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Channel: りんごの木の下で
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漫画家マリナのおいしい仕事 前編

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GWに気軽に読んでください(笑)
前後編ものです。

☆★☆






それは、ある日突然かかってきた電話がはじまりだった。
「あのさぁ、あんた、ヒマ?」
受話器の向こうで響くダミ声。
忘れもしない、あたしの天敵、編集者の松井さんよっ!
何の用かしら、とあたしは受話器を耳から離して、にらんでしまった。
賢明なる読者の皆様は、ここで、どうしてなの?と思ったかしら。
そうよ、普段のあたしなら、松井さんからの電話なら、ワンワンと餌に飛びつく犬のように喜ぶのに、今のあたしの顔は、お見せできないぐらいに、不機嫌顔なの。
だって松井さんたら、この間持って行った渾身の力作を「つまんない」って言ったんだもの。
あたしの可憐なるプライドは、かわいそうにもズッタズタよ、どう責任とってくれるの。
土下座の一つもして、「私がわるぅございました。おわびに連載をとってきたから、どうか許してください」とでも言わなきゃ、金輪際、あんたになんか原稿あげないんだからねっ!
「ちょっとあんた、聞こえてるんでしょ、返事くらいしなさいよ!」
耳から受話器を離しても、松井さんの大きな声は、十分聞こえてくるの。
くっそ。しょうがない。
謝ってくれたわけではないけれど、もともと松井さんは人格が崩壊しているんだし、ここらへんであたしも大人になるとするか。
あたしは、ふーっと息を吐いてから、
「はい。聞こえてますよ。ーーで? なんですか?」
と尋ねた。
途端、帰って来た返事は、あたしの予想とは全然違ったの。
「あんたさぁ、最近、アンケート悪いでしょ。前回のなんか、ランク外だったよね」
う。
「それでさあ、編集長が、このまま池田を使い続けるわけにはいかないんじゃないかって言い出したんだよね……」
うっ、うう。
「でも、オレとしては、あんたとは長い付き合いだし、このままはいサイナラして、あとで野垂死にしたなんてことになったら、こっちの夢見が悪くなっちゃうからさぁ、あんたって化けてでそうだし」
失礼ね、あたしは化けてでないわよ!
……と前言撤回を求めようとしたんだけど、あたしが口を切る前に、松井さんが言った。
「だからさ、オレ、あんたのために、新しい仕事を取ってきたんだ」
え?
あたしは、ひどく驚いた。
松井さんがあたしのために、新しい仕事を、ですって!?
夢じゃないかしら!?
「松井さん、それ、本当に漫画の仕事ですか?」
「うたぐりぶかいなぁ、嫌だなぁ…。漫画の仕事だよ。増刊号の読み切り。ページは42。締め切りは、2ヶ月後。ああ、対象は大人女性向けね」
そこまで聞いて、あたしは嫌な予感がした。
「あのー、その読み切り誌のタイトルはなんですか?」
すると、松井氏はさらっと言った。
「ラブ・ロマンス」
あたしは、ぎょっとして、思わず受話器を耳から離して凝視してしまった。
ラブ・ロマンス?
あれはたしか成人女性向けのアダルトコミック……。
基本的には恋愛漫画だけど、さくっと説明しちゃうと、セックス描写がメインの漫画。
ちょちょっ、ちょっとまって!
まさか、それをあたしに描けと?
「松井さん、あたし、アダルトなんて描いたことないですよ!?」
「ふーん、じゃあ、初挑戦か。ま、がんばって」
「むむむむむ、無理ですってば、絶対、無理!!」
一瞬の間のあと、松井さんが呆れたような声で言った。
「そう。やめるのはあんたの勝手だけど、この仕事を断ったら、うちの社との付き合いもこれっきりにさせてもらうよ」
あたしは、自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。
最近、漫画の成績が良くなかったことは知っていたけれど、いよいよ使ってもらえなくなり、出入り禁止にまでなってしまったら……漫画家廃業の危機だわ。いや、生活の危機よ!
わーん、こうなったらやるしかない!
いいわ、妄想で乗り切ろう!
「わかったわ、やります」
悲壮な決意であたしがそう言うと、受話器からシビアに響く松井さんの声。
「あんた、妄想で適当に描けばいいや~なんて思ってない?」
ぎくっ!
なんでわかったの!?
心でつぶやいたことまでズバリと見抜いちゃうあくどさといい、それを遠慮なく指摘する無神経さといい、松井さんって編集者じゃなく探偵になった方が成功したんじゃないかしら。
うーむ、じゃあ、使い古された手ではあるけれども、ここはひとつあの手でいくしかないか。
ズバリ、シーツとバラよ!
男女がベッドの上にいて、シーツに包まって、周りにバラを飛ばしときゃ、あとは勝手に読者が想像してくれるわ、これっきゃない!!
途端、松井の一言。
「あんた、シーツとバラでごまかそうと思ってない?」
ぎくぎくっ!
あたしは冷や汗を流して受話器をみつめた。
やだわ、この電話機、もしかして、心の声まで通しちゃうのかしら、くっそ、余計な仕事をしやがってって、電電公社に文句言ってやる!
「言っとくけどね。いかにも漫画家が机の上で妄想しましたって話はやめてよ。今、求められているのは、リアリティなんだ。こんな話、現実にもありそう、もしくはありえないけどどこかではあるのかも……と読者に思わせるような、現実味のあるエロが欲しい。つまり、日常の中にあるエロってことだね」
あたしは、唖然、ボー然。
日常の中のエロですって!?
そんなもの、キスより先の経験がまーったくないピュアなあたしに、どうやって描けというのよっ!?
「じゃあね、プロットはいらないから、ネームであげてきて。ネームの締め切りは二週間後。オレを悶絶死させるぐらいのエロネームを楽しみにしてるよ。期待はしてないけどね、わっはっは。じゃあねっ!」
ガチャンと切れた電話をあたしは動揺とともに放り出して、わき目もふらず本棚にすっ飛んでいって、そこから黒くて分厚い秘蔵のバインダーを取り出した。
これぞ、財産も美貌も才能もないあたしが、唯一自慢できるもの、学生時代の交友関係者の全住所録三千四百五十六人。
父が転勤の多いサラリーマンだったせいで、小さなころからあたしはあちこちを転校して歩き、一度知り合ったら友達にならずにはおれないという、人懐っこい、しつっこい、地方によってはねちっこいとも呼ばれる性格のせいで、日本中になんと友達が三千四百五十六人。
この中には、当然、アダルト関係に詳しい奴もいるはずで、そいつに実地訓練を受ければいいわ、うっうっ、持つべきものは友達ね……?

とそこまで考えてあたしは、はたとバインダーをめくる手をとめ、それを畳に放り出した。
そっ、そっ、そっ、そーじゃないっ!!
あたしには、れっきとした彼氏がいるのよ、たとえ漫画のためだからって、浮気するわけにはいかないわっ!
あたしは、ゼイゼイと荒くなった息を吐いた。
あぶないわ、もうちょっとで罪の世界に落ちるところだった。
こっ、こうなったら、経験させてくれって頼むのよ、それしかないっ!




後編に続く

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