《ご注意》シャル×マリです。小菅の別れ当日から開始。
16万ヒット記念テーマソング創作(兼)2016マリナBD創作。
リクエスト曲は中島.みゆき『糸』。
15話程度を予定。
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愛すればこそロマンチック(1)
1 それはエリナではじまった
な、なんなの、これって……。
三つの約束ですって?
これは夢だわ。
あたしは夢を見ているのよ、きっとそうよ。
あたしの愛しの和矢がこんなことをいうなんて……。
ああ、誰かあたしに夢だって言ってちょうだい!?
そもそものことの起こりは一本の電話。
あたしは小菅でシャルルや美女丸たちと別れたあと、和矢に送ってもらって飯田橋の自分のアパートに帰ってきたのよ。
何ヶ月も留守した挙句に、家賃も滞納したまんまだったから、賃貸契約を切られて家財なんかも売り飛ばされているとか思ってたんだけど、部屋はそのまんまちゃんとあったの。
よかったと思ってほっと息を吐いていると、どうやらそこにはちゃんと手配してくれた人がいたらしい。
「和矢、あんたが家賃払ってくれてたの?」
聞いても和矢は知らんぷり。
でも涼しいその顔は、自分がやりましたと告白しているも同然。
付き合いの長いあたしにはちゃんとわかるのよ。
ほーんと和矢って隠し事が苦手。
まあ、そういうところも含めて好きなんだけどね、うふっ。
それであたしはいつもどおり、自分の部屋でまんがの制作にはじめていたの。
そうしたら、電話がリンリンリンっ!
「あっ、おねえちゃん! やっとでた!」
電話の向こうから聞こえたのは、妹のエリナの声だったの。
あら、久しぶりね。
「エリナ? どうしたの?」
とたんに、電話が割れんばかりの怒鳴り声。
「どうしたのじゃないわよ! 私が何回かけたと思ってるの!? ずっと留守してて心配したんだから!」
うるさいわねっ!
そんなに叫ばないでよ、鼓膜がやぶれるじゃないの。
「ちょっと出かけてたのよ」
「だったら一言言ってから出かけてよ! こっちはもうちょっとで警察に届けようかと思ってたんだからね!」
あたしはおもわず受話器を耳から離して見つめてしまった。
びっくり。
なんで警察なのよ?
受話器を耳に当て直してそれをたずねると、エリナの声はさらにヒートアップした。
「身内が何週間も連絡取れなかったら、普通警察に連絡するでしょうが!」
ふむ、確かにそうだわ。
「まったくもう。心配させて……」
最後は涙声になったエリナにあたしは謝った。
「ごめんね。ありがと、心配してくれて、あたしは元気もりもりてんこもりよ。……で、あんた、何の用なの?」
すると、エリナは突然声のトーンを変えて言ったの。
「私ね、結婚するの。お正月にパリで挙式をするから、参列してね」
なんですって?
結婚!?
あたしはびっくり、どっきり、仰天!!
「いきなり結婚ってどういうこと!? 相手は誰よ!?」
「バイト先で知り合ったフランス人」
なに、フランス人!?
「ちょっと待ってよ、あんたまだ高校生でしょう!? なんでいきなり結婚なのよ!?」
エリナは地元の商業高校に通っている。
小さなころからエリナは手先が器用で、あたしやユリナちゃんが苦手とするようなボタン付けや花の水やりなんかも甲斐甲斐しくやってくれていたんだけど、その中でも、家族のために作っていた料理は、なかなかのものだったのよ。
もちろん家族全員にもいつも賞賛されていて、それでエリナはすっかり料理の楽しさに目覚めたらしく、自ら志願して商業高校に進んだの。
勉強にがつがつするんじゃなくて、高校時代に栄養学を学んで、卒業後にはどこかのレストランに就職して一人前の料理人になるんだって夢をもってね。
もちろん家族はみんな大賛成で、そんなエリナをあたたかく見守っていたの。
あたしが中学の卒業式のあとまんが家になりたいって言ったときは、お父さんもお母さんもユリナちゃんも大反対したのにね、くっそ、この違いはなんだろう。
「あんた、料理人になるって夢はどうするのよ?」
「だって彼、国に帰らなくちゃならなくなったっていうんだもの。離れたくないから。パリのマドレーヌ寺院で一月四日の午前十時に式をあげるわ」
当然だろうと言わんばかりのエリナの口調に、あたしは開いた口がふさがらない。
「お父さんとお母さん、ユリナちゃんは式に行くの?」
「もちろん来ないわよ。みんな大反対だもの。信じられない。私たち、こんなに愛し合ってるのに」
信じられないのはあんたよ!
と叫びたいあたしの耳に響くのは、せかせかしたエリナの声。
「あ、最終アナウンスだわ。私、これから飛行機に乗るの。彼は先にパリに帰っていて、私を空港で出迎えてくれるのよ。おねえちゃんの分は明日9時の便を予約してあるわ。私の友達が成田にいるの。全日空のカウンターにいる飯島ミキって女の子。その子にチケットを預けとくから受け取ってね。ホテルの手配は自分でよろしく。じゃっパリで会いましょう」
言いたいことだけ一方的に言って、エリナはガチャンと電話を切った。
あたしは受話器を眺めてしばしボーゼン。
きゃあ、どうしよう!?
花の都パリ。
タダで行けるとなったら普段のあたしなら大喜びするところなんだけど、喜んでもいらなれない事情がある。
それはシャルル・ドゥ・アルディ!
数日前に永遠のさよなら、すなわちアデュウをしたばかりの、フランスの誇る美しい大天才。
「幸せにおなり」と言ってお別れしてくれた彼の、孤独が輝き立つような笑顔は、いまもありありと思い出せる。
シャルルは一人でアルディの戦いの中へ、つまりパリへ戻って行った。
本当ならあたしも一緒に行くべきところだったんだけど、あたしはやっぱりどうしても和矢が好きだったから、つらく苦しい決断をして、シャルルとはお別れをして日本に残ったのよ。
それなのに、それなのにぃ!
追いかけてきましたといわんばかりに、数時間後にパリに行けるわけないわ!
とは言っても、まだ高校生で、両親にも姉にも反対されて、それでもなお一人で駆け落ち同然で異国で結婚しようとしている妹を放っておけるわけはない。
しばらく部屋の中を冬眠から目覚めたばかりの熊のようにぐるぐると歩き回りながら悩みに悩んで、あたしはようやく一つの決断をしたの。
行こう、行くしかない!
やっぱりたった一人の妹だもの。
あたしがエリナを見守ってやるのよ。
そして相手の男が変な奴だったら、エリナを日本に連れて帰るのよ、そうしよう!
それにしてもうーむ。
フランスから帰ってきたばかり、しかもシャルルとアデュウしたばかりのあたしが、またパリに行くことになっちゃうなんて、神様ってなんていたずら好きなんでしょう!?
……なんて動揺したのは、あたしだけじゃなかったの。
これからパリに行くことになったと電話で言ったら、なんと和矢は一時間であたしのアパートにすっ飛んできた。
横浜から飯田橋まで一時間よっ!?
速さが怖い!
「なんでおまえが行く必要があるんだよ」
和矢は来るなりむすっとした様子で、あたしがすすめた座布団の上であぐらを組んで、膝の上に肘をつき、指で上あごを支えるようにしながらこちらを上目遣いにじっと見つめている。
文句なら、結婚するエリナに言ってちょーだい!
「仕方ないわよ。可愛い妹だし」
「本当に妹のためか? シャルルに会いに行きたいんじゃないのか?」
明らかに疑っているという感じの和矢に、あたしはちょっとムッとした。
なによ、疑われる覚えはないわ。
あたしは清廉潔白、無実純粋よ!
「あんたねぇ。あたしとシャルルはアデュウしたでしょう。あんたの前ではっきりくっきりきっぱりと! あんたも見たでしょうよ!?」
「確かに見たけど」
和矢はますます顔をしかめつらせて、すねた子供のように口を尖らせる。
「その数時間後にパリに行きますって言われて、普通はやっぱりシャルルに未練があるんだって思うだろ」
だーかーら、それはあたしの希望じゃないってば!
「行くなっていうの?」
「そうは言わないけど……」
「じゃあ、行ってもいいのね?」
和矢はしばし目をそらして考え込む様子を見せていて、やがて目線をあたしにきらっと向けた。
「約束してくれ」
は?
何の約束?
「三つの約束だ。一つ目。シャルルに会わない」
なんだ、そんなこと。
あたしはウンウンと頷いた。
それならおやすい御用よ、もちろん約束するわ!
シャルルは例の剣を取り戻すだとか、政治工作の揉み消しだとかできっと忙しいし、もちろんあたしもわざわざ彼に会いに行く気なんてないわ。
だってアデュウしたんだもの……。
「二つ目の約束は、思い出の場所には行かない」
「どういう意味?」
「ルーブル美術館をはじめ、ロワールとか、シャルルと過ごした思い出の場所がいっぱいフランスにはあるだろう。そういう場所には近づかないでくれ。それを約束してほしい。もちろんアルディ家のある16区も禁止だ」
げ。
ということはパリの地図にシャルル印でもつけて、地雷みたいにそれを踏まないように行動しろってこと?
やだわ、なんだかとっても窮屈。
「三つ目の約束は、シャルルのことを一切考えない」
はっきりと提示されたその条件に、あたしは正直とてもむかっとした。
シャルルとの思い出の場所に行かないように気をつけながら、シャルルを思い出すなって、注文が矛盾してるわ、無茶苦茶すぎるわよっ!
それに、シャルルとは今朝まで一緒に逃避行していたのよ。
ミシェルとルパートに追われながら命をかけた大逃亡を繰り広げて、シャルルは大怪我を負うわ、拷問されるわ、空から飛び降りるわの、ジャッキーチェンだって真っ青なアドベンチャーな日々で、それがあの小菅でなんだかよくわかんないけど、例の剣についてミシェルが失策したからって、もう一度シャルルにも戦いのチャンスが与えられることになったばかりなのよ!
当然、シャルルが心配だわよ、当たり前じゃないの。
それを一切考えるなっていうのは、あまりにひどいわ!
「あんた、心配しすぎよ。そんなにあたしって信用ない?」
あたしがちょっとにらんでたずねると、和矢はきっぱりと答えた。
「ない」
うわーんっ!
ひどいわ、あんたが好きってあんなにはっきり言ったのに!
ちっともあたしを信じてくれてない。
こんな和矢は和矢じゃない。
あたしの好きな和矢は、もっと心のひろい優しい人よ。
シャルルのことだって、シャルルが一緒に連れて行った薫と兄上のことだって心配して、そして彼らがどうなったのか見てきてくれっていうぐらい海のように心のひろーい人よ。
そうよ、あたしが好きになったのは、そういう和矢だわ。
こんなの和矢じゃない!
これは夢だわ、悪夢なんだわ!
ああ、あたしの恋ってやっぱりうまくいかない運命なのかしらねぇ。
海千山千、いろいろな試練をこえて、やっと恋を結ばせて和矢としあわせになろうとしてたのに、かなしいな……。
「ごめん、マリナ」
和矢は辛そうに再び顔を背けた。
「これはオレ自身の問題なんだ。わかってる。だけど、おまえがあいつのいる街に行くと思ったら……それだけで叫びだしそうに不安なんだ。だから、おまえを縛りつけるようなこんなことを言って……最低だな、オレ」
その顔を見ていたら、あたしは胸が痛くなってきた。
和矢の気持ちがひしひしと伝わってきたの。
和矢はきっと、あたしの気持ちが本当に信じられないわけじゃない。
ただあまりにも離れていた時間と距離が長すぎて、そしてそれをお互いに分かち合う暇もないままに今度のパリ行きが決まっちゃったから、和矢は混乱しちゃったんだ。
わかるわ。
あたしだって、和矢と別れてシャルルと恋を始めなきゃって思ったとき、かなり混乱したもの。
それで和矢にお別れの手紙を書いたりしたけど、あたしは本気で和矢を好きだったのかしら、もしかしたら恋に恋していただけだったんじゃないかしらって、自分が情けなくなったりもした。
もしかしたら、和矢も同じような気持ちなのかもしれない。
自分の恋を信じたくて、でも、信じられないような状況ばっかり続いちゃって、苦しんでいる。
なら、あたしにできることは、彼を安心させてあげることだ。
あたしは彼のそばに膝をついて、赤ちゃんに語りかけるよう優しく言ったの。
「わかった。約束するわ。シャルルに会わない。思い出の場所にも行かない。シャルルのことも考えない」
和矢は長い前髪を揺らせて顔を上げた。
「いいんだ。ごめん、無理言って。オレがいま言ったことは忘れてくれ。心置きなくパリに行ってこいよ」
そう言って無理やり振り絞ったような笑顔を浮かべる和矢を見ていて、あたしは一つの名案を思いついた。
「ねえ和矢。こういうことでどう? 三つの約束、あたし、守るようにするわ。でも、もし破りそうになっちゃったら、和矢の名前を三回つぶやくことにする。和矢和矢和矢って。そうしたらきっと心があんたのことでいっぱいになって、ほかのことなんて忘れちまうと思うもの。いい案でしょ。どう?」
苦しげだった和矢の黒い瞳に、ぐっと力が湧いたように見えた。
「……そんなこと、本当にいいのか?」
「うん。だって、あたしは和矢だけが好きだから」
和矢はたまらないといったように目をぎゅっとつぶった。それから手をのばして、あたしの右手をとって、ぎゅーっと強く握りしめた。
「すぐに帰るわ。エリナの様子を確かめたらね。そうしたら、ゆっくりと話しましょう。離れていたあたしたちの間を埋めていこうね」
和矢は頷いた。自分自身に言い聞かせるように強く三度。
「待ってる」
翌日、あたしはいつものポシェットにパンツ3枚を入れて、成田空港に向かった。
結婚式に出席するのにふさわしい衣装はもともと持ってない。
いいわ、向こうでエリナに用意させよう。
成田でエリナの友達だという飯島ミキさんをたずねると、彼女は『出来る女』というイメージがぴったりのとても素敵な女性だった。
「急でびっくりしました。エリナらしいですよね~」
と言い、チケットを渡してくれる。
仕事中にチケットを預かるなんて、さぞ迷惑だっただろうとあたしが恐縮していると、彼女は「いえいえ」と笑った。
「エリナに頼まれたら断れませんから。私はエリナのバイトしているカフェに、たまにコーヒーを飲みに行っていて、それで友達になったんです。エリナって本当にかわいい子ですよね。天使みたいに純粋で」
ああ、これまでの人生で何度聞いただろう、エリナへの賛辞。
小さいころからあたしとエリナが並んでいても、「かわいいわね」と声をかけられるのはエリナばっかり。
もちろん本人もそれをちゃーんとわかってて、大きな潤んだ目でじーっと上目遣いに大人たちを見つめて「お願い」なんていうものだから、たいていの人はそれでイチコロ。
それでエリナは得してきた。
ご近所からのいただきもののお菓子はエリナの方がたくさんもらえたし、エリナのやったいたずらは全部あたしのせいにされたり。
あーいうのはね、天使じゃなく小悪魔っていうのよ。
あたしのほうが心根はやさしくて純粋なのに、本当に世の中って不公平だわ。
飯島ミキさんはそのあともさんざんエリナを褒めてくれて、この人こそ天使じゃないかと思われる心の優しい彼女にあたしは丁寧にお礼を言って別れてから、飛行機に乗った。
ひさびさのエコノミークラスは、とってもつまらなかった。
この際、座席が狭いとか、毛布が貧弱とか、そんなことはどうでもいい。
一番大事なことはやっぱりお腹の問題よ、つまり、食事がまずいのよ!
レトルトパックの宇宙食みたいなご飯ばっかりだし、おやつはビスケットとかキャンディとかで、ちっともこころときめかない。
前回も、その前も、アルディ家や響谷家の手配でパリに行ったものだから、ああ、あたしもすっかり慣れちまったのね、ファーストクラスに。
出されたものを残すような罰当たりなことはしないけどね。
とにかく寝よう。
眠っちまえばファーストクラスだろうがエコノミーだろうが関係ないもの。
そしてさっさとエリナの結婚を見届けて、日本に帰って、和矢と楽しくしあわせな恋をはじめるのよ。
ということで、おやすみ、ぐう!
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