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Channel: りんごの木の下で
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愛と別れのカイロス 34

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《ご注意》第一話冒頭の注意事項をよくご確認の上、ご了承いただける方のみ閲覧してください。
■フィクション100%です。実在する団体、組織とは一切関係ありません。








「カンヌ国際映画祭って……なに?」

ベッドに横たわるシャルルは、「……マリナちゃん」とはぁっと深いため息をついてから、片肘をついたしどけない姿勢で、羽毛のような睫毛を持ち上げ、妖艶に笑う。

「ただちに98/100すべてを実行してやろうか?」

ぎょっとしたマリナは慌てて、「いらないっ! 熨斗つけてお返しするわっ!」と叫びながら、手に持ったシーツをシャルルの頭から被せた。リネン交換に来ただけで、鉄拳制裁の100倍返しをされたんじゃたまらない。逃げるが勝ち。そう思って、部屋から飛び出そうとした途端、扉を開けて入って来たシルヴァンに激突した。

「いったぁ……っ!」
「おおっと。ファム・ファタル様じゃないの。相変わらず元気だね。シャルルでも襲ってた?」
「誰がよっ! このシャルルオタクっ!」

シルヴァンはあははと笑いながら、マリナのタオル攻撃を華麗に交わして部屋の中に入ると、ベッドの側まで行く。

「エルネスト叔父さんから情報が入ったよ。ルパート兄さんは捜索をリュカ兄さんに命じたって。でも、リュカ兄さんは慣れてないから、まだパリ市内をうろついてるだけみたい。本当はルパート兄さんは自分でやりたいんだろうけど、ルロウド大統領のアフリカ歴訪に随行する件で、今月いっぱいはフランスにいないらしい。ラッキーだよね」
「そうか。ならば、今のうちだな。もうひとつの方は?」
「準備は整ったよ。いつでもOKだ」

シャルルはシーツを放り投げて頷くと、身体を起こしてヘッドボードにもたれながら、「マリナ」と顔を上げた。

「第二作戦には君の協力が必要だ。力を貸してくれるか?」

いつにない低姿勢なシャルルにマリナはびっくりする。珍しい。これまでは説明なし、参加なし、入室禁止という、透明人間並みの低級な扱いだったのに、打って変わってお願いなんてどういう風の吹き回しだろう。マリナはじっとシャルルの顔を見る。その顔には企みやら冗談やらは感じない。ということは。

「シャルル、あんた、ようやくあたしの価値がわかったのね、偉いわっ! 人間、悔い改めることはいつでもできるのよ。あんたがそのつもりなら、あたしは全力で協力するから、何でも言ってちょうだいっ!」
「そうか、ありがとう」

素直に感謝の意を表すシャルルに、マリナは至極満足した。ああ、何て麗しい協力関係だろう。できれば最初からこれでお願いしたかったと思いながら、感動に浸っていると、シャルルが身体をひねってベッド脇のサイドボードに手を伸ばし、その上に置いてあった一綴じの冊子を取り上げて、ベッドの上にポンと投げた。

「映画を作る。これがその脚本だ。マリナ、君が主役だ」

―――は?

「えいがって……ポップコーン食べながら観る、あの、テレビの大きいヤツ?」
「ポップコーンを食すかどうかは個人の嗜好の問題だな。それと映画はテレビとは違う。映画とは厳密に定義するとスクリーンに投射すること、それから……」
「いや、ちょっと待って! そういうことじゃなくって!!」

慌ててマリナはシャルルのベッドの側に飛んで行った。

「あたしを主役に映画を作るって、一体何の話よっ!?」
「マリナちゃん、君、あの時のルパートの言葉を覚えていないのか?」

そう言われて、マリナは言葉に詰まる。

「あ、あはは、何を言ってたっけ?」

瞬間、シャルルは身体中から力が抜けたようなため息を漏らした。横でシルヴァンがけたたましく笑い出す。

「なによっ! あれから何日経ってると思ってるのよ、三日間よ、三日間っ! 日本ではね、宵越しの記憶は持たないっていうのよっ!」

言った後でなんか違うなと思いながらも、今更引っ込みもつかず胸を張るマリナを、「ほう。日本人は記憶力がないミジンコと同じか、新説だ」と、美女丸と薫が怒り狂いそうな発言をして撃沈させておいてから、シャルルは姿勢を正した。

「話を続けよう。ルパートはこう言ったんだ。『私は歴代のアルディ家当主が誰もなし得なかったことをやってみせる。まずは五月八日、紺碧の海岸で私のために上がる花火を見るがいい』――とね」

ミジンコ呼ばわりですっかりふてくされていたマリナは、つまらなさそうに口を尖らせる。

「そういえばそんなこと言ってたかしら? それがなんだっての?」

途端に、シャルルはむっつりと黙り込んでしまい、マリナが何を言っても返事一つしない。笑いをようやくおさめたシルヴァンが、目の端に滲む涙を拭いながら、「あのね」と取りなすように話し始めた。

「五月八日、紺碧海岸。これはハッキリとあるイベントを指し示しているんだ。我がフランスが世界に誇る映画祭―――カンヌ国際映画祭だよ。まさか、知ってるよね?」

マリナが首をブンブン横に振ると、二人ははぁっとため息をついて「常識なし」と声を揃える。マリナは真っ赤になりながら、ベッドに片足を引っかけて、次郎長のような啖呵ポーズを決めた。

「カンヌ国際映画祭なんて、あたしは見たことも会ったことも食べたことも一回もないわよっ! いい、覚えておきなさいっ。そういうのは、常識じゃなくて、教養というのよっ、教養っ!!」

前にも言ったような台詞だなと思ったマリナは、その後、爆笑と冷凍光線の果てしない拷問に、自分の教養なしをしみじみと後悔することになった。





マリナが腐った柿のように潰れている中、時間が惜しいと思ったのか、シャルルがようやく口を開いた。

「カンヌ国際映画祭は、世界三大映画祭の一つで、その前年に公開された映画のうちから優れた作品を選び、賞を与える権威ある祭典だ。グランプリはパルムドールと呼ばれ、映画に携わる者にとって最高の栄誉とされている。カンヌ国際映画祭は半世紀を迎えるが、そこで今年は特別企画が催されることになっている。特別賞グラン・パルムドールだ」
「後にも先にもこれ一回きり。本当に例外的なスペシャルプランってわけ」

付け足すように言うシルヴァンにちらっと視線を送ってから、シャルルはゆっくりと身体を起こす。

「四十五分以内の短編。未発表未上映。それが規定だ。新人、プロ、アマを問わずに参加できるが、審査があるから事実上のコンクールと言える。最終的に一位に選ばれた者には、カンヌ国際映画祭グラン・パルムドールの称号と、それからその栄光をたたえて紺碧海岸と呼ばれるコートダジュールに花火が打ち上げられることになっている」

そこまで聞いたマリナはハッとした。

「じゃあ、ルパート大佐が私のために花火があがるって言ったのは……?」
「ルパートはこのグラン・パルムドールを獲るつもりなんだ。これを見ろ」

シャルルの指示で、シルヴァンが一冊の雑誌をマリナに手渡した。受け取ってすぐにマリナは驚いた。表紙にルパートの写真が大きく掲載されていたからだ。

「『若きアルディの王者。次はカンヌでアルディ事変を起こすか!?』っ書いてある。ルパート兄さんは軍人あがりってバカにされる時があるから、多分、それでだと思うよ。天才の前当主と裏ではずっと比較されてるしね。一度きりのこの世界的な賞を獲って、権威を高めようとしているんだ」

マリナは雑誌を持つ手が震えて来るのがわかった。ルパートは笑っていた。感情の込もっていない冷たい笑顔。そうだ。この顔だ。あの時もこうして笑っていた。シャルルを銃で撃って、笑いながら見下ろして―――。

「マリナちゃん。君ももうわかっているだろうから言っておくが、もはや猶予はない。カークと他の協力者の動きまではまだ知れていないから、第一作戦はそのまま動いている。だが、事態は一刻を争う。そうでないと……」

そこで言葉を途切れさせたシャルルに、

「―――僕は大丈夫だよ。何てったって軍神マルス様だからね」

シルヴァンはパチンと音がしそうなウインクを返した。

あの一件の時、倒れたルパート達を、意識を失ったまま秘密裏にアルディ家に護送したのだと後でマリナは聞いた。連れてきて閉じ込めてしまえばよかったのにとマリナが言うと、シルヴァンは首を横に振った。シャルルはそんなやり方を好まない。助けるために仕方なくあの作戦を実行しただけだから、シルヴァンはそう言った。「このままルパートを帰したら、あんたが協力者であることがわかってしまうわよ?」と心配するマリナに、シルヴァンは「戦いがいがあるでしょ?」と笑うだけで、それ以上何も言わなかった。
シルヴァンが、シャルル同様マルグリット島送致になったこと。彼が自らの全資産をシャルルの足元に捧げ、シャルルに自分の命運を託したとマリナが知らされたのは、彼がジェルブロワの屋敷に戻った翌日の朝だった。

「いい機会だ。オレの名前を表に挙げ、アルディ家当主の戦いを世間に知らしめる。これが第二作戦だ。シルヴァン、あらゆるマスコミを使って、ぶちあげろ。グラン・パルムドールはシャルル・ドゥ・アルディが獲るとな」

ぐっと拳を握りしめるシャルルの身体中から、力強い決意と誇りが沸き立って、ベッドに座る彼を雄々しく縁取っていた。

「わかった、がんばりましょうっ! ……でも、ちょっと待って! それで、なんで、あたし?」
「オレは今は逃亡の身だ。ここには他に誰もいない。よって君しか撮ることのできる人間はいない。他に質問は?」

理路整然としたシャルルの答えに、マリナはふと思いめぐらせる。そう言えば、いつかテレビで見たような。レッドカーペットを歩く有名人。きらびやかでゴージャスな式典。彩り取りのごちそう。そこでにっこりと笑いながらトロフィーをもらう自分。悪くないかもしれないと思った瞬間、これは映画の祭典だったということを思い出した。大きなスクリーンに自分の巨大な顔が大アップにされるのだと気づき、蒼白になる。ダメだ、何の拷問だろう。ヤコブ・メルシエの方がましだ。

「……あの、やめた方がいいと思うんだけど」
「何でも協力するっていったのは、あれは嘘だったの?」
「ううっ。でもさ、わざわざ言いたくないんだけど、あたしじゃ、獲れる賞も獲れないわよ?」
「そんなことないさ。オレの脚本は完璧だ」

そう言われて、マリナはベッドの上に放り出されていた脚本をおずおずと手に取って最初のページを開いてみた。途端にぎょっとする。

「何よっ、これっ!?」








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