《ご注意》この記事はシャルマリ二次創作です。苦手な方は閲覧しないでください。
この物語はフィクションです。現実の組織・制度とは異なる場合がございます。(5, 700文字。読了時間12分)
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札幌物語
第七話
警察の資料は、二時間ほどで揃った。端麗な字で丁寧に書き留められた調書に、シャルルは隅々まで目を通していった。すると、アヤがいった説明とは多少食い違う箇所が見受けられた。アヤが誤った情報を伝えようとしたわけではないことは、同席していた旧友たちが訂正しなかったことでわかる。そもそも彼女たちは一般人であり、裁判を傍聴していない限り、事件の詳細な情報を知らずとも当然であった。
この事件がシャルルの興味を惹いたのは、ズバリ次の二点。
第一点目は、なぜ判決が二転三転しているのか。強盗と正当防衛では天と地ほども違う。犯人とされた中条が持っている、判決を覆すほどの手札とは何か。それをぜひ知りたいと思った。
第二点目は、小林孝雄の動向だ。一般企業のサラリーマンであった彼は、当時、相当多忙な毎日であったとアヤたちは口を揃えていた。彼女たちが玲の父親にあったことすら、数える程しかなかったらしい。その父親が、事件の起きたあの日曜日に限って、なぜ急に帰宅したのか。その点を知りたかった。
警察の調書はシャルルの疑問を満足させた。
まず第一点目についてだが、判決が二転三転している理由は、やはり小林裕美子と中条の関係性にあった。アヤは二人が小学校の同級生と言っていたが、事実は少し異なり、二人は故郷が同じ、もっと言えば、生家が五十メートルと離れていない近所だったのである。二人の生まれた北海道網走管内○○村は、過疎が叫ばれて久しい村で、その中でも彼女たちの家のある地域は、50戸あまりが身を寄せるように軒を連ね、あとは茫洋と痩せた牧草地が海まで続くだけの土地。裕美子と中条は、酪農家に生まれた。家族だけで賄う小規模酪農家で、冬の間、父親は内地に出稼ぎに行くところなど、似通った家庭環境にあった。
裕美子も中条も、北見にある高校へ進学。生家を離れる。二人が交際していたという情報は一切ない。高校卒業後、裕美子は地元旅館で就職し、中条は東京にでるといって親と連絡を絶った。中条は東京で起業を図るも失敗。三十歳をすぎた頃、北海道へ戻り、札幌市内にあるコピー機を扱う小さな事務用品会社に中途採用され、以来、コピー機の保守点検マンとして市内を回る日々となった。仕事態度は真面目で、逮捕歴はもちろん交通違反もなし。結婚歴もない。警察の捜査でもいきつけの店さえ見つからないほど、家と自宅だけを往復する地味な生活をだったようだ。
小林孝雄と裕美子の出会いは、孝雄が社員旅行で彼女のつとめる旅館に宿泊した時だ。忘れ物をした孝雄に、裕美子は丁寧な文とともに忘れ物を送った。それが縁となり、孝雄と裕美子は結婚し、札幌の実家で節子とともに同居を始めるに至ったわけである。一年後、長男海が誕生。十年後に次男玲が生まれた。裕美子が体調を崩したのは、玲の出産後。悪性貧血で寝込むようになった。孝雄は仕事でほとんど家におらず、赤ん坊の玲と小学生の海は、祖母の節子がほぼすべての育児を担当した。
近所の主婦の証言によると、玲が生まれた頃、近所で「あの子は本当に孝雄さんの子なのか」という噂がたったことがあるらしい。それというのも、玲が生まれる一年ほど前から、孝雄が留守の昼間に、見慣れない男が豆腐屋にひんぱんに出入りするようになったからだ。
「今になってみると、それがあの時の強盗のような気もするのよ」と、二軒隣の主婦の証言がある。
節子はその証言を否定した。中条という男などしらない、あったこともないと供述している。しかし、その顔には動揺が見られ、挙動不審であったと記されてある。
逮捕時、中条は裕美子の署名が入った離婚届を所持していた。この離婚届が、裕美子と中条の不倫関係を裏付ける証拠として採用され、第二審では、中条の裕美子殺しは否定されたのである。
そして第二点目。なぜ孝雄はあの日に突然、帰宅したのか?
孝雄の同僚の証言が供述調書にあった。
『あの日は婚約記念日だっていってましたよ。「普段、何もしてやれないから、今日ぐらいは花でも買って、びっくりさせようと思ってる。いつも我慢ばかりさせているからね」小林さんはそう言って、恥ずかしそうに笑って、お先にと帰って行きました。午後一時を少しすぎたところでした、と同僚は供述。円山駅前の近藤花屋で確認。白いバラでまとめてくれといって、三千円の花束を購入しています。』
シャルルが調書をめくると、現場写真があった。昨日、彼が世話になった節子の、あの居間に裕美子と孝雄と思しき二人の人間が血にまみれて倒れている。水色のパジャマ姿の裕美子は仏壇の前で仰向けになっていた。目を大きく見開き、口から白い泡沫があふれてこびりついていた。彼女の腹にのしかかるように、海老茶色のスーツを着た孝雄がうつ伏せになっていた。腹から流れ出た大量の血が、妻の体と畳を赤黒く染めている。孝雄が買ってきたという花束が、キッチンの入口の床に打ち捨てられたように置かれていた。白い花びらが三枚、畳の上に散らばっている。相当なもみ合いがあったのだろうか、横倒しになったちゃぶ台の周りには、醤油差しや割れた急須が落ちていた。昨日、朝食時に見たものと寸分変わらぬ物だ。
シャルルは頭を整理する。
つまり、裕美子と中条が男女の関係であったのかどうか、それを証言することができるのは、今となっては姑の節子と、近所の目撃者以外にいないのだ。近所の人々は「訪ねてきていたのは中条だ」といい、一方の節子は「中条など知らない」と否定する。この食い違いが、判決を二転三転させている一つの原因であるわけだ。通常は第三者の証言が優先されるが、このことの他に、凶器や殺害時の状況証拠、それから犯行動機などが総合的に判断されて、判決は下される。第一審と最高裁が死刑判決を下したのは、裕美子と中条の関係性を認めなかったか、もくしは、それを踏まえても、中条の強盗性が認められると判断されたからだろう。
「どう? 何かわかった?」
マリナがそっとテーブルにティーカップを置いた。ワインの香りが立ち上がる。シャルルは思わず微笑した。昨夜、無茶な注文をしたワイン入り紅茶をまだ覚えていて、それを入れてくれた彼女の思いやりが今日はひどく嬉しかった。
「裁判所の資料も持って来させようと思っていたところだ」
マリナが驚いた顔をする。シャルルは立ち上がり、電話を手に、かけ慣れた番号をコールして、裁判所の資料が欲しい旨を手短に伝えた。
「一時間待つ。それ以上は待てない。いいな?」
後ろで嘆息する気配が聞こえた。受話器を下ろして振り返ると、窓辺の前に置いた椅子に腰掛けたマリナが、腿の上にクッキーの袋を抱いていた。
「あんたって、つくづく王様ね」
マリナはクッキーを頬張りながら話す。
「どうも」
シャルルはサイドボードに片手をついたまま、優雅にお辞儀をした。
「王様やっている自覚はあるの?」
「まあ、それなりにはね」
「へえ、あるんだ」
「ないと思った?」
マリナはしばらく黙って、シャルルを興ありげに見つめていたが、そのうちに少し挑戦してみたくなったのか、
「あるとしたら、都合のいい時だけかなって思っていたわ」
目に強い光を宿らせて、わざと煽るような言い方をはじめた。
「都合のいい時ってどんな時?」
「人を使いたい時とか」
「それだけ? 他には」
マリナは少し考える仕草を見せて、
「美味しいものを食べたい時とかふかふかのベッドで眠りたい時」
シャルルは肩をゆらせて苦笑する。
「君じゃあるまいし。で、王様のやることはそれだけなのかい?」
「うーむ。他になにがあるかしら?」
「君の想像する王様は貧乏くさいな」
「あたしは庶民だもの」
「しかし君は仮にも漫画家だろう。ならばもう少しマシな想像はできないのか?」
「そりゃあ、想像力はありますけどね。漫画家の想像力だって天井も底もあるのよ。ご馳走が並ぶ晩餐会でダンスを踊る王様を想像することはできても、ご馳走の種類は思いつかないし、王様だってトイレに行くだろうって想像できても、トイレの構造まで考えられないわ。つまり、妄想とリアリティは水と油。相性が悪いのよ」
「なるほど」
「あんたは生の王様だもの。だから、身近にいるといい刺激になるわ。勉強させてねっ」
次々にとクッキーを頬張りながら足をばたつかせるマリナにちらっと視線を流しつつ、シャルルはソファに戻って、資料を取り上げた。カップを手にお茶を飲む。少し冷めていて、ワインの香りは消えていたが、昨夜よりずっと美味かった。
――――――――
空が茜色に染まる頃、大通りでタクシーを降りて、小林家に向かっている途中、後ろから明るい声がかかった。
「あら、マリナちゃんにシャルルさん。今来たところなの。あたしもよ。奇遇ねぇ。もしかして同じ電車だったのかしら?」
アヤは昨日とは打って変わって、ボーダーのカットソーにジーンズという軽装だった。黒いまつ毛にはマスカラが艶やかに塗られているが、アイシャドゥはなく細いラインだけで、際立った容貌がよく目立つ。
「ううん。あたしたちタクシーで来たの」
「豪勢ねぇ」
「違うのよ。直前までシャルルが調べ物していたから」
「調べ物ってなんの?」
マリナはシャルルに許可を求めるような眼差しを向けた。シャルルが反応をする前に、その空気を感じ取ったのだろうか、アヤがにっこりと笑って、
「シャルルさん、そのジャケット、ラルディーニでしょう? スタイルいい人しか似合わないんですよ。すごーい。あー、あたしももっといい格好してくればよかったかな。玲の家だからって油断しちゃった」
そしてアヤは、自分の身なりを口をつまんで見下ろした。使い込んだなめし革の肩掛けバックを下げたアヤは、白いスーパーの袋に包んだ辞典ほどの大きさの四角い箱を両手に持っていた。
「アヤちゃん、何を持って来たの?」
「いいマグロを売っていたから、カルパッチョにしたの」
「わあ、おしゃれ。あたしはなにも持って来なかった」
「いいのよ。そんなこと、おばちゃんは気にしないわ。さあ、行こう」
マリナの先立っていこうとしたアヤの腕を、シャルルがすっと取った。アヤの手から土産の品を取り上げて、マリナに渡す。
「えっ? え?」
と、アヤは戸惑った。
マリナは受け取った品をほんの一瞬凝視したあと、
「どうしたの、シャルル?」と斜めにシャルルを見上げた。
シャルルはアヤににっこりと言った。
「やはりてぶらで伺うのも失礼だと思うので、土産を買いに行きたいんです。ですが、私は札幌の街ははじめてですので、良い店を知りません。アヤさん、どうか案内してもらえませんか?」
「あ、あたし?」とアヤは自分を指差す。
「ええ」とうなずくシャルル。
「シャルルったらなにをいっているのよ」と、マリナはいった。「お土産ならあたしが買いにいくわ。あたしだってこの街に住んでいたんだから、わかるもん」
「ダメだ。君はまっすぐに小林家にいけ」
「どうして」
「小林家の人々は、君を待っている。昨日は俺がいるから、十分に話せなかっただろう。彼らの話をよく聞いてあげるといい」
「あんたも一緒でいいじゃない」
「俺は一緒じゃない方がいい」
「どうしてよ。一緒でいいわ。玲もおばちゃんもそういうわよ。ねっ、アヤちゃん?」
アヤは困ったような顔をした。
「きかない女だな。君が一人で行くことが重要なんだ」
「委員長やトオルやユキナだってくるのよ。そんなに重要な話にはならないわよ」
「それでいいんだ。特別なことを話せといっていない。普通にしていろ。それだけで彼らは心を開く」
「なんなの、それ。よくわからないわ」
「二人から聞き出して欲しいんだ。事件当時、小林夫妻がどんな仲だったか。円満だったか、それとも冷え切っていたのか。具体的なことは難しくても、雰囲気だけでもいいから、聞き出してくれ。それが事件解決の糸口になる」
マリナもアヤも息を詰めた顔になった。
「とにかく君は小林家へすぐにいけ。俺のことは適当にごまかしておいてくれ」
マリナはまだ納得していないといった感じの小さな声で、それでもしぶしぶ、
「わかったわ」といった。
シャルルはマリナから視線を外して、注意深げに事態を静観しているアヤを見た。
「マドモアゼル・アヤ。道案内を頼めますか?」
アヤは右ひじを手で抱えて、右手の甲で顎を支えて、小首を傾げていたけれども、やがて背筋をのばして、マリナとシャルルを順に眺め直してから、自分でも楽しげに言った。
「本当にいいんですか? あたし、マリナちゃんとの友情を壊したくないんです。しかも久しぶりの対面だっていうのに、婚約者を略奪っぽいことになっちゃったりしても困るし」
「安心してください。あなたに女性を感じていませんから」
「あなた、むかつく人ね」
「そのぐらいがご一緒するにはいい距離感でしょう?」
シャルルが微笑むと、即座に、アヤも自分を抱きしめて笑った。そして意を決したように肩をすとんと落とす。
「よーし。いいわ。行きましょう、シャルルさん。ついでにすすきのもご案内してさしあげましょうか。行ったことはあります?」
「ありません」
「ぜひいかが? 愉快な街ですよ。小林の家へのお土産は、あたしが別に届けますから。ちなみに趣味の良さは折り紙つきです。自分でいうのもなんですけれどね」
唇に指を当てて、妖艶な謙遜を見せるアヤに、シャルルは甘美な微笑みを持って即座に答えた。
「わかりました。すべておまかせします」
アヤはよろこんで、シャルルの腕に手をからませた。
「マリナちゃん、ごめんね。ちょっとだけシャルルさん借りるわ。あとで熨斗つけて綺麗にお返しするからね。あたしを恨んじゃ嫌よ。これはご本人の意思だからね」
マリナは少しだけ黙って、自分の中のもどかしさをこらえようとしていた様子だったが、やがてそれに見切りをつけたらしく、
「わかってるわ。アヤちゃん、シャルルをよろしく。取り扱い注意の男だから、噛みつかれないように気をつけてね」
と、恨みがましく吐き捨てて、二人に背を向けた。
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