4 疑惑がいっぱい、アルディ家
そのあとシャルルは、処女宮を出て行った。
突然、何かを思い立ったように、目を光らせて。
それは、止めるひまもないほどの素早さだった。
「マリナさん、ひとまず本館に戻りましょう」
ジルの提案がなければ、あたしは、処女宮のラウンジに立ち尽くしたままだったと思う。
「お茶はいかがですか」
ジルの言葉に、あたしはうなずいて本館に帰った。
優雅な手つきで、お茶をいれてくれる彼女を見ていると、あたしは次第に冷静になってきて、つくづく考えずにいられなかった。
シャルルは、エリザのことが好きなんだわ。
再会してすぐ、あたしに告白したのは、きっと十代の頃の熱病みたいな恋の後遺症で、本当は、苦しい時にそばにいて、深い愛情をそそいでくれたエリザを、彼も愛してたんだ。
約束のグランドクロスは、その証明なのよ。
「マリナさん、誤解しないでください」
ジルが、お茶を差し出しながら、心配そうにあたしを見る。
「シャルルは、エリザの死体が消えた謎を、追っているだけです。天才としては、伝承などで振り回されるのが、嫌なのでしょう」
あれは、天才の顔じゃないわ。
そう言いかけて、あたしは熱いお茶を一口むりやり飲んだ。
「ねぇジル。聞きたいことがあるの」
ジルはソファに腰掛けながら、さらっと髪を揺らした。
「なんですか?」
優しく穏やかな瞳が、あたしを見つめているのを感じながら、あたしは気になっていることを、たずねた。
「エリザって、どんな子なの?」
すると、ジルは少し表情を厳しくした。
「ベルモンド伯爵家の令嬢です。血統は確かです。あの家はみな美形ですが、エリザの美しさは抜きん出ています。特に、角度によって微妙に色合いが変わる翡翠色の瞳は、言葉では言い表せないぐらいで、エメラルド姫とも言われています」
うっ。
「その美貌は、すでに社交界でも話題で、『ぜひとも我が家に』という申し出は、後を絶えなかったようです」
あたしは、息をのんだ。
そんなに綺麗な人なんだ……。
うう、かなわない。
勝負にすらならないわ。
「エリザはいつからアルディ家にいるの?」
ジルは一瞬考える顔をしてから、はっきりと答えた。
「およそ1年前からです」
そんなに!
思ったよりずっとまえ。
エリザのいた処女宮と、シャルルの暮らす翼館は、すぐ隣。
もし本当にエリザのことが嫌いなら、どんなことをしてでも、追い出せたはず。
そういう時のシャルルは、非情だもの。
それがなにもせず、1年間も黙っていたということが、シャルルの出した結論なんだわ。
あたしは、複雑な気持ちがした。
だって直前に「愛してる」と告白されたばかりだったんだもの。
それが、涙がでそうなくらい、あたしは嬉しかった。
だから、ちょっとくやしかった。
でも同時に、やっとシャルルが見つけた幸せを応援してあげたいとも思った。
おめでとう、と言ってあげたい。
不器用な彼が見つけた愛を、心から祝福してあげたかったの。
「わかったわ。あたし、エリザのゆくえを探す」
ジルは目を見開いて、あたしを見た。
「エリザは死んだのですよ? 死体のゆくえを探すのですか?」
ちがうわ、そうじゃない。
「生きてるエリザを探すのよ。死体がないってことは、もしかしたら、生きてるかもしれないでしょ? 事情があって死んだふりをしてたとか」
ジルがありえない、という顔で、首を横に振った。
「私は……見たのですよ。彼女の死体を。マリナさんは、それでも?」
確かめるように聞いてくる彼女に、あたしは強く頷いた。
シャルルが幸せになるには、エリザがいなくちゃいけないの。
だから、あたしはエリザを探す。
たとえ、可能性が99%なくても、あたしは負けないわ。
絶対にあきらめない。
「もし生きていてくれたら、シャルルは救われる。ふたりは幸せになるわ。そうなってほしい。だから、あたし、何としてもエリザを探すわ。探してみせる」
すると、ジルが深い息を吐いた。
「あなたなら、そう言ってくれると思っていました」
え?
「シャルルを救えるのは、マリナさんだけです。お願いします。彼を救ってください」
そう言いながら、嬉しそうにあたしの手を取った。
「ありがとう、マリナさん」
*
あたしは事件を整理することにした。
ジルによると、エリザが倒れていることを発見したのは、メイドさんで、三時のお茶を持っていった時だったらしい。
エリザ指定のメニューは、アールグレイとバタークッキー。
特にアールグレイは、雪が降っているような真冬でも、キンキンに冷やしたものがお好みだったとか。
メイドがいつもどおりのそれらを持って、処女宮のラウンジを訪れた時には、彼女はもう倒れていて、すぐに駆けつけたジルが呼吸停止を確認したんだって。
「その時、ジルは血のあとに気づいたの?」
ジルは首を横に振った。
「いえ、私は気づきませんでした。とにかく、シャルルが帰って来るまでは、死体を動かさないほうがよいだろうと、極力触りませんでしたから」
ふむ。
確かに、あの血痕は、そんなに大きくないからね。
「エリザの死因はなんなの?」
「それも私には判断がつきません。目立った外傷は見られませんでした」
あたしは、星占いの本に占領されたポシェットの中から、メモ帳を取り出し、そこに「外傷なし。死因不明」と書いた。
さて、どこから推理しよう。
死因がわからないんじゃ、犯行手口もわからないし、イコール、エリザが生きている可能性を立証することもできないっ!
あたしは考え方を変えることにした。
つまり、エリザが殺される必要がないってことが証明されればいいのよ!
「エリザは、アルディ家でかわいがられてたんでしょ?」
この質問は、聞いたことを後悔した。
ほんっと、聞かなければよかったわ、あたしのばか!
「そうですね。エリザを殺したいと思っていた人なら、ざっと50人はいるでしょうか」
50人っ!
どうして、そんなに憎まれているのよ!?
「エリザは貴族の娘にありがちな、自由奔放なところがあり、アルディ家でもわがままに過ごしていましたからね。古風な親族や使用人たちには、不興を買っていました」
わがまま。
あたしは、不思議な気がした。
それまで、エリザにそういうイメージを持っていなかったから。
どちらかというと、おとなしそうな子かと。
あたしがそう言うと、ジルはとんでもない、と眉をひそめた。
「まず、アルディ伝統の起床や就寝時間を守らない。食事時間も自分で決めて、メニューもすべて指定。メイドや執事に自分のままごとの相手をさせて、自分がつまらなくなると、全部放り投げて、ところ構わず大声で泣く、わめく。シャルルの執務室や、親族会議の場に乱入したこともありました。あの時は、ちょっとした騒ぎでしたね」
びっくり。
それって、わがままとかいう問題じゃないわよ。
うーむ。
シャルルの好みって、やっぱり変。
「ひときわエリザを嫌っていたのは、先代ロベール様のすぐ下の弟で、シャルルの叔父にあたるリシャール様です」
あたしは、メモ帳に『第一容疑者叔父リシャール』と書き込んだ。
「どうして、その叔父さんはエリザを嫌っていたの?」
ジルは、ちょっと考えて、それから言った。
「年齢、だと思います」
年齢?
「リシャール様は、エリザの年を問題にしていたようです」
「エリザっていくつなの?」
聞いて、あたしは耳を疑った。
「15歳です」
うわっ。
日本なら、中学生よ!
それで縁談とか、信じられない。
えーっと、シャルルはあたしのひとつ上だから、今、23歳よね。
8歳差……。
それにしても、縁談をもちかけといて、今さら、年の差うんぬん言いだすなんて、ひどいわ。
「でも、リシャール様は、ジヴェルニーにお住まいですから、この短時間で、エリザの死体を隠すことは無理ですね」
あたしは、メモのリシャール叔父の名前に、大きくバツをした。
「あとは、分家のピエリックも嫌ってましたね。彼はエリザの落ち着きのないところが嫌なようでした」
メモ帳の、バツ印が付けられた叔父リシャールの下に、『分家ピエリック』と書き込む。
「けれど、ピエリックは、先月から南極です。極地観察員をしています。ですから、エリザの件とは関係ないですね」
ピエリックの上にバツ。
うわーん、だったら最初からいわないでっ!
そのあと、結局あたしは、ジルがいうまま、書いては消しを繰り返し、その数なんと四十九人分。
ゼイゼイハァハァ!
「ジル、もういいわ……わかった! アルディ家はみんな清廉潔白よ!」
あたしが言うと、ジルはチカッと瞳を意味ありげに光らせた。
「あとひとりいます。名前は、ジル・ド・ラ・ロシェル」
え?
「エリザを嫌っていた理由は、彼女がシャルルの心を奪ったから、です」
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