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Channel: りんごの木の下で
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愛に濡れた黙示録 48

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《ご注意》第一話の注意事項をご確認の上、ご了承いただける方のみ閲覧ください。






それまでのしんみりした口調とは打って変わった明るい顔で、和矢が言った。

「シャルルは元気か?」
「えっ……」
「今、一緒に住んでるんだろ?」

思いがけない質問だった。思わずマリナは大声を上げた。

「どうして、それを知ってるの!」
「想像だよ。おまえがジルとここにいるってことは、そうかなって。あたったか?」

ニヤッと笑われて、マリナは息の根が止まるかと思った。

「仲良くやってんだな」和矢は言った。「あいつはいいやつだよ。オレとちがって、好きな女だけを大切にできるやつだ。だから、安心しておまえをまかせられるよ」

その言葉に、マリナはムッとする。

「……最初から、あんたは、あたしをシャルルにやるつもりだったの?」
「まさか! でも、おまえはシャルルを好きになったんだろ?」

マリナはぐっと言葉を詰まらせる。素直に、そうだと言いづらい。

「ほら、やっぱりオレの予想あたりだ」

和矢は淡々と言う。

「オレ、日本を発つ前からなんとなく予感がしてた。このまま行ったら、きっとマリナは、オレの元から永遠にいなくなっちまうって気がしてたんだ」

今更なセリフに、マリナは困惑する。
確かに、ウィーン行きを決めた和矢に別れようと行ったのは、マリナだ。ニューイヤーを目指す薫のバックアップを決心した彼が、心置きなく旅立てるようにと思ったのだ。けれど、心のどこかでは「別れたくない」と言って欲しかった。
素直に、「わかった、別れよう」と頷かれて、傷ついた思いが、マリナをパリに向かわせたと言っても過言ではなかった。

「じゃあ、どうしてあたしと別れたのよ? 待ってろって、言ってくれれば、あたし、待ってたのに」
「言えないだろ、そんなこと……」
「どうして?」

すると、和矢はうつむいた。ポケットに両手をつっこんで、口笛を吹くように口をとがらせながら、地面を蹴り始めた。

「オレ、おまえをひとりにしてばっかだもん。おまえが別れたいって言ったら、オレに止める権利なんかない。おまえを悲しませることはわかってたけど、あの時は、どうしても響谷を放っておけなかった。たとえ何百回やり直したとしても、オレは、同じことをすると思う。ひどいやつだって、ののしっていいよ」

瞳をよぎる、いつもと打って変わった暗い影。つぶやくように、訥々と言う和矢に、マリナは何も言えなかった。
ふたりの間に沈黙が流れた。
やがて、和矢はぱっと表情を明るくして、こちらを見た。

「響谷も兄さんのところに行ったし、オレ、もう日本に帰るよ。それよりおまえ、ちょっと太ったな。アルディ家でうまいもん、食ってるんだろー。ブタになっちまうぜ!」

笑いながら、和矢が右手を伸ばして、張りのある長い指をこちらのほうに伸ばした。けれど、指先がマリナのほおに触れた瞬間、彼はバッと勢い良くその手を引っ込めた。マリナは思わず息をのんだ。
焦ってマリナは和矢に手を伸ばそうとした。だが、その手を止めた。触れてはいけないことに、彼女もまた気づいたのだ。この人はもはや恋人ではない。

「シャルルと幸せにな」

和矢は、感傷を振り切るように背すじを伸ばして、夜空を見上げた。
均整のとれた身体が、ネオンライトのあかりにくっきりと浮かび上がる。それは、懐かしくて、そして、とても綺麗だった。








アルディ家に戻ったのは、午後九時過ぎだった。
和矢とは『ざくろ通り』の入り口で別れた。カークがいつものように、大通りで待っていた。

「どうした?」

気遣う言葉をカークがかけてくれたが、マリナの口からでた言葉は、これだけだった。

「アルディ家にお願い」

カークは何も言わず、車を出した。
今日は週末だ。夜が更け、パリの街は渋滞がひどくなっていた。

「ごめん、ちょっと時間がかかるかも」

マリナの様子をちらっと見ながら、渋滞が自分のせいであるかのように、カークは謝る。

「お願い、急いで」

フロントガラスをじっとにらみながら、両手を口のまえで組んで、マリナは懇願する。
一刻も早く帰りたい。シャルルに会いたい。
会って、何を話そうか、明確に考えているわけではない。ただ、会いたかった。そうしないと、心が和矢に戻っていきそうな、前に進むと決めたはずの恋から後ずさりしてしまいそうな、そんな不安を感じていたのだ。
車はなかなか進まない。信号で止まることすら、拷問のように感じた。
見慣れた景色になった頃、焦燥感は頂点に達していた。
車は、アルディ家の正門前で止まった。

「ありがと!」

飛び出すようにカークの車から出て、マリナは門を通り、玄関から入ると、まっすぐシャルルの部屋に向かった。
彼の私室は、アルディ本館の一番奥だ。何度も角を曲がり、さらに階段を上って、二階までいかねばならない。毛足の長い絨毯を走り、最後は肩を激しく上下させ、荒い呼吸を繰り返しながら、その部屋の前までたどり着いた。
ノックももどかしく、ノブを手にしたその時だった。

「どうして、シャルル!!」

女性の叫ぶ声が部屋の中から聞こえた。ジルの声だとすぐにわかった。
相手はシャルルだろう。だが、声は聞こえない。
代わりに、キィと椅子の鳴る音がした。年季の入ったアンティークの肘掛け椅子の軋む音で、この椅子をシャルルが特に気に入って愛用しているのを、マリナは知っていた。
キィキィ。
座っている彼の苛立ちを表すように、何度も椅子が鳴った。

「どうしてふたりをあわせたりしたのですか!? 彼女は、日本に帰ってしまうかもしれません。これまでの作戦が、すべて無駄になる可能性が高いのに」

作戦?
なんのことだろう。
その単語が気になって、マリナは部屋に入るのを躊躇した。ドアに両手をつけ、そこに身をすりよせるようにして、右耳をぴたりとつけた。意外とはっきり中の声が聞こえてきた。

「タツミをマインドコントロールしたのは、そのためだったはずでしょう」

マインドコントロール。
さらに耳慣れない単語に、ぎょっとしたマリナは、ドアについてないほうの耳を塞いで、全神経をドアの向こうの会話に集中させた。

「罪悪感を持つタツミを誘導して、寝たふりをさせたり、妹をつき離させたりまでして、カズヤさんとマリナさんを別れさせるというあなたの作戦は、結果的に大成功しました。なのに、なぜ、カオルのニューイヤーをこんなに早めたのですか? 
どうせ楽団に手をまわすのなら、せめて五年後くらいにしておけば、よかったんです。その間に、マリナさんと結婚して、名実ともに彼女を自分のものにしておけば、カズヤさんがパリに来たとしても、もう余計な心配など無用だったのです」

一体、ジルは、何を言っているんだろう。
マリナは耳を疑った。どくん、と心臓が大きく波打つ。
ようやく、シャルルの声が聞こえた。彼は、ため息を一つついてから言った。

「君はわるい女だな」

ジルが、あっけらかんとした調子で答える。

「わるいのはあなたでしょう。カオルとタツミがどれだけ苦しんだか知っていながら、あわれな兄妹を手玉にとって」
「命を助けたんだから、これぐらい、当然の報酬だろう」
「だから、冷酷だと言われるのです。まったく……。結果的にあの兄妹がうまくいったからよかったものの、もしうまくいかなかったら、どうするつもりだったんですか。―――それはともかく、マリナさんを、迎えにいきませんか?」
「迎えに? どうして?」
「きっと待っていますよ」
「待ってやしないさ」
「そんなことはありません。彼女は、私に言いました。シャルルの心を教えてくれてありがとうと。マリナさんは、間違いなく、あなたを愛しています」
「そうか」
「ええ。ですから、迎えに」

ジルの言葉を、シャルルの声が、遮った。

「ジル、いつもオレの味方をしてくれる君には、感謝している。でも、もういいんだ」

その言葉のあとで、キィッとひときわ高い音で、椅子が鳴った。

「去年の秋だ。兄妹が帰国した直後、オレはカズヤに連絡を入れた。タツミの演技についてカズヤに教え、彼らのケアを頼んだ。そう言うことで、オレは責任感の強いカズヤの行動を、本人も気づかないうちに操ったんだ」
「操る?」
「そうだ。カズヤは友情あつい男だ。しかも、小菅でオレからマリナを奪ったことに、負い目を感じている。オレが頼めば、カズヤは必ずカオルを助ける。過去と同じように、友情と愛情を究極的に選ぶ場面を作ってやれば、カズヤは友情を選び、愛を捨てるだろうと、オレは予測した。果たして、予測は的中し、マリナはオレの手に落ちた。オレたちは愛しあったよ、激しくね。……だけど」

一瞬の沈黙。

「だけど? なんですか?」
「彼女のそばにいるのが、もうつらくなった」

どうして、とジルがたずねた。

「オレはマリナを懸命に愛したよ。けれど、マリナはセックスの時でさえ、他の男を思っていた。カズヤだ。そして、ハッと気づいた顔をする。決まって、泣きそうな顔だ。その顔を見ていて、オレは、これは自分のしたことへの代償だと思ったよ。無理やりマリナを手に入れたから、オレはずっとあいつの影に怯えないとならなくなったんだ。そうとわかった時、もうマリナと一緒にいられないと思った。オレは、オレだけを愛してくれない彼女を、いつかきっと憎んでしまうだろう……。
ああ、ジル、そんな顔をしなくていい。オレは大丈夫だ。昔のようにカプセルに閉じこもりはしないよ」
「ですが……」
「マリナの今後は、君に頼む。カズヤ共々、無事に日本に帰れるように、手配してやってくれ」

マリナは、自分が宙に浮いていくような気がしながら、二人の会話を聞いていた。







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