振り返れば、どうしてあの時、あんなことをしてしまったんだろう?
そうは思うけれど、あの時はあれで精一杯だった。
シャルル、あんたは今どうしているの?
元気?
しあわせ?
アルディ家の当主にも戻れた?
ミシェルとは和解できた?
あたしのことなんて、思い出さないわね。
あたしは好きよ。
あんたのことが好きだったの。
でも、言えなかったの。
だって、それが恋ってわからなかったからーー。
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『思い出に残る結婚式をしませんか。
あなただけのオリジナルの式を、当方がプロデュースします』
そんなありふれたキャッチコピーの文字の下で、幸せそうに純白の衣装に包まれて笑う花嫁の写真。
あたしは思わずその綺麗さに見とれた。
はあ、素敵。
こんな風に結婚したいな。
全身からしあわせが花びらに変わって、こちらに降り注いでくるみたい。
「じゃあさ、結婚式の予定はこんな感じでいいかな?」
和矢がパンフレットを片手にあたしの顔を覗き込んできた。
その声であたしはハッとした。
いけない、ついぼーっとしてた。
「うん、いいわ」
あたしは頷いた。
和矢が決めてくれたのは、スタンダードプランの結婚式。式場のチャペルで結婚式をして、そのまま付属の会場で披露宴をする。食事はフランス料理。会費制はやめようという彼は言った。お祝いに来てくれる人から金は取りたくないって。
「でも、そしたらみんなお祝いとか気を使うわよ」
あたしがちょっと心配して言うと、それでもいいよと和矢は答えた。
「こいつらの結婚式に来て良かったと言ってもらえるぐらい、しあわせな姿を見てもらおうぜ。お祝いもくれる人からはありがたくいただこう。そしてその恩を夫婦で覚えていこう。俺たちの人生をかけて、恩返していけばいい。そう思わないか?」
決意がこもった和矢の言葉と黒く光る素敵な瞳に、あたしは胸がジーン。
そうね、そう思うわ!
頼もしい夫になりそう、ますます惚れ直すわ♡
「じゃあ、そういうことで、宜しくお願いします」
あたしは式場の担当者に言った。担当者は笑顔であたしたちのやりとりを聞いていて、すぐに応答してくれた。
「はい、かしこまりました。ご両親への花束贈呈などの、こまかなプログラムはこれからご相談させてくださいね」
30代ぐらいかな。しっかりとしたキャリアウーマンという雰囲気のその女性は、作り物ではない笑顔を見せてあたしたちに段取りを説明してくれた。
話の中で、彼女もこの式場で結婚式を挙げたということがわかった。
その雰囲気がとてもよく、ただの満足感以上のものを感じて、結婚式アドバイザーの仕事に就こうと思ったんだって。
「まだまだ未熟モノですが、できるだけお二人のご希望をかなえたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします」
真摯なその言葉に、あたしと和矢は顔を見合わせた。
もちろん、お願いしますっ!
あたしたちは声を揃えて、頭を下げた。
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式場を出ると、外は夕方だった。
「なあ、シャルル、呼ぶ?」
突然、和矢が言った。
あたしはびっくりして彼を振り仰ぐ。
「でも、あんた……っ」
それ以上言葉が出なかった。
シャルル・ドゥ・アルディ。和矢の幼馴染だ。もちろんあたしも友達。でも、彼との仲はずいぶん前に切れたままだった。理由は簡単。シャルルがあたしを好きになっちゃったから。
あたしはにぶちんだから全然気づいていなかったけど、和矢は気づいていた。そして彼に「自分の思いに正直になれよ」と言った。
今思うと彼がなんでそんなことを言ったのか全然わかんなかったんだけど、シャルルはそれであたしに自分の感情をあらわにして、あたしも一瞬ぐらついたけど、結局あたしは和矢の元に戻った。
それで、和矢とシャルルの仲はジエンド。
和矢にずっと聞きたかったの。「どうしてシャルルにあんなことを言ったの?」って。
彼はあたしに自分の思いを秘めていた。和矢との友情を大切にしたかったんだと思うし、彼のプライドもあったと思うの。でも和矢が「思いを解き放て」と言ったから、シャルルはわざわざ表明することになったわけで、結果的にあたしもシャルルを振らないといけなくなった。
和矢って残酷。
あたしはずっとそう思っていた、けど言わなかった。
でもその思いは心の中に秘めていた。その思いは、普段の優しい和矢と一緒にいればいるほど違和感として強く残るようになっていったの。それである時あたしは決心した。ちゃんと訊こう。
あたしは、あたしの部屋を訪ねてきた彼の正面に座って、そのことを訊ねた。固まる和矢。
「あんた、何を考えてたの?」
和矢は頭をかいて、ばつが悪そうに答えた。
「わかんねー」
「え?」
「わかんねーんだ。シャルルを解放したいって思った。お前への思いをひた隠しにしているあいつが辛そうで、もうぶちまけちまえよって思った。そうしたら楽になるぜって。俺たちの友情だって一度壊したら新しいものが生まれるだろうって信じてたし。でも、本当は違うのかもしれない」
「違うって?」
「俺、本当はシャルルに引導を渡したかっただけかもしれない。マリナは俺のものだ。絶対お前なんか好きにならねーよって、あいつに知らしめたかっただけかも」
あたしは、その言葉がショックだった。和矢は優しい人で、シャルルのことも誰のことも思いやれる素晴らしい人だと思っていたから。
「ひどいわ。あんた最低」
あたしがそう言うと、和矢は悲しそうにあたしを見た。
「ああ、最低だ。そう思う。実際、お前が俺の元に戻ってきたあの小菅の朝、俺はあいつの顔をまともに見らんなかった。そして今に至るまであいつに会いにいけない。新しい関係が始まるなんて言っといて、あいつをひとりっきりにした、俺はエセ友情野郎さ」
あたしの部屋の古ぼけた畳の上で、片膝を立てて、その上に顎を乗せて、自嘲的に微笑む和矢はとっても苦しそうで、黒い瞳は潤んでいるようにさえ見えて、ああ彼も自分を責めているんだとわかって、あたしはたまらずに和矢を抱きしめた。
「もういいわ。あたしもーー」
あたしは和矢を抱く腕にさらに力を込めながら言った。
「シャルルよりもあんたが大事だから、あんたといたいから」
その瞬間、和矢があたしの体をさらうように、抱きしめた。
「マリナ、マリナ、マリナ」
あたしたちはその日、初めて抱き合った。
あれから7年。
24歳になったあたしたちは、晴れて結婚式の日を迎えようとしていた。和矢は一流企業の営業マンになっていた。将来はパパの後をついで貿易商になるつもりらしいけど、その前に「武者修行してこい」と言われたんだって。毎日残業続きで、営業酒の味もすっかり覚えて、サラリーマンとしての風格も漂い始めている。
一方のあたしは、今もアパート住まいの三流漫画家。松井さんとの腐れ縁で、なんとか死なない程度に仕事を回してもらっている。最近は漫画のデジタル化が進んで、漫画業界も厳しい。スキルアップしないと生き抜けないなと思いつつ、日々研鑽に励んでいる。とにかく読者が望むのはハッピィエンド。みんな色々なことを抱えているからこそ、物語の中では主人公たちをハッピィにする!
そう決めてハッピィエンドばかりを描いていたら、いつのまにか「ハッピィ池田」と呼ばれるようになってしまった。
結婚を決めたのは一ヶ月前。
「月並みだけど」と言いながら差し出されたダイヤの指輪に、あたしは涙を流しながらオーケーした。
そして今は、結婚準備中。和矢の仕事がお休みの土日に、式場巡りをする日々ってわけなの。
「どうしてシャルルを呼ぶの?」
あたしは、式場前の歩道を歩きながらたずねた。すぐ横の大通りをたくさんの車が通り過ぎていく。
「いまさら、そんな……」
すると、和矢は車のノイズに負けないよく通る声で言った。
「あいつ、日本にいるんだよ」
「えっ?」
あたしは驚いて足を止めた。和矢も足を止め、あたしたちは歩道をふさぐ形で立ち止まった。後ろから自転車が来て、ちりりんと鳴らされて、和矢があたしの方へと身をどかした。近づいた距離。あたしはさらに顎をあげて彼を凝視する。
シャルルが日本にいるって?
「あいつ、日本に帰化したんだ。アルディの籍を放棄してな。知らなかったか?」
あたしは首を振った。かくかくと変に揺れた。
「やっぱり知らなかったか。お前ニュース見ないもんな。若きフランスの天才が反乱したって、かなり国際的に騒がれたんだぜ。今は東京にいる」
東京! この街に彼がいるの!?
あたしの胸がざわついた。
「東京大学の客員教授をしているらしい。なんていう分野だったかな……わすれた」
和矢はいたずらっぽく片目をつぶった。あたしは彼を見つめたまま動けない。
「近くにいるからさ、きっと呼べば来てくれるよ。だから呼ぼうぜ。俺、あのままだから、ずっと気になってたんだ」
「あんた、本気?」
「ああ。友情を復活させたい。なんか問題あるか?」
たずねられて、あたしはコクンと唾を飲む。
「別に、問題はないけど、二人とも大丈夫なのかなって思って……」
あたしがそう言うと、和矢が言った。
「心配だったらさ、マリナ、お前が先に会いに行ってきてくれよ」
えっ?
「俺たちの和解の使者になってくれ。男同士ってさ、不器用だし、言葉が足りないところがあるから、お前が俺たちの仲を修復してくれるとすげーうれしい。たのむよ」
和矢、あんたは何を考えているの?
彼の顔をじっと見つめたけれど、和矢は穏やかに微笑んでいるばかりだった。
「……あんた、あたしを試してるの?」
和矢は「違う」と言った。
「俺、もう卑怯なことばしないって決めたんだ。だから、これは正直な気持ちだ。俺はお前と結婚したい。だから申し込んだ。それに後ろ暗い気持ちも、お前の気持ちを試そうという考えも、髪の毛一筋ほどもない。シャルルと仲直りしたいというのも本当だ。俺は、シャルルも好きだから」
「和矢」
「だから、言っておく、マリナ」
和矢の声がワントーン低くなる。
「俺はお前を信用して、シャルルとの橋渡しを頼んだ。お前は俺を裏切らないと信じている。もし、お前がちょっとでも心を揺らしたら、正直に言ってくれ。その時は……」
何かを微妙に含んだその言い方。
「もし心を揺らしたら……?」
「絶対にゆるさない。お前を憎むし、シャルルとは永遠に断絶する」と和矢は答えた。
激しい言葉にあたしはドキッとした。
「行ってくれるな? なってくれるな、和解の使者に。俺のために」
あたしの肩を掴んで黒い瞳をきらめかせる和矢。
あたしはしっかりと答えた。
「わかったわ。シャルルと会ってくる。信じて、待ってて」
この時、あたしは自分が心を揺らしたりしないって自信があった。
17歳のあの時、ちょっとだけシャルルに引き寄せられたのは、恋じゃない。
彼に同情しただけ。
あんまりにもシャルルがかっこよくて綺麗だから、ふらふら~としちゃっただけ。
そう思っていたあたしは、自分をいうものをまだわかっていなかっただけだった。
人間ってそんなに強くない。そしてあたしはきっと平均よりも脆い部類に入るのだろう。
妖艶で美しく、欠けた三日月のように傷ついた姿をさらけ出すシャルルの前では、あたしなんて、月の引力で左右される海のように、無力でちっぽけな存在だったのだ。
こんばんは。
ネットを徘徊していて素敵な曲に出会いました。JONTEさんの「鼓動」です。
感動したので、ささっと書いてみました。ある方へのコメ返で記した「泣きながら抱き合って…」というお話が書きたくて。でもそこまでいかなかった!
続きを書く予定は今のところありませんです。