《ご注意》シャルマリ2次創作。大人向け。
第三話
市ヶ谷のファミリーレストランに入った。マリナが昔から住んでいた飯田橋からすぐ近く、車で四五分の距離だ。店に駐車場はないため、路上パーキングが夜間は無料なので、車は路上に止めた。
深夜の店は空いていた。
マリナはサラダとドリンクバーを注文したのみで、これはオレにとってかなり意外だった。
「それだけでいいのか?」
「今何時だと思ってるの」
「10時48分」
「こんな時間にいっぱい食べたら太るし、胃がもたれるでしょう。だから我慢するの。あたしにかまわずあんたは好きに頼んで」
「じゃあオレはドリアをもらおう」
食べ物が提供されるのを待つ間に、マリナがアルディ家の現在について尋ねてきたので、ルパートが当主代行に収まっているというと、彼女は驚いたようだった。
「あんたはどうしたの?」
オレは、素直に、当主の激務のために体と心を病み、今は第一線を退いて療養中だといった。
マリナは少し言いにくそうに、
「まだ具合悪いの?」
「いや。もうだいぶいいよ」
マリナはホッとしたようだ。
「ああ、良かった。ほっとしたわ。心を病んで、なんて言うからものすごく悪い病気なのかと思っちゃった」
「バーンアウト症候群といってね。まあ、例えば、風船みたいなものなんだ」
「風船?」
「そう。風船を一生懸命膨らませるだろ? でも膨らませすぎると破裂しちまう。人間もそれと同じでやり過ぎるとパンクしちまうんだ。一体何のために自分が頑張ってきたのかわからなくなる」
「でもあんなにあんたは当主に戻りたがってたのに」
「まあ……ね」
「当主に復帰して嬉しくなかったの?」
「嬉しいというか、それは興奮したさ。オレが当主の座のために、命を捨ててもいいとすら思っていたのは知っているだろう。執務室に座った時、この椅子を二度と誰にも奪わせないと誓った。だからオレは夢中で働いた。それに、一部の親族どもは、一度アルディを追われたオレに対して、馬鹿にするような態度を取るようになったから、余計にね」
「それでやり過ぎちゃったの?」
オレは水を飲んだ。そして続けた。
「ある日突然めまいがして倒れてね。その日以降、使い物にならなくなっちまったってわけ」
「使い物にならなくなったって、どういう風に?」
「具体的に言うと、起き上がれなくなった」
「それがバーンアウト症候群の症状なの?」
「いや、人によって症状は様々だ。オレの場合は、消化器がやられた。食べる前に何だが、食べ物を一切受け付けなくなって、頑張って食べても吐くか下痢。どんどん痩せて、ひたすら仰臥する毎日だった」
マリナは辛そうに溜息をついた。
「そんなことがあったの……。でも、さっき、ドリア頼んでたわよね。そんなものを頼めるようになれたってことは――」
「もう心配いらないってことさ」
オレが笑うと、マリナは顔の前で「いやいや」と手を振った。
「無理しないで。なんだったら卵雑炊に変える?」
話終わらぬうちに、店員がやってきて、注文した品々を置いていった。
「まあまあいける」
「ならよかった」
あとはマリナもオレも黙々と食べて、すぐに店を出た。マリナは会計の前に化粧室に行き、化粧直しをして出てきた。
会計はオレがカードで払った。
「伊豆に行こうか。朝日を拝みたい」
車が甲州街道に差し掛かったあたりで、マリナは思いついたようにいった。
「あんたは行ったことある?」
オレは、ない、と答えた。
「素敵よ。ちょっと遠いけど下田まで行こうか。明日は晴れるみたいだし、綺麗な朝焼けが見られるわ。絶好のビューポイントがあるのよ。地元の人しか知らない場所。あたし、小さい頃下田に住んでいたから知ってるの」
「運転は平気か?」
「平気平気。しょっちゅうひとりでドライブしてるもん」
オレはその言葉が気になり、
「ドライブはいつもひとりで?」
「うん」
マリナは間髪入れずいった。
「後ろにあるでしょう。毛布やお風呂セット。いつ、どこでもふらっと出かけて、温泉入ったり、道ばたに車止めて寝たりしてるの。気ままで楽しいわよ。貴族のあんたには考えられない遊びでしょうけど」
「キャンプ場でバーベキューをするのが大好きなフランス貴族だっている」
「あんたは?」
「嫌だね」
「やっぱり。典型的貴族ね」
オレはムッとした。マリナは昔からオレのことを典型的貴族と言う。そこがどうも気になってしょうがない。卑屈だと言われればそれまでだが。
「ぶっとばしていくわよーっ。シートベルトしっかり締めてね。あんたが締めてないせいで捕まるのはゴメンよ」
環七から首都高に入った。車は制限速度を明らかに超えて、次々と前の車を抜き去って行く。
「眠かったら寝ていいわよ」
オレはもう一度確認してみることにした。
「本当に運転は大丈夫か?」
「しつこい。一晩で岡山まで行ったことあるんだから。もちろんひとりでね」
カズヤはどうした?
なぜ、ドライブにあいつを連れて行かない? カズヤならマリナの気ままさを理解して温泉でも朝日でも顔をほころばせてついていくはずだ。なのになぜ君はひとりでドライブに行くことが日常化している? ひとりドライブが好きだから? ただの趣味か?
そのことが「抱かれるのが嫌」というあの切羽詰まった相談と、何か関係があるのだろうか?
*
「やっぱり疲れた。眠いし」
マリナがそう言いだしたのは、出発して三十分も経たない頃、東名高速道路の海老名パーキングだった。大型のパーキングステーションで、深夜だというのに、トラック、乗用車ともに数多く止まっており、店も盛況の様子だった。さながら高速のネオン街といったところか。
「ここで寝る」
駐車場の隅に車をとめてエンジンをきり、マリナは座席を倒した。それから後ろに置いてあった毛布を引き寄せて、すっぽりと体を覆った。
「おい、朝日はどうするんだ?」
とオレは聞いた。
「もういい。あんたも寝たら?」
「ここでか?」
「嫌なら、パーキング内に簡易ホテルみたいなのがあるからそっち行ったら?」
「オレが運転するよ。席を変わって」
「いい。車が動くと寝られないから」
「君はどこでも寝られるだろう」
「いつの時代の話をしてるのよ。あたしが何歳になったと思ってるの? 子供じゃないのよ。どこででも寝られないわ」
「停車している車では寝られるじゃないか」
マリナは毛布から手を出して、オレを払った。
「もう、うるさいなぁ。あたし、眠いのよ。しずかにできないんだったら、どっかに行ってよ」
マリナは手を引っ込めた。すぐに寝息が聞こえてきた。
オレは呆れたが、まさかマリナがいうように、彼女を放ってひとりでその簡易ホテルとやらにいくわけにもいかず、座席を倒した。
翌朝、午前7時過ぎ、朝食をとった。
「起きて!」と大声が車内に響き、オレは飛び上がった。
正確には午前7時16分。ダッシュボードのデジタル時計を確認したから確かだ。
「こんな早くになんだよ……」
真夏とはいえ、毛布一枚かけずに車内で眠ったせいで、身体中がきしみ、頭痛がしていた。
「メロンパンを買いに行こう。この海老名の名物なのよ」
オレは無理やり手をとられ、焼きあがったばかりのメロンパンを買いに行かされた。缶コーヒーとともに車に持ち帰り、二人で食べ始めた。
「おいしいね、ねっ?」
「ああ」
「朝日よりもこっちのほうがよかったよね」
オレは、カズヤがドライブに同伴しない理由を少し理解した気がした。いくらマリナの気ままが昔からだといっても、少々度がすぎている。これがしょっちゅうだとすると、カズヤも疲れたにちがいない。マリナが、自分一人の方が自由に動けるからいいといったのかもしれない。
「ねぇ、シャルル」
マリナがメロンパンを食べる手を止めた。
「エッチって、みんなやり方同じなのかな?」
オレはぎょっとした。ここでその話題が出てくるとは思わなかった。
「まあ、そんなにやり方に違いがあるとは思わないけれど」
こんな入り方をしてから、
「ただ、世の中には特殊な性的倒錯をもった人間がいる。彼らは普通の人間が考えもつかないやり方でしか性的興奮を得られない。たとえばハイヒールで踏みつけられることでしか達することができない青年とか、獣と交わることを喜びとする女性とか」
「ちょっと待って」
と、マリナが慌てた声を上げた。
「そこまで極端な例は求めてないわ。オーソドックスな人のことよ」
「そういうこと? それなら、やり方は似通ってるだろうね。人間の体のつくりはほぼ同じだからね。オーガズムを得るためのテクニック論は、また別だが、そういったテクニック論について知りたいのか?」
「うっ……」
呻いてマリナは俯いてしまった。何か話したいことがあるのだが、それを打ち明けてしまっていいものか、葛藤しているように見える。
オレは誘ってみることにした。
「やっぱりカズヤが下手で悩んでいるんだな」
瞬間、オレをキッと睨んだ。
「違う! たぶん、上手! でも、嫌なの!」
言ってしまってから、彼女はしまったというように、口を手で押さえた。メロンパンを持っている方の手も震えている。
「嫌? 何が?」
マリナは首を横に振った。
「ここまできたら、言っちまえよ」
それでも、マリナは逡巡しているようだった。おそらくこれは、彼女自身のためではないのだろう。和矢の名誉にかかわることに違いないとオレは思った。だからこそ、マリナはここまで打ち明けるのをためらっているのだ。
無理に話させるのは、かわいそうに思えたが、それが今回のオレの来日の目的だ。
「言ってごらん。楽になるから」
オレは優しくいった。
マリナの唇は小刻みに痙攣していた。それからマリナは震える声でいった。
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