはそれに答えて手を振りつつ、妻の心を癒すためには、体を合わせるしかないのかなと思った。なんとなく、そういう気になれずに、これまで別寝室で過ごしてきたが、今日、外で食事をしたのと反比例するように、夜妻と同じ寝室に入ることがルートづけられた気がした。
これから先の永い生涯、こうやってオレは愛せない妻と暮らしていくのだ。同じように、心底愛したマリナを失った苦い後悔とこの心を合体させて、くすぶる灯芯のように消えることのない己の欲望を踵で踏みつぶしながら、黙々と生きていくしかないのだ。
風がふいに強く吹いて、テーブルの上の紙カプキンを空中に高く舞い上げた。エロイーズは大声をあげて喜び、サンドイッチを放り出して、紙ナプキンを追いかけていった。



あくる日の日曜日の午後、和矢が訪ねてきた。突然の来訪にオレはひどく驚いた。執事から訪問者の名を知らされた時には何度も確かめてしまったほどだった。どうしてあいつがオレに会いに来るんだ? 記憶を無くしているはずじゃなかったのか?
もしかして記憶が戻ったのか?
矢も盾もたまらず、途中だった仕事を全て放り出してサロンに向かった。
ノックもせずに扉を開けると、部屋の中央に置かれたソファに座っていた和矢が、弾かれたように立ち上がった。
紺色のスーツ姿をした和矢が、アルディ家のサロンに、ひどく不似合いだった。
「ごめん、突然来て」
その一言で、和矢が記憶を取り戻していることを、オレは知った。
「いや、構わないよ」
オレはそういって、彼に着座をすすめてから、自分も向かい合わせに腰を下ろした。その間にも、マリナと和矢の間に何が起こったのだろうかと、考えうる限りの予測を立てた。
「どうした、急に。パリに来る用事があったか?」
「お前に会いに来たんだ」
と和矢は一呼吸置いた。
「オレ、記憶をしばらく失っていたんだけれど、先月、すべて思い出してさ」
「先月?」
「ほら、これさ」
そういって、和矢は右腕を大きく回した。その滑らかな動きは、モザンビークに拉致されたオレを探しにいった時に、ゲリラの襲撃に遭遇して粉砕骨折していた肩が見事に治っていたことを表していた。
「南アフリカから戻って、親父が肩の治療をしろってすげーうるさくってさ。この肩のせいで南アフリカにいって記憶喪失になんてなったんだって、おかんむりだったわけ。それで、親父が探してきた病院で、先月、手術を受けてさ。全身麻酔でやったんだけど、麻酔から覚めた時、全部の記憶が戻ってた。それまで違和感があった家族の顔も、パズルのピースがはまるみたいにやっとしっくりいった」
オレはひどく動機がしたが、それをこらえて聞いた。
「よかったな。それでなぜオレのところに?」
「もちろん、お前とマリナのことを確かめるためだよ。お前、マリナから聞いただろ? モザンで暮らすオレとマウラのところに二人で来たもんな。マリナがお前のことをずっと思っていたと知って、お前はどう思った?」
「………」
和矢はほぅっと息を吐き、それから凄みを感じさせる目でオレを見た。
「お前、マリナを好きか?」
尋ねられて、オレは黙った。答えるすべをオレはもう持っていなかった。そうだと答えれば、妻を裏切ることになる。違うと答えれば、自分を裏切ることになる。どちらにしても、なんの利益もなく、ただ苦しく、誰かに対して罪悪感を背負うだけだった。そのようなことをどうしてオレが答えねばならない?
「わかったよ」と和矢は、答えないオレに、独り合点してため息を吐いた。「マリナにも聞いた。あいつも答えなかった。いっそ不倫したといって欲しかったよ。そうしたら……」
「そうしたら、なんだ?」
聞くと、和矢は片口を歪ませて笑った。
「その事実をもとに、調停を起こして健人の養育権を奪えたのに、ってことだよ! プラトニックラブじゃあ、調停起こしても勝てねぇじゃん。日本じゃあ、母親の方が圧倒的有利だからな」
諦めたようなその言い方に、オレは驚いた。和矢はもう一度ため息を吐いてから、テーブルに置いてあったカップをとり、それを一気に飲み干した。
それから、うつむいていった。
「子供から母親を取り上げるような真似はできないよ。だから、親権は手放さないが、養育権はマリナに譲る。必要だったら養育費を払うが、もしお前と一緒になるなら、いらねえよな」
和矢は快活に笑ったが、オレの方ではなんとも答えようがなかった。
「ちょっと待て」と手を彼との間の空中にかざす。「君はまだ記憶が断片的らしい。オレには妻子がいることを忘れている」
「忘れていないよ」
「なら、なぜそういう話になる。オレは離婚すると、一言もいってない」
「いってねぇな。でも、顔に書いてあるぜ。離婚したいって、無理してますって」
オレは黙った。すると和矢は、人を見据えるような黒い瞳をほんの僅かに潤ませて笑った。それはひどく優しく、悲しみに満ちた瞳だった。
「別に、オレはお前に離婚をすすめに来たわけじゃない。家族で日本に遊びに来ないかって誘いに来たんだ」
そういって、和矢が胸ポケットから取り出したのは、東京ディズニーランドのイースターフェアのチラシだった。
「試せよ。お前の気持ちがどこにあるのか。マリナともう一回会って試せばいい。そういうの好きだろ?」
今度は挑戦的な目で和矢はオレを見た。オレは気持ちが昂ってくるのを感じた。
「無理だ」
と手を払いながらかぶりを振る。
「どうして?」
明らかなことなので、オレは冷然と答えることができた。
「シャルロットが、行くとは言わないだろう」
「オレが誘うよ」
と、断固とした態度で和矢はいった。人の妻に対してあまりにもきっぱりとした態度でいってのけられて、流石にオレが少々唖然としていると、和矢ははにかんだ笑みを浮かべた。
「実はまだ離婚届を出していないんだ。だから、いろいろな意味でオレも整理をつけたいっていうか……。記憶がとっちらかった状態で、このまま離婚していいのかって不安もある。だから、お前に会った時のマリナの顔を見て、自分の気持ちに引導を渡したいんだ」
「だからといって、何もオレ達が家族で……
と前のめりになってオレが言いかけると、和矢が言葉を被せた。
「黙って聞いてくれよ。本当はオレだって、離婚したくない。マリナを離したくない。だけど、あいつがお前のことを思っている以上、どうしようもないじゃないか。このまま、好き合ってもいないのに、子供のためだけに夫婦ヅラして、それで幸せか? 健人はそんな両親のもとで育って幸せか?」
とそこまでいって和矢は言葉を詰まらせ、眉間を指先でつまんだ。
「いや、違うな。ちょっと待って。頭を整理するから。ちょっと待って……」
とそこでまた黙った。彼が葛藤しているとよくわかった。
やがて和矢は顔をあげて、真摯な眼差しで続きを語った。
「マリナが選んだのがお前じゃなかったらまた話は別だった。オレが忘れさせてやる!と思って頑張れた。でも、よりにもよってお前だった。お前たちは過去に付き合っていた仲だ。お前と別れてマリナはオレを選んでくれた。それなのに、やっぱりお前の方がいいとなったら、もうオレに太刀打ちできるはずがないじゃないか? オレさえいなければお前たちは人生を間違うことなく幸せに暮らしていたのか?――と思ったら、たまらなくなって、送金してくれるというマウラの申し出を断ってわざわざ取りに行ったんだ。でもやっぱマリナが好きだから、離婚を少しでも遅らせたくてマウラを誘ってモザンにいったら、星空が綺麗で見とれた。ああ、こんな星空をマリナや健人にも見せたいなぁなんて考えていたら、ついふらふらとサバンナの奥に入っちまって、吹っ飛ばされたんだ。本当に情けないよ。こんなに自分が嫉妬深くて弱いとは思わなかったぜ。おかしいだろ? 笑ってくれよ。ハハハッ」
最後は右手で顔全体を覆って、開いた足の間に突っ伏すようにしてうなだれた和矢を、オレが果たして笑えるだろうか?
子供のためだけに夫婦として生きることを幸せではないという、和矢の一言は、オレの中で、晩鐘のように、この後もずっと鳴り響いていくことになったのだった。



「四月一日、午後一時。東京ディズニーランドの正面入り口で待ち合わせするってことでどうですか? ダブル・家族デートです。みんなでイースターを楽しみましょう」
と和矢は、満面の笑顔でシャルロットを誘った。
以前のシャルロットは外出好きであったので、一も二もなくオッケーしただろう。子供を産んでからというものの飛行機に乗ることがほとんどなくなっていたので、海外旅行となると、なおさら喜んだはずである。ディスニーランドが特別好きだったかどうかは話したことがなかったが、派手好きな彼女なら嫌いということもあるまい。
しかし、今のシャルロットは絶対に首を縦に振らないだろうと思っていた。家族デートということになれば、マリナも当然くる。そこに行きたいと思うわけがない。
ところが彼女はいくといった。オレは耳を疑った。
「前の日から東京に入りましょう。浅草観光もしたいし、ゲームセンターも行きたいわ」――前にオレがマリナと回ったことを覚えているのか、そんな皮肉を盛り込んでくるあたり、シャルロットが何か変わったと思った。変わったというよりも、戻ったというべきか。オレに嫌われることを避けて、従順なだけでいた彼女の中に何の変革があったのだろうか?
そう考えて、オレはすぐに思い当たった。昨夜共に過ごしたからだ。
オレはシャルロットを丹念に愛した。そのオレの行為が、彼女に自信と誇りを取り戻させたのだ。女は植物と同じで、手をかけて慈しんでやればやるだけ、美しく、官能的に咲くのである。まさしく今のシャルロットはその通りに、愛される女の喜びで輝いていた。
その喜びが、マリナと対峙する力をシャルロットに与えたのだ。
「よかった。じゃあ、待ってます」
再会の約束をしてから、和矢はエロイーズやサミュエルとしばしの間戯れた。さすが父親だけあって、子供の扱いは手馴れていて、二人ともすぐに和矢に懐いた。そういえば和矢は小学校の先生ということだったな。では慣れていて当然かとも思いながら、楽しそうな子供達の顔を見ていると、妙な嫉妬心を覚えた。 
そうして一時間後、帰りの飛行機の時間があるからといって、和矢は帰ることになった。子供達はつかのまだけ遊んだ和矢との別れを非常に悲しがった。特にエロイーズは、涙目になったほどだった
「来月東京で会おうな。おじちゃんの子も一緒だから仲良くしてくれよな。――じゃあシャルル、東京で待ってるぜ!」
和矢は、車寄せで見送るオレたちに手を振りながら、爽やかな微笑みを残し、車も使わず、ミモザの花散る風の中を駆けていった。



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