3 消えた恋人
そうしてぼけぇっとしたままのあたしと、上機嫌のシャルルをのせた車は、アルディ家に到着した。
そこで、あたしを待っていたのは、なつかしいジルだった。
でも、彼女だけじゃなかったのよ!
「ええっ!? 死体!?」
ジルは、美しい金色の髪をすだれのようにたらして、申し訳なさそうに、深ぶかと頭を下げた。
「そうなんです。ですから親族会議は中止になりました。本当に困りますわ。今日は大事な会議でしたのに」
いや、ちょっと待って。
そういう問題じゃないでしょ!
死体が出たってことのほうが大問題よ。
「いったい、どこの、誰が、死んだっていうのよ?」
「あらマリナさん、死体がお好きですか?」
にこやかな笑顔で言われて、あたしはゾクッ。
いらない、いりませんっ!
あたしはね、死体はこりごり。
『愛と哀しみのフーガ』や『愛をかたるエリニュス』でたくさん出会って、解剖までして、もう一生分おつきあいしたんだからね!
シャルルは透き通るような瞳に、ちかりと鋭い視線を走らせてジルを見た。
「死体は誰だ?」
待ってましたとばかりに、ジルが答える。
「エリザです。処女宮の」
瞬間、シャルルはカッとその目を見開いた。
「なんてことだ……!」
彼は、たまらないというように、白くて大きな手で自分の顔を覆い、うつむいた。
手の隙間から見える顔は青ざめていて、心の底から辛そう。
え、どうしたの?
エリザって誰?
わけがわからずあたふたするあたし。
「あらシャルル」
ジルは淡々としたものだ。
「あなたにとってはよかったのでは? エリザが邪魔だったでしょう?」
邪魔?
「せっかくマリナさんとの結婚話をすすめようという時に、彼女が処女宮に居座っていては、親族たちも首を縦に振りませんからね」
え……それって。
まさか、エリザって。
あたしが聞くと、ジルは大きくうなずいた。
「そうです。エリザはシャルルの恋人です」
やっぱり!
じゃあ、シャルルのやつ、恋人がいるくせに、あたしに好きだとか言ったあげくプロポーズまでしたんだ。
最低っ!
「勘違いしないでください、マリナさん」
怒りにもえるあたしをなだめるように、ジルが言った。
「エリザは、一時期荒れるシャルルのために家が決めた相手、シャルルが望んだ縁談ではありません。事実、シャルルは解消しようと手を尽くしていたのです。ですが、エリザは、シャルルに一目惚れをしてしまって」
一目惚れ!
あたしは自分の立場も、エリザが死んだということも忘れて、しみじみと納得してしまったの。
わかるわぁ、シャルル、綺麗だもんねぇ。
「どうしてもシャルルと結婚するんだと、アルディ家に強引に乗り込んできて」
ふむ。
「処女宮に居座ってしまったのです」
だから、さっきから話に登場する処女宮って、なんなのよ?
「そこ、アルディ家の一部?」
あたしの言葉に、ジルはうなずいた。
「処女宮は、アルディ本家の奥に建てられた、当主の恋人が住む別邸のなまえです。シャルルが住む翼館の隣です。建築当時の星占いで、ホロスコープがおとめ座に吉運を示していたため、処女宮と呼ばれるようになりました」
ふぅん。
ずいぶん、お利口な星占いね、恋人専用の館に「おとめ座」なんて。
もしホロスコープが「かに座」って言ってたら、アルディ家はなまえをどうする気だったのかしら。
「……まさか、エリザは自分で?」
うつむいたままのシャルルがつぶやいて、あたしはハッとした。
それって自殺ってこと?
たいへんだ、どうしよう!
あたしが来たから?
パリにあたしが来て、シャルルがあたしと結婚するって言い出したから、シャルルを大好きなエリザは、悲しんで自殺しちゃったのっ!?
「とにかく、処女宮に来てください」
言いながら、ジルはあたしたちに背中を向け、廊下の奥に向かって早足で歩き出した。
シャルルは黙ってその彼女に従い、あたしも、慌ててふたりのあとを追った。
心臓が、痛いくらいにドキドキしていた。
*
はじめて見る処女宮は、すてきっ、という言葉がぴったりのお屋敷。
ツタが絡まる白い壁といい、レースカーテンがのぞくアンティークっぽい出窓といい、周りに植えられた華やかな花壇といい、全体がものすごく乙女チック。
普段だったら、喜んじゃうんだけど、今日はダメ。
ああ、ここに死体があるんだ。
と思うと、あたしは緊張しながら、ふたりについておそるおそるその建物に入った。
ところが、ところがぁ!
「死体はどこ?」
玄関を入ってすぐ左側に、そのラウンジはあった。
ジルに続いて、ドアを蹴飛ばすように入ったシャルルは、部屋の中をきょろきょろと見渡した。
「どこにもないぞ」
あたしはびっくりして、シャルルの後ろから顔を出した。
ほんとだ、ない。
ラウンジは教室のような広さで、対面式のソファと、その間に低いテーブルが置いてあるだけのゆったりとした作りだ。
死体などがあれば、すぐ目に入る。
「おかしいですね。さきほどまでは、ここに横たわっていたんですが。親族の誰かが来て、片付けてしまったんでしょうか?」
言いながら、ジルは絨毯の一点を指した。
そこは、ラウンジのちょうど中央、ソファの横手にあたる場所で、そこだけほんのわずか、腕を交差したような形の黒いシミがあった。
「これって……血っ!?」
瞬間、シャルルは顔をこわばらせて、短く一言。
「約束のグランドクロスだ……!」
え!?
「なにそれ?」
あたしが聞くと、シャルルのかわりに、ジルが答えた。
「“約束のグランドクロス”とは、アルディ家の伝承です。
『天空が十字を刻むとき、アルディ王のもっとも愛するものを、天に招く』」
びっくりした。
「つまり、グランドクロスの日、アルディ当主は一番愛しているものを奪われるのです。それもむりやり。そしてそのあとには、かならずどこかに十字の形が残されていると言われています」
あたしは心臓をつかまれたような思いで、血のあとを見た。
これっ、十字の形っ!!
「先代ロベール様の時、やはり、約束のグランドクロスが成就しました。その時は、妻であるエロイーズ様が亡くなられました。表向きは病死、ですが」
なんてこと……。
じゃあ、エリザはグランドクロスのせいで殺されたっていうの?
とそこまで考えたあたしは、はたとあることに気づいた。
奪われるのは、アルディ当主のもっとも愛しているもの。
ということは、ということはぁ!
「エリザ……っ」
大きな吐息があがり、見ると、シャルルが柱にもたれかかり、そこに額を押し付けるようにして顔をふせていた。
あたしは、そんな彼を、黙って見ていた。
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