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Channel: りんごの木の下で
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美馬様BD「夏とブラジャーと嫉妬」中編

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夏の夜はゆっくりと名残を惜しむように暮れていく。
午後7時―― 空は、夜と昼が戦争して、ようやく和解協定を結んだらしい。
アイスコーヒーのグラスに、淵からオレンジジュースを注いだかのような空の高いところには、釣針に似た、ぞっとするほど細い三日月が浮かんでいる。

通りは、いつもどおりの渋滞が始まっていた。
車のライトと排気音。人の雑踏。
街角に立てば、まぬけな横断歩道のメロディと、危機感たっぷりな救急車のサイレンが同時に聞こえる。
そんな街の喧騒からほど近く、立ち並ぶ超高層ビル群中でもっとも新しい螺旋型ビルの正面玄関車寄せには、白いポルシェが一台いた。

「OK。2時間後、オレの部屋においで」

運転席で座席にもたれていた男は、携帯の通話終了のボタンを押して、目を閉じた。


美馬貴司―― 23才。
職業、コンツェルン新入社員。



美馬は車を出して、すぐ近くの駐車場に入れた。
そして街を歩き出した。この街は、彼の庭と言える街だ。
どこにどんな店があるか。その店にはどのような商品がおいてあるか。彼は熟知しているし、店の方も美馬のことを知っている。
美馬はためらわず、黒い外装の小さな宝石店に入っていった。


手嶋茜。この店の店長で、美馬の中学時代の友人だ。
手嶋茜は、宝石鑑定士である一方、ダイヤモンドハンターでもある。奇跡のダイヤを探して、ロシアの厳寒地、アフリカの未開地からカナダの山脈、オーストラリアの砂漠地帯と、自らの知識と本能的ひらめきだけでダイヤを探し当てながら世界各地を巡るハンティングの武勇伝は枚挙がない。
先年、夢だったダイヤをついに手に入れた彼女が、ハンターを廃業し、日本で開いたダイヤ専門店が、この店だ。


路地裏にひっそりと存在するこの宝石店は、ほとんど客はない。この日もそうだった。
美馬が店に入っていくと、他の客の姿はなく、手嶋茜がひとりで、奥のカウンターに座っていた。ふと顔をあげた手嶋茜は、驚いた顔を見せた。

「あらあ、貴司!」

嬉しそうな声ですぐに立ち上がって、美馬の元に駆け寄ってくる。

「どうしたの? 遊びに来てってあんなに誘ったのに、ぜんぜん顔見せてくれなかったと思ったら、いきなりだもの、びっくりしたわよ!」
「ごめん」

美馬は軽く謝った。

「まあ、いいわ。それで? 今日は何をおさがしなの?」

手嶋茜は身をよじらせて、店内に右手を優雅に差し伸べた。普通の宝石店とは違い、商品陳列用のガラスショウケースなどはまったくなく、一対のソファがあるだけ。
壁から絨毯までほぼ黒一色の店内に、彼女の白いパンツスーツ姿だけが際立って目立つ。

「もちろん、ダイヤを」

美馬が言うと、手嶋茜は整った美貌の顔に、興味を浮かべながら頷いた。

「エンゲージリングでいいのかしら? デザインなんかはどうする?」
「君にまかせる」
「あら、それでいいの?」
「ダイヤのことはプロの君にまかせた方がいい。この店で一番素敵なものを頼みたいな」

手嶋茜はちょっと美馬を見て、考えるそぶりを見せていたけれど、すぐに頷いた。
それからの手嶋茜の行動は早かった。
美馬をソファで待たせておいてから、美馬から聞いたサイズのリングで、心から推薦できそうなものをすべて、自ら簡易鑑定を済ませてから、約10分で、彼の前に並べて見せたのである。
手嶋茜は、自信ありげに右手でリングののった黒ビロードのトレイを差しながら言った。

「どうぞ。どれを選んでくださっても、後悔はさせませんわ」

にこやかな笑顔で、接客口調をわざとする手嶋茜に、美馬はひとつ頷いてから、前かがみになると、目の前のリングをひとつずつ手に取って見分を始めた。
手嶋茜は美馬の様子をじっと見ながら、再び砕けた口調に戻す。

「それにしても、貴司が結婚とはね。指輪をうちで購入してくれるんだから、おめでとうっていわなきゃいけないんだろうけど、何だか胸がもやっとするわ。私、実は貴司のこと好きだったのよ」

語尾をゆっくりと押し上げるように言ってから、手嶋茜は白い手を目の前の引き締まった膝に伸ばした。

「ねぇ……最後に思いをかなえて? いいでしょ?」

甘えるような、女の声。
手は、男の膝から大腿を目掛けて、のそりと這い出す。
美馬は、一瞬も指輪の見分を止めようとせず、淡々と言った。

「ありがとう。気持ちだけもらっておくよ」

その答えがあまりにも想定外だったのだろう。

「なーんだ、ひっかからない。つまらない男ね」

そう言いながら手嶋茜は男の腿に置いた手を引っ込めてソファに背を凭れ、足を高く組んで、ヌーディなルージュを塗った唇を不満そうに尖らせた。

「昔だったらのってくるのに。変わったわね貴司。だいたい、あんたが一体、どんなプロポーズの言葉言ったのよ? 脳みそが腐りそうなほど甘いセリフだったんでしょ? せめてそれぐらい教えてくれてもいいんじゃないの?」

美馬は拒否の意を込めて、小さく首を振った。そのまま無言で、手の中のリングをトレイに戻し、次のリングを手に取る。
途端、女が美馬の手を両手で包み込むようにして、そのリングをそっと奪い取った。

「教えてくれないなら、私もこの指輪売らない。これ、私がタンザニアの奥地から採取してきた、フローレスの逸品で、加工後でもノンクラックよ。傷一つない純粋なダイヤモンド。新しいスタートにはぴったりじゃない?」

リングを奪われ、右手を空中で浮かせたままだった美馬の眉がぴくりとうごめいた。
思わず目の前の手嶋茜の顔を食い入るように見つめる。
手ごたえありと思ったのか、女は奪ったリングを握りしめて、自らの口元に近づけながら、にやりと笑った。

「欲しければ交換条件よ。愛する彼女へのプロポーズの言葉を教えて?」

美馬はため息をついた。
中学時代の手嶋茜を思い出した。
同級生の男子を股にかけ、あげくに新任教師との色めいたスキャンダルを起こし、自主退学。その後、単身海外へ渡りダイヤモンドハンターとなった、一癖も二癖もある女だ。
だが、美馬はダイヤモンド商としての彼女を認めていた。
美馬はごまかすことを諦めた。どうしても、彼女の手の中にある純粋なダイヤモンドが欲しい。

「――してないよ」
「え?」

吐き出すように言った美馬の言葉に、手嶋茜が首をかしげる。

「プロポーズはまだしてない。というより、これはプロポーズのためのリングじゃない。誕生日プレゼントなんだ」

手嶋茜は、目をぱちくりと大仰に見開いた。

「彼女の誕生日? ……ってあれ? 貴司も今日あたり誕生日じゃなかった?」

美馬は苦笑する。確かに今日は8月7日。23回目の美馬の誕生日だ。

「よく覚えているな」
「そりゃ、この商売は記憶力が命だからね。そっか、彼女の誕生日も8月なのね」
「いや、花純の誕生日は、11月だ」
「は?」

それまで余裕の微笑みを浮かべていた女の顔が、瞬時に引きつった。

「――ちょっと待って。意味がわかんない。なんであんたの誕生日にあんたがプレゼントを贈るわけ?」

言いながら、手嶋茜は、腕を組んで、前のめりに身を乗り出す。

「もしかして貴司、貢がされてるの?」

美馬は小さく首を横に振る。

「まさか」
「じゃあ、なんでよ? 意味がわかるように説明してよ!」

説明してもきっとわからないだろうと美馬は思った。

「花純が誕生日を祝ってくれる――その感謝を形に表したかったんだ」

一瞬の間。
ややして、呆れたような声が上がった。

「なにその純愛……。もしかして貴司たちって、まだピュアな関係?」

美馬は答えない。手嶋茜は顎がはずれそうなほど口を開けて、はぁ~っと深いため息をついた。

「本当にあなた、美馬貴司? 別人じゃないの?」
「好きに言っていいよ。オレもたまにそう思うから」
「本気? まいったわ」

手嶋茜は、ソファの背もたれに思い切りのけぞり、リングを持ったままの手で額を押さえた。





義母のポリープ手術で、姉である花純と再会したのが、半年前。
別れたあの頃より、彼女は一段と美しくなっていた。
耐えてきた思いが胸中からほとばしり、気がつくと「好きだ」と告げていた。花純は大きな目を見開いて、首を横に振った。
あなたは弟よ。これから先もずっと永遠に――そんな理屈を受け入れるほど、美馬はもはや子供ではなかった。
ためらう理由はわかっている。過去にこだわるなら未来をみせてやればいい。
その信念で、彼女の心を無理やり押し開き、強引に恋を根付かせた。
それから三ヶ月。
花純の顔から、腫れ物に触るような色が消えることはない。指先が触れ合っただけで、身をすくませる彼女が痛々しく、美馬もまた、そんな彼女の態度に傷ついた。
もう花純を解放すべきかもしれない。
このまま共にいて、果たして幸福になれるのか。
だが、美馬はもう二度と花純を手放すことなどできなかった。弟として、誰か他の男に彼女が身をゆだねるのを見るなんて、死んでも嫌だ。



――そして今日。

つい先ほど携帯電話が鳴った。
仕事がキャンセルになって暇だから、誕生日のお祝いをしてあげるわ。
花純らしいひねくれたラブコールだ。





「やっぱりこの指輪、売ってあげない」

手嶋茜は、右手に持っていたリングをすばやく布で包み、白いジャケットの胸元に勢い良く突っ込んだ。どうやら内ポケットにしまい込んだらしい。
美馬は息を鎮めてそんな目の前の女を凝視する。

「体もつながってないのに、ダイヤを贈るなんて、重い男のすることよ。束縛チック。うっとおしい。貴司、間違いなく嫌われるわよ」

手嶋茜は美馬の前の、他のダイヤが載った黒いトレイも取り上げた。

「さっさと彼女のところに行きなさい。付き合ってられないわ。あほらしい」

言い捨てて、女は立ち上がり店の奥に消えた。
美馬はしばらく黙ってから、腰を上げた。出て行こうとした時、後ろから声がかかる。

「あのね、一言だけ忠告。女の『イヤよ』は媚態。でも、三回目の『イヤ』は本気。だから、一回や二回イヤだと言われても、強引に抱いちゃえばいいの。女は許せるのよ。それが愛しい男ならね」

振り返って、美馬は思わず目を見張る。

「次はプロポーズのときに来て。それまでこの指輪は預かっておくわ」

黒い店内を背に、手嶋茜が笑っていた。隙のない化粧で武装した顔の中心で、険のある眼差しがいたずらげに光る。
それは、中学時代の彼女を彷彿させる、幼げを確かに残した笑顔だった。







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