和矢BD創作後編「三人のマリナ」
飯田橋にバイクがついた!
オレはマリナのアパートのまえで、エンジンを止め、キーを抜き取ってライダースジャケットのポッケに入れて、お気に入りの漆黒のフルフェイスヘルメットを脱いだ。
額に汗がびっしりと張り付いているのがわかる。
――マリナ、頼む、いてくれ!
と思ったその時。
キキーーーッ!
二つの全く同じブレーキ音がして、オレのバイクの隣に、オレのと同じバイクが2台白煙を立てて止まった。
同じライダースジャケット。
同じフルフェイスヘルメット
それは、朝起きた時からいる、あと二人のオレだった。
「マリナ、来たぜ!」
「オレが先に会うんだ!」
叫ぶように言いながら、やつらもおそろいのヘルメットを脱ぐ。
……くっそ、まいたと思ったのに。
自宅を3台並んで出たあと、第三京浜から首都高に入るまでの間に、オレはちょっとだけ自慢の運転テクニックを駆使して、他の二人のヤツらのバイクを引き離したのだ!
――はずだったのに。
どうして、たった五秒ほどで、こいつら、ここに来てるんだよ?
「オレの自慢の運転テクニックに、おまえらはかなわないさ」
二人目のオレが人差し指を立てて言った。
オレがぎょっとすると、三人目のオレがからから笑った。
「バカ言うな。一番テクニックがうまいのはオレだ!」
「いいや、オレだ! この偽物め!」
「偽物はおまえだ。オレこそ本物だ!」
また本物論争がはじまった。
――やめてくれ!
こいつらは絶対オレじゃない。
少なくとも、オレは公衆の面前で『オレが本物だ!』と叫ぶような恥知らずじゃない!
そうさ、オレはマリナにだけ本物だと認めてもらえばそれでいい。
オレはたまらなくなって、二人を残して、マリナのアパートの階段をかけあがった。
マリナ、たすけてくれ!
やつらもすぐさま追いかけてきた!
すっかりオレは後ろから二人の悪魔に追いかけられている気分になって、狂ったようにマリナの部屋のドアをドンドンとノックした。
「マリナ、出てきてくれ! 頼む!」
オレのとなりにやってきたヤツらも、同じように同じ声で、部屋に向かって呼びかける。
「マリナ、オレだよ、和矢」
「いるんだろ、開けてくれよ」
うるさい、黙ってろ!
オレが思わずそばの二人に蹴りを入れた瞬間、ドアが開いた。
「和矢、どうしたの?」
明るいマリナの声――ああ、救われた!
「マリナ! オレ、なんだかおかしくってさ。オレがあと二人いるように見えるんだ。それでおまえにこのオレが本物だと証明してもらおうと思って……!」
そう言った途端、オレは息を呑んだ。
いや、正確に言うと、息が止まったのだ。
「和矢、どうしたの?」
「和矢、どうしたの?」
ドアの向こう、見慣れたマリナの部屋の中には、なんと、あと二人マリナが!!
二人目のマリナはドアの横のキッチンシンクで茶碗を洗っていて、三人目のマリナは用を足していたのだろうか、トイレの前で洋服の乱れを取り繕っている。
な、な、な……!
「あら、あんたも三人になっちゃってたの?」
「あら、あんたも三人になっちゃってたの?」
「あら、あんたも三人になっちゃってたの?」
マリナはたいしたことじゃないという様子で、笑っている。
なんでそんな風に笑ってられるんだ!?
「とりあえず、あがりなさいよ」
すると、二人目のマリナが言った。
「そうよ、ほら、そっちの和矢も」
三人目のマリナも言った。
「奥の和矢も。みんな入っちゃってよ」
他の二人のオレ達は、「さんきゅ」と言って喜んで入っていく。
まて、オレも!
そうして、マリナの狭い部屋に、オレが三人、マリナが三人という、世にも不思議かつ非常に奇妙な状況が生まれた。
「はい、お茶」
「そっちの和矢も」
「奥の和矢にも渡して」
……なんなんだ、これは。
狭苦しいし、だいたい、異常すぎる。
他の二人のオレはニコニコして茶を飲んでいるし、三人のマリナもいたって普通にしているが、断固オレは戦うぞ。
オレは一人だし、マリナも一人だ!
オレは心を決めて、この事態を解決すべく、立ち上がろうとした!
その瞬間だった。
二人目のオレが、さきほどシンクで茶碗を洗っていた二人目のマリナのそばに行き、突然腕に抱きしめたのだ!
「マリナ、オレ。おまえが好きだ!」
「和矢、あたしも」
そう言いながら、二人はちゅっちゅとキスをはじめる!
おい、よせ。人前でやめろ。
と思っていると、視界の端で、三人目のオレと三人目のマリナが、やっぱり手を取り合って、唇を合わせているではないか!
なんだ、こいつら。
恥も外聞もないのか。
やめろ、マリナとオレ。
いや、オレじゃない、あんな破廉恥なヤツは絶対オレじゃないし、ほおを赤く染めてうっとりとしたマリナのあんなかわいい甘い声は聞いたことがないから、あれは決してマリナじゃない。
だから、あれは断じてオレとマリナじゃないんだーーーっ!
「くす。和矢、キスしすぎ……」
二人目のマリナがキスの合間に言うと、二人目のオレが微笑みながら答える。
「100万回の約束だろ。まだ全然足りないよ」
なんだ、そのくさいセリフはーーーーっ!
ぜぇったいオレじゃない。
あんなヤツは天地神明に誓ってオレじゃないんだ!
あせるオレをよそに、ふた組のマリナとオレは、ラブシーンを繰り広げていく。
ダメだ、とても正視できない。
帰ろう!
そう思って、オレが部屋から出て行こうと思った時だった。
「あたしも一緒に行っていい?」
ぽかんとしていた一人目のマリナが、オレのライダースジャケットの袖をつかんでいた。
「ああ、いいけど」
「よかった。なんか、はずかしくなっちゃって……。どっちもあたしとあんたなんだけど、ラブシーンを見るのって、さすが照れるわよね。なんか食べに行こ!」
てへ、と困ったように笑う。
それを見ていて、オレの心のボルテージは一気に急上昇!
そうだ、これこそマリナだ。
普段はがさつで、大食らいで、品性のかけらもないくせに、こと恋愛になると、引っ込み思案で奥手で、恥ずかしがり屋で……
でも、誰よりもかわいい、オレにとってはたった一人の女の子。
と思った瞬間、オレはその、一人目のマリナをちからいっぱい抱きしめていた。
「か、かずや……?」
突然のオレの行為にうろたえたように顔を上げるマリナに、オレは言う。
「マリナが好きだ。たとえオレが100人になろうが、おまえが100人になろうが、この思いはただひとつだ。一生変わらない。オレはおまえを愛してる」
「和矢……っ!」
マリナが感極まったように声を震わせた。
オレはそっと彼女の体を離して、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
ゆっくりと、思いを込めて。
「――あ……っ」
マリナの小さな叫びに、オレはうっすらと目を開けた。
二人で部屋の中を見ると、消えていたのだ。
あと二人のオレと、マリナが。
「一体どういうこと?」
オレ達は顔を見合った。
そしていっせいにくすくす笑い出した。
さきほどまで重なっていた唇が、ほんのりとまだあたたかい。
そこにオレは意味があるんじゃないかと、思った。
「もしかして、マリナと先に進みたかったのに、怖気づいてたオレのために来てくれたのかもな」
「へえ、あんた、怖気づいてたの?」
そうだ――オレは恐れていたのだ。
『朝まで一緒に過ごそう』と誘って『明日ね』と交わされたあの時のことがすっかりトラウマになり(詳細は『アンテロス』を参照してくれっ)、朝までどころか、キスも、手をにぎることすら、すっかり及び腰になっていたのだ!
「わ、わるかったな! そうだよ、ビビってたんだよ!」
ほおが染まるのを感じながらオレが悔しまぎれに叫ぶと、マリナがにやりと笑った。
「じゃあ、次のステップに進むためには、10人ぐらいのあたしとあんたが来るかもよ? で、目の前でおっぱじめてくれたりして。濃厚なラブシーン。あんた得意のくさいセリフ付きで」
げ。
その光景を想像して、オレは祈った。
神か仏か、それとも悪魔か。
いったい何者に祈ればいいのか皆目かわからないけれど、魂を注ぎだすように心から。
それだけは、本当に勘弁してください……っ。
《Fin》