《ご注意》この記事はシャルマリ二次創作です。苦手な方は閲覧しないでください。
この物語はフィクションです。現実の組織・制度とは異なる場合がございます。(4, 400文字。読了時間9分)
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札幌物語
第五話
店のヘルプから戻って来た玲は、マリナがもう少し札幌に滞在すると聞いて、たいそう喜んだ。
「それまじ? じゃあ、明日、またウチに来いよ! ばあちゃんに豆腐作っておくように言っておくからさ! 厚揚げも。マリナ、好きだったろ?」
いっそのことうちに泊まればと誘われていたが、マリナは柔に断った。
「玲、あんただって明日は大学があるでしょうが。夏休みはまだよ」
とアヤがいった。
「そんなもん、休むよ」
「林田教授に言い付けるぞ」
とケンイチの視線は厳しい。
「ちょ、ケンイチ先生、それ、まじ勘弁してよ。俺、頼み込んで林田教授のゼミに入れてもらったんだ。ずる休みしたなんてバレたら追い出されちまう」
「だったらちゃんと大学に来るんだな。マリナは金曜までは札幌にいる予定だそうだから、焦らずとも大丈夫だ」
「金曜日?」
玲は、少し不審な顔をしてマリナを見た。マリナは明るく笑い返す。
「シャルルがね、もっと北海道を知りたいっていうの。だからもう少しこっちに滞在しようと思って。今日一日じゃ、たいして回れなかったし、まだ石狩鍋もちゃんちゃん焼きも、焼きとうきびも食べてないもん。とてもじゃないけど帰れないわ!」
とたん、玲が笑う。
「マリナらしいや」
いつも通りの屈託さに戻った玲の様子に、マリナが安堵しているのが、シャルルにもわかった。
「じゃあ明日の夜はうちに集合ってことでどう?」
「俺たちもいいのか?」
とトオルが自分を指差す。
「もちろん。ばあちゃんも喜ぶし」
「わあ、ありがとう」
とユキナが手をたたく。
「アヤ、お前は仕事があるだろ。無理すんな」
「あたしだけ仲間外れにしないでよ。行くーっ」
「ダメだ。仕事はちゃんとしろ」
「うるさいよ。ケンイチ。そんなこというなら、一度くらい店に来てよ」
「大学生がすすきのに行くなんて、そんな不謹慎なことはできない」
「相変わらず頭固いのね、委員長。でも昔は熱い少年だったわよね? 全校集会の終わった直後、隣の2組の委員長赤坂美穂さんへの愛の告白。かっこよかったわよね~」
とマリナがいうと、
「ミポリン愛してるぜーっ、ってあれだろ?」
とトオルがいった。とたん、皆がドッと笑った。ケンイチはたちまち赤面する。
「くそ、お前ら全員、いつかロボトミー手術をして、記憶を抹消やるからなっ!」
明日の夜、小林家を訪問する約束をして、その日は散会となった。
――――――――
シャルルがリザーブしたホテルは、昨日と同じ札幌駅に直結した日航ホテルだった。だが、五階のスタンダードなダブルだった昨日とは打って変わり、今夜は最上階のスイートルームだった。入ってすぐに小さな書斎があり、その奥に札幌の夜景が広がるリビングルームがある。右手にはベッドルームがあり、マリナはその存在が恥ずかしいのか、窓ガラスに駆け寄って、場違いな歓声をあげている。
「綺麗ね。宝石を散りばめたよう。空気が綺麗から、夜景も綺麗なのね」
と使い古された文句をいう。そういうところも可愛いが、と思いながらも、シャルルは彼女のそばには寄らずに、あえてソファに座り、足を組んだ。
「お茶を入れてくれないか」
そう頼むと、マリナは一瞬驚いた顔をして、こちらを振り返った。
「あたしが?」
シャルルはうなずいた。
どうして自分が、と言いたい思いもあっただろう。しかし、彼女は、「わかったわ」と素直に、キッチンに向かった。ポットで湯を沸かし、お茶の支度をする。
「コーヒーと日本茶、どっちがいい?」
「紅茶。ワインをたっぷりと加えて」
「紅茶がないわ」
「用意してくれ」
「どうやってよ。無理を言わないで。あるもので我慢してよ」
「なら、いい。いらない」
シャルルは肘掛にほおづえをつき、額を指先でささえながら、目を閉じた。シャルルは意図して、怒った顔を作った。マリナを怯えさせて、その心の中にある思いを試して見たい誘惑にかられたのである。
マリナは当惑した声でいった。
「わかったわ。フロントに聞いてみる」
マリナがフロントに電話して確認すると、紅茶はあったらしく、マリナは喜びの声をあげた。五分ほどしてフロントマンが丁重に透明袋に包まれた紅茶のティーバッグを持ってきた。ワインは部屋にミニボトルが常備されていた。
そして、ワイン入り紅茶がシャルルの前に置かれた。
「どうしたの?」
向かい合わせに座った彼女は、同じものに口をつけながらいった。
「今日、あちこち連れ回したから、疲れちゃった? 早起きだったものね」
「いや」
「慣れないものばかり食べて、胃腸が重い?」
「そんなことはない」
「だったら、やっぱり玲ちゃんのこと?」
シャルルが答えずにいると、マリナはティーカップを手のひらに置いて、深い息をはいた。
「俺の機嫌を損ねるようなことをしたという自覚があるのか?」
「うーん。わかんない」
「わからない?」
「そりゃ、わからないわ。だって、あたしたちは四年ぶりにあったのよ。その間に、あんただって変わったでしょう。あたしの知っているあんたじゃないかもしれない。だから、勝手にあたしが、あんたは怒ったに違いないって決めつけたりはしたくない」
「正論だな」
「だって、今朝スタートしたばかりよ。あたしたち。いきなり熟年の夫婦みたいに、阿吽の呼吸にはなれないわ。ちょっとずつ、進んでいきたいの」
「それが君のやり方か?」
「間違ってる?」
しかし、それには答えないで、
「一つ聞きたいんだが」
「何?」
「いつから君は慈善活動家になった?」
「そんなもん、なった覚えはないわよ」
「だったら、なぜ小林玲に関わろうとする?」
マリナはあの迷いのない大きな瞳でシャルルを見つめて即座に答えた。
「だって友達だから。困っている時に助けるのが友達ってものでしょう?」
シャルルは苦笑する。いつだって彼女はこうだ、と思っているうちに、鼻頭が熱くなってきた。それを彼女に知られないようにすする。
「じゃあ、今度は小林玲と恋愛するのか?」
マリナは何を言われたか理解できないらしく、目をぱちくりと何度もしばたかせた。それで、シャルルは言い方を変えた。
「だからつまり、俺は用済みになったんだろう、ということだ」
マリナの目がみるみる見開かれていく。黒い瞳の中に自分が写っているのがよく見えた。黒い瞳の中に住むその男は、ひどく険しい表情をした、醜悪な男だった。
「ひどいことをいうのね」
マリナはカップを手に持ったまま、それをかちゃかちゃと音と立てて震わせながら、泣いた。はらはらとまつげが抜け落ちてくるような泣き方だった。
シャルルは立ち上がり、窓の前に立った。
「もういいよ」
「いいって、何がよ?」と背中にマリナの涙声が当たる。
今朝、希望を抱いて飛び降りた札幌の街が、暗闇の中に輝いていた。青空が澄み渡る中、マリナの手を引いて街へ繰り出した時、何も恐れるものはないと思った。マリナの明るい笑顔と、つなぐ手の確かな暖かさが、幼い頃からシャルルを苦しめてきた虚無感と絶望感から、シャルルに生きる活力を与えたのである。
シャルルは、朝の自分を呪いたいほど、悔いていた。
「この部屋は金曜日までリザーブしておくから、好きにつかっていい。俺は明日の朝、パリに帰るから」
「パリに?」
「もともと一週間の約束で日本にきた。これ以上、パリをあけるわけにはいかない」
「ジルに頼めない?」
「何のために?」
「何のためって……」
「心配しないでいいよ。ルパートのことだ、君がダメなら、花嫁の第二候補ぐらい考えているだろう。君は小林玲のそばにいればいい。それでいいじゃないか」
シャルルはこういうやり取りを好まなかった。マリナを好きになったと自覚した時でさえ、その思いを押しとどめたのは、彼女が親友であるカズヤの相手であったからというのが最大の理由だが、もう一つ理由がある。それは、シャルル自身が、他人との深い交わりを望んでいなかったということである。
両親の揃っていない家庭で育ったシャルルにとって、父と母の不在はあたりまえの光景だった。二歳のころには、父がほぼ家におらず、母は精神病のため別邸にて静養中だと知らされていた。特にそのことに感慨は持たずに育った。使用人が大勢おり、衣食住に事欠くことはなかったし、往来の才能と探究心で、勉学に励むことに彼自身が満たされていたからである。
しかし、成長して、街で親と過ごす子供を見かけたり、学校で休日に家族で出かけたという話を聞いたりして、自分がいかに特殊な環境にいるかということを自覚するようになった。
そして、家庭の特殊さを自覚するということは、シャルルにとって、自分がいかに愛されていない存在であるかを自覚することと同じだった。シャルルは心を閉ざした。彼が受け入れたのは、家庭教師を務めたオデットと、親友のカズヤだけ。その二人にでさえ、シャルルは本当の自分は見せなかった。シャルルは自分の中に、他人には見せられない後ろ暗いものがあるのをいやというほど知っている。そのもう一人のシャルルは時々本来のシャルルを飲み込んで、支配して、本来の彼を抹殺してしまう。もしマリナに好きだと告げて――彼女がそれに応えてくれたとして(応えてくれることは決してないとわかっているが)――この闇にマリナを引き込んでしまいそうで、シャルルは恐ろしい。
だからシャルルはマリナから逃げた。自分の中に潜む獣が暴れ出さないように、自分の心を守ってやりながら。マリナは和矢に戻りたがっていたので、四年前の別れは、お互いにとってなるべくしてなったことだったのだ。
だが、いま、こうして思いが通じ合って正直、シャルルは困惑していた。もちろんそれを望んで来日したのだが、まさかマリナも同じ気持ちだと思わなかったというのが本音であり、夢想してきたマリナではなく、生きたマリナを前にして、シャルルの感情のコントロール盤は制御不能になっていた。
シャルルは、そんな自分を反省し、深呼吸をした。
「怒って悪かった。今夜は思い出話でもして、気持ちよく別れよう」と、彼はなごやかにいって、後ろを振り向き、ソファに戻ろうとした。そして、数歩で動きを止めた。
マリナがまっすぐ、射るような眼差しでシャルルを見ていた。シャルルは動揺した。
「あれはどうするの」
彼女の声は厳しかった。
「あれとは?」
「子作り」
急に色気が生まれてきた。
「できないだろう」と、少したじろいで答えると、
「そう」
とマリナは微笑んで軽くうなずいた。そしてよいしょと言いながら立ち上がった。
「お財布を貸してね。ちょっと出かけてくるわ」
テーブルに放り出してあったシャルルの札入れを手に、戸口へ向かおうとする彼女に、驚いて、どこへいくのかと訊ねた。
「自販機」
「冷蔵庫に飲み物はあるだろう」
「ちがうわよ」とマリナは立ち止まり、半顔で振り向き、シャルルを斜めに睨んだ。
「コンドーム。子作りできないんでしょ?」
と、唇をわずかに動かして言い残すと、マリナは部屋を出ていった。
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