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Channel: りんごの木の下で
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愛と別れのカイロス 31

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《ご注意》第一話冒頭の注意事項をよくご確認の上、ご了承いただける方のみ閲覧してください。







ヘリコプターが着陸したのは、ノルマンディ地方の小さな村ジェルブロワ郊外の、鬱蒼と茂る森に囲まれた古めかしい屋敷だった。

「Portez-le tôt !(早く運べ)」

シルヴァンの叫びとともに、シャルルは担架に乗せられて邸内に運び込まれた。マリナも慌ててその後を追った。何度も廊下を曲がり、マリナは必死で走りながら、一体どこまで行くんだと思っていると、長い廊下の突き当たりに突然、銀色のステンレス扉が現れた。白衣姿の一人の医師らしき中年男性とナース帽をつけた一人の看護士らしき女性がすでに待機していて、シャルルの乗った担架を中に招き入れて、バタンと扉を閉ざす。

「シルヴァン、ここ、病院なのっ!?」
「違うよ。没落貴族が投げ出したただの屋敷さ」

シルヴァンははーっと息をつきながら、大きな金の星が入ったタイを緩めて軍服上着のボタンを外す。廊下の壁に身体を投げ出し、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、気怠げに天を仰いで目を閉じた。

「シャルルの指示で、オレが買い取って用意しておいたんだよ。いざって時のための避難所としてね。医師や看護士、それから治療スペースの整備もシャルルの指示さ。こんなにすぐに役に立つとは思わなかったけどね」

投げやりなシルヴァンの口調に、マリナは「ヤブ医者じゃないでしょうね?」と眉をひそめる。「欧州でも十本の指に入ると言われる名医だ」と言われ、慌てて「そっか!」と頷く。さすがはシャルル、用意周到と思った途端に、身体中から力が抜けて、マリナはふらふらと廊下に座り込んだ。

「よかった…!」

これでもう大丈夫。シャルルもきっと助かる! 心からホッとしたマリナは、顔を上げて、これまで気になっていたことをシルヴァンに聞いてみた。

「どうしてカミーユの屋敷にシルヴァンは来たの?」
「空に沢山浮いていたあれは一体なんなの?」
「ルパート達はどうして突然倒れたの?」
「そのルパート達は一体どこに行ったの?」

けれど、シルヴァンの目は開かず、口も真一文字に結ばれたままだった。細く白い顔には並々ならない緊張が漂っていて、それはまるで触れたら切れそうなナイフのようにも、そして今にも泣きだしそうな子供のようにも見えた。そう思った瞬間、マリナはようやく悟った。

―――心配で、心配で、仕方がないんだ……っ!

そんなシルヴァンの気持ちも考えず、質問ばかりを矢継ぎ早にぶつけてしまった自分を心の中で殴りつけておいてから、マリナはそっと彼から視線を外して立ち上がり、銀色の扉の前まで歩いて行った。冷たいステンレスに手を添えて、こつんと額をつける。

「シャルル、がんばって……!」

背後で、くくっとかすかな笑い声がした。

「『がんばれ』? 『死んじまえ』の間違いじゃないの?」

マリナは一瞬、何を言われたか、わからなかった。聞き違いだろうと思って、首をひねりながら考える。「メシ」がドイツ語でとんでもない意味だったみたいに、フランス語で「シンジマエ」って音の単語が何かあるに違いない。

「シルヴァンったら、日本語でお願いするわ、日本語で!」

そう笑いながら顔だけで振り返って、心臓がドキンと跳ねた。

「だから言ってるよ。『死んじまえ』だろってね」

冴え冴えと底が見えないぐらい澄み切ったスカイブルーの瞳が、こちらをまっすぐに見つめていた。シンと静まり返った廊下は何の音もせず、屋敷内に動く人影もない。打ち捨てられ、忘れさられた空気だけが底にたまって、足にまとまりついて来るような重さを滲ませる。

「……どういう意味よ?」
「意味もへったくれもないよ。さすが『ファム・ファタル』だよ、――イケダ・マリナ」

明確に自分にだけ向けられた敵意を感じて、マリナは息をのんだ。

「ファム・ファタルの意味を、あなたは知ってるかい?」
「一生忘れられない、運命を変える人って聞いたけど、違うの?」
「ふふ。それは随分とロマンチックに教えられたもんだね。まあ、少女マンガ家なんてのは、夢だけを食って生きるバクみたいなものだもんね」
「あんた……何が言いたいわけ? はっきり言えば?」

マリナがムッとすると、シルヴァンは壁に背をつけたまま、せせら笑う。

「『ファム・ファタル』が愛の相手だけだって思ってた? ――違うね。『滅ぼす女』だよ。男の運命をねじ曲げ、破滅に追いやる女のことさ。まさしくあなたにぴったりじゃない。シャルルを殺そうとしたあなたにね」

突然の殺人鬼呼ばわりに、マリナはバッと体全体で振り返りシルヴァンに向き直って、「シルヴァン、冗談言わないでちょうだいっ!?」と身構える。

「あたしがいつシャルルを殺そうとしたっていうのっ!? あたしはシャルルを当主に戻したかっただけじゃないのっ!」
「だったら、あなたはどうして僕のアパルトマンを出て行ったわけ?」
「それは……!」

ぐっと唇を噛みしめる。高価なサファイアのように感情のない冷たい視線に晒されると、その理由をハッキリと言いたくない自分を、マリナは感じていた。
計画が順調に進み、シャルルもカークもシルヴァンもみんなが任務をこなしている中、自分だけすることがなかった。放ったらかしのマンガを思い出した。そして何よりも……。
ジルの言葉『仲良くお二人でシャルルを助けるおつもりですか?』
あの言葉が、いつでもマリナの心の奥深くに巣食っていた。和矢を探したい。和矢の元に行きたい。けれど、シャルルにそう言い出してはいけないという気がして、ずっと押さえ込んでいたその思いが、あの時、作戦に必要とされていないという苛立ちと一体となって、後先を考えないまま飛び出してしまったと言えた。

「―――別にあたしがどうしようと、あたしの勝手でしょ?」

マリナは右手で左の肘を掴むと、うつむいて目を閉じる。

「あんたに責められるいわれなんて、どこにもないわ」
「確かにないね。それなら、シャルルだって、当主に戻れってあなたに言われる理由なんてどこにもなかったと思うけど?」

ハッとしてうつむいたまま目を開けると、頭の上からシルヴァンの声が被さって来た。

「あなたはシャルルを当主の戦いにひきずり戻した。それこそがシャルルの幸せだと言ってね。そして一緒にパリに戻って来た。それなら、それに責任を持てよ。別に愛せだの、セックスしろだの言ってるわけじゃない。だけど、アルディが『イケダマリナ』を放っとかないってのは、空港で僕が教えただろう。なのに、一人でパリの街に飛び出して、あろうことか、アルディ本家のある十六区をうろついたあげく、以前関わりのあった、カミーユ・レールミットの屋敷にのこのこ出向くなんて、愚かすぎて、もう言葉も出ないよ。あなたを探してシャルルが来るなんて、考えもしなかったって言うわけ?」

頭の中でピーンと高い音が鳴った。長く長く、高く強く。脳みその隅々まで勝手に撹拌して、考えを混乱させながら、やがて、その音が次第に遠ざかり始める。視界に入る灰色の床が霞んだ。その中で、目の前にはらりとピンクの花びらが落ちて来た。
モザンビークには行かせない。あんたにはルパートと戦って、アルディ家当主に戻ってもらうわ。これはあたしの命令よ。……ね、最高のファム・ファタルでしょ!?』
それは、一面の桜吹雪の中、笑顔で言い募る自分の姿だった。

「――カークからマリナがいなくなったこと、あなたを捜すためにシャルルが飛び出して行ったことを聞いて、僕はすぐに行動を開始した。すんでところで間に合ったからよかったけれど、一歩間違えたら、シャルルは殺されていただろう。けれど、代償は大きい。僕が協力者だってことが、ルパート兄さんにバレた。責任感のないファム・ファタルのせいで、これからが大変なことになるよ」

心底呆れたというようなシルヴァンに、ぼそりとしたつぶやきが返った。

「……それがどうしたってのよ…っ」
「え?」
「何が滅ぼす女よ! ちゃんちゃらおかしい冗談はよしこさんよっ!!」

マリナはガバッと顔を上げると、小さい身体をひっくり返りそうなほど精一杯反らす。

「あのね、あたしは好きでファム・ファタルなんかやってるんじゃないわ! シャルルにとってあたしが愛を捧げる相手だろうが、運命を滅ぼす相手だろうが、正直、知ったことじゃないのよっ。いい、シルヴァン、あんたのそのシャルルキチガイなオタク頭によ~っく叩き込んでおきなさい! 日本では金の切れ目が縁の切れ目って言うのよっ!!」
「は…?」

マリナの猛烈な剣幕に、シルヴァンはわけがわからないというように、目をくりんと丸めてぽかんとする。そんな彼の顔の中心にマリナは人差し指を突きつけた。

「アルディ家当主じゃなくなったシャルルなんて、まさしく金が切れちゃった最たるものじゃないのっ! 金の切れ目が縁の切れ目な日本文化の中で、それなのに、どうしてあたしがシャルルにくっついてると思うの? シャルルが大事だからでしょーよっ! このスカタン!!」
「あ、いや、その……」
「だいたいあたしだって一人の人間だって言うのっ! あんたがシャルルを大事なように、あたしにだって大事にしたい人がいるの。どうしても会いたくなっちゃう人がいるのよ! それぐらい知っとけ、このオタンコナス―――っ!!」

はあはあと肩で息をつくと、マリナは「フンっ!」とシルヴァンに背中を向けた。
完全な責任転嫁だという気がしないでもない。少々後ろめたい思いはある。でも、素直にごめんなさいという気にはなれなかった。『お前はシャルルのファム・ファタルだ。それらしく責任を持て』なんて言われて、はい、そうですね、と言えるほど、そのこと自体を受け入れたつもりもなかったし、これから先も受け入れるつもりもなかった。愛の相手にしろ、滅ぼす女にしろ、シャルルの唯一人の女なんて―――。

しばらく沈黙が広がって、ややして「まいった…!」とシルヴァンが笑い出した。

「マリナ、あなたって新人類だね…っ」

信じられないという口調で言う。

「シャルルさ……あなたを解剖したいとか言ってなかった?」

その通りだと答えると、シルヴァンの笑いは一層高らかに、激しくなった。それがあまりにもいつまでも続くので、退屈したマリナは「もういいわ」と廊下にぺたりと座り込んだ。お腹を抱え、奇麗な顔を歪めて、目を手で覆うまでして笑っているシルヴァンを腹立たしく思いながらも、よかった、と胸でなで下ろす。シルヴァンの顔からさきほどまでの不安げな色が、すっかり消えていたからだ。

―――シャルルの治療が終わったら、ちゃんと謝らなくっちゃね…。

マリナが自分の頭をコツンと小突いた時だった。

「……日仏のハーフで十八歳。国籍は日本。名前は――カズヤ・フランソワ・ローランサン・クロス」

突然シルヴァンが言った。

「ドイツ、バーデン ヴェルデンベルグ州カンダーン村に確かにいるよ」

マリナは驚いて、顔を覆う指の隙間からスカイブルーの瞳を覗かせるシルヴァンを、食い入るように見つめた。








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