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勲章 あとがき

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はー。。
大変自己満足をしております。はい。
ここまで自分の世界を出せた創作は過去になかったかも。。という自己満足。
いやはや、書くのが楽しかった!
前回の「愛の波、罪の海」は客観的にといいますが、少し引いた視線で取り組んでいたのですが、今回は魂を注ぎ込むように、でもつらつらと書くことができました。

この「勲章」と「愛の波、罪の海」それから昨年書き上げた「不実な夜シリーズ」。
この3作を合わせて、「シャルルの心の闇三部作」と銘打てるかと思っています。
原作のシャルルは、パラドクスラストで「幸せにおなり」とマリナを和矢に返します。あれはかっこいい。しびれます。うん十年経っても忘れられない名シーンです。
そこには、かつて恋した女性を忘れられないから永久量の睡眠薬投薬を指示して、バラの中で冬眠しちゃうという、ちょっとサイコ入った繊細すぎる青少年の姿はどこにも見えません。ああ、シャルル、成長したね。。ーーもっともリアル当時は「冬眠」のあまりの綺麗な描写に(谷口先生の華麗なイラストにも)うっとりしてその怖さに気づいてませんでしたが。

シャルルはシリーズ中でもっとも成長したキャラかも。「好きよ」と言ってくれたマリナの幸せを願って、彼女の心の奥底にある本当の思いを無視することなく、彼女のために身を引くことのできる男になった。。そんなシャルルが大好きです。

ですが!
もし、マリナが和矢とお別れして「やっぱりシャルルが好き」と言ってきたら?

「幸せにおなり」と諦めた心が復活できることになったら?

マリナをひとりじめできるようになったら?

その瞬間こそ、カッコ良かったシャルルに、あの冬眠した頃のような繊細かつ危うい青少年さが戻ってくるのではないのかなー。そして、その場合、彼の「マリナへの愛」は、ちょっとした運命のさじ加減で、普通の人がオイオイと思う方向に簡単に向かうのかもしれないなって思いました。

「勲章」ではそんな彼の心の闇を、「マリナロスへの恐怖」という側面にフォーカスして、「偽物を仕立てちゃう」という行動を通して、これでもかと描いてみました。
シャルルやマリナ、それから美女丸や薫たち。そしてソフィア。
ひとりひとりにとっての勲章とは何だろうか。最後にわたし自身にとっての「勲章」とは何か。
そんな問いをずっと自分の心に問いかけながら創作しました。
主役のソフィ、かわいそうです。はっきり言って、シャルルひどい男です。
んー、でも、ソフィも最初からわかってたんだから、惚れちゃったのが悪いってことになるのかなー? でも毎日シャルルに「愛してる」攻撃をされて、惚れない女なんていないですよね。罪なオトコ(涙)


さて、「私」という一人称と、「シャルル」の三人称の組み合わせは、新鮮で書くのが楽しかったです。日本とパリという2つの場所の交互展開は頭の中がぐちゃぐちゃになりかけましたが(笑)必要な情報をどう効果的に見せるかといった枝葉末節や、美女丸や美馬、薫といった原作キャラたちにどんな風に関わってもらうか、二つの国の時系列の流れなど、いっぱい考えることはあり、私なりによいチャレンジができました。特に会話の中身と、和矢の登場については気をくばりました。
「私」が本物のマリナじゃないというヒントは、第一話からずっと、あちこちにちりばめています。よかったら見つけてください。
その他、不自然なところは多々あるかもしれませんが、素人の文章ですので大目にみてください。


ナイス☆と、それからコメントを下さった皆様、ありがとうございました!
趣味でやっていることとはいえ、反応があるとやっぱり嬉しいものです。創作の力になりました。
このあとは、16万ヒットリクエストに着手する予定です。
ひさびさにテーマソングリクエストです。わくわくしています。長短は未定ですが、今度はハートフルなシャルマリ♡ラブストーリーです。よかったらまたご訪問くださいませ。

それでは、今回もおつきあいありがとうございました。
心より感謝を申し上げつつ。



May blessing of God there be richly! 


2016.11.16
by えりさべつ

【和矢BD創作】「三人の和矢」

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和矢君、Happy Birthday★☆.゜.☆★.゜。★☆。
マリナシリーズ正統ヒーローの生誕祭を
たのしく愉快にお祝いしたいと思います♪
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和矢BD創作「三人の和矢」



オレは、ある朝、目が覚めた。

イメージ 1

すると……。

「なんだよ、これ!?」
「なんだよ、これ!?」
「なんだよ、これ!?」

ベッドに起き上がるオレの目の前には、同じように足元に起き上がったオレの顔が見える。
しかも、視界の端には、壁際に背を持たれるようにしてのけぞっているもう一人のオレまでいるのだ!
これは一体どういうことだ!?

「おまえ、だれだ!?」

オレがたずねると、残りの二人も一斉に叫ぶ。

「おまえ、だれだ!?」
「おまえ、だれだ!?」

見事にシンクロしたその声に、オレは一瞬目の前が真っ白になる。
目を何回か満身の力を込めてぱちくりとしばたいた。

――これは夢だ。きっとそうだ。
オレはまだ寝ているんだ。
昨日、疲れすぎたかな。
大学行って、遅くまでゼミでつめてたのに、そのあとも家に帰ってから、参考書を一冊読破して、気がついたら夜中になっちまってたから、きっと頭がショートしちまったんだ。
寝よう。
そうしたら、きっと夢も覚める。

オレは、布団をつかんでごろんと寝た。
すると、つんつんと布団が変な方向にひっぱられた。
それは足元の方向と、壁際の方向。
まさか……と思って見やると、それぞれの方角にいるオレらしき二人が、一人はベッドを逆さに、一人は壁にすり寄るようにして寝っ転がっていた。

「……おい、うそだろ?」
「……おい、うそだろ?」
「……おい、うそだろ?」

再び、見事なシンクロする声。
オレは胃の中が誰かによってかき回されたような不快感を覚えて、ぐえっと吐きそうになり、仰向けになったまま目を閉じて口を手で押さえた。
――なんだ、これは。
オレはいったいどうなっちまったんだ。
右足を伸ばしてつんつんとすれば、足元にいる人間の存在を確かに感じるし、左足を同じように伸ばせば、やっぱりそこにもうひとりいる。
間違いない。これは夢じゃないんだ。
オレはため息をつきながら起き上がった。

「ちっくしょう…なんなんだよ…っ!」

他の二人も同時に起き上がる。

「ちっくしょう…なんなんだよ…っ!」
「ちっくしょう…なんなんだよ…っ!」

自分と同じ声が三つ聞こえるこの不可思議な現象をなんといっていいのだろうか。
オレは頭を抱え込んだ。
しばしそのままベッドの上でじっとしていて、そーっと腕を解いて顔を上げてみた。

――どうか、消えていてくれ。
オレは祈った。
が、その数秒後、オレの祈りは無残に散った。


……やっぱりいるのだ。オレがあと二人。

「おまえら、誰?」

オレの姿をした二人も同じように言う。

「おまえら、誰?」
「おまえら、誰?」

再びオレはため息を吐く。
聞いてもムダか。
と思った途端、足元のオレが言った。

「聞いてもムダか」

ぎょっとした。
すると、壁際のオレが今度は言った。

「そうだ、ムダなことはやめろよ。おまえいつもマリナにそう言ってるだろ?」

な、な、な……?
あまりのことにオレが声を失っていると、足元のオレがあははと笑った。

「マリナとオレは違うよ」

壁際のオレが口を尖らせる。

「へえ、どう違うんだ?」

足元のオレが答える。

「マリナの良さはオレが一番知ってる。マリナを一番愛してるのはオレだからだ」

途端、壁際のオレが気色ばんで立ちあがった。

「マリナを一番愛してるのはオレだ!」

たちまち足元のオレも立ちあがった。

「ふざけるな、マリナを一番愛してるのは、このオレ、黒須和矢だ!」
「オレが本物の黒須和矢だ! マリナはオレのものだ!」
「オレが本物だ!」

ベッドの上で、おそろいのスカイブルーのパジャマを着たふたりは両手を拳に固めてファイティング態勢!


オレはあっけにとられて、その様子を眺めていたけれど、ややして正気に返って、それから冗談じゃないと思った。
だめだ、これ以上、付き合ってられるか!
オレは慌ててベッドから降りた。
やつらもベッドから降りてくるが、オレは一瞬早く、クローゼットを開けて、一着しかないライダースジャケットを羽織る……

と思ったら!

ライダースジャケットまで、クローゼットのポールに三着かかっているじゃないか!

もしかして、と思ったオレは、着替えをすませて外に出て、案の定、バイクが三台止まっているのを見たときは、さすがに卒倒しそうになった。

――しっかりしろ、オレ。
そうだ、マリナに会いに行こう。
彼女ならオレが本物だってことを証明してくれるはずだ!

「オレも行く!」
「オレが一番早くマリナに会うんだ!」

やつらもエンジンをスタートさせる!
閑静な住宅地の街道を、たちまち三台のバイクでオレ達は並んだ!


くっそ負けるもんかーって、そういう問題じゃない。
マリナ、この状況からオレを助けてくれ、頼む!





next 後編「三人のマリナ」

愛すればこそロマンチック 1

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《ご注意》シャル×マリです。小菅の別れ当日から開始。
16万ヒット記念テーマソング創作(兼)2016マリナBD創作。
リクエスト曲は中島.みゆき『糸』。
15話程度を予定。
++++++++++




愛すればこそロマンチック(1)




1 それはエリナではじまった



な、なんなの、これって……。
三つの約束ですって?
これは夢だわ。
あたしは夢を見ているのよ、きっとそうよ。
あたしの愛しの和矢がこんなことをいうなんて……。
ああ、誰かあたしに夢だって言ってちょうだい!?


そもそものことの起こりは一本の電話。
あたしは小菅でシャルルや美女丸たちと別れたあと、和矢に送ってもらって飯田橋の自分のアパートに帰ってきたのよ。
何ヶ月も留守した挙句に、家賃も滞納したまんまだったから、賃貸契約を切られて家財なんかも売り飛ばされているとか思ってたんだけど、部屋はそのまんまちゃんとあったの。
よかったと思ってほっと息を吐いていると、どうやらそこにはちゃんと手配してくれた人がいたらしい。
「和矢、あんたが家賃払ってくれてたの?」
聞いても和矢は知らんぷり。
でも涼しいその顔は、自分がやりましたと告白しているも同然。
付き合いの長いあたしにはちゃんとわかるのよ。
ほーんと和矢って隠し事が苦手。
まあ、そういうところも含めて好きなんだけどね、うふっ。
それであたしはいつもどおり、自分の部屋でまんがの制作にはじめていたの。
そうしたら、電話がリンリンリンっ!
「あっ、おねえちゃん! やっとでた!」
電話の向こうから聞こえたのは、妹のエリナの声だったの。
あら、久しぶりね。
「エリナ? どうしたの?」
とたんに、電話が割れんばかりの怒鳴り声。
「どうしたのじゃないわよ! 私が何回かけたと思ってるの!? ずっと留守してて心配したんだから!」
うるさいわねっ!
そんなに叫ばないでよ、鼓膜がやぶれるじゃないの。
「ちょっと出かけてたのよ」
「だったら一言言ってから出かけてよ! こっちはもうちょっとで警察に届けようかと思ってたんだからね!」
あたしはおもわず受話器を耳から離して見つめてしまった。
びっくり。
なんで警察なのよ?
受話器を耳に当て直してそれをたずねると、エリナの声はさらにヒートアップした。
「身内が何週間も連絡取れなかったら、普通警察に連絡するでしょうが!」
ふむ、確かにそうだわ。
「まったくもう。心配させて……」
最後は涙声になったエリナにあたしは謝った。
「ごめんね。ありがと、心配してくれて、あたしは元気もりもりてんこもりよ。……で、あんた、何の用なの?」
すると、エリナは突然声のトーンを変えて言ったの。
「私ね、結婚するの。お正月にパリで挙式をするから、参列してね」
なんですって?
結婚!?
あたしはびっくり、どっきり、仰天!!
「いきなり結婚ってどういうこと!? 相手は誰よ!?」
「バイト先で知り合ったフランス人」
なに、フランス人!?
「ちょっと待ってよ、あんたまだ高校生でしょう!? なんでいきなり結婚なのよ!?」
エリナは地元の商業高校に通っている。
小さなころからエリナは手先が器用で、あたしやユリナちゃんが苦手とするようなボタン付けや花の水やりなんかも甲斐甲斐しくやってくれていたんだけど、その中でも、家族のために作っていた料理は、なかなかのものだったのよ。
もちろん家族全員にもいつも賞賛されていて、それでエリナはすっかり料理の楽しさに目覚めたらしく、自ら志願して商業高校に進んだの。
勉強にがつがつするんじゃなくて、高校時代に栄養学を学んで、卒業後にはどこかのレストランに就職して一人前の料理人になるんだって夢をもってね。
もちろん家族はみんな大賛成で、そんなエリナをあたたかく見守っていたの。
あたしが中学の卒業式のあとまんが家になりたいって言ったときは、お父さんもお母さんもユリナちゃんも大反対したのにね、くっそ、この違いはなんだろう。
「あんた、料理人になるって夢はどうするのよ?」
「だって彼、国に帰らなくちゃならなくなったっていうんだもの。離れたくないから。パリのマドレーヌ寺院で一月四日の午前十時に式をあげるわ」
当然だろうと言わんばかりのエリナの口調に、あたしは開いた口がふさがらない。
「お父さんとお母さん、ユリナちゃんは式に行くの?」
「もちろん来ないわよ。みんな大反対だもの。信じられない。私たち、こんなに愛し合ってるのに」
信じられないのはあんたよ!
と叫びたいあたしの耳に響くのは、せかせかしたエリナの声。
「あ、最終アナウンスだわ。私、これから飛行機に乗るの。彼は先にパリに帰っていて、私を空港で出迎えてくれるのよ。おねえちゃんの分は明日9時の便を予約してあるわ。私の友達が成田にいるの。全日空のカウンターにいる飯島ミキって女の子。その子にチケットを預けとくから受け取ってね。ホテルの手配は自分でよろしく。じゃっパリで会いましょう」
言いたいことだけ一方的に言って、エリナはガチャンと電話を切った。
あたしは受話器を眺めてしばしボーゼン。
きゃあ、どうしよう!?
花の都パリ。
タダで行けるとなったら普段のあたしなら大喜びするところなんだけど、喜んでもいらなれない事情がある。
それはシャルル・ドゥ・アルディ!
数日前に永遠のさよなら、すなわちアデュウをしたばかりの、フランスの誇る美しい大天才。
「幸せにおなり」と言ってお別れしてくれた彼の、孤独が輝き立つような笑顔は、いまもありありと思い出せる。
シャルルは一人でアルディの戦いの中へ、つまりパリへ戻って行った。
本当ならあたしも一緒に行くべきところだったんだけど、あたしはやっぱりどうしても和矢が好きだったから、つらく苦しい決断をして、シャルルとはお別れをして日本に残ったのよ。
それなのに、それなのにぃ!
追いかけてきましたといわんばかりに、数時間後にパリに行けるわけないわ!
とは言っても、まだ高校生で、両親にも姉にも反対されて、それでもなお一人で駆け落ち同然で異国で結婚しようとしている妹を放っておけるわけはない。
しばらく部屋の中を冬眠から目覚めたばかりの熊のようにぐるぐると歩き回りながら悩みに悩んで、あたしはようやく一つの決断をしたの。
行こう、行くしかない!
やっぱりたった一人の妹だもの。
あたしがエリナを見守ってやるのよ。
そして相手の男が変な奴だったら、エリナを日本に連れて帰るのよ、そうしよう!
それにしてもうーむ。
フランスから帰ってきたばかり、しかもシャルルとアデュウしたばかりのあたしが、またパリに行くことになっちゃうなんて、神様ってなんていたずら好きなんでしょう!?



……なんて動揺したのは、あたしだけじゃなかったの。
これからパリに行くことになったと電話で言ったら、なんと和矢は一時間であたしのアパートにすっ飛んできた。
横浜から飯田橋まで一時間よっ!?
速さが怖い!
「なんでおまえが行く必要があるんだよ」
和矢は来るなりむすっとした様子で、あたしがすすめた座布団の上であぐらを組んで、膝の上に肘をつき、指で上あごを支えるようにしながらこちらを上目遣いにじっと見つめている。
文句なら、結婚するエリナに言ってちょーだい!
「仕方ないわよ。可愛い妹だし」
「本当に妹のためか? シャルルに会いに行きたいんじゃないのか?」
明らかに疑っているという感じの和矢に、あたしはちょっとムッとした。
なによ、疑われる覚えはないわ。
あたしは清廉潔白、無実純粋よ!
「あんたねぇ。あたしとシャルルはアデュウしたでしょう。あんたの前ではっきりくっきりきっぱりと! あんたも見たでしょうよ!?」
「確かに見たけど」
和矢はますます顔をしかめつらせて、すねた子供のように口を尖らせる。
「その数時間後にパリに行きますって言われて、普通はやっぱりシャルルに未練があるんだって思うだろ」
だーかーら、それはあたしの希望じゃないってば!
「行くなっていうの?」
「そうは言わないけど……」
「じゃあ、行ってもいいのね?」
和矢はしばし目をそらして考え込む様子を見せていて、やがて目線をあたしにきらっと向けた。
「約束してくれ」
は?
何の約束?
「三つの約束だ。一つ目。シャルルに会わない」
なんだ、そんなこと。
あたしはウンウンと頷いた。
それならおやすい御用よ、もちろん約束するわ!
シャルルは例の剣を取り戻すだとか、政治工作の揉み消しだとかできっと忙しいし、もちろんあたしもわざわざ彼に会いに行く気なんてないわ。
だってアデュウしたんだもの……。
「二つ目の約束は、思い出の場所には行かない」
「どういう意味?」
「ルーブル美術館をはじめ、ロワールとか、シャルルと過ごした思い出の場所がいっぱいフランスにはあるだろう。そういう場所には近づかないでくれ。それを約束してほしい。もちろんアルディ家のある16区も禁止だ」
げ。
ということはパリの地図にシャルル印でもつけて、地雷みたいにそれを踏まないように行動しろってこと?
やだわ、なんだかとっても窮屈。
「三つ目の約束は、シャルルのことを一切考えない」
はっきりと提示されたその条件に、あたしは正直とてもむかっとした。
シャルルとの思い出の場所に行かないように気をつけながら、シャルルを思い出すなって、注文が矛盾してるわ、無茶苦茶すぎるわよっ!
それに、シャルルとは今朝まで一緒に逃避行していたのよ。
ミシェルとルパートに追われながら命をかけた大逃亡を繰り広げて、シャルルは大怪我を負うわ、拷問されるわ、空から飛び降りるわの、ジャッキーチェンだって真っ青なアドベンチャーな日々で、それがあの小菅でなんだかよくわかんないけど、例の剣についてミシェルが失策したからって、もう一度シャルルにも戦いのチャンスが与えられることになったばかりなのよ!
当然、シャルルが心配だわよ、当たり前じゃないの。
それを一切考えるなっていうのは、あまりにひどいわ!
「あんた、心配しすぎよ。そんなにあたしって信用ない?」
あたしがちょっとにらんでたずねると、和矢はきっぱりと答えた。
「ない」
うわーんっ!
ひどいわ、あんたが好きってあんなにはっきり言ったのに!
ちっともあたしを信じてくれてない。
こんな和矢は和矢じゃない。
あたしの好きな和矢は、もっと心のひろい優しい人よ。
シャルルのことだって、シャルルが一緒に連れて行った薫と兄上のことだって心配して、そして彼らがどうなったのか見てきてくれっていうぐらい海のように心のひろーい人よ。
そうよ、あたしが好きになったのは、そういう和矢だわ。
こんなの和矢じゃない!
これは夢だわ、悪夢なんだわ!
ああ、あたしの恋ってやっぱりうまくいかない運命なのかしらねぇ。
海千山千、いろいろな試練をこえて、やっと恋を結ばせて和矢としあわせになろうとしてたのに、かなしいな……。
「ごめん、マリナ」
和矢は辛そうに再び顔を背けた。
「これはオレ自身の問題なんだ。わかってる。だけど、おまえがあいつのいる街に行くと思ったら……それだけで叫びだしそうに不安なんだ。だから、おまえを縛りつけるようなこんなことを言って……最低だな、オレ」
その顔を見ていたら、あたしは胸が痛くなってきた。
和矢の気持ちがひしひしと伝わってきたの。
和矢はきっと、あたしの気持ちが本当に信じられないわけじゃない。
ただあまりにも離れていた時間と距離が長すぎて、そしてそれをお互いに分かち合う暇もないままに今度のパリ行きが決まっちゃったから、和矢は混乱しちゃったんだ。
わかるわ。
あたしだって、和矢と別れてシャルルと恋を始めなきゃって思ったとき、かなり混乱したもの。
それで和矢にお別れの手紙を書いたりしたけど、あたしは本気で和矢を好きだったのかしら、もしかしたら恋に恋していただけだったんじゃないかしらって、自分が情けなくなったりもした。
もしかしたら、和矢も同じような気持ちなのかもしれない。
自分の恋を信じたくて、でも、信じられないような状況ばっかり続いちゃって、苦しんでいる。
なら、あたしにできることは、彼を安心させてあげることだ。
あたしは彼のそばに膝をついて、赤ちゃんに語りかけるよう優しく言ったの。
「わかった。約束するわ。シャルルに会わない。思い出の場所にも行かない。シャルルのことも考えない」
和矢は長い前髪を揺らせて顔を上げた。
「いいんだ。ごめん、無理言って。オレがいま言ったことは忘れてくれ。心置きなくパリに行ってこいよ」
そう言って無理やり振り絞ったような笑顔を浮かべる和矢を見ていて、あたしは一つの名案を思いついた。
「ねえ和矢。こういうことでどう? 三つの約束、あたし、守るようにするわ。でも、もし破りそうになっちゃったら、和矢の名前を三回つぶやくことにする。和矢和矢和矢って。そうしたらきっと心があんたのことでいっぱいになって、ほかのことなんて忘れちまうと思うもの。いい案でしょ。どう?」
苦しげだった和矢の黒い瞳に、ぐっと力が湧いたように見えた。
「……そんなこと、本当にいいのか?」
「うん。だって、あたしは和矢だけが好きだから」
和矢はたまらないといったように目をぎゅっとつぶった。それから手をのばして、あたしの右手をとって、ぎゅーっと強く握りしめた。
「すぐに帰るわ。エリナの様子を確かめたらね。そうしたら、ゆっくりと話しましょう。離れていたあたしたちの間を埋めていこうね」
和矢は頷いた。自分自身に言い聞かせるように強く三度。
「待ってる」



翌日、あたしはいつものポシェットにパンツ3枚を入れて、成田空港に向かった。
結婚式に出席するのにふさわしい衣装はもともと持ってない。
いいわ、向こうでエリナに用意させよう。
成田でエリナの友達だという飯島ミキさんをたずねると、彼女は『出来る女』というイメージがぴったりのとても素敵な女性だった。
「急でびっくりしました。エリナらしいですよね~」
と言い、チケットを渡してくれる。
仕事中にチケットを預かるなんて、さぞ迷惑だっただろうとあたしが恐縮していると、彼女は「いえいえ」と笑った。
「エリナに頼まれたら断れませんから。私はエリナのバイトしているカフェに、たまにコーヒーを飲みに行っていて、それで友達になったんです。エリナって本当にかわいい子ですよね。天使みたいに純粋で」
ああ、これまでの人生で何度聞いただろう、エリナへの賛辞。
小さいころからあたしとエリナが並んでいても、「かわいいわね」と声をかけられるのはエリナばっかり。
もちろん本人もそれをちゃーんとわかってて、大きな潤んだ目でじーっと上目遣いに大人たちを見つめて「お願い」なんていうものだから、たいていの人はそれでイチコロ。
それでエリナは得してきた。
ご近所からのいただきもののお菓子はエリナの方がたくさんもらえたし、エリナのやったいたずらは全部あたしのせいにされたり。
あーいうのはね、天使じゃなく小悪魔っていうのよ。
あたしのほうが心根はやさしくて純粋なのに、本当に世の中って不公平だわ。
飯島ミキさんはそのあともさんざんエリナを褒めてくれて、この人こそ天使じゃないかと思われる心の優しい彼女にあたしは丁寧にお礼を言って別れてから、飛行機に乗った。
ひさびさのエコノミークラスは、とってもつまらなかった。
この際、座席が狭いとか、毛布が貧弱とか、そんなことはどうでもいい。
一番大事なことはやっぱりお腹の問題よ、つまり、食事がまずいのよ!
レトルトパックの宇宙食みたいなご飯ばっかりだし、おやつはビスケットとかキャンディとかで、ちっともこころときめかない。
前回も、その前も、アルディ家や響谷家の手配でパリに行ったものだから、ああ、あたしもすっかり慣れちまったのね、ファーストクラスに。
出されたものを残すような罰当たりなことはしないけどね。
とにかく寝よう。
眠っちまえばファーストクラスだろうがエコノミーだろうが関係ないもの。
そしてさっさとエリナの結婚を見届けて、日本に帰って、和矢と楽しくしあわせな恋をはじめるのよ。
ということで、おやすみ、ぐう!







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【和矢BD創作後編】「三人のマリナ」

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和矢BD創作後編「三人のマリナ」




飯田橋にバイクがついた!
オレはマリナのアパートのまえで、エンジンを止め、キーを抜き取ってライダースジャケットのポッケに入れて、お気に入りの漆黒のフルフェイスヘルメットを脱いだ。
額に汗がびっしりと張り付いているのがわかる。
――マリナ、頼む、いてくれ!

と思ったその時。

キキーーーッ!

二つの全く同じブレーキ音がして、オレのバイクの隣に、オレのと同じバイクが2台白煙を立てて止まった。
同じライダースジャケット。
同じフルフェイスヘルメット
それは、朝起きた時からいる、あと二人のオレだった。

「マリナ、来たぜ!」
「オレが先に会うんだ!」

叫ぶように言いながら、やつらもおそろいのヘルメットを脱ぐ。

……くっそ、まいたと思ったのに。

自宅を3台並んで出たあと、第三京浜から首都高に入るまでの間に、オレはちょっとだけ自慢の運転テクニックを駆使して、他の二人のヤツらのバイクを引き離したのだ!


――はずだったのに。

どうして、たった五秒ほどで、こいつら、ここに来てるんだよ?

「オレの自慢の運転テクニックに、おまえらはかなわないさ」

二人目のオレが人差し指を立てて言った。
オレがぎょっとすると、三人目のオレがからから笑った。

「バカ言うな。一番テクニックがうまいのはオレだ!」
「いいや、オレだ! この偽物め!」
「偽物はおまえだ。オレこそ本物だ!」

また本物論争がはじまった。
――やめてくれ!
こいつらは絶対オレじゃない。
少なくとも、オレは公衆の面前で『オレが本物だ!』と叫ぶような恥知らずじゃない!
そうさ、オレはマリナにだけ本物だと認めてもらえばそれでいい。

オレはたまらなくなって、二人を残して、マリナのアパートの階段をかけあがった。
マリナ、たすけてくれ!
やつらもすぐさま追いかけてきた!
すっかりオレは後ろから二人の悪魔に追いかけられている気分になって、狂ったようにマリナの部屋のドアをドンドンとノックした。

「マリナ、出てきてくれ! 頼む!」

オレのとなりにやってきたヤツらも、同じように同じ声で、部屋に向かって呼びかける。

「マリナ、オレだよ、和矢」
「いるんだろ、開けてくれよ」

うるさい、黙ってろ!
オレが思わずそばの二人に蹴りを入れた瞬間、ドアが開いた。

「和矢、どうしたの?」

明るいマリナの声――ああ、救われた!

「マリナ! オレ、なんだかおかしくってさ。オレがあと二人いるように見えるんだ。それでおまえにこのオレが本物だと証明してもらおうと思って……!」

そう言った途端、オレは息を呑んだ。
いや、正確に言うと、息が止まったのだ。

「和矢、どうしたの?」
「和矢、どうしたの?」

ドアの向こう、見慣れたマリナの部屋の中には、なんと、あと二人マリナが!!
二人目のマリナはドアの横のキッチンシンクで茶碗を洗っていて、三人目のマリナは用を足していたのだろうか、トイレの前で洋服の乱れを取り繕っている。
な、な、な……!

「あら、あんたも三人になっちゃってたの?」
「あら、あんたも三人になっちゃってたの?」
「あら、あんたも三人になっちゃってたの?」

マリナはたいしたことじゃないという様子で、笑っている。
なんでそんな風に笑ってられるんだ!?

「とりあえず、あがりなさいよ」

すると、二人目のマリナが言った。

「そうよ、ほら、そっちの和矢も」

三人目のマリナも言った。

「奥の和矢も。みんな入っちゃってよ」

他の二人のオレ達は、「さんきゅ」と言って喜んで入っていく。
まて、オレも!
そうして、マリナの狭い部屋に、オレが三人、マリナが三人という、世にも不思議かつ非常に奇妙な状況が生まれた。

「はい、お茶」
「そっちの和矢も」
「奥の和矢にも渡して」

……なんなんだ、これは。
狭苦しいし、だいたい、異常すぎる。
他の二人のオレはニコニコして茶を飲んでいるし、三人のマリナもいたって普通にしているが、断固オレは戦うぞ。
オレは一人だし、マリナも一人だ!

オレは心を決めて、この事態を解決すべく、立ち上がろうとした!

その瞬間だった。

二人目のオレが、さきほどシンクで茶碗を洗っていた二人目のマリナのそばに行き、突然腕に抱きしめたのだ!

「マリナ、オレ。おまえが好きだ!」
「和矢、あたしも」

そう言いながら、二人はちゅっちゅとキスをはじめる!
おい、よせ。人前でやめろ。
と思っていると、視界の端で、三人目のオレと三人目のマリナが、やっぱり手を取り合って、唇を合わせているではないか!
なんだ、こいつら。
恥も外聞もないのか。
やめろ、マリナとオレ。
いや、オレじゃない、あんな破廉恥なヤツは絶対オレじゃないし、ほおを赤く染めてうっとりとしたマリナのあんなかわいい甘い声は聞いたことがないから、あれは決してマリナじゃない。
だから、あれは断じてオレとマリナじゃないんだーーーっ!

「くす。和矢、キスしすぎ……」

二人目のマリナがキスの合間に言うと、二人目のオレが微笑みながら答える。

「100万回の約束だろ。まだ全然足りないよ」

なんだ、そのくさいセリフはーーーーっ!
ぜぇったいオレじゃない。
あんなヤツは天地神明に誓ってオレじゃないんだ!
あせるオレをよそに、ふた組のマリナとオレは、ラブシーンを繰り広げていく。
ダメだ、とても正視できない。
帰ろう!
そう思って、オレが部屋から出て行こうと思った時だった。

「あたしも一緒に行っていい?」

ぽかんとしていた一人目のマリナが、オレのライダースジャケットの袖をつかんでいた。

「ああ、いいけど」
「よかった。なんか、はずかしくなっちゃって……。どっちもあたしとあんたなんだけど、ラブシーンを見るのって、さすが照れるわよね。なんか食べに行こ!」

てへ、と困ったように笑う。
それを見ていて、オレの心のボルテージは一気に急上昇!
そうだ、これこそマリナだ。
普段はがさつで、大食らいで、品性のかけらもないくせに、こと恋愛になると、引っ込み思案で奥手で、恥ずかしがり屋で……
でも、誰よりもかわいい、オレにとってはたった一人の女の子。
と思った瞬間、オレはその、一人目のマリナをちからいっぱい抱きしめていた。

「か、かずや……?」

突然のオレの行為にうろたえたように顔を上げるマリナに、オレは言う。

「マリナが好きだ。たとえオレが100人になろうが、おまえが100人になろうが、この思いはただひとつだ。一生変わらない。オレはおまえを愛してる」
「和矢……っ!」

マリナが感極まったように声を震わせた。
オレはそっと彼女の体を離して、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
ゆっくりと、思いを込めて。


――あ……っ」

マリナの小さな叫びに、オレはうっすらと目を開けた。
二人で部屋の中を見ると、消えていたのだ。
あと二人のオレと、マリナが。

「一体どういうこと?」

オレ達は顔を見合った。
そしていっせいにくすくす笑い出した。
さきほどまで重なっていた唇が、ほんのりとまだあたたかい。
そこにオレは意味があるんじゃないかと、思った。

「もしかして、マリナと先に進みたかったのに、怖気づいてたオレのために来てくれたのかもな」
「へえ、あんた、怖気づいてたの?」

そうだ――オレは恐れていたのだ。
『朝まで一緒に過ごそう』と誘って『明日ね』と交わされたあの時のことがすっかりトラウマになり(詳細は『アンテロス』を参照してくれっ)、朝までどころか、キスも、手をにぎることすら、すっかり及び腰になっていたのだ!

「わ、わるかったな! そうだよ、ビビってたんだよ!」

ほおが染まるのを感じながらオレが悔しまぎれに叫ぶと、マリナがにやりと笑った。

「じゃあ、次のステップに進むためには、10人ぐらいのあたしとあんたが来るかもよ? で、目の前でおっぱじめてくれたりして。濃厚なラブシーン。あんた得意のくさいセリフ付きで」

げ。
その光景を想像して、オレは祈った。
神か仏か、それとも悪魔か。
いったい何者に祈ればいいのか皆目かわからないけれど、魂を注ぎだすように心から。
それだけは、本当に勘弁してください……っ。






《Fin》

愛すればこそロマンチック 2

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愛すればこそロマンチック(2)



2 びっくりおどろき花婿の失踪



そうしてパリについたあたしを空港で待っていたのは、エリナ本人だった。
「おねえちゃん!」
雑踏をかき分けるようにして、まるで感動のご対面のように、出口すぐのところでわぁっと泣きついてこられて、あたしはびっくり。
「彼が、ピエールが行方不明なの!」
あんたの結婚相手のフランス人が?
どういうこと、と聞くと、エリナは泣きながら状況を説明した。
「私がここに着いたら、彼の姿がどこにもないの。待ってるって約束したのに。絶対おかしいわ。彼は私を一人にするようなことはしないもの。だから、私、彼の家に連絡したの。電話番号は教えてもらってたから」
うんうん。
「それで?」
「なんかお手伝いさんっぽい中年女性の声がしたんだけど、よく考えたら、私、フランス語は話せなかったの! 仕方がないから日本語で聞いたらガチャンって電話は切られちゃったの。どうしよう、おねえちゃん。彼がどこに行ったのか、わからないわ!」
と激しくなきじゃくる妹。
あたしは呆れ果てて頭を抱えてしまった。
ああ、このアホなDNAは一体どこから生じたんだろう。
あたしと同じ親から生まれたとは思えない。
片言のフランス語すら話せなくて、それでよくもまあいけしゃあしゃあとパリで結婚しようと思ったわね、このおばかちん!
「住所は聞いてないの?」
知らないとエリナはしゃくりを上げながら答えた。
「ピエールっていう名前と、23歳って年齢しか知らないわ」
最悪だわ。
エリナってばやっぱり騙されてたのよ。
ただの暇つぶしか、はたまた新手の結婚詐欺か。
うーむ、だけど正直にそれをエリナに告げていいのだろうか。
真実に耐えきれなくて、エリナが狂っちゃっても困るし。
正直に伝えるべきか、それともここは黙って一緒に泣くべきか。
心根がやさしくて純粋なあたしが妹のために一生懸命に悩んでいる間にも、騙されたその張本人であるエリナはひんひんと声を立てて泣き続け、次第に周囲の好奇の視線が集まってなんだかまるであたしがエリナを泣かせているような雰囲気になってしまい、焦ったあたしはエリナの肩を抱いてロビーの隅っこに移動した。
「あんた、それからずっとここで待ってたの?」
エリナはコクンと頷いてから、あたしを見つめた。
涙いっぱいにためた大きな瞳で。
「お願い、おねえちゃん。彼を探して!」
出たわね、必殺エリナの上目遣い!
あたしは正視しないように顔をそむけようとしたんだけど、エリナはぐいっと前に足を踏み出して、是が非でもあたしの視界に入ろうとする。
やむなくあたしはエリナの顔に目をやって、エリナのほおがぷっくりと真っ赤に腫れあがっていることにはっと気づいたの。
この子はどれぐらい長い間、ひとりでここで泣いてたんだろう。
いつもはきちんと整えている髪はすっかり肩のカールが落ちて、お化粧もはげたままになっている。
う~~~~~かわいそう。
いくらエリナが小悪魔でも、これはさすがに心が傷むっ!
「ねぇ、もう日本に帰らない? 彼もそのうちきっと連絡してくるわよ」
エリナは涙を飛ばすように、顔を勢いよく左右に振った。
「いや! ピエールを探す! あたし、パリで彼と結婚するの! 何があろうと一月四日にマドレーヌ寺院でピエールと結婚式するんだから!」
あたしはため息をついた。
そうだった、エリナは強情なのよ。
昔、お母さんに漢字の書き順が違うって叱られたとき、絶対自分の方が正しいって主張して納屋に閉じこもってそれから三日間出てこようとしなかったっけ。
一度思い込んだら引かないのよ、自分が間違ってたとわかったらなおさら意地になるタイプね、はっきり言って始末が悪い。
こういうタイプは首に縄つけて連行しても、大騒ぎしてあとが大変になるのよ。
本人が納得しないと、事は収まらない。
かといって、この広いフランスでピエールという彼を探すといっても……。
考えたあたしの頭の中に、瞬時に一人の青年の顔が思い浮かんだの。
シャルル・ドゥ・アルディ!
彼なら、絶対ピエールを探し出してくれるわ。
と思った瞬間、あたしは思い出したの、和矢との約束。
『三つ目の約束は、シャルルのことを一切考えない』
きゃあ、パリ到着一時間もしないうちに三つの約束のうちの一つをもう破っちゃった!
あたしは慌ててつぶやいた。
「和矢、和矢、和矢……」
ああ、とってもいい感じ。
頭からシャルルがすーっと消えていく気がするわ。
「? おねえちゃん?」
いぶかしそうにするエリナをよそにあたしは無事和矢コールを終えて、頭の中を切り替えたのよ。
そうして浮かび上がってきたのは、頼もしい浅黒い顔。
カーク・フランシス・ルーカス。
つい先日まで一緒に政治工作の案件を捜査していた刑事。
死刑になる兄上との約束のために、彼との共同捜査は途中で切り上げちゃったけど、そうよ、彼ならきっと助けてくれるわ。
警察官だし、とっても優しいし、真面目だし、そして何より日本語が話せる。
カーク以外に今のあたしたちを助けてくれる救世主はいない。
あたしはその案に大いに満足して、泣きの涙にくれるエリナににっこり笑って言った。
「あたし、フランスの警察に知り合いがいるのよ。その人に相談してみましょう」



その直後、あたしは妹と同じDNAを持っていることを、いやというほど噛み締めるはめになった。
乗ってきた全日空のカウンターで、日本人スタッフらしき人を見つけて、番号案内のダイヤルを教えてもらったまではよかったんだけど、番号案内の交換手は当然のことながらフランス語。
「アロー?」という言葉の後、立て板に水のごとく一気にフランス語でまくしたてられてあたしは沈黙。
くっそ、あたしもおばかちんだったのね、さすが姉妹だわ、血は争えない。
と悲嘆に暮れる間もなく、あたしははたと一つのことに気づいたのよ。
カークの現在の居所なんてぜーんぜん知らなかったっ!
政治工作の捜査で一緒に行動していたときは、どこかの貴族の屋敷を根城にしてたけど、そこの住所なんてまるでわかんないし、しかもそこに今もずっと彼が止まっている保証なんてまったくない。
確かボイエとかいう警部さんと一緒だった気がするけど……。
「とにかくポリスよ、ポリス! ポリスのカーク・フランシス・ルーカスにつないで! ポリス、ルーカス、ポリス、ポリス!」
空港の公衆電話で、ポリスとルーカスをひたすら受話器に向かって連呼していたら、トントントンと背後から肩を叩かれた。
「何よ!? あたしは忙しいのよ!?」
振り向くと、そこにはアーノルドシュワルツェネッガーも泣いて逃げ出しそうな体格の警官の姿!
「プイ ヂュ ヴ ゼデー?」 
小さいけれど鋭い目で、ぎろり、と睨まれて、
「お、お、おねえちゃーん……」
エリナが情けない声であたしの腕を引っ張るけど、待ってよ。
こ、これはカークのことを聞くチャンスじゃない?
「ポリス! ポリスのカーク・フランシス・ルーカス刑事に会いたいの! お願い、彼のところに連れて行ってちょうだい! プリーズ、ポリス!」
期待に満ちあふれてあたしが言うと、そのむくつけき警官はじーっとあたしを見つめて、それから耳にかけていたイヤホンみたいな無線機に向かって何かを早口で話してから、あたしに右手の人差し指でちょいちょいとついて来いという仕草をした。
やったわ!
「エリナ、行くわよ!」
「えー……、大丈夫なの?」
不安そうに体をすくめるエリナを安心させるべく、あたしは首を大きく縦に振って頷いてみせた。
「もちろんよ。きっとこれからカークのところに案内してくれるんだわ。あんたは知らないでしょうけど、フランスの警察ってけっこう親切なのよ」
あたしは意気揚々とエリナの手をとって、警官の後について行ったの。
すると、周りにいた観光客たちが一斉に波が引くようにあとずさったのよ。
なんだろう?
と思った途端、その中にいた日本人らしきビジネスマンたちのささやきが耳に飛び込んできたのよ。
「指名手配犯が警察に自首したんだって。それにしてもずいぶん迫力のない二人組だな」
うそでしょ!
なんでそういうことになるの!?
焦ったあたしがエリナの手をとってにげようとしたら、その途端、例の警官があたしたちの首根っこをつかまえて、あたしたちはあっという間にご用!
わーん、ちがうわ、誤解よ!
あたしたちは日本の善良な姉妹よ!
ただカークに会いたかっただけなのよ、放してよ!



通訳待ちやら身元照会やらで、あたしたちが無罪放免されるまで、たっぷりと二時間はかかった。
罪のない姉妹を疑うなんて、ほんとフランスの警察って、低能っ!
せめてカークのところに連れて行ってくれたら許してやったのに、日本語のできる通訳がやっと来たと思ったら、それはできないっていうのよ。
なんでよ!?
「個人情報の秘匿の観点から、どの警察官がどの警察署にいるか、お教えできないんですよ」
役立たず!
貴重なあたしの二時間を返せ!
むかむかしながら、あたしはエリナの腕をつかんで、空港警察事務所から出たのよ。
さて、これからどうしよう?
外を見ると、ガラス張りの向こうの空はすでにどっぷりと暗く、オレンジやら白やらのライトが煌々と照っていて、しみじみと夜になっていることがわかった。
時計を見ると、もう少しで午後五時になるところ。
あたしは気持ちを切り替えて、言った。
「とりあえずホテルに行きましょうか? ホテルはどこ? パリ市内なんでしょ?」
ところがどっこい、エリナのやつは首を横に振ってこう答えたのよ。
「ホテルなんて予約してないわ。だってピエールの家に行くつもりだったから」
なんですって?
「ひとまずおねえちゃんのホテルに行きましょうよ。どこ?」
「あたしだって、あんたのホテルに行こうと思ってたのよ!」
あたしとエリナはお互いの顔を見合った。
ああ、やっぱり姉妹ね、似てるわ、この計画性のなさ。
「とにかく街にでましょう! ホテルを探すのよ!」
そうしてあたしは空港で日本語の観光案内パンフレットをもらい、エリナをつれて、パリの街へ出て、早速ホテル探しをしたの。
でも、行けども行けども、どこのホテルのフロントマンも冷たく首を横に振るばかりで、いくらパリが観光都市だからってこんなにホテルが満室なのはおかしいと思っていたら、その理由を、最後にたずねたホテルにいた日本人フロントマンからようやく聞くことができたの。
「お客様。今日は大晦日でして、当ホテルもですが、おそらくパリ中のホテルが満室だと思います」
そうだ、大晦日!
すっかり忘れてたわ。
「というわけで、お引き取りください」
明らかに迷惑そうにしっしっと追い払われて、あたしたちはすごすごとホテルを出たの。
「おねえちゃーん、これからどうするの?」
北極だってこんなに寒くないだろうと思うような冷たい風が吹くセーヌの川沿いをとぼとぼと歩きながら、エリナが心細そうな顔で聞いてくる。
まさかこのままセーヌの河岸で年越しするわけにもいかない。
今でもこんなに寒いのに、このまま夜中になったら絶対凍死よ。
凍死って死んですぐの凍ってるときはきれいかもしれないけど、夜が明けて解凍されたらぐずぐずに崩れちゃうだけよ、うう、グロテスク。
グロはきらい、できれば新鮮なまま長生きしたい。
こうなったら……仕方がないわ。
「ごめんね、ゆるしてね。和矢、和矢、和矢……」
「またそれ? なんの呪文?」
えーい、うるさい。
誰のおかげでこんな目にあってると思ってるのよ。
あまりの寒さで勝手に落ちてくる鼻水をすすりながら、あたしはエリナの腕をむんずとつかんだ。
「黙ってついてきなさい!」







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愛すればこそロマンチック 3

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《ご注意》シャル×マリです。小菅の別れ当日から開始。
16万ヒット記念テーマソング創作(兼)2016マリナBD創作。
15話程度を予定。
++++++++++




愛すればこそロマンチック(3)




3 迷宮で発見、謎のメッセージカード



それからすぐあたしは閉館直前だったルーブル美術館に行って、昔和矢に教えてもらった秘密の扉から、まっくらな地下にエリナと二人で忍び込んだ。
肌にまとわりついてくるような暗黒に、美術館に入る前に買ったライターのたよりない光だけを頼りに、足音を立てないように気をつけて階段を下りた。

「おねえちゃーん……ここ、本当に大丈夫なの……?」

エリナはあたしの背中にすがるようにして、おっかなびっくりという感じでついてきていた。

「しっ! しずかにっ!」

吸い込むだけで肺が重くなるような沈鬱な匂いと陰気ななまぬるさがどんどん強くなる。
あたしはエリナの片手を強く握りしめて、一歩ずつ確実に踏みしめながら深いところへと下っていった。
最後の一段をおりた時、天井の影が重みをなくし、ライターの明かりがふわりと広がって、石積みで取り囲まれただたっぴろい空間に出たことがわかった。
あたしがすぐにかつて使ったのと同じ、三本立ての燭台を見つけてそれに火を灯すと、空間全体を照らす光が強くなり、石棺や腕がかけた女神像、動物像や年代物の家具など、周囲の状況がはっきりと照らし出されて、エリナはそれでようやくひと心地がついたようにつぶやいた。

「……おねえちゃんって、地球が滅びても生き残ってる気がするわ」

あたしはエリナの頭をゴインとぶった。
人をゴキブリみたいに言うんじゃない!
エリナは恨めしそうに頭をさすりながら、あたしを睨んだ。

「いったぁ……。だって、こんなところに忍び込むんだもの」
「ここは和矢に教えてもらったのよ」
「和矢? それって呪文のなまえね。おねえちゃんの恋人?」

そうよ、和矢は世界一素敵なあたしの恋人。
ごめんね、和矢。

『二つ目の約束は、思い出の場所には行かない』

あんたとの約束はもちろん覚えてるわよ。
でも、ここ以外に泊まれる場所が思いつかなかったの。
三つの約束のうち、二つ目もあっさりと破ってしまったあたしをどうかひろーい心でゆるしてちょうーだい!
カミーユの家にしようかなと思ったんだけど、あそこはあまりにもシャルルとの思い出が強すぎる気がしたのよ、この細やかな気遣いをどうかわかってほしい。

「ここ、見つからない?」

まだ不安が隠しきれないといった様子でたずねてくるエリナに、あたしは石棺の前に置いてあったほこりっぽいソファの座面を手で払いながら「大丈夫よ」と答えた。

「万が一物音がしたら逃げるのよ。この地下は迷宮みたいになってるから、とにかく走って追手をまけば捕まらないわ」
「私とおねえちゃんの足で?」

火星に向けて走っていけと命令されたのと同じだと言わんばかりの口調でつぶやかれて、あたしは、エリナもあたしと負けず劣らずの超鈍足だったことを思い出したのよ。
う……どうしよう、逃げ切れる自信があんまりない!

「ま、いっか。どうにかなるでしょ」

そう言いながらエリナはバックから花柄模様のハンカチを取り出すと、あたしが払ったソファの座面に敷いて、こわごわといった様子でそこに腰を下ろした。
とにもかくにも落ち着くところができたことに安心して、あたしは買ってきたビニール袋からジュースのペットボトルを出して、一本をエリナに渡しながらたずねた。

「ところでエリナ。あんたの彼のピエールってどんな人なの?」

エリナはペットボトルのキャップをきゅっとひねりながらあたしを見た。

「ピエール? 一言で表すと、いわゆるオタクね」

オ、オタクぅ?

「彼、アニメが好きなの。それで日本に来たのよ」

じゃあ、あんたの結婚相手ってアニメオタクなの!?

「びっくりしたわぁ……。エリナって、幼稚園の頃からかっこいい男の子としか仲良くしなかったけど、最近は好みがかわったのね?」

途端、エリナは飲んでいたペットボトルを、ジュースの水滴が洋服にはねるぐらいの勢いで膝に下ろした。

「失礼ね! ピエールはかっこいいわよ! 顔は最高に整ってるし、瞳はアーモンドみたいな深い色だし、背は190センチ近くあるし、見事な金髪だし、足も信じられないぐらい長いし、雑誌に載ってるモデルよりもずっとずっと素敵なんだからね!」

ああ、そう……。
でも、アニメオタクなんだ……。
平和をこよなく愛するあたしとしては、ピエールの外見と趣味嗜好の因果関係についての論争はひとまず脇に置いておくことにして、失踪の原因についてを考えてみることにしたの。

「ピエールが突然消えた理由に心当たりはないの?」

エリナはペットボトルを持ったまま腕を組んでしばらく考えていたけれど、やがてハッとしたようにバッグに手を伸ばした。

「そういえば、日本で別れるとき、本をもらったわ」

本ですって?
どうしてそういうことを先に言わないのよ!?

「これよ」

エリナがバッグから取り出した本は、片手の上に乗るぐらいの大きさの本だった。
どっしりと重い質感があり、使い込んだ感じの黒い革表紙はしっとりと手に吸い付くような感触で、ぱっと見ただけで千ページは超えるんじゃないかと思われる紙の縁は剥げているけれど確かに金色。
うーむ、なんだかとっても貴重な本っぽい。
あたしはその表紙をそっと丁寧に開いてみて、思わず声をあげた。
そこにはハガキ大のメッセージカードが挟まれていて、なにやらびっしりと言葉が書き込まれていたの!

「エリナ、カードがあるわ!」
「ええっ、本当?!」

表紙すら開けていなかったらしい薄情なエリナがあたしの手元に飛びついてきて、あたしたちはそのカードに頭を突き合わせるようにして覗き込んだんだけど、直後、二人で同時にため息をついた。
だって日本語じゃないんだもの!
まるでへびのフラダンス。

「おねえちゃん、これ、フランス語?」

あたしに聞かないで!
しかたなくカードはほっといて本のほうのページをめくると、その中身も印字されているとはいえ、やっぱり外国語。

「仕方がないわね。ここを出たら、誰かに読んでもらおう」

小さなことにはこだわらないおおらかなあたしの提案に、エリナもすぐに同意し、あたしたちは潔くそれらの解読を諦めて、カードをもともと挟まっていた本の表紙裏に戻してから、いそいそと買ってきた食料をたべつつ、お互いの近況を報告しあうことにした。
そこで初めて聞いたところによると、エリナがピエールと知り合ったのは、バイトしているカフェに彼が毎日来ていたのがきっかけだったんだって。毎日たくさんのお客さんが来る中、彼と親しくなったのは、彼が外国人であることと、ハンサムであることに加えて、彼がホットミルクしか頼まかったから。
エリナはそんな彼のことが気になっていて、ある日「いつもホットミルクですね。牛乳がお好きなんですか?」と話しかけたら、彼は「コーヒーは苦手なんだ」と答えた。たまたまエリナもアレルギーが出るぐらいコーヒーが大嫌いだったことから、二人はたちまち意気投合。
それからあっという間に恋人になって、クリスマスに「フランスに帰るからついてきてほしい」と電撃プロポーズされたという。
出会ってからプロポーズまでが、なんと約二ヶ月。
展開が早い!
それにしてもピエールのばかやろう。
結婚を申し込むぐらいなら、相手の知能にちゃんと合わせたメッセージを残しなさいよ!

「ピエールの日本の住所は?」
「ホテルみたいだけど詳しくは知らない。いつも外で会ってたから」
「仕事は何かとか、それも聞かなかったの?」
「そんなのどうでもいいもん。仕事と愛しあうわけじゃないから」

あっけらかんと言ってのけるエリナに、あたしの方が真っ赤になる。

「おねえちゃんたら、うぶね。その分じゃ初体験はまだね。ファーストキスはもうすませた?」
「な、なにを……!」

あたしがうろたえた次の瞬間、エリナはずいと顔をあたしに近寄らせて、マスカラをたっぷりと塗った長い睫毛を持ち上げて、あたしの目をじーっと見つめてきたのよっ!
出た、エリナの必殺ワザ、上目遣い!
しかも、潤んだ黒い瞳にろうそくの赤い光がちかちか映って、いつもより迫力百倍、いや二百倍増し!

「朝までたーっぷりと時間はあるから、これまで何人と、いったいどこまで経験したか。克明に聞かせてね。お願い、おねえちゃん?」

どうか、お手柔らかにお願いします……。



***


翌日、つまり元日はなんとルーブル美術館は休館日だった。
しんと静まり返った美術館は人っ子一人おらず、お客さんに紛れて脱出するという手が使えなかったあたしとエリナは出るに出られず、美術館の地下にいるしかなかった。

「おねえちゃん、おなかすいた。すごくさむい。あと、つまんない。なんとかして」

次から次にと要求をわめくエリナのために、あたしはわずかな食料を提供したり、地下を歩き回って毛布代わりになりそうな布を探してきたり、こーっそりと燭台をもって美術館探検へと連れ出したりした。
モナリザやミロのビーナスを眺めながら、あたしがしみじみと和矢との思い出に浸っていると、エリナが叫んだ。

「うっわ。すっごいキスしてる!」

みると、そこには、寝そべったままの美しい女性と、彼女の頭上から覆いかぶさっている可愛い少年天使の二人をかたどった彫像があって、彼らは今まさしく唇を重ねんとしているのだった。
きゃあ、激しいわ!

「見ておねえちゃん。こっちは裸の男同士よ!」

言われてそっちを向くと、今度はプロレスラーみたいに体格のいい男二人が、腰のあたりに手を添えあって、体をぴたーっと密着させていた。
うわっ、こっちもすごい!

「さっすが天下のルーブルね。勉強になるわ。――あ、おねえちゃん、あっちの像もいいわ! 下半身の肉付きがとってもリアル!」

そのあとも、低俗的なエリナの観点に基づく美術館鑑賞はひたすら続き、あたしはほとほと疲れ果てながら、凍えるようなルーブル美術館で二晩過ごして翌朝の開館時間を迎え、どっと押し寄せてきた来場者の群れにまぎれて、ようやく外に出られたのよ、ほっ。



***


さて、ピエールを探すわよ。
あたしたちは空港でもらったパリ市街図をたよりに、まず、日本系列のデパートに行くことにした。もしかしたら、そこなら、例のあの、へびのフラダンスを読んでくれる人がいるかもしれないと思ったのだった。
でも、自分たちがルーブルのいったいどこから出たのか、把握することから大変だった。
だってルーブルって、出入口が一つじゃないのよ!
あたしたちが出たのは、北側のパッサージュ・リシュリューという出入り口だったのだけど、そうとは知らずに外に飛び出しちゃって、方向を見失ったものだから、二人でルーブルの建物沿いをウロウロして、ルーブルの象徴ともいえる正面の三角の美しいガラスパビリオンを発見、やっと位置を承知して、その三角を背にコンコルド広場に向かい、その通りを右に曲がって、古代ローマを彷彿させる荘厳なマドレーヌ寺院に出たのだった。
寺院の正面は、細かな人物像を彫り込んだ三角屋根と、等間隔に何本も並んだ太い柱だった。乳白色のそれらが、まだ脆弱さを残す朝の空に凛とそびえている。

「ここで式をあげるの」

エリナは感慨深げに言った。それであたしは、エリナがピエールとの結婚式をあきらめていないことを知った。エリナは少しの間だけ寺院を見つめてから、あたしを振り返って言った。

「先をいそご!」

あたしは頷いて、足早にデパートに向かった。果たして、デパートの総合案内には三人の美しい女性が立っていて、そのうちの一人が日本人だった。

「ああ、これはフランス語ですね」

彼女は嫌な顔一つせずに、カードを読んでくれた。

「意味はこうだと思います……

――愛するエリナへ。僕は君と出会えてはじめて愛を知りました。君との結婚を僕は心から望んでいます。しかし、僕は過去に重大な罪を犯しました。その罪を償わなければなりません。そうしなければ、君とふたりでヴァージンロードに立つ資格はないからです。愛するエリナ。もしも、君が僕を真実に愛してくれているのなら、僕が何者であるかを見つけてください。そして、君が僕の罪を裁いてください――』

……書かれてあることは、以上です」

あまりに予想外なその中身に、あたしはびっくりして隣に立つエリナをかえり見た。

「ちょっとエリナ。これ、どういう意味よ?」

けれど、エリナは目を丸くして首を横に振るばかり。

「私だってわかんない……っ。ピエールったら、どういうつもりなのかしら?」

うろたえるエリナの様子に、あたしはその場での追求を一旦やめて、受付の女性にエリナが預かった黒い革表紙の本も見せて、これは一体なんの本ですかとたずねてみた。

「ギリシャ語だと思いますが、すみません、自信があまり……」

慎みぶかく首をかしげる彼女にお礼を言って、あたしたちはデパートを出た。



***


正面に小さくエッフェル塔が見えた。
歩道を先に歩き出したエリナはぶつぶつ何かをつぶやいている様子で、あたしは彼女の白いコートの背中を視界におさめながら、一呼吸置いた。
さてと。
ひとまず、花婿であるピエールが自分の意思で失踪していたことがわかった。事件や事故じゃないのはよかったんだけど、罪を犯したって、一体何をしたんだろう。
罪を犯したって……まさか犯罪?
頭をぶるっと震わせて、その考えを否定しようとした。でも、次の瞬間には、やっぱりそうなんだと思わずにいられなかったの。
あたしは、デパートのお姉さんが翻訳してくれたピエールのメッセージを頭の中で反芻した。

『僕は過去に重大な罪を犯しました』
『君とふたりでヴァージンロードに立つ資格はない』
『君が僕を真実に愛してくれているのなら、僕が何者であるかを見つけてください。そして、君が僕の罪を裁いてください』

脳の中で再生されるどの言葉も、恋人にあてた伝言という甘さは一切なく、切実な、切羽詰まった響きを含んでいる。
これらの言葉をあえて使ったところに、ピエールの強烈な意思をあたしは感じるのだ。
やっぱりピエールは何かの罪を犯したんだと思わざるをえない。
それもとっても重大で、結婚するときにその行いを懺悔しなければならないほどの罪を。
あたしはぞわぞわと体を走る、寒さとはまったく異質な悪寒を全身で感じていた。
できればこのままエリナを連れて日本に帰ってしまいたい。
でも、エリナは絶対に帰らないというだろう。妹の性格は、姉であるあたしが一番よく知っている。ピエールが探してくれと言っている限り、エリナが彼の捜索をあきらめることは決してないと、姉の立場から断言できるのだ。
つまり、かわいい妹のしあわせのためには、とにかくピエールを探して、彼の罪を明らかにして、エリナ自身に彼との関係を決定させるしか方法はないのだった。
あたしは、さらに思案した。
人を探すには、警察に言うか、探偵を雇うのが本道。
罪を犯したっていうぐらいなんだから警察に申し出たらすぐにピエールの身元がわかるのかもしれないけれど、いきなり行って警察が探してくれるかしら? それにピエールはエリナに罪を裁いてほしがってるわけだし、かといって探偵を雇うといっても、パリの探偵に知り合いなんていないし、第一探偵を雇うお金もない。これでどうやってピエールが何者か見つければいいんだろう。
その時、あたしはふと思ったの。
そうだ、あの本。メッセージカードが挟まれていたあの本がきっとヒントなんだわ。あの本の内容が何かわかる方法があれば、ピエールの正体に近づけるにちがいない。
問題はどうやってあの本の中身を読むかということなんだけど……。

「おねえちゃん、アルディ家に行こう!」

あたしの一歩前を歩いていたエリナが突然大きな声で言った。

「待ってよ。どうしてそうなるのよ!?」

エリナはあたりまえでしょという顔で振り返った。

「おねえちゃんとシャルルさんは、ベッドインした仲なんでしょ? なら、妹のピンチを助けてくれないわけないわ」

う。
例の必殺ワザで、過去の恋話を洗いざらい話せと詰め寄られて、和矢のことから、シャルルとの逃避行まで、すべてをエリナにしゃべったあたしがバカだった!
でもね、あんた、話はちゃんと聞くべきよ。
あたしとシャルルはアデュウしたの、だから会えないの。
それに和矢と交わした三つの約束もあるし。

『ひとつ目はシャルルに会わない』

さすがにこれまで破っちゃあ、あたしは和矢に会わせる顔がない!

「ダメよ。アルディ家だけはダメ。他の方法を考えましょう」
「他の方法ってなに?」

うう。
そう聞かれると困るのよ。
カークさえ見つかればいいんだけど、電話案内もダメだったし、たぶんどこかの警察署に乗り込んでも空港の二の舞になりそうだし……。

「いいわ。おねえちゃん、どこかで待ってて。私がひとりでシャルルさんに頼んでくるわ。不肖の姉に、新婚旅行は月まで行こうなんて熱いプロポーズをしてくださってありがとうございますってちゃんと挨拶するから、大丈夫よ」

エリナは意気揚々と歩いて行って、そのあまりにためらいのない足取りに、あたしは慌てた。
じょ、冗談じゃない!
あんた一人でシャルルのところにやれるもんですか!

「待ちなさいよ、あたしも行くわ!」

必死のあたしがエリナの元へ駆け寄ると、エリナは待ってましたとばかりにぴたりと足を止めた。

「じゃ、いこっか」

そう言ってにっこりと満足そうに笑うエリナを見て、あたしは、ああ、やっぱりこの妹はとんでもない小悪魔だわと、しみじみと嘆くしかなかったのだった。







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愛すればこそロマンチック 4

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愛すればこそロマンチック(4)




4 やっぱり華麗なるフランスの華



アルディ家に行くと、あたしたちは以前のように面会手続きを取らされて、面会番号を渡され、うやうやしく控え室に案内されたの。
なんと、第九控え室!
シャルルがパリに戻ったのが、あたしたちと小菅で別れた12月30日。
それで今日が1月2日。
その短い間で、なんでこんなに面会人が押し寄せてるの?
それを手近にいた執事スタイルのおじさんに聞いたら、実ににこやかな笑顔で、日本語で優しく答えてくれた。

「みなさま、シャルル様を待っていらしたのですよ。あの方はわがアルディの星であり、フランスの華ですから」

そういえば、シャルルが言ってたっけ。
今までオレのまわりに群がっていた連中はアルディの名前や地位に集まってきていただけだって。

やっぱりそうなのかしら。
みんな、シャルル自身を求めてきているんじゃなくて、アルディという名前を背負った彼を求めて来ているのかしら?
だとすると……シャルルがかわいそう。

シャルルの心中を思って胸が痛くなりながら、ふと控え室の中を振り返ってみると、エリナが部屋の中央に盛られたケーキやサンドイッチの山から、一番おいしそうなフルーツタルトを皿にとって食べていた。

ずるいっ、あたしも食べたい!

ルーブルで買い置きの食料は尽きたし、美術館を出てから、すぐにデパートに行って、アルディ家に来たから、信じられないことにあたしは朝食ぬきでパリの街を歩き回っていたのだ。
あたしも大慌ててエリナの隣に行って、二人で脇目もふらず心ゆくまでいただいていたのだけど、ややしてドアが慇懃に開いて、さきほどのおじさん執事が姿を見せた。

「イケダマリナ様、どうぞ」

あれ、まだ番号来てないわよ?

「シャルル様がお呼びでございます」

シャルルが?
エリナは喜んで皿をテーブルに置いた。

「早い。さすがおねえちゃん!」

あんたはいいわよ、こどもみたいに能天気によろこんでりゃいんだから!
大人はね、いろいろ複雑なのよ。
なんせ、あたしとシャルルはつい四日ほど前までは恋人同士で、しかもアデュウしたばっかりなんだからね。
なかなか会いにくいものなのよ。

そこまで思って、あたしはふと気になった。
どうしてシャルルはあたしに会ってくれるんだろう。
彼の性格なら、一度アデュウって言ったら、たとえ天と地が裂けても、永遠にさよならを貫きそうよね。あたしに会うぐらいなら、また永久量の睡眠薬を投与させてバラの中で眠るとか言い出しそう。

なのに、どうして?

不思議に思いながら、あたしは案内に従って、長い廊下を進んで、なんとなく見覚えがある扉の前についた。

「どうぞ。シャルル様がお待ちです」

よーし、まずは深呼吸して、どきどきする心臓を落ち着けて、気持ちをしずめよう。
それから……。

あたしは胸に手を当て、日本であたしを信じて待ってくれている和矢の優しい顔を思い浮かべて、彼への精一杯の謝罪と愛を込めながら約束の言葉をゆっくりとつぶやいた。
和矢の名前を三度口に出して、心を和矢でいっぱいにするという、あの大切な約束を。

「和矢、和矢、か……」

あたしがそこまで言った時だった。
隣にいたエリナがすばやく、

「失礼しまーす!」

と勢い良く扉をノックして、あっという間にノブを引いちゃったのよ!

なんてことするのよ、かよわいあたしの心臓を壊す気!?

突然の事態にすっかり慌てふためくかわいそうなあたしにちっともかまうことなく、エリナはさっさと部屋に入っていったのだった。

「はじめまして、シャルルさん。私、マリナの妹のエリナです」

明るいエリナの声に、しかたなくあたしもおずおずと、気の弱い泥棒さんのように一歩ずつ抜き足差し足で、毛足の長い絨毯にそっと足を踏み入れたのだった。


すると、そこにいた……シャルルが。


シャルルは渋いダークナッツ色をした大きな机の向こうに座っていた。
背後の窓から降り注ぐ冬の柔らかな日差しが、彼の輪郭を白く縁取って、全体的に重厚感のある堅苦しい印象の部屋の中で、シャルルのいるその場所だけふわりと別世界のように見えた。
シャルルは、髪型も姿も何も変わっていなかった。
輝くような光沢のある薄むらさき色のリボンブラウスを着ている。
太陽光で繊細な乱反射をしているそれがとっても似合っていて、高貴な感じのする白い顔と肩にかかるくせのない白金髪を、一層見事なものに引き立てていたの。
シャルルは微笑んでいた。
遠くからでもよくわかる澄んだブルーグレーの瞳を細めながら、ほおを優しくゆるめ、品のいい薄い唇を弓なりにして微笑む彼は、一瞬息の仕方を忘れるほどに美しかった。

シャルルを見慣れているあたしでさえそうだったのだから、エリナなんて部屋に入ったきり両手を体の横でペンギンみたいにして突っ立っている。

ああ、シャルルはきれいだなぁ……。

まるで天使が舞い降りてデスクにいるみたい。
ルーブルで見たキスしている天使像も整った顔していたけど、シャルルと比べると、まるで月とスッポン、王子様とナス、白鳥とアリンコよ!
カミルスもミーシャもきれいだと思ったけど、やっぱりシャルルが一番だわ!

あたしはそんな彼に見惚れつつも、心の底から嬉しかった。
いろいろなことがあったけど、シャルルは元気にアルディ家当主に戻れたんだ……っ。
よかった、本当によかった。
ひとりで大いなる感動に浸っていると、シャルルが言った。

「驚いたな。マリナ、君とこんなにすぐに会うとは」

微笑んだまま、声もとってもおだやかだった。
あたしはほっとして、彼のデスクの方に近寄った。
あんな別れ方した直後だから、ぎこちなくなるんじゃないかとか、なんて話せばいいんだろうかとか、いろいろ心配だったけど、この分なら平和にすごせそうだわ。

「あたしもこんなにすぐあんたに会うとは思わなかったわ」

アデュウというフランス語が、『永遠のさよなら』だってことは前から知っていた。
だから、小菅でシャルルを見送ったあの朝、もう二度と彼には会えないのだと、心の中で悲壮な覚悟をあたしはしていたのだった。

「あれからどうなったか、すごく気になってたのよ。ルパートが言った当主復権の条件……剣を取り戻すことと、例の政治工作のもみ消しは、結局どうなったの?」
「ああ、それならまもなく解決する」

あっさりとしたその答えに、あたしはつい叫んでしまった。

「うそでしょ? そんなに早く解決するわけないわ!」

するとシャルルは、左手の人差し指でこめかみを指しながら、ニヤッと笑った。

「要はここの使い方さ。まあ、評価は結果を見てからお好きにどうぞ」

うーーん、自信がすごい。
一度は使ってみたい台詞だわ、できれば漫画を突きつけながら、松井さんに。
などとあたしが感心していると、シャルルは笑いを引っ込めた。

「それで、あれほど華々しく別れたわずか数日後にオレを訪問しなければならないほどの君の緊急の要件とは、一体なに?」

シャルルらしい皮肉げな言い方に、あたしはハッとした。
そうだった、ピエール探し!

「あのねっ、妹の結婚相手が突然行方不明になっちゃったの! それで、あんたの知恵を貸してほしくて」

あたしは大急ぎで、パリに着いてからの悲しくもつらい姉妹の奮闘劇と、ピエールについての一切を簡単に説明してから、まだ突っ立ったままのエリナのカバンから本を取り出して、表紙をめくって、例のへびのフラダンスカードを見えるようにして、シャルルのデスクに置いた。
シャルルは手を伸ばして、まずカードに目を走らせた。
一瞬、彼の目が光り、それから次に、シャルルは神経質そうに黒い皮表紙の本をめくって、パラパラと開きはじめていった。そのまま無言で本を読んでいた彼は、しばらくしてから黙ったまま顔を上げた。

そしてあたしを見たの、じぃっと。
それも、レーザービームなんか比じゃないくらいの激しい目つきで、あたしを責めるように、じぃ~~~っと。

なに、なんなのっ!?

あたしはおののきつつ、彼の瞳を見返していて、次第にあたしたちの間で起こった恋愛にまつわるあれやこれやを思い出して、なんとも言えない息詰まる気分になってしまった。

もしかして、シャルル、怒ってる!?
そうよね、アデュウしたのに、その数日後にノコノコやってきて、わけのわかんない頼みごとをしたら、なんだこいつって腹も立つわよね。

ああ、やっぱり会いに来なければよかった!
あたしのばか、ばか、ばか!

とあたしが自己後悔と自己嫌悪の嵐に苛まれて、自分の愚かさを心の中で殴りつけていると、突然、彼はくすっと笑って、ふっと瞳の力を抜いた。

「いいよ。協力する」

打って変わったその雰囲気に、あたしはびっくりした。
え、本当にいいの?

「例の剣と政治工作の案件は、人を使ってやらせていて、オレは報告を待つだけの状態だ。だがこうやって家にいると、訪問客の相手をしなければならない。くだらない連中の退屈な話から逃げられるのなら、何でもいい」

そのあまりにそっけない言い方に、あたしがあっけにとられていると、シャルルは素知らぬ顔で、エリナのほうを向いた。

「エリナ。君に幾つか質問がある。まず、ピエールが来日したのは、いつ?」

シャルルに見惚れていたエリナは、それこそ入学したての一年生のように、背筋をまっすぐ伸ばして、はきはきと即答した。

「10月26日です! 私の勤めるカフェに彼が初めて来た日ですから、忘れません」

シャルルは頷いた。

「ピエールのパスポートとか、そういった公的な証明書を見たことはある? フランス国が発行した身分証明書や、国際運転免許証でもいい」

エリナは今度はぶんぶんと首を強く横に振った。

「見たことありません。だって恋をするのに必要ないでしょう?」
「なるほど。では最後の質問。ピエールが君に話したのは、名前と年齢だけ?」
「はい。23歳って確かに言ってました。あ、あと、電話番号も聞いてますけど、私がフランス語を話せないので、通じないんです」

エリナはバッグからメモ帳を取り出して、控えてあったその電話番号をシャルルに伝えた。シャルルは皮肉げな微笑をうかべてわずかに頷くと、デスクの上に置いてあったベルを手にとって、三度鳴らした。
すぐに扉のノック音が響き、外側に向かって開かれた。

「お呼びですか?」

あたしたちをこの部屋に案内してくれたおじさん執事がそこに来ていた。

「去年の1月から9月まで、フランスで発行されたすべての新聞をあつめてくれ」
「かしこまりました」

お仕着せの洋服を折り目が見えないぐらい慇懃なお辞儀をして、そのおじさん執事は一切の音もたてずに扉を閉めた。

「ちょっとシャルル、どういうこと? まさかピエールが新聞にのってるっていうの?」

あたしの質問にシャルルはまったく答えず、ただ椅子の背もたれに深く座って、組んだ腕の片方を立てて指先を口に当て、物憂げな表情をうかべて、でも目だけはなにかを見定めるように強く光らせて、天井に近い空中をじっと見上げているばかりだったの。
その人間離れした超然とした彼の様子に、あたしははたと思い当たった。
あ、これ、発作だ!

「おねえちゃん、どうなってるの?」

いぶかしげにエリナがつんつんとあたしの袖をひっぱって聞いてくるけど、こうなったらどうしようもないのよ、ひたすらシャルルが説明してくるのを待つほかはね。
そうと決めたあたしは腹を据えて、さきほどシャルルがしたようにデスクの上のベルをとって、三度鳴らした。

「お呼びですか?」

と再びやってきたおじさん執事に、あたしはにっこりと笑った。

「あのね、食事を用意してほしいの。美味しくて豪華なのを、二人分――ううん、倍の四人分お願いね!」

それからあたしとエリナは、紫水晶のシャンデリアがまぶしい食堂で、しばらくの間一切の思い煩いをわすれて、スズキをメインとした至高の食卓を堪能した。
こんな豪華な食事はひさしぶり、いや、ずっとシャルルと逃亡していたから人間らしい食事すらひさしぶりだと思いながら、思い残すことがないようにおかわりもいっぱいした。

あたしたちがすっかり満足して、食後の紅茶をいただいていた頃、食堂の扉が開いて、ようやくシャルルが姿を見せた。
リボンブラウスの上に、上品な灰色を基調としたヘリンボーン柄のツイードジャケットを着て、下はタックのない細身の黒ズボンを合わせている。
激しくミスマッチなその感じが、ドキッとするほど素敵!

「出かけるぞ」

きゃあ、わかったのね!?

シャルルはあたしたちを振り返ろうともせず食堂を出て行き、あたしはカップを放り出すようにテーブルに戻して、エリナを連れて彼の後を追った。
見ると、シャルルの白いほおがわずかに紅潮している。

「どこに行くの!? 何がわかったの!?」

シャルルは長い足をすばやく繰り出して廊下を歩きながら、早口でつぶやいた。

「パリから北西100キロほどにあるルーアンという町だ。今から三ヶ月前に、その町の郊外で、一人の少年画家が死んでいる」

少年画家が死んだ!?

「それがピエールの犯した罪なの? その少年画家をピエールが……っ?」
「それを、今から確かめに行く。君たちはどうする?」

あたしはもちろんと頷いた。

「一緒に行くわ。いかいでか!」







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愛すればこそロマンチック 5

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愛すればこそロマンチック(5)



5 解決済み!? 少年画家 X の死




「少年画家の名前は、サミュエル・グレーナル。18歳だ。5歳の時に絵画コンクールに入選。コレージュを卒業後はリセに進まず、画家として活動を開始。以降、いくつもの賞を総なめにし、一流画家としての地位を確立。新作が出るたびに、一号あたりの値段がニュースになったといわれている。彼が死んだ現在、作品の価値はさらに上がっている」

ルーアンに向かう車の中で、シャルルは説明をしてくれた。
アルディ家の広いロールスロイスの後部座席にシャルルが座り、それに向かう席に、あたしとエリナが並んでいた。

「彼が死んだのは、9月19日の深夜だ。場所はルーアン郊外の農道。理由は、ひき逃げだ」

ひき逃げ?

「新聞記事によると、創作の合間に家の近所を散歩していた彼は、猛スピードで走ってきた車に後ろからはねられたらしい。ほぼ即死だったようだ」

意外な事実にあたしは、驚いた。

「まさか、彼をひいた車を運転していたのが、ピエールなの?」
「ちがう」

とシャルルは首を横に振った。
腕を組んで、あごを軽く引いている。

「犯人は直後に警察に自首している。近くのバーでしこたま飲んだ帰りだったらしく、妻に付き添われる形でね。すでに裁判は結審し判決も出ている。飲酒運転での死亡事故だ。当分の間は刑務所暮らしだ。よって、自由に国外に出ているピエールではありえない」
「そっか……」

あたしはがっくりときながら、でも、どこかでホッとしていた。
エリナの愛するピエールが、人をひいた犯人だったなんて、大変だもの!

「ねえシャルル。ピエールが犯人じゃないなら、新聞に彼の名前が載っていたわけじゃないでしょ。だったら、どうして、そのサミュエルっていう少年画家のひき逃げと、ピエールが関係あるってわかったの?」

シャルルが執事に運ばせた新聞は、9ヶ月分。
山ほどの情報の中から、どうしてサミュエルの交通事故記事が選ばれたのだろう。

「簡単なことさ。ピエールがエリナに与えた本があっただろう。あのヒントがあれば、誰でもわかる。まさか、君はわからなかったのか? 君は、バカか?」

バカで悪かったわね!
ちんぷんかんぷんだから、あんたのところに来たんじゃない!
無垢なあたしがほおをふくらませてむくれると、シャルルは呆れたというため息を長く吐いてから、しぶしぶという感じで、口を重たげに開いた。

「そもそも、どうしてピエールはあのメッセージカードと、本をエリナに残したか。カードにあるように、ピエールの望みはエリナとの結婚だ。つまり、彼は恋人であるエリナに追いかけてきてほしいんだ。ということは、エリナが追えるようなヒントが必ずあるはずだ。そう思って本のほうをチェックすると、案の定あった」

それは、なに!?

「あの本は、聖書だ」

聖書?
それって、教会で使うあの聖書?

「ギリシャ語で訳されてるタイプのものだ。旧新約あわせて二千ページ近い中に、たった一箇所だけ、朱色のペンでアンダーラインが記されている箇所があった。ここだ」

そう言って、シャルルはピエールがエリナに預けたあの本を開いて、あたしたちに示した。
確かに、そのページの数行に、赤い線が引いてある。
シャルルは車内に低く響くテノールで、読み上げた。

「マタイによる福音書の一節だ――

『イエスは言われた。シモン・バルヨナ。あなたは幸いだ。あなたにこのことを示したのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。私もいっておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。私はあなたに天の国の鍵をさずける。あなたが地上でつなぐことは天の国でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天の国でも解かれる。――』」

まるで天使が聖書を朗読しているような美しい調べについ状況もわすれてうっとりとしていると、シャルルがふっと呼吸を置いた。

「ラインの引かれてあるのは、以上だ。ここで出てくるシモンという人物は、イエスに一番最初に従った男であり、岩という意味の『ペトロ』という名前をイエスから与えられた一番弟子だ。岩――つまり教会の土台という名前のとおり、初代ローマ教皇となった」

ローマ教皇ね、知ってるわ。
テレビで見たことがある。
確か数年前、バチカン宮殿での数日間にわたるコンクラーベを終えて、新しい教皇が選出されたニュースだったと記憶しているけど、サン・ピエトロ広場を埋め尽くす何万人もの大群衆の熱量のすごさと、新教皇選出の知らせが煙突からの煙の色だっていう古典的なやり方だということに、当時のあたしはしみじみと驚いたものだった。
そのあとしばらくして登場した新教皇の、あまりの衣装のキンキラキンさと、それに不思議と調和したお顔の見たこともないような神々しい優しさとに、信仰心なんてまったくないけど、ついついテレビの前でしばし見いってしまったもの。
そうか。
ピエールのやつもそうだったのかも!
あたしは勢いを得て、シャルルにたずねた。

「もしかして、ピエールはローマ教皇のファンだったのかしら?」

シャルルは呆れたように首を小さく振った。

「ファンじゃない。ペトロという名は、フランス語で発音すると、『ピエール』なんだ」
「ええぇぇっ!?」

あたしは驚いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。
ということはぁ!

「エリナが結婚しようとしていたピエールは、実はローマ教皇だったの!?」

瞬間、シャルルがバタンとその聖書を勢いよく閉じ、もうたまらないとばかりに、吐き出すように早口で言った。

「どうしてそうなるんだっ!? 終生独身を誓うどこの教皇が自由に日本まで出歩いて、毎日カフェに通って、そこの店員と恋仲になる? そんなことがあったら、世界中を駆け巡るニュースになってる。第一、現在の教皇は御年72歳の老人だ!」

あ、そう。
よかった~~~、エリナのピエールが普通の人で!
ローマ教皇を義理の弟に持つなんて、できれば遠慮したいもの。

「なら、どういうことなの?」

ホッとするあたしをよそに、シャルルは苛立たしげに続けた。

「自分をピエールだと名乗ったことに、彼の強烈な意志があるんだってことさ」
「えっ? ピエールって偽名なの?」
「さあね。もしかしたら本名かもしれないし、今はどちらとも言えないな。ただ確かに言えることは、ピエールはペトロに自分をなぞらえたんだ。でなければわざわざ印をつけた聖書をエリナに渡す意味がない。つまり、ペトロの人となりを理解することが、ピエールが何者であるかを解くヒントなんだ」

あたしは目の前が一気に開けていくような思いがした。
聖書のペトロを知ることが、ピエールを見つけることにつながるんだ!

「ペトロの特徴は、まず、師イエスの一番弟子であったこと。そして師であるイエスより、年長者だったという説が有力だ。ピエールは23歳だとエリナに申告していたのだろう。ここから考えると、ピエールには誰か師と呼べる存在がいて、そしてこの師は――たとえばXと呼ぼう。Xは、23歳以下でなければならない」

そうか、わかった!
あたしは日本から連れてきた相棒のポシェットからメモ帳とペンを取り出すと、これまでシャルルから聞いたことを整理して書いてみた。

*これまでわかっていること
事実1、ピエールは、聖書のペトロに自分をなぞらえた。
事実2、ピエールには、Xという師がいて、ピエールはXの一番弟子だった。
事実3、Xは、23歳のピエールよりも年下

あたしが色めき立ってシャルルにこのメモ帳を見せると、彼はその青に近い灰色の瞳に強い光を浮かべて頷いた。

「加えて、エリナに残したピエールのカードの内容から言って、ピエールの後悔の源は、そう昔の出来事はでないと推察される」

あたしはメモ帳に次の一項を加えた。

事実4、ピエール来日は10月26日(何かあったのはそれ以前?)

「そしてこれが最も大事なことだが、ペトロは、師であるイエスを見捨てた人間だ。イエスが十字架にかかる時、ペトロは師を見捨てて逃げたんだ。結果、イエスは死んだ」

ペトロが師を見捨てた人間!
じゃあ、ピエールも!?

「つまり、ピエールも師Xを見捨てたという図式になる。ならば、Xの身には何らかの異変が、それも相当重大なことが起きているはずだ」

いよいよピエールの謎の核心に迫ってきたことを感じて、あたしは心臓がドキドキしながら、メモ帳にさらに第五項目を加えた。

事実5、師Xを、ピエールは見捨てた。

「以上の条件を満たすXを、ピエールが来日する以前数ヶ月にわたって新聞記事に探した結果が、少年画家サミュエル・グレーナルの死亡記事だったわけだ。ひき逃げ犯人は捕まっているし、『罪を犯した』という手紙の内容が具体的に何を指すのかはまだちょっとわからないが、これで大方の推理は間違っていないはずだ。今、この車は、そのサミュエルの家に向かってる。ピエールはきっとそこにいるはずだ。
それから、エリナが教えられたという電話番号だが、あれは、パリ市庁東アジア移民局の番号だ。おそらく、ひとりでパリに放り出される彼女へのケアのつもりだったんだろう。日本語を話せる人間が電話口に出なかったのは、不幸だったと思うしかない」

きゃあ、シャルルはやっぱり天才!!
たしかにXが少年画家サミュエルなら、あたしが書いたメモにある事実にも、すべてバッチリ合う!
あたしは、たった一冊の古びた聖書から会ったこともないピエールの意図を正確に読み取ったシャルルの天才ぶりと、『天才は一%の能力と九十九%の努力である』という言葉通り、9ヶ月分のフランス中の新聞からたったひとりのXを探し当てたそのねちっこい執念ぶりとを大いにたたえるとともに、そんな彼との友達関係が復活できたしあわせをしみじみと実感したのだった。
『罪を犯しました』という大げさなあの手紙は、きっと、尊敬する師を守り切れなかった後悔とか、自分だけしあわせになる罪悪感とかで、だから、せめて結婚前にエリナにそんな自分のすべてを知ってもらって、許しを乞おうとしたんだ。
そんなピエールの一途で悲しくも不器用な生き方にあたしは涙しながらも、前途が見えたエリナの結婚問題に心から安堵したのだった。
あーー、よかった。
あとは二人が再会して、ピエールにいくらでも懺悔してもらって、結婚前に心の重荷を吐き出して、エリナが許しを与えて、晴れてハッピーエンドね♡

「ありがとうシャルル。よかったわね、ねっ、エリナ!」

あたしが隣のエリナに呼びかけると、それまでずっと黙ってあたしたちの会話を聞いていたエリナが言った。

「うん。ありがとう、シャルルさん。ああ、早くピエールに会いたい。結婚式はあさってだもん!」

エリナはちょっと心配そうな感じだった。
あたしはそんなエリナの肩を、腕をまわして強く自分に引き寄せて、ぎゅっと抱いたのだった。
お互いの頭がこつんとおでこの横のところでぶつかって、エリナは、てへ、と笑った。
でも、目頭のあたりがいまにも泣き出しそうに歪んでいて、いつも通りきっちりとピンクのルージュを塗ったその唇はかすかに震えて、自分の中の激情を必死で我慢している様子がありありと見えて、あたしは妹の肩をさらに強く抱いて、かわいい頭をよしよしとしてあげたの。
……そうよね、ピエールが消えて、今日でもう三日目。
悲しさや寂しさだって、一番辛くなる頃かもしれない。
空港で再会後は泣きじゃくっていたものの、それ以降はずっと元気そうに見えていたエリナが、いかに理性で感情を抑えて我慢をしてきたのか、あたしは、ようやく知ったのだった。
大丈夫よエリナ。
あんたの辛さは、おねえちゃんが受け止めてあげる。
だから、無理しないでいいのよ。
必ずピエールを見つけて、しあわせに導いてあげるわ、まかせて!!
そしてその暁には、ぜひ、この壮大な結婚までのドラマを漫画のネタにさせてくれたら嬉しいなっ! 

「だが、エリナ」

シャルルが伏せがちな眼差しでエリナを見て、静かな声で言った。

「これからオレ達が出会う事実は、君の希望に沿わないかもしれない。それが嫌ならいますぐ日本に帰ることだ。手配はしよう。ピエールのことは忘れ、新しいしあわせを見つけることを考えた方がいい」

深刻そうなシャルルの言い方に、あたしはびっくりした。

「帰りません! 何があってもピエールと結婚式をします!」

ピエールとの結婚しか脳内にはないエリナは、もちろん叫ぶようにそう答えて、あとは甲羅を丸めた亀のように、自分の膝を見つめて黙り込んでしまったのよ。

「やいシャルル、今の言葉、どういう意味よ? これからあたしたちが出会う事実は希望に沿わないかもって」

すると、シャルルは腕を組み直し、車のシートに深く体を預けながら、言った。

「これがただの鬼ごっこならそれでいいさ。だが、ピエールは罪の償いを望んでいる。これから行く先には、必ず彼の罪がある」
「それは、先生が死んじゃったのに、自分だけ結婚する罪悪感でしょ?」
「そんな程度の罪悪感ぐらいで、あんな意味深な手紙を残して、結婚式直前に婚約者をたったひとりで異国にほうりだすか?」

そう言われて、あたしは考え込んでしまった。
確かに、そうだ。

「ピエールには罪があるんだ。それは、エリナを置いて姿を消さないとならないぐらい深刻で、後ろ暗い罪がだ。それを忘れて、恋人との再会というロマンチックな気分で行くと、裏切られた思いになるかもしれない。期待が大きいと、絶望もまた大きくなるものだ」

シャルルの声がなんだか投げやりな口調に聞こえて、あたしは胸を小さな針でつんつんと刺されている気がした。
まるで、彼を愛という言葉で期待させて最後の最後に捨てちゃった自分自身を責められているような感じがしたのだ。

「ピエールの罪って……なんなの? Xである少年画家サミュエルが死んだのはひき逃げで、犯人もちゃんとつかまって裁かれたんでしょ? ピエールがそれにどう関係しているの?」

あたしは、ちょっとびびりながら、たずねた。

「さあね」

シャルルはそれきりあたしが何を言っても返事をしなかった。
エリナも貝のように黙り込んでいるし、お通夜のような重苦しい雰囲気になった車内で、あたしはきゅっと唇を噛み締めて、さきほどのピエールメモにもう一行書き込んだ。

事実6、ピエールは、何か重大な罪を犯した。

仕方がない、事実から目を背けてもいいことは何もないもの、ちゃんと目の前のものを見て、そして前に進むしかないのよ!

そう決意した数秒後、一定速度でずっと走っていた車がゆっくりと減速を始めた。
高速道路から降りて、一般道路に入っていったことがわかった。
枯れた光景の中に、緑色の畑がポツポツと点在していて、あまり大きくはない農家の屋敷が所々申し訳なさそうに立っていた。
と、車はインターを降りたそのすぐ近くの道路沿いで止まった。
車が止まったのは、真新しいアスファルト整備された片側一車線ずつ計二車線のわりと広い農道だ。
比較的まっすぐで、見る限りカーブはない。
最初にあたしが降りて、つぎにエリナが車から降りた。
風もないのに、空気が氷のように冷たくて、めちゃくちゃ寒い!
凍てついた晴空の下、車の左側、つまり道にそうように、テニスコート一面以上はありそうなむき出しの土庭が広がっていて、その奥にグリーンの切妻屋根を持つ白壁の家があった。
三方を畑に取り囲まれていて、正面が道路に面している格好だ。
家は建築からあまり年数が経っていないらしく、緑色の屋根も白い壁も、冬枯れした周囲の景色からはくっきりと浮き立つ原色のままだ。
豪華な三階建てで、正面には木製の飾り彫りが美しい玄関ドアと、その隣にリビングだろうか、温室製のテラスがあるのが見える。
だが、すでに住む人は誰もいない様子で、家の周囲やもともと手入れされていないただ土を敷き詰めただけの庭のあちこちから尖った形の短い雑草が無数に生えていた。
雨はしばらく降っていないようで、土は乾いていた。

「ここが少年画家サミュエル・グレーナルの家だ」

最後に車から降りたシャルルが言った。
あたしはその家を見つめて、それから周辺を見渡した。
取り立てて何も変わったところのない地方の農村という感じ。
両隣の家はかなり離れていて、いくつもの畑を挟んで、家の形が小さく見える程度。
しばらくきょろきょろとあたりを見回してから、あたしはサミュエルの家に目を戻した。
彼の家は、建物自体は新しくてそれなりに立派だけど、いかんせん、人気の少年画家にしてはずいぶんつつましいというか、寂しいところに暮らしていたんだと思った。

「そして、彼が死んだ場所がこの家の目の前。すなわち、今、オレたちが乗ってきたアルディの車が止まっているちょうどこの場所だ」

家の真ん前でひかれたの!?
事故があったのは9月19日だから、夏が終わったばかりの夜。
散歩に出た時の事故だと新聞に掲載されていたとシャルルが言ってたけど、自分ちの敷地から道路に出た瞬間によっぱらいにひき逃げされるなんて、不運すぎる……かわいそうだわ。
サミュエルのあまりの不幸に心を痛めつつ、あたしがエリナとともに、ピエールを探すべく、家に向かって土庭を歩いていると、後ろからシャルルの声。

「おかしいな……いや、これは……もしかすると……」

ぶつぶつ何やらひとりでつぶやいていたかと思うと、直後、彼はよく通る声で言った。

「マリナ、オレは少し調べたいことがある。ここから別行動しよう」

えっ!?
と思って振り向くと、車のドアがバタンと閉まり、シャルルがおりたばかりの車の後部座席に座っているのが見えた。
ちょっと、こんなところで放り出されても困るのよっ!!
駆け寄る必死のあたしをあざ笑うように、世界のセレブが認める超高級車ロールスロイスはそのご自慢のエンジンをふかしてあっという間に走り去っちまい、あとには目がしみるような排気ガスと、哀れ見捨てられた女が一人ポツンと残されるばかり!
なっ、なっ、なんなのよーーっ!!
天才って、協調性とやさしさにかけるわ、ほんっと最低!!
ついさきほどシャルルの才能をほめたたえたことなど宇宙の彼方に消し去ったあたしは、烈火のごとく怒り狂いつつ、この怒りを諸悪の根源であるピエールにすべてぶつけるべく、緑と白のコントラストが目にもあざやかなサミュエルの家にずかずかと向かったのだった。

「ピエールっ! 私よ、エリナよ!」

すでにエリナが玄関のドアを叩いていた。
よっし、あたしもっ!

「ピエーーール! ピエールちゃん、ピエール様、ピエール大魔神! さっさと出てきなさい! 出てこないと殴るからねっ!」

あたしたちは、最後には玄関ドアを破らんばかりの勢いでがんがんと叩いたのだけど、家の中からは全く反応はなかった。
家の中にはいないみたいね。
じゃあ、周りに潜んでいるのかも。
そう思って、あたしたちは、もちろん、家の周囲も見て回ったし、裏にあった物置小屋の中や、放置された丸太の影、庭のすみずみからまわりの畑の畦道まで走り回って呼びかけたのよ。
けれど、ピエールの姿はどこにもなかった。

「おねえちゃん、ピエールがいないわ。どうして? ここにいるんじゃなかったの!?」

泣きそうなエリナの顔を見ながらあたしは困惑した。
なぜいないの!?
ピエールはエリナに追ってきてほしいんじゃなかったの?
そのために彼は聖書と手紙をエリナに託したはずなのに、なのに、師サミュエルの家にいないなんて……まさか、シャルルの推理が間違っていたというのだろうか!?







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愛すればこそロマンチック 6

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愛すればこそロマンチック(6)



6 姉妹の絆が壊れるとき



それからというもの、エリナは土庭にべったりと座り込んでわーわーと子供のように泣き続けるし、だんだんと日が傾いて足元から凍りつくように冷え込んでくるし、かといって近くにコンビニもショッピングセンターもないから暖をとる場所もないしで、あたしはもう考えることを放棄して路傍の石にでもなってしまいたい思いだった。
しかし、くさってもあたしは姉。
ここであたしがしっかりしなきゃあと、あたしはなけなしの理性と知恵を総動員して振り絞り、すばらしいアイディアを思いついたのよ!

「エリナ、ピエールの似顔絵を作ろう!」

するとエリナは、涙にくれた顔を上げた。

「似顔絵?」
「そうよ。あたしが描くわ。そしてこの近所の家に聞いてみましょう。ピエールが来ていたら、見かけた人が一人や二人は絶対いるはずだもの!」

この提案にエリナは元気を取り戻したらしく、たちまち笑顔になって、あたしたちはサミュエルの家の戸口に陣取って、ピエールの似顔絵作成に取り掛かったのだった。
漫画家の必須アイテム、鉛筆とメモ帳。
それも罫線のはいっていない白地のもの。
今回は結婚式に出るだけだから、さすがにいらないかなと思ったけど、さっきの『わかっている事実メモ』にも使えたし、持ってきてやっぱりよかった!
理想を言うとスケッチブックがいいんだけど、それに筆記具もパステルや絵の具がほしい。
が、どんな状況だって描くわよ、あたしはプロだもん!
ああ、いかなる時でも絵を描くことを忘れないこの高邁なハングリー精神が、いつかきっと漫画の世界で大輪の花に咲かせるに違いない。
あたしは近い未来に来るべきその日を夢見つつ、誠実に鉛筆を走らせて、エリナとふたりで身を寄せ合いながらあーでもないこでーもないと言うこと三十分、ついに似顔絵は完成した。
あたしとしては渾身の出来だったのだけど、エリナは不満そうだった。

「うーん。あんまり似てない。ピエールの顎はもっと高原を飛ぶ鷲みたいだし、瞳は深夜に燻したアーモンドみたいで、口はとろけるショコラ、鼻はアルプス山脈なのよ」

やかましいっ!
あんたの教え方がわかりにくすぎるのよっ!
とろけるショコラって、とろけちまったら形がないじゃない、描けないわよ!

「とにかく『ピエール』って名前をつけとけばわかるわよ。フランス語でピエールって書いてよ」

途端、エリナは腕を組んで、小首をかしげて、片手をすぼませた口にあてた。

「おねえちゃん、フランス語でピエールってどうやって書くの? PEEP?」

それもわかんないの!?
ああこの世広しと言え、結婚相手の名前の綴り方すらわからない人間など、この二十一世紀には、ほんのわずかしかいないに違いない。
と言ったって、あたしも『フランソワ・ローランサン』の綴りを百%正解する自信はないけど……。
あたしがしみじみと、自分たち姉妹に組み込まれたDNAの能力の低さを嘆いていたその時だった。
バリバリバリという雷鳴に近い音が遠くから聞こえてきた。
なに、まさか、雨!?
と思うまもなく、その音は一気に近づいてきて、あたしはその音の方角を見上げて、おおっと声を上げてしまった。
なんと、ヘリが近づいてきていたのっ!!
シルバーに黒いラインが入った、シャープな感じの中型のヘリ。
それはあたしたちのいるサミュエルの家の上空までほんの数十秒でやってきて、庭のちょうど真上でピタッと止まった。
耳を引き裂くようなものすごい轟音を立てながら、上空でホバリングしたままドアが空いて、縄はしごがシュルッと下され、インディゴブルーの軍服を着た一人の男が、巻き上がる強風をものともせずに、慣れた動作で素早くおりてくる。
あたしはもうただびっくり。

「ルパート大佐!?」

トンと地面に足をついて、小脇に抱えた軍帽をきちんと目深に被ってあたしたちの方を向いたのは、まちがいなく、シャルルの十五番目の叔父であり、アルディ家筆頭親族であるとともに親族会議議長であり、フランス空軍大佐の地位にあるルパート・ドゥ・アルディだった。
傾き始めた夕日が、きりりと引き締まった端正な顔と、青々とした軍服越しでもわかるたくましい体つきをくっきりと風景の中から浮き立たせていて、うう、凛々しい!

「シャルルからの依頼でパリから来た」

ルパートは無表情でそう言って、冴え冴えとしたサックスブルーの瞳であたしたちふたりを見た。

「おまえたちの通訳をする」
「通訳? あんたが?」

通訳って、この場合、あたしたちのしゃべる日本語をフランス語に、そして相手のしゃべるフランス語を日本語に変換してくれるっていう、便利な人のこと?

「そうだ。日没まであと一時間二十五分三十秒。その間、私を有効に使え。そのあとは、今夜の宿に案内する。以上がシャルルの指示だ」

あたしは驚いて、隣にいたエリナのほっぺをぎゅっとつねりあげた。

「いったぁーい! なにするのよ、おねえちゃん!!」

飛び上がって叫ぶエリナを横目で見ながら、あたしはこれは夢じゃないんだ、と思った。
あのシャルルが……あの偏屈で冷淡なシャルルが、あたしたちのために、通訳、兼、案内、兼、宿泊接待係としてルパート大佐を派遣してくれたなんて……。
信じられないやさしさだわ、明日には地球が滅亡するのかもしれない。
いやだ、困るわ、まだあたしはこの世に未練がたっぷりあるのよ!
こんなところで、気まぐれなシャルルのやさしさによる天変地異なんかで人生がぶった切られた日には、あたしは後悔のあまり死んでも死に切れないわ、成仏できない!
漫画で大成功を収めて、愛する和矢と愛の告白をし合ってふたりでしあわせな恋人生活をたっぷりと送って、果てはタキシードをカッコよく決めた彼に、純白のウエディングドレスを着てお姫様だっこをされながら祝福のフラワーシャワーを浴びるまでは、あたしは絶対現世にしがみついてやるわよっ!
そんなあたしの鼻息荒い思いに気づいたのか、ルパートが言った。

「私が不要か。では好きにしろ。私としては、ここに来たことで任務は果たしている。では失礼する」

くるりと背中を向けて、再び縄ばしごに手をかけてヘリに戻ろうとするルパートを、あたしはあせって腕を掴んで引き留めた。
まって、そうじゃない、誤解よぉ!
ここで見捨てられたら、あたしたち姉妹はのたれ死にする!

「必要です! ものすごーーく必要! 待ってました! あなたこそあたしたちの救世主。だから、行かないで!」

ルパートはまるで汚らわしいものでも払うように、あたしの腕をパシッと振りきった。

「では早く行動のスケジュールを言え」

はい、はい。仰せのままに。
あたしはそれからはもう平身低頭して、救世主ルパート様に、ピエール捜索の協力をお願いしたのだった。
まず、似顔絵に『ピエール』という名前を書き込んでもらった。
その際、ルパート大佐のすさまじく冷たい視線にさらされたけど、それは見ないふりをして、それから、サミュエルの家の近所にピエールをここ数日で見かけていないか、聞き込みに回ったのよ。
ルパート大佐は、機械のように、忠実に通訳をしてくれた。
さながら最新鋭の通訳ロボットがそばにいるみたいで、ほんの一週間前まで生死をかけたデッドヒートを繰り広げていた彼をそんな風に従わせていることに妙な爽快感を覚えたあたしは、シャルルが小菅で彼にムリヤリ「敬礼」をさせていたことを思い出し、これも当主としての任務のひとつかもしれないと考えた。
ルパートがどれだけ自分に忠誠を尽くすかのテストとか。
もしこれでルパートが嫌って言ったら、マルグリットに送るつもりかも。
すっごく、ありそう!
それならあたしも協力を惜しまないわ!
あたしはその考えに大いに納得して、シャルルとアルディ家の未来のために、派遣されたルパートをしっかりと教育させてもらうことにして、それから、エリナとともに教育対象であるルパートを引き連れて、右隣の茶色い平屋建ての家を訪ねた。
戸口からは、まるで新婚の奥さんがキッチンに立つ時に付けているようなヒラヒラのフリルのエプロン姿をつけた中年の太ったおばさんが出てきた。
おばさんはいきなり訪問したあたしたち、というよりも完璧な軍人姿のルパートにびっくりしたようだったけれども、サミュエルのことをたずねると、豊かなまなじりに深い皺を寄せて哀悼の意を表した。

「サミュエルね、あの子は……いい子だったよ。となりに越してきたのは二年前でね。廃屋同然だったあばら家に住み着いたのさ」

じゃあ、あのグリーンの切妻屋根と白壁の三階建の家は?
聞くと、それは去年始めの頃に建てたばかりだという返事で、なるほど、ペンキの色がやけに新しかったはずだと納得したのだった。

「絵描きだから滅多に姿は見なかったけど、たまに会うとニコニコして挨拶してくれたり、画商から菓子をもらったとか言っておすそわけに来てくれたりしたこともあったね。私は、そういう世界にうといからあんまり知らなかったけど、すごい画家だったらしいね。そのわりには、地味に暮らしていたよ。人の出入りもほとんどなかったね。たまに車がとまってたのを見かけたぐらいだね」

そのあと、あたしが描いた似顔絵とピエールの名前を見せると、おばさんはたちまち顔をしかめた。

「ああ、ピエールね。こいつはサミュエルの弟子だよ。たった一人の弟子。サミュエルがここに越してきた時から一緒だったよ。金髪で、わりと面の整った大男さ」

やっぱり!
シャルルの推理は当たっていた、やっぱりピエールはサミュエルの弟子だったんだと、あたしとエリナが手を取り合って小躍りせんばかりに喜んでいると、おばさんが言った。

「お嬢ちゃんがた、ピエールと何の関係があるんだい?」

じろっと値踏みするような目つきで見られて、あたしはちょっとたじろきながら、彼とここにいる妹が結婚することになっているんだと告げた。

「へえ、結婚!」

ルパートが平坦に通訳するけど、さすがにフランス語を解さないあたしにも、その嫌味っぽさが伝わってくる。
だっておばさんの口元が、馬鹿にしてる感じで思いっきり歪んでるんだもの……。

「変わってるね。あんなやつと結婚するなんて」

そのあと、肝心のピエールをここ数日見たかという質問をしたんだけど、まったく見かけていないというそっけない答えが返ってきただけだった。
おばさんの顔は、たとえ見かけたとしても挨拶を交わす気なんかまったくない、といわんばかりで、お礼を言ってその家を辞去してから、あたしはなんだか暗い気持ちになった。
ピエールは近所の人にあまり好かれてなかったのかしらねぇ……。
そしてその気持ちは次にたずねた逆どなりの家で、決定的なものになった。
出てきたのは、日本で言えば中学生ぐらいかしら、ハシバミ色の大きな目で、白いタートルネックセーターにチェック柄のスカートを着た、長い黒髪の大人びた女の子だった。

「ピエール? サミュエルが死んで、煙のようにいなくなっちゃって以来、一度も姿を見てない。サミュエルの絵を全部売り飛ばして、外国に逃げちゃったって、ママンたちが噂してたけど?」

あたしの隣でエリナがうっと呻く声が聞こえた。
けれど、女の子はぺらぺらとしゃべり続け、それをルパートが容赦ない機械的な声で日本語に変えてあたしたちに伝え続ける。

「あのひき逃げだって、本当はピエールの差し金じゃないかってみんな言ってる」

え!?

「だってサミュエルは普段、散歩なんかしてなかったもの。私だって、彼が散歩しているのは見たことない」

普段サミュエルは散歩をしてなかったの!?

「それに、一度だけだけど、あの二人が庭でものすごいケンカをしているのを見たことがあるわ。『絵を売る』とか『売らない』とか言い合ってた。それでサミュエルが死んだすぐあとに、ピエールはいなくなったのよ? 家の中をあらためたら、絵が一枚も残ってなかったって。ひき逃げ犯人は自首したから、それ以上問題にはならなかったけど、あやしいと思わない?」

彼女の言葉に、あたしは思わずつぶやいてしまった。

「あやしいわね、確かに」

途端、エリナが目をむいてあたしを見たのはわかったけど、しょうがないでしょ。
だって、あやしいものはあやしいわ。
普段しもしない散歩を、しかも夜中にして、たまたまよっぱらい運転にひき逃げされるなんて偶然がすぎるし、もちろん不幸な偶然って世の中にはあるけど、でも、それだけで片付けられない感じがする。
あたしにそう思わせていたのは、何よりもピエール本人が残していたあの手紙だった。
あの手紙にあった彼が犯した『重大な罪』とは何か――。
それが師サミュエルの死に関わっていることはもはや明白だった。
じゃあ、ピエールはサミュエルの死にどう関わっているのか?
もし、ピエールが何らかの理由でお金を必要としていて、師であるサミュエルの絵を売りたいと考えて、けれど、サミュエル本人がそれを断固として許可しなかったらどうなるだろう?
売る売らないでもめた二人は、ついにあの夜決定的にぶつかり、ピエールが何らかの手段を講じてサミュエルを夜道まで引きずり出して、通りかかった車の前に彼を突き飛ばしたとしたら……。
あたしは自分で考えついたその仮定にぞっとした。
もしそれが真実なら、ピエールは殺人犯人だわ。

「とにかく、他の家にも聞き込みに行ってみましょう! 話はそれからよ!」

あたしたち三人は、それから周辺の家をいつくも精力的にたずねたけれど、ことごとく無駄足に終わった。
ほとんどがいかにピエールがろくでなしの何もしない弟子で、サミュエルがかわいそうだったかを告げるものだった。
が、その中にたったひとつ、違う意見があった。
サミュエルの家の前のまっすぐな道路を数百メートルも先に行ったところにある、レンガ造りの古い洋館に住まう品のいい中年紳士だった。
ルパートの同時通訳によると、

「サミュエルが絵画賞を取った時、我が家の食事に招待したことがある。そのとき身の上を少しだが聞いた。サミュエルとピエールは二人とも親を亡くした孤児で、同じ施設出身だったんだ。なんでも絵ばかり描いていたサミュエルは、子どもの頃施設でいじめられていたらしい。それを助けてくれたのが、五歳上のピエールだった。だから、その恩を全力で返したいってサミュエルは言っていた。ろくでなしだってわかってても、サミュエルがピエールをそばに置いたのは、それが理由じゃないかな?」

というものだった。
その時の絵画賞を報じたという新聞記事も見せてもらい、あたしははじめてサミュエルの顔を知ったの。
白黒写真だから目や髪の色はわかんないけど、マッシュルームカットが特徴的なかわいい雰囲気の男の子で、蝶ネクタイとチェックのスーツがぴったりと似合ってて、まるでおぼっちゃま学校の入学式の写真のようだった。
そのほか、ピエールを最近見かけたという情報もまったくなく、次第にエリナの顔からは血の気が引いて、最後には能面のように表情すらなくなり、そのうちに西の空が赤く血のように染まって、太陽が山間に沈んでしまったの。

「では、宿泊場所に案内する」

号令のようなルパートの言葉に合わせるように、サミュエルの庭に再びヘリが戻ってきて、あたしたちが連行されたのは、つい数時間前に出発してきたパリのアルディ家だった。
来る時にはロールスロイスで一時間半かかったその道のりが、なんと20分で済んでしまって、ああお金持ちって時間すら好きにできるんだな、とあたしはセレブ界にゆるされる自由度と、庶民生活の不自由度とをしみじみと痛感したのだった。
到着してすぐ、ルパートはどこかにいなくなって、あたしとエリナは昼と同じ、紫水晶のシャンデリアの食堂で夕食をとった。
でも、エリナはちっとも食べようとはせず、一言もしゃべりもしない。
ただじっとうつむいているばかりで、あたしは食べながら、それとなくエリナに帰国の話を持ちかけてみた。
だって、このままじゃエリナがきっと疲れ切ってしまうもの。
ここはひとつ、いったん日本に帰ったほうがいい。

「お父さんもお母さんもユリナちゃんも心配してるだろうし、もしピエールが潔白ならば、日本にもう一度やってきてあんたに会いに来るわよ」

そうあたしが言った途端、エリナがバーンとテーブルを両手で激しくたたいた。

「……おねえちゃんはもう協力してくれなくていいわ。明日から私はひとりでピエールを探す。おねえちゃんは日本に帰って。和矢さんが待ってるんでしょ?」

あたしが息をのむようにして見つめると、エリナはゆっくりと顔を上げた。
下唇を切れそうなほど噛みしめていて、泣きたいのに必死でこらえている様子がありありとわかって、あたしは胸がつかれた。

「私は最後までピエールを信じるわ。それが愛だもの。人からちょっと言われたぐらいでうたがったり、ましてや見捨てたりしない。おねえちゃんは、本当に人を愛することがどういうことかを知らないんだわ。だから和矢さんとの約束も平気で破ってシャルルさんに頼ったりできるのよ。おねえちゃんは無神経で軽薄で幼稚よ!!」

あたしは驚いて、のけぞった。
まさか、エリナにそんな風に言われるなんて思ってもみなかったもの。
ああこれが、ただただ妹のしあわせだけを願って、粉骨砕身の活躍をしてきたいたいけな姉に対する言葉なのだろうか、あまりにもひどい。
……傷つく!!

「ちょっとまって。あたしは別に……」
「もういい! おねえちゃんのバカっ!!」

叫ぶが早いか、エリナは椅子を蹴飛ばす勢いで食堂を飛び出して行き、あたしは慌ててチキンを突き刺したフォークとナイフを置き、膝の上のナプキンを放り出すように椅子に投げて、転げるように走ってエリナの後を追った。
が、廊下に出た時には、すでにエリナの姿は見えなかった。

「エリナは、メイドに部屋に案内させた」

びっくりして廊下の奥を見れば、サミュエルの家の前で別れたきりだったシャルルが、常夜灯がほんわかと照る廊下の角からそのすらりとしたしなやかな姿を現すところだったのよ!
帰ってきていたんだ!
あたしは厚い霧のなかに太陽を見つけたような気分だった。

「目を離さないように言い含めておいたから、心配はいらない。しばらくそっとしておくといい。それよりも、君が得たピエールの情報を教えてくれ」

冷静な声でそう言われて、あたしはほっと息をついた。
エリナのことはそれで安心ねという思いと、さきほどエリナから手ひどく傷つけられた心がズキンズキンと新しい傷口を開いて、そこからどくどくと血が流れているのを感じていたの。

「あたしって、そんなに無神経で軽薄かなぁ……?」

あまりのショックにがっくりと肩を落とすと、シャルルはフンと軽い鼻息を吐いて、整った顎を少し突き出すようにしてあたしの頭の上のほうを見ながら、腕を腰に当てて胸をそらして、別に気にすることはないだろう、と言った。

「君が軽薄なのは今にはじまったことじゃない。昔から変わることなく軽薄だ。いや、もっと正確に言うと、異常だ」

な、な、なんですってーーっ!?
シャルル、あんた、よくもそこまで悪し様に言ってくれたわね!!
怒り心頭のあたしがぱっくりと彼に噛みつこうとすると、シャルルはすっと華麗な所作と脚さばきでそんなあたしを見事に避けて、くいっと踵を返してさっさと食堂に入ってしまった。
まさに姿が部屋の中に消えようとするその瞬間、シャルルの透明な声が響いた。

「君はそのままでいい。無理に変わろうとすることはない。むしろ、変わらなきゃならないのは、君のありのままを受け入れることができない周りの人間なんだ」

去り際にシャルルが言ったその言葉は、なぜか、あたしの心の奥底に沈んでいって、ずぅっとあたしは忘れることができなかった。
そう、この事件が終わってからも、長く、いつまでも。






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愛すればこそロマンチック 7

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愛すればこそロマンチック(7)



7 ついに登場、消えた花婿



次の日は、なんと朝起きたら、アルディ家のどこにも、シャルルの姿もエリナの姿も見当たらなかった。
どうして、どこに行っちゃったの?
思い返すと、昨夜は、食堂で優雅にお茶を飲むシャルルに、ルパートの通訳で得たサミュエルとピエールの情報を隅から隅まで一つ残らず一生懸命に話したの。
ピエールがサミュエルをわざと走ってきた車の前に突き飛ばしたんじゃないかという疑惑についてももちろん打ち明けたのだけど、シャルルは鼻で笑うだけだった。

「バカバカしい。そんな噂があったのなら、警察が調べているはずだ。ひき逃げ犯人とピエールが共謀して、という線も当然ながら考えて捜査しただろう。ピエールが自由に国外に出られたのは、結果として彼に嫌疑がなかった証拠だ」

畳み掛けるように言われると、あれだけあやしいと思っていたピエールが潔白のような気がしてくるから不思議。
天才のシャルルがそう言うなら、きっとそうにちがいないって。
これはもう、条件反射の世界、つまりパブロフの犬っ。
あああたしって割と素直だったのね、わぉぉーん。
あたしは、ちょっとそこで思いとどまった。
でもまてよ。
なら、ピエールが犯した罪とはなんだろう。
やっぱり師が死んだのに、結婚しちゃう申し訳なさかしら?
それともひき逃げ後、ピエールが絵を売り飛ばしたのが本当なのかな?
近所からの噂を交えながらそのことをたずねると、シャルルは首を横に振って言った。

「それはちがう。アルディ家を出発する前にサミュエルの活動については大方調べておいたが、彼の絵は、彼の生前にすべて売りに出されている。どうやらサミュエルは作品を完成させては直ちに売るタイプの画家だったようだ」

なるほど。
そういえば、ルーアンに行く車中で、「サミュエルは新作が出るごとに値段がニュースになっていた」とシャルルが言ってたっけ。
ということは、ピエールにはサミュエルの絵を奪う動機は成立せず、従って、ピエールにはサミュエルを殺す理由も、ひき逃げ事故後、逃亡する必要性もない。
じゃあ、あの手紙にあった『重大な罪』って一体なんなの!?
ピエールは一体なにを後悔して、なにを償いたいと思っているの!?
また堂々巡りの難問に戻ったあたしは、シャルルの方からも情報を聞いて考えようと期待していた。
が、シャルルは、

「じゃあ、おやすみ」

とだけ言って、食堂から出て行こうとしたの。
待てっ、人にだけ情報提供させといて、それはないでしょ!
あんたはあれからどこで何をしていたのか、ちゃんと教えなさい!
叫んで彼の腕を掴むと、シャルルは不承不承という風に足を止めて、答えてくれたんだけど、かえってきたその答えは実に恐ろしいものだった。

「ルーアン警察と市営墓地」

警察はわかるけど、お墓ってなに!?

「サミュエルの死亡時の様子を知りたくてね。死体検案書を見に警察に行ったんだが、今ひとつ納得できなくて、サミュエルの墓に行った」

だから、それで、なんでお墓なの!?
お花とお供え物を持ってお墓まいりに行くってキャラでもないでしょうし、死体解剖が趣味のシャルルがお墓に行くとなれば……。
と思ったあたしは、とってもいやぁな予感がして、おそるおそるたずねてみた。

「……まさかよ。いや、これは、万が一の可能性として聞くだけよ? サミュエルは土葬で、あんたはその墓をあばいて、埋められていた死体を掘り起こして、解剖したとか、そんなことはまさかしてないわよねぇ?」

すると、シャルルは驚いたように青灰色の瞳を輝かせて、くすっと嬉しそうに笑った。

「おや、マリナちゃんにしてはするどいね。でも、残念ながら時間が足りなくて解剖まではしていない。掘り出して表面観察と検体採取をしただけだ。警察と神父の立会いで、ちゃんと埋め戻したから問題はない」

うわーーーんっ、やっぱりっ!
猟奇的だわ、怪奇漫画の世界だわ、キョンシーよ、ゾンビよ、エクソシストよ、現代版マッドサイエンティストだわ!
ああ、あの時一緒について行かなくて、本当によかった!!
それで、あたしはサミュエルの家の前で、置いてけぼりにされた恨みをすっかり洗い流して、ひとりで果敢に立ち向かってくれたシャルルの思いやりの深さと勇気の広さと志の高さに両手をあわせて感謝したのだった。

「そ、それで、何かわかったの?」
「ああ。きわめて面白いことがね。まず警察でわかったことだが、サミュエルがひき逃げされる数週間前から、毎晩彼の家に派手な身なりの女性が出入りしていた。ただ、ひき逃げ犯人が自首したため、その女性の身元は特定されていない。警察内では、ピエールの愛人だと結論づけて終わったようだ」

ピエールに、愛人!!
そんな!!
『重大な罪』って、そういうことだったの!?
殺人よりはましだけど、愛人もやだ!!
あまりの衝撃に完全にノックアウトされたあたしに関係なく、シャルルは自分の右手の指先を左手でツンツンとつついた。

「それから遺体の方。こちらからわかったのは、両手の指先。とくに爪の間の皮膚を分析した結果だが」

そこで言葉を止めたシャルルに、あたしは一気に前のめりになった。
な、何かが出たのね、殺人の証拠……テレビでよくある犯人の皮膚片とかっ!?

「何もでなかった。非常に綺麗な指先だったよ」

へ!?
世紀の大発見を期待していたあたしは、唖然、呆然。
するとシャルルは、人差し指を口の前に当ててウインクしながら、大輪のバラのような、見るもあでやかな笑顔を浮かべてあたしのハートをぶち抜いておいてから、その間にさっさと食堂から出て行ってしまったのよ。
わーん、なんなのよ、いったい!?
思わせぶりな言い方はやめてほしい!
あたしはくさくさしながら、メイドさんに案内されたかわいらしいピンクで統一された客室に入って、腹立ち紛れにふかふかのベッドにどーんと飛び込んだ。
そこで、あたしの意識はぶつっと切れた。
いえね、アストラルトリップしたとかじゃないわよ、ただ眠ってしまっただけ。
ルーブルの凍えるようなかびくさい地下でふた晩も過ごし、あげくに朝からずっとピエール探しで歩き回っていて、しかもエリナからは、無神経だの軽率だのとさんざんにののしられ、上品で可憐なあたしとしては身も心もボロボロだったのよぉ!!


それで、起きたら、シャルルもエリナもどこにもいなかったというわけなのよ。
時計を見ると、時刻は正午を少し過ぎたところ。
うーん、ちょっと寝すぎたかしらね。
でも、もともと漫画家というものは、基本的にお日様が出ている時にはあったかいお布団の中にいて、日没とともに生き生きと活動を開始するという、まっとうな社会人とは異なる、どちらかというと泥棒やコウモリに近い生体なのだから、しょうがないと思うわ。
自分のアイデンティティにかけてあたしは割り切ることにして、晴れ晴れとした気分で、食堂でたった一人遅い朝食をいただいていた時、入口の観音式のドアが廊下側からさっと開かれた。
入ってきたのは、漆黒のテーラードジャケットに、深えんじ色のVネックのケーブル編みのニット、下はブラックのスキニーパンツという、いかにもできる男の休日スタイルという感じのシャルルだったのだ。
ああ、美青年は何を着ても様になるっ!

「あらシャルル、いたの? エリナはどこ? 一緒じゃなかったの?」

彼は無言であたしのそばにつかつかと近づいてきて、感情を全く含まない金属のような命令口調で言った。

「エリナは、ルパートに命じて、ピエールの捜索という名目で、ルーアン周辺を適当につれ回させている。その間に、オレたちで、ピエールに会いに行くぞ」

あたしはただただ呆然と彼を見つめて、しばらくの間、口も聞けなかった。
本当にピエールが見つかったのだろうか?
昨日だって、サミュエルの家にいるって言っておいて、いなかったんだし。
天才の言うことなら盲目的に信じるあたしのパブロフの犬精神も、さすがにこの時ばかりは反応が鈍かった。
だって、ねぇ?

「……本当にピエールがいるの? 昨日、サミュエルの家にいるって言ったのは、みごとに間違いだったじゃない」

あたしのその言葉は、シャルルのエベレストよりも高いプライドを思いっきり刺激してしまったらしく、彼は魂の底から心外だとばかりに、自分の胸を何度も親指で指して、思いっきり眉を寄せた。

「オレを誰だと思ってる? オレはシャルル・ドゥ・アルディだ!」

よく知ってるけど……。

「たとえ太陽が西から上ろうとも、このオレに間違いはないんだ。いいか、ピエールは一度はサミュエルの家に寄ったんだ」

確信めいた言葉に、あたしは驚いて、シャルルを食い入るように見つめた。

「それ、本当?」

シャルルはまなざしに強い意志の光をみなぎらせて、うなずいた。

「ああ、間違いない。あの家の周囲には雑草が生えていただろう。それらに人が踏んだあとがあった。草の倒れ方と表面の湿り具合、土へのめり込み度合いからいってごく最近のものだ。
おそらくピエールはフランスに帰国後、すぐにサミュエルの家にやってきたんだ。近隣の住人に見つからないように深夜か早朝になどね」

シャーロックホームズも泣いて逃げ出しそうな推理をとうとうと説明されて、あたしは俄然、興奮してきた。

「草に足跡があるなんて、全然気づかなかったわ」

シャルルが、あたしの言葉を引き取って、フンと息をはいた。

「そうだろうな。君とエリナが、思いっきりその足跡を踏んでいたから」

あら、そうだったかしら。
あははと笑ってごまかしながら、どうしてピエールはサミュエルの家に来て、すぐにいなくなってしまったんだろうかと、あたしはそれがすごく気になった。
だって、エリナの到着を待たずにすぐいっちまったんでしょ?
何をしに、彼はサミュエルの家に来たの?
あたしが、それをたずねると、シャルルは即座に答えた。

「警察に言って、今朝、サミュエルの家を調べさせた。事故当時の資料と照合の結果、彼の家からは最後の作品、つまり描きかけの絵と画材一式が消えていた」

つまり、サミュエルの遺作と遺品をピエールが持ち出したの?
どうしてそんなものを?

「ドーバー海峡に面したヴィッサンという港町に、ピエールとサミュエルが育った養護施設がある。問い合わせた結果、数日前からピエールはそこにいる」
「ヴィッサン? どこ、それ?」
「カレーのとなりだ」

カレーって、ご飯にかけるあのカレー?
聞きながらあたしが首を傾げると、スムーズにすすまない話にイラついたのか、シャルルが噛み付くように言った。

「カレーは、街の名前だ! ドーバー海峡は、イギリスとフランスが海をはさんで最も近く向かい合う海峡だ。このドーバーの下には、海底部の総距離が世界最長のユーロトンネルが通っていて、イギリス側のフォークストンとフランス側のカレーとをつなげている。ヴィッサンは、そのカレーの隣にある小さな町だ!」

あ、そう。
よくわかったわ、ご苦労さん。
でも、なんで養護施設にピエールが行くの?
里帰り?

「さっさとしないと置いていくぞ」

有無をいわせぬ口調で言い置いてシャルルは食堂を出て行き、あたしはあわてて彼の後を追って、昨日と同じロールスロイスでアルディ家を出発したのだった。
広い後部座席に、シャルルとあたしは向いあって座った。
さあ、いよいよピエールとご対面ね!
それにしても、どうしてエリナは一緒じゃないのかしら?
すっごく喜ぶのにな。
あっ、そうか!
ややや、やっぱりピエールの『重大な罪』って愛人問題で、シャルルはエリナの受けるショックを考えてくれて、それであたしたちだけで先にピエールに会いにいくんだ、そうにちがいないっ。
緊張するあたしに、シャルルがふと言った。

「ひとつ聞きたいことがあるんだが」

なに?

「愛を誓いながら裏切った人間は、ゆるされる資格があると思うか?」

あたしはびっくりした。
だって、シャルルがあたしをじーっと見ていたの。
底が見えそうなぐらいきれいな二つの瞳がまばたきもしないで、じぃぃっと。
触れたら切れてしまそうなぐらいの激しさで、シャルルはあたしの中に真実を探そうとしているように、見据えるようにして、まっすぐに見ていた。

「……あんたはゆるす?」
「そうだな、オレは」

シャルルは小さく笑って、言った。

「ゆるすけど、憎むかもしれない」

その時、あたしは思い出したの。
エリナと一緒にアルディ家の彼を訪れた時、シャルルは、責めるような目であたしを見ていたってことを。
もしかしたら、あの時、シャルルは、あたしが彼を追いかけてきたと思ったのかもしれない。
でも、違ってて、一度は愛を誓いながらもそれを裏切ったくせに、その数日後にのこのこやってきて平気な顔で頼みごとをするあたしに、シャルルは深い失望を感じたのだ。
そうだ、きっとそうにちがいない。
あたしは、身に迫る罪悪感を覚えながら、シャルルを見つめて、言った。

「……ゆるされるか資格があるかどうかは、神様の領分よ。みんな、あーなんであんなことしちゃったんだろうってよく考えたら後悔するんだけど、その時はただ必死なだけだと思うの。
もちろん、裏切る言い訳にはならないわ。必死だったから、誰かを傷つけていいって理由にはならない。
でもね、大事なことは、間違えたと気付いた時に、それを認める勇気だとあたしは思うのよ。認めて、二度と繰り返さないこと」

シャルルは唇を引き結んで、一瞬たりとも目をそらない。
それが、彼の、あたしへの怒りだとあたしには思えたの。
ごめんね、ごめんね。
あんただけを好きになれなくてごめんね。
あたしは、和矢が好き。
どうしても和矢が大好きなの。
だけど、シャルルのことは友人として好きだし、シャルルとの関係を絶ちたくない。
だってシャルルが大切だから。
あんたとはこれからもお互いに思い合える間柄でいたいし、あんたのしあわせを願っているし、ずぅぅっと、いつまでも、永遠に繋がっていたい。
そう言えたらいいけど、それは彼の誇りを傷つけてしまいそうだから、やめた。
その代わり、あたしは、心の底から沸き起こるこの気持ちが彼に伝わるように、一生懸命に真実を込めて彼を見つめたの。

「シャルル、あんたに頼ってばかりのあたしだけど、これから先、もしあんたがピンチになった時には、何をおいてもかならず力になるわ。あの小菅の朝のようにひとりぼっちで戦いに旅立つあんたを、もう二度と指をくわえて見送ったりしないと誓うわ!!」

やがて、シャルルは小さな息をついて、静かに目を閉じて腕を組んだ。

「だったら、君がピエールをゆるしてやればいい。エリナのためにね。それと、三つの約束をよすがに、日本で君の帰りを待っている健気な和矢のためにもね」

あたしはぎょっとした。
和矢がどーしてここで出てくるのよ!?
しかも『シャルルに会わない』『思い出の場所に行かない』『シャルルのことを考えない』という、あの過酷な三つの約束のことをなんであんたが知ってるの?
さては……エリナがしゃべったな!
これじゃあ、あたしって、シャルルを振った人でなし、プラス、最愛の和矢との約束もないがしろにしている、ただのダメダメ女じゃないのっ!?
あれほどカッコよく愛について語ったあたしはもはやなんといっていいのやらわからず、すっかり動揺してしまい、シャルルは黙りこくったままで、そのあと、非常に気まずい雰囲気のまま、車は二時間ほど高速道路を走り続け、やがて前方に海が見えてきた。

あたしたちが目的の養護施設に着いたのは、午後三時を少し回った頃だった。
太陽が西日に変わり始めた時間で、海の表面が西側だけきらきらとオレンジ色に照っていた。
施設は、海に突き出るような形の断崖沿いに建っていた。
全体的に白く二階建ての、思ったよりずっと立派な建物で、シャルルとあたしが車を降りて門を入ると、施設の側面にあるその芝生の奥に、絵を描いている一人の男の姿が目に入った。
海に向かってイーゼルを立てて、背中しか見えないが、白いシャツの肩甲骨あたりで潮風に流れる長髪は、太陽に照らされて金色に輝いている。

もしかして、あれがピエール!?
ああ、やっと見つけた!

と思った途端、施設からスーツ姿の小柄なおばあさんが出てきて、ぺらぺらとまくしたてるようなフランス語で話しかけられた。

う、わからない!

あせるあたしをよそにシャルルはそのおばあさんと二、三言会話を交わし、彼女が目頭を抑えるしぐさをしたのを合図に、シャルルは頷いて、踵を返して芝生にいるピエールへと向かった。
あたしは慌てて彼の後を追って叫んだ。

「ねえ、なにを話したの?!」

シャルルはわずらわしそうにしながらも、足を止めて簡潔に答えてくれた。

「ピエールはここに戻ってきてから、ああやってずっと描いていると。ピエールは昔からそうだったそうだ。ひどく内向的な子供だったピエールは、いつも一人で絵を描いていた。それで、他の子ども達にからかいの対象にされていた。だが五才下のサミュエルだけは常にピエールの味方で、方法は不明だが、いじめを止めさせた。それ以来、ピエールはサミュエルにだけ心を開くようになったと」

え……?
それ、逆じゃないの?
絵ばかり描いていじめられていたのはサミュエルで、それを助けてあげたのが、ピエールでしょ?
あたしが近所の人から聞いた話では、その恩義があるから、ピエールがどんなにろくでなしでもそばに置いておいたんだって、サミュエル本人が言ってたって……。

「サミュエルの指先を調べたといっただろう。死体検案書に記載がなかったから、遺体を調べるに至ったわけだが、彼の指先には、本来あるべきものがなかったよ」
「それは、なに?」
「君の指先、特に爪の間をよく見ろよ」

言われて、あたしは、自分の指先を見た。
それで、ハッとしたの。
昨夜疲れ切ってシャワーも浴びずに寝たあたしの指先には、ピエールの似顔絵を描いた時の鉛筆の汚れが、黒いわずかな筋になって爪と肉の間に残っていたのだ!!

「サミュエルは画家で、それも新作を次々と出していた画家だ。ならば、どんなに清潔に保っても、爪の間にはかならず顔料や炭酸グリセリン、テレピン油など、絵の具の成分が残っているはずなんだ。だが、彼の爪の間には、それらが全くなかった。つまり、彼は絵を描いてはいなかったということになる。
だが、サミュエルは事故の数日前にも完成したばかりの絵を売りに出しているし、死亡後の警察の調べでも、家の中には描きかけの絵と画材がちゃんとあった。以上のことから導きだされる結論はただひとつだ」

それは、つまり!
目を見開くあたしに、シャルルは強くうなずく。

「サミュエルの作品とされていた絵は、すべてピエールが描いたものだってことさ」

あたしはびっくりして叫んだ。

「じゃあ、本当の画家はピエールの方だったの!?」

そんなあたしたちの気配に気づいたのか、イーゼルに向かっていた金髪の男が、ゆっくりと振り返って、その顔をあたしたちに向けたのだった。






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Xmas創作①「冷泉寺貴緒の緑の星」

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冷泉寺貴緒の緑の星




街を歩いていると、クリスマスカロルが聞こえた。
もう12月か。
今年はあまり寒くない。
季節を感じないまま、というか、夏が過ぎて、秋をしっかりと意識しないまま、冬がやってきた気がする。
普段から体を鍛えているおかげで、多少気温が低下しても、それをつらいと感じることはない。
けれど、それがめぐりくる四季のうつろいに気づかない鈍感さをやしなっているのだとすれば、改めなければならないなと、あたしは思った。


もともと12月は嫌いだ。
街も、人も、無意味にうわついている。
どこの店でも、ショッピングセンターでも、果ては我が父の研究所でも、クリスマスの飾り付けがなされている。
まるでクリスマスを無視しては、罪深い、と誰かがお触れを出しているようだ。
だから、あえて自分だけは冷静に、過ごしているようにしてきたつもりだ。
祝いたければ自分なりのやり方で祝う。
決して世間的に迎合したりはしたくない。


でも――

歩いていた足がふと止まった。
ショウウィンドゥに飾られていたツリーが目に入ったからだ。
綺麗な深緑色をした、飾りの一切ないヌードツリーだ。
高さは、あたしの背よりちょっと大きいぐらい。
あれはフェルト製か?
普通ならギザギザしているもみの木の先端がふわりとたいそう柔らかそうで、そのめずらしさが、あたしの興味を引いたのだと思う。
あたしは店に入って、それを手に取った。

「いかがですか? オーストラリアの羊の毛で織った、一点ものなんですよ。幹を分割できないので、お持ち帰りがちょっと大変ですけど、配送も承ります」

愛想の良い店員が話しかけてきた。
あたしは少し逡巡してから、それを購入して、店を出た。
一抱えもあるツリーをいだいて街路を歩くと、人目を引いた。
天気予報は雨だったが、それは外れたようで、厚い雲の間から冬らしい弱々しい陽がまぶしいくらい射していた。




12月、あたしがクリスマスを祝わなくなったのは、レオンに出会ってからだ。
彼の誕生日……というか、彼がミカエリスに捨てられていた日が、12月24日、クリスマスイブだということを聞いてから、あたしはクリスマスが嫌いになった。
自分の子を捨てた両親がいる。
レオンを捨てたやつがいる。
そう思うと、たまらなく憎くて、クリスマス自体がのろわしくなって、とても「メリークリスマス!」なんてはしゃぐことはできなかったし、同時にあたしがクリスマスを祝うと、レオンを侮辱してしまう気がした。
こんな気持ちをレオンに話したら、

「馬鹿だな。気遣いすぎだよ」

と言って笑うのだろうけど。


でも、今年は「メリークリスマス」って言ってもいい気がする。
レオンはもう、誕生日を呪わないだろう。

彼にとって誕生日は、もう苦しみの始まりではなく、愛の始まりとなったのだから。

レオンの誕生日に革命をもたらした少女――見た目は平凡なのに、まるで聖母マリアのように愛情深くひとを包み込む少女――ユメミは、おそらくケーキやご馳走を食べきれないぐらいに作って、クリスマスを大々的に祝うのだろうし、彼にすばらしい友情を誓った友である高天や光坂も、くったくのない笑顔で、クリスマスとともに、彼の誕生を心から祝うだろう。

だから、あたしは――

手の中にある、綺麗にラッピングされた緑色のツリーをぽんぽんと軽く揺する。


このツリーをレオンにあげよう。

「今の気持ちをこのツリーに飾れよ」

と言ってやろう。
いっぱいのデコレーションも一緒に贈ろう。
てっぺんの星も、赤と白のキャンディケーンも、靴下も、玉飾りも、キャンドルも、ギンギラギンのモールも、山のように、溢れるほどに贈って、彼が笑いながらツリーを飾るのを見たい。
レオンが自分の誕生日を、しあわせで飾るのを見たいんだ。
そうしたら、あたしも彼から卒業できる気がする。



あたしはツリーを抱えなおして、カロルの流れる駅へ向かって、足を速めた。

「レオン、メリークリスマス!」

という台詞をくりかえし脳内練習しながら。




ところが――

いつもの場所に到着して、ドアを開けた途端、レオンがいないことに気づいた。
代わりにとばかりに、ニンニクと肉の焼ける香ばしいにおいが、身体中の細胞を染める勢いで充満している。

「おお、冷泉寺っ、気のきいたもんもってるじゃないか!」

と高天がまず近寄ってきて、あたしの抱いたツリーをひょいと奪ってしまった。
ほらみろよ、緑一色のツリーだぜ、とみんなの方に向けて大声で言う。
すると、たちまち光坂やキッチンにいたはずのユメミも足早に集まってきた。

「へぇ~~、冷泉寺さんもクリスマスを祝うんだね」

光坂は、じーっとあたしを見た。嫌な目だ。ニコニコした笑顔だが、眼光はさながら獲物を狙う猫のように鋭い。
いや、猫だったのか、こいつは。

「感触がとってもやわらかい。優しいツリーだわ」

ユメミは大切なものに触れるように、恐る恐る手を伸ばして、指先でそっと撫でる。
皆がツリーを喜んでくれたみたいだった。
でも、あたしが望んでいた顔はない。

――レオンだ。レオンはどこいった?

あたしの様子から察したのか、光坂が教えてくれた。

「レオンさん、ちょっと出かけてるよ。すぐもどるって」

そうか。
あたしはほっとしたような、がっかりしたような、なんだかわからない気持ちになった。

「お♪ かざりもちゃんと用意してきたんじゃん! しかもこんなにいっぱい。じゃあ、これからみんなで飾っちゃおうぜ! いいんだろ、冷泉寺?」

無邪気で人懐こい笑顔でそう聞かれると、「ダメだ」なんて言えない。
本当はレオンにあげたかったんだけどな……という言葉を口内で噛み砕いて、
「じゃあ、みんなで飾るか」という台詞に変換した。


一時間後、ツリーは見事な出来栄えになった。
雪であるわた飾りは、ユメミが担当した。
さすが主婦、土台であるツリーのフェルト地の上に、あっという間にわたを実にバランス良く貼り付けていった。
電飾は高天と光坂の男二人組、効果的なライトの見せ方であれやこれやと苦労していたようだが、器用な光坂がなんとかバカ狼をリードして、割と上品なイルミネーションに仕上がっている。
残りの飾りは、あたしの担当だ。
禁断の木の実の象徴だというキラキラのボール。
羊飼いの杖を模したキャンディーケーンに、サンタクロースがプレゼントを投げ込むための大きな靴下、御子イエスを暗殺者から守った蜘蛛の巣をかたどったギンギラギンのモール……。
あたしはそれらを慎重に、すべてのものが美しくより良く見えるように計算して飾っていった。

そして――最後。
あとは、トップスターが上に乗れば、クリスマスツリーの完成となった。
あたしが星を手に、背伸びをしてかかとを浮かせたその時だった。

「オレがやるよ」

肩を後ろから掴まれて、びっくりして振り返ると、あたしの真後ろにはいつの間にかレオンが立っていた。

「あれ、レオン」
「おかえり、レオンさん!」
「ちょうどよかったわ、いま、みんなでツリーを作っていたのよ」

声をかける三人に続いて、あたしも言った。

「いなかったんじゃなかったのか?」

レオンは、首をかるくかしげて、ちょっとスマなさそうな顔をした。

「騎士団の本部から緊急連絡が入ってね。ホットラインで通信をしていたんだ。一番すてきな時間に間に合ってよかった。冷泉寺、その星、オレに飾らせてくれるか?」

あたしは一瞬、口ごもってから、

「いいよ。ほら」

後ろにいるレオンに、持っていた星を渡した。

「ありがとう」

彼は胸の前で星を両手で持けとった。
それから、レオンは、まるで宝物を抱くように、いとおしむようにそれをしばらくじっと見つめていた。
あたしも、他の三人も、神聖な儀式が行われているように、そんなレオンを黙って見つめていた。
やがて、レオンはふっと口元をゆるめ、星を右手に持ち、そのしなやかな腕をまっすぐ上に伸ばして、もう片方の手で星の後ろの針金を止めて、皆が飾り付けを終えたツリーの頂点に据えた。
レオンが腕を下ろしたのを見届けて、知らぬ間にしのび足で戸口に立っていた光坂が、部屋の電気をパチンと落とす。
そのとたん、わっと上がる大歓声。

「わぉ! やったぜぃ! 完成っ!!」
「天吾と人吾にも見せてやりたいわ!」
「最高に素敵だね! こんなツリー、初めてだよ!」

あたしも息をのんだ。
きれいだ。思ったよりずっと。
ツリーが生まれた。そんな風に言えば伝わるだろうか。
もみの木のフェルトがあたたかみのある聖さを醸し出して――ゆきも、電飾も、あたしが飾ったモールなども、それからレオンの星も、すべての配置が完璧で、おそらくどれ一つ動かしてもこの調和が崩れてしまうだろうと思えるぐらい――見事なツリーだったのだ。
高天とユメミは犬のように手を取り合ってツリーの周りを駆け回りはじめ、光坂は自分のかざった電飾を満悦そうにながめて、感嘆の吐息を何度もついている。
そんな三人を見ながら、レオンはほんの少し頭を落とすようにして、あたしにだけ聞こえる声で、言った。

「冷泉寺、ありがとう」

あたしは、ドキッとしてレオンを見た。
レオンはあたしの方を見て、おだやかな笑顔を浮かべていた。

「あのツリー、オレへのプレゼントだったのだろう?」

レオンのその問いかけで、あたしは、このツリーを持ってきたのがあたしだということも、そしてその意味すらもレオンが悟っていることを知り、とっさに言葉が出なかった。
恥ずかしさ半分、面白くない思いを半分感じながら、あたしは、フンと顔をそむけて、つぶやいた。

「別に。あいつらが喜ぶかと思っただけだよ」
「そうか」
「そうだよ。でも、あんたもたまには人間らしいことをしていいだろう」
「ああ、とても嬉しい」

正直な感想に、あたしは喉の奥が干上がる。

「クリスマスがこんなに楽しいものとは知らなかった。これまで騎士団の中で、ミカエリスの中で、義務的にクリスマスを祝ってきたけれど、間違いなく、今年がもっともすばらしいクリスマスだよ」

レオンは微笑み続けている。
瞬間、あたしの口からは、練習してきたセリフが止める間もなくこぼれ出ていた。

「……メリークリスマス、レオン」

地獄の果てのような深淵にツリーだけが静かにまたたく幻想的な空間で、あたしの視界の中にいるレオンが、この世のすべてのしあわせを集めたような面差しで笑う。
ああなんて、レオンは美しいのだろう。
寒夜の研いだ星のよう。
凛として気高く、濡れたようにあでやかで、
そして、はるか彼方にとおくて――


あこがれているから、
いや、死ぬほど好きだから、
この手で触れたいのに……。


――あたしはこうやって生涯、黙って見上げてるだけなんだ。



「メリークリスマス、冷泉寺。これからもよろしく」

なのに、レオンときたら、無神経にもあたしの肩に再び手をのせた。
くそ。簡単に触れてくれるな。
これじゃあ、あたしはあんたから卒業できないじゃないか。

「しかたがない。あんたが無茶しなくなるまでは、お付き合いするよ」

あたしは、ただの幼馴染と呼ぶには魅力的すぎるこの男に、「フン」とひとつ盛大な鼻息をお見舞いしてから、彼の手を振り払い、ツリーの前でバカ騒ぎする高天たちの元にゆっくりと歩いていった。






《Fin》

Xmas創作②「美馬貴司の赤い罠」

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美馬貴司の赤い罠




「いや、まって……っ」

彼女の唇を目指していた口に手のひらを押し付けられて、俺は目を見張る。
キスを拒まれる。
それは、男としては、ちょっと屈辱。
今日はクリスマスイブ。
愛する恋人のために、落ち着いた店でのクリスマスディナーを取り付け、二人で和やかな時を過ごし、それから少しアルコールを嗜んで、タクシーで美馬邸に戻ってきた。
俺の邸に案内して、彼女の右手をとってエスコートして引き入れ、玄関のドアを閉めた。
紳士的精神が発揮されるのは、そこまで。

「キスがいや?」

情けなくも声がかすれた。
焦っているつもりはないのに、声のありかまですべてコントロールすることはできないでいるらしい。
でも、ゆるしてくれよ。
それだけ花純、君がほしいんだ。
君を待っていたんだ。
表面上は余裕をなんとか保ちつつ、内心は傷ついているそんな自らを嘲りながら、

「なぜ、いやなの?」

とたずねると、花純は少し口ごもってから、

「だって口紅がとれちゃうわ。せっかく綺麗に塗ってきたのに……」

と小さな声で言った。
俺はびっくりしてそんな彼女を見つめた。
ほおがチークとは明らかに違う色で染まり、口を拗ねた子どものようにつぐんでいる。
なるほど、今日の彼女はとても丁寧にルージュを塗っている。
めずらしく真紅のルージュだ。
そういえば食事の時も口紅がとれないように気をつけて食べていたようだったし、終了後すぐに化粧室に立ち寄っていたのは、ルージュを直すためだったらしい。
花純はたいていピンクのルージュをつける。地肌が白い彼女には、可愛らしいピンクがとても似合っていて、ピンク色のふっくらとした唇に、実はひそかに心の火を燃やしていたのだが。

「どうして、今日は赤なの?」

と俺が聞くと、花純は顎を引くようにして、ますます小さな声で答えた。

「魅力的かな、と思って……」

その返事に、俺はくすっと笑みを漏らしてしまう。
そうか、彼女もまた、このイブを特別だと思ってくれていたらしい。
確かに今日の彼女は普段とはまるで違う。
デコルテが大きく開いたVネックの黒いニットも、そこに品良くかかる細い金の鎖も、ゴールドサテンのスカートも、こめかみから耳にかかるように一筋だけのこして結いあげた髪も、そしてらしくない真紅の口紅も、すべてクリスマスイブのための特別仕様だったというわけだ。

――俺のための。
――俺に見せるための。

とそこまで考えた瞬間、もはや我が身を止めるすべはなかった。

「ちょっとっ、美馬、ダメだってば……っ!」

花純は俺の胸を押して、俺を必死で引き剥がそうとする。
俺は言った。

「君こそダメ。その赤い口紅を選んだ時点で、君の負け」
「え?」
「俺の暴走を許可したってこと」

心外だという顔で、俺を見上げる花純の艶めく赤い唇に、俺は思いっきり口づけた。




《Fin》

Xmas創作③「響谷薫の白い光」

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響谷薫の白い光



「ブラボゥゥゥゥ!!」

一瞬の静寂のあと、地鳴りのような声が響いた。
会場からは割れんばかりの拍手が鳴り、次々とスタンディングオベーションがはじめる。オーケストラの面々も楽器を笑顔で鳴らし、賞賛を表している。老齢の指揮者がにこやかに礼をして、本日のソリストを紹介した。
ステージの中央で、深紫色のドレスを身にまとったこのソリストは、若干二十歳の日本人女性で――自身の持病と家族が起こした犯罪で一度は音楽家生命を危ぶまれたものの、稀有な才能と本人の意思によって復活を果たした――美貌のヴァイオリニスト響谷薫だ。
彼女が今回組んだオーケストラは、国際的には無名に等しい交響団だった。だが、薫の境遇とその復活を知ったマスコミが『悲劇の美人ヴァイオリニスト、涙の復活!』と銘打って大きく報道したため、いずれの国でのコンサートでもチケットはほぼ完売。結果、ツアーは大成功を収めたのである。
その楽日が、ここロンドンでのクリスマスイブコンサートだった。
何度も繰り返されるアンコールに笑顔で答えてから、控え室に戻った薫は、兄から譲り受けた大切なニコロ・アマティをテーブルに置くと、すぐにドレスを脱ぎ捨てて、白いシャツとジーンズ姿になった。ピッチャーからコップに水を汲み、それを手に椅子にどさっと腰を下ろして、コップの中身を一気にあおる。

「ふーっ……」

終わった。
薫はいつもこの瞬間が好きだった。
自分がやるべきことをやり遂げたと思える瞬間。
今日の演奏も完璧だった。一分の隙もなかった。
いや、ツアー全体、ひとつのミスもした覚えはない。
薫は自らの演奏を頭の中でリプレイしていた。それは正確に再現されていく。初めの一音。オケとの合わせ。そのあと、たった一人で弾くカデンツァになり、それから壮大なラストへ。
オーケストラが破壊的に、扇情的にかき鳴らすグランドフィナーレに非情な死刑宣告を下すように、薫が最後の弓を振り上げた瞬間、いっさいの音が止む。
その瞬間に感じるのは、光がはじけるような恍惚感。聞き慣れていたはずの曲なのに、初めて知ったかのように、脳があらゆる呪縛からふわっと解放されて、目の前が開け、天国のような花園を見るのだ。
そこに降り注ぐ「ブラボゥ」の叫びと拍手喝さい。
思い出しても、身が震えるような快感だ。
空のコップを手に、微笑を浮かべながら余韻に浸っていたその時だった。
突然、扉が大きな音でノックがされ、それに薫が応じる間もなく、男が二人入ってきた。ひとりは、今日共演したオケのマネージャーだった。頭頂部の禿げた赤ら顔の、暑苦しい太った男だ。
後ろには、まだ燕尾服を着たコンサートマスターの顔が見える。
マネージャーは勢い込んで言った。

「ミス響谷! ありがとうございます! あなたの演奏はすばらしい。うちの団員もみな感動しています。ねぇ、パトリック?」

荒い断続的な呼吸に混じったその呼びかけに、コンマスは笑顔を浮かべた。

「ええ。本当にすばらしかったです。ミス響谷。あなたとの共演はうちの団にとって、とても大きな財産となりました。感謝します」

コンマスは薫に右手を差し出した。薫はコップを脇に置き、立ち上がった。

「こちらこそありがとうございました。機会があれば、ぜひまたご一緒させてください」

二人は固く握手をした。思ったよりも力のない手だなと薫は思った。
コンマスは薫の顔を眺めながら言った。

「また我が団が財政難になった時は、ぜひ来てくださいね」

一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった薫は、直後に、顔にカッと大量の血がのぼるのを感じた。
それはつまり――演奏を気にいったのではなく、ただの客よせパンダとして来いと?
マネージャーが慌てた様子で言った。

「じゃあ、ミス響谷もお疲れでしょうから、われわれはこれで」
「そうだな。では」

コンマスは紳士的な礼を尽くして出て行き、マネージャはセイウチのような動作でそのあとを追っていった。
二人が出て行った後の控え室で、薫はただ何をすることもなく立っていた。
演奏が終わったばかりにいだいた興奮は嘘のようにしぼんでいた。薫には、それがすべて幻だったように思えてくる。満場の聴衆も拍手喝采も、オケたちの笑顔も、スタンディングオベーションも、自ら満足できたはずの演奏も、今の薫にとってはなんの価値もないものに変わっていた。
もとより、薫には、自分が客よせパンダ扱いされていることは承知だった。
本来であれば音楽家として生き残ることのゆるされなかったはずの自分が、再び舞台に立つことができたのは、皮肉にも、低俗な意味で大衆受けする半生があったからだ。
だから、パンダ扱いが正当な評価だということはわかっていた。実力以上にもてはやされているのは、悲劇的な人生からの復活という謳い文句が衝撃的なだけで、それがなくては、どれだけ情熱と努力をつぎ込んだ演奏をしようとも、そこに誠実さを注ごうとも、上質な音楽を歌おうとも、誰も見向きなどしない。
それでいいと思っていた。
兄との約束を守って、音楽の道へ戻ると決心したのだ。
手段など考えていられない。ただ舞台に立てればいい。そう思っていた。
なのに――。
薫は激しく傷ついている自分を認めざるをえなかった。

あたしは、なんなのだ。
あたしという人間は、一体なんなのだ。
泣きたい。けれど、泣くわけにはいかない。
あたしは、兄さんと約束したんだ。
何があってもヴァイオリンを弾き続けると。
兄さんができなかったことを、あたしがかわってやり通すと。
だから、こんなことぐらいでくじけるわけにはいかないんだ――……っ。

薫は右手で口元を大きく抑えて、肩に顔をつけた。
小刻みに震える体を、自らの尊厳と意地と、兄への愛で、必死にこらえた。


それから、時間にして数分たった頃だ。
コンコンと控えめにドアがノックされた。
薫は、口を手で覆ったまま、身を縮めるようにして、ドアに背中を向けた。

「……どうぞ、あいてるよ」

ガチャッと音がして、明るい声がした。

「カオル、久しぶり!」

懐かしいその声に驚いて振り返ると、以前、この街で知り合った大男ガイがそこにいた。

「おまえっ!! なんでこんなところにいるんだ!?」

ガイ・テルミナ・エルセバード・ロード・アルフェージ・オブ・ソールズベリー。
イギリス伯爵家の長男にしてアフリカ育ちのこの野生児とは、ヒースロー空港で知り合った。当時の彼はあまりに泥臭く、汚く、しかもワニ連れで、父である伯爵自身が「こんなみっともない男は息子ではない」と詐欺師扱いして追い出そうとしたくらいだ。
だが、今では立派な伯爵家の跡取りとして、見事な身なりに変容していた。ガイは、輝くような金髪によく似合う黒いスーツを身にまとい、洗練された仕草で控え室に入ってきて、造作の整った顔に最大限の喜びを浮かべて、大きな花束を差し出した。

「おめでとう、最高のコンサートだったよ!」

そんなガイを、薫はスローモーションのようにきつく睨んだ。
賞賛の言葉が、ちっとも心に入ってこないのだ。それは、体の表面をなぶるように行き過ぎて、かえって、ささくれを掻き壊したような薫の生傷を痛めつけた。

「最高のコンサートだって? 嘘いうなよ」

この反応はガイにとって意外だったようだ。彼は、眉やサファイアブルーの瞳、口といった顔の部分品を中央に集中させて、驚いたという感情を素直に表現した。

「どうしてオレが嘘をいうんだい?」
「ああ、いいよ、みなまで言うな。わかってる。あたしの演奏を聴きたいと思って来るやつなんかいない。ひとりもいない。可哀想な人生を送ってきた女が、それでもヴァイオリンにすがりついてる様を眺めに来るだけさ。ひやかしさ」

言いながら、薫はいいようのない惨めさに自分がとりつかれていくのを感じた。薫にとって兄との唯一の絆であるヴァイオリンがすべてだった。それをあのような形で侮辱された今、薫はどのようにして自らを支え、保っていけばいいのか、わからなくなっていた。
ガイは困ったように笑って答えた。

「薫、何を言ってるんだい? クリスマスはとっておきのことをする日だよ? 普段の生活とは区別して、特別で大切な日にしたいと多くの人が願っている。今夜、君のコンサートに来た人は、君の演奏を聴くことが、クリスマスにふさわしいスペシャルでしあわせな時間だと思ったから来たのさ!」
「……っ!?」

薫はガイの顔を見つめた。ガイは未だに受け取ってもらえない花束を抱えたまま、ニコッと笑った。

「オレだってそうだよ。君のヴァイオリンが忘れられなくて。あ、もちろん、君のことも忘れられなかったけどねっ」

ガイは慌てたように付け加えた。薫が目を見開いた直後、ドアがノックされた。
運ばれてきたのは、花束の山。それは今までどのコンサートで贈られたよりも多い。控え室があれよあれよという間にむせ返るような花の香で制され、白いシャツ姿の薫と、黒いスーツ姿のガイを埋めた。
花屋でも開店できそうな花の洪水に、薫が戸惑っていると、ガイが言った。

「ほらね。みんな、君の演奏に感動したんだよ。……ところで、もしこの後、スケジュールが空いていたら、クリスマスディナーを一緒にどう? 美味しい店を知っているんだ」

薫はしばらくガイを食い入るように見つめてから、訝しげに眉を寄せた。

「まさか、ワニを食わすんじゃないだろうな?」
「それもいいね」

とガイは笑った。健康そうな白い歯が光った。

「ワニって栄養あるから、ヴァイオリニストに向いてると思うよ。淡白だから胃にももたれない。おのぞみなら、オレが料理するよ。今からくる? 懐かしいでしょ? オレの家。父も君に会えると喜ぶよ」
「おいおい、まだワニいたのかよ……結構長生きだな」

薫は苦笑した。
クリスマスイブに、ワニとあの気難しい伯爵様か――。
薫は頭をぽりぽりと掻きながらガイに背を向け、テーブルに置いたままだったニコロ・アマティを手に取った。薫はそれを慎重な仕草でケースに入れ、パチンと蓋を閉じる。

「ワニは天寿を全うさせてやろうぜ。あたしがその辺でチキンを買って、伯爵に差し入れしてやるよ」

たちまちガイは嬉しそうな声を上げた。薫はそんな彼を横目に見ながら、ヴァイオリンケースを肩に担ぎ上げ、戸口のそばのフックにかけてあったレザーのジャケットをつかんで、花の園になった控え室を後にした。





《Fin》

Xmas創作④「アルディ家の金の夜と銀の夜」

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アルディ家の金の夜と銀の夜



私はアルディ家の乳母を務めた者でございます。三十代ご当主ロベール様をこの手でとりあげお育て申し上げたのも、僭越ながら、老婢なるこのわたくしでございます。
ずっと秘めておりましたこのお話をしたいと思い、本日は参上いたしました。

あれは……二十年前のことでございます。
アルディに不吉な運命の双生児が生まれたのは。
あのころは、アルディ家にも笑いが満ちておりました。
ご当主ロベール様は若くて豪胆な主人として、一族を彗星のごとく導いておられました。ロベール様の下、離反するものなど一人もおらず、アルディはまさにこの世の栄華を極めておりました。
奥方エロイーズ様は、その美しさと聡明さで、パリ社交界のきっての花形でした。お二人はたいそう仲の良いご夫妻で、それは私などの目から拝見しておりましても、羨ましいほどだったのでございます。
そんなお二人に待ちに待った懐妊の知らせが届いたのは、夏にわずかばかり早い日でした。
奥様はほおを薔薇色に染めて、嬉しそうに私に打ち明けました。

「あの人は喜んでくれるかしら?」

私は、「もちろんでございますよ」とお答えしました。

「アルディのお世継ぎでございますからね。旦那様は祝砲をあげるかもしれません」

奥様はくすくすと笑いました。鈴を転がすような笑い声、というものは奥様の微笑む声だと私は思います。透き通ったソプラノのお声が至極気品高く、心地よく、私は奥様の笑い声なら一生聞いていたいと願ったほどなのです。
果たして、旦那様の喜びはたいそうなものでした。奥様にさっそく外出禁止を命じました。重いものを決して持つな。ぶつけるな。走るな。動くな。これではお腹の子がさぞや退屈であろうと私はひそかに腹をよじりました。

「少しは動かないと、おでぶちゃんが生まれてしまうわ」
「何を言う。美しい子にちがいない」
「すごい自信ね」
「もちろんだ。アルディの子だ。かならず、地球上でもっとも美しくて強くて賢い子が生まれる」

確信めいた旦那様のお言葉に、奥様は降伏したようでした。お幸せそうな降伏でした。
それから月が満ちる間――奥様は旦那様の言いつけを守って暮らしました。見ている私が溶けるような微笑みを浮かべて、お腹をさすって子守唄を歌う毎日です。お腹のお子様はそのお声に応えたのでしょう。順調に時は経過しました。

しかし――。
運命とはなんと残酷なのでしょう。
秋風がさらりと薫るようになった頃、私はひとつの事実を旦那様に告げることになったのです。
お腹の子は双生児である、ということです。

「本当か? 間違いないか?」

旦那様は私に何度も問い直しました。私は素直に答えるしかありません。当主に偽りを言うことなど、神に誓ってできませんでした。

「……なんということだ……っ」

旦那様ははっきりと懊悩を顔に浮かべました。
私がとりあげ、お育てしたロベール様です。そのお心のうちは恐れながら手に取るようにわかりました。名家の歴史は双生児を呪いとみます。聖書におけるエサウとヤコブがまさしくそうです。彼らは家督相続をめぐり騙し合い憎み合い、殺意を抱き合いました。ロベール様は我が子が、そして我がアルディがその轍を踏むことを、憂いたのです。
旦那様は部屋に閉じこもるようになりました。急速に膨らんでいくお腹を愛おしそうに撫でて、子守唄を歌う奥様をただ見守ることしか私にはできませんでした。
旦那様が決心をしたのは、それから数月たったクリスマスイブの夜でした。産み月がちょうどあと一月に迫っていました。ツリーが美しく飾られたサロンでそれは行われました。人払がされましたが、いざという時の備えのために、私は立ち会うように申しつかりました。
旦那様から「お腹の子は双生児なのだ」と告げられると、奥様は驚いた顔をなさいました。

「だったら、すべてのベビーグッズを二つにしなくちゃ。忙しくなるわね」

その顔に影は指しません。むしろ、喜びが二乗されたようでした。

「エロイーズ」

喜ぶ奥様に、旦那様は言いました。

「将来の憂いをなくすために、赤ん坊が生まれたら、片方はキューバに送る」

奥様は「え?」と言いました。何を言われているかわからないという様子です。私は見ていられなくて、目をそらしました。奥様の声は嵐の梢のように震えています。

「あなた、何を言っているの……?」
「双生児は争いのもとだ。長子は一人で生まれるべきだ。片割れはアルディ家の存在を知らせずに育てる。そうすれば育った場所にふさわしい平凡な人間になるだろう。もう決めた。君も承知しておいてほしい」
「本気なの?」
「アルディ家のためだ。君もこの家を愛してるだろう?」

シンと部屋が静まりました。旦那様がもう一度奥様の名前を呼びました。直後、バンという何かが叩きつけられるような音とともに、旦那様の叫び声が。

「エロイィィズっ!!」

私が振り返った時には、倒れた奥様を旦那様が抱き起こしていました。床に落ちた奥様の手が、雪のように白く、恋すら知らぬ少女のようにかぼそかったことを今でもはっきりと覚えております。
奥様はすぐに覚醒しました。倒れたことが嘘のようにです。心配のあまり心を破りそうになっている旦那様に微笑みかけ、優しく慰めたほどでした。
すぐにお腹のお子様の様子を見ましたが、それが運命だったのでしょう、何一つ異常はありませんでした。
それから一ヶ月奥様は穏やかに過ごし――年が明けた二十五日早朝、双生児を出産いたしました。たおやかなお身体のため、少々難産でしたが、無事に元気な男のお子様がお二人、誕生したのです。

「では、先に言った通り、弟の方をキューバに連れていく」

奥様は「はい」と答え、生まれたばかりの我が子を渡しました。その顔はいさぎよく、納得しているかのように見えました。
私には、そう見えた、のです。
ああ、私はなんと浅はかだったのでしょう。いえ、私はロベール様をお育てしたという驕りから、目が濁っていただけなのです。
そのあと、奥様がどうなったのか、私の口からは申し上げることはできません。奥様は川を渡られたのです。クリスマスイブのあの夜、お腹の子のために必死でこらえた悲しみと狂気の冷たい川を。
役立たずの私は双生児をとりあげたのち、高名な医学博士オーギュスタン・カバネス博士に奥様をゆだね、アルディをおいとましました。今はただ、アルディの家には、手元に残された子――シャルル様が、先代ロベール様をはるかにしのぐ天才として、フランスの期待を一身に背負って、お育ちになっているという噂を耳にするのみでございます。
人間の心は闇夜のようでございます。月がでれば金銀にも勝る輝きを放ちますが、それが雲に隠されてしまえば、あえなく道に迷い、盲人のように立ち止まるしかないのです。
あれからロベール様は自らの罪を忘れようとするかのように、家に立ち寄らなくなったそうです。口さがない人々の噂によれば、多くの愛人を持つようになったとか……。愛し合っていたお二人の笑いに満ちていた家は、海辺に作り上げた砂の城のようにはかなく崩れ去ってしまったのでございます。





あれから二十年が経ち――
私は再びアルディ家の門をくぐりました。
あの夜、ロベール様がエロイーズ様に悲しい宣告をしたのと同じ、クリスマスイブの夜でございます。友人を頼ってドイツでひっそりと暮らしていた私を、なんと、シャルル様が手を尽くして、探し出してくださったのです。

「とうとう見つけたぞ。まさかドイツにいるとは思わなかった」

私はなんと申していいのか、言葉をうまく見つけることができません。
あの時、この手でとりあげたロベール様の赤子が、見上げるような長身の、それは麗しい貴公子へ成長されて、目の前に立っておられるのですから。

「父の遺言のひとつに、あなたを探しだして、生活を十分に保障するようにとあった。だから、今後の生活はすべてアルディが世話するから、パリに居を移すといい」

すると、シャルル様の背後からシャルル様にそっくりな方が近づいてこられました。一見して、あの時キューバに送られた双生児の片割れだとわかりました。シャルル様が「ミシェル」と呼ばれました。どうしてお二方が一緒におられるか、私にはすぐに飲み込めませんでした。

「シャルルの言う通り、これからはのんびりと暮らすといいよ。ママンがよく言っていた。彼女にはお世話になったんだって」
「そうなのか?」

ミシェル、と呼ばれた弟君は、「うん」と頷いてシャルル様の肩に手をかけました。

「俺たちが生まれる時、父上様はちょっと無神経だったみたいだよ。その時、慰めてくれたのが彼女だったんだって」
「へえ……」
「俺たちをとりあげてくれたのも彼女なんだぜ?」

初耳だという顔をなさるシャルル様。そんなシャルル様にもたれながらくすくすと笑うミシェル様。私はなんということだろうと思いました。お二人の間には争いなどといったものは見受けられません。どこにでもいる普通のご兄弟のような親しさがそこにはありました。

「シャルルーーっ! ごちそうが足りないわよ! もっと持ってくるように言ってよ。今夜はクリスマスイブなんだから、ケチケチしない!」

サロンの奥から元気の良いお声が聞こえてまいりました。たちまちシャルル様が美しい白金の頭を抱えました。

「マリナさん、そんなに食べてはお腹を壊しますよ」

シャルル様方によく似た女性もおられます。女性二人はたいそう仲が良いご様子でした。

「シャルル、君の婚約者はいつでもにぎやかだな」
「ミシェル、君の婚約者がちゃんと見張っていてくれるから、安心だよ」
「ジルを貸した覚えはないけど?」
「大丈夫だよ、夜はちゃんと返すから」
「当たり前だ! 飽きたからって、君の下品な婚約者をよこすなよ」
「誰が手放すか! マリナは一生俺のものだ!」

二人はまるで稚児のように言い争いを始めました。私はそれを見て――もう何もいらないと思いました。枯れた私の眦からは涙があふれ、お二人の姿がにじみます。

「……少し疲れたようです。椅子に腰掛けさせていただいてよろしいでしょうか?」

私がそう言いますと、シャルル様はメイドに椅子を用意させてくださいました。私は出来る限り部屋の隅の方にその椅子を移動してもらい、無礼だとは思いながらも背もたれに身を預けて、皆様のご様子をとくりと眺めました。
シャルル様とご婚約者様、ミシェル様とご婚約者様が談笑しておられます。
皆様の後ろには大きなツリーが輝いていて、それは二十年前のツリーと同じでした。私が狼狽と困惑の中でとりあげた二人の赤子は、一度は引き離されたものの、闇夜に各々の金銀を見出して確かな足取りで歩いているのです。幸福そうなそのお姿を拝見できて、老輩のこの身に、これ以上のぞむものなどありましょうか……。
パーティは続きます。しっかりとこの光景を目に焼き付けたいと思います。
なのに、ああどうしたのでしょう。瞼が鉛を流し込まれたようにひどく重くなり、どうしても開けていられないのです。年甲斐もなく興奮したからでしょうか。頭の芯を溶かすような眠気が急に襲ってまいりました。これだから歳はとりたくないものです。

「シャルルの探していたおばあちゃん、チキン一緒に食べない? ……おばあちゃん? しっかりしておばあちゃんっ!! シャルル、早く来て!!」

ロベール様、エロイーズ様、見ておられますか?
あなた様がたの双生児は、旦那様のおっしゃった通り、地球上でもっとも美しくて強くて、賢いお子様がたでしたよ。
ええ、ほんとうに……。



《Fin》

暮れのご挨拶とXmas創作あとがき

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いよいよ年の瀬ですね。
シャルルとマリナが小菅にやってきた日が過ぎました。
結構寒いですよね~。
拘置所の別れの朝は、みんな白い息を吐きながらしゃべっていたのだろうな、なんて、思う今日この頃です。



ここでXmas創作のあとがきをすこし。
クリスマスの色ってありますよね。
緑、赤、白、金、銀……
その色をイメージした、カラーイメージ創作が、今回のXmas創作です。

①「冷泉寺貴緒の緑の星」
緑といえば、総帥の髪の色が浮かんじゃいました(笑)
そして、彼のことを一番想っているのは、もちろんアガペのユメミでしょうけど、総帥の髪の色をツリーの色に寄せて考えるのは、むしろ報われない恋を抱える冷泉寺さんの方かなと。
鉄女と呼ばれる彼女。
でも、「恋すれば宇宙中が二人の国」と言うほど心は乙女。
そんな彼女の、切ない恋心をフェルトのツリーに託してみました。
ロッジのクリスマスパーティー、楽しそうで、ぜひ参加したいです。

②「美馬貴司の赤い罠」
「赤」=「美馬様」しかないでしょう!
というぐらいあっさりとできたコレ(汗)
花純ちゃんの赤いルージュに欲情(!)しちゃう美馬様という、偉大なるマンネリですが、せっかくのクリスマスですから、ラブい話もいいですよね~♡
暴走した美馬様、ちょっと窓からのぞいてみたいです…。

③「響谷薫の白い光」
クリスマスといえば、クラシックコンサート。
はい、あまりにもセオリー通りですが、年末はコンサートが非常に多い時期です。
薫ちゃんもきっと音楽界に復帰した暁は、クリスマスはどこかのホールで、大勢のお客様の前にヴァイオリンを弾いているに違いないと思いました。
彼女の才能はひとみっこなら誰しもが知る所ですが、才能だけで純粋に判断されないのが、世の常。
それで辛い思いをすることもかならずあるでしょう。
音楽を奏でることで味わう達成感。白い光がはじけるような幸福感。
そこから一気に現実に戻った彼女と、真っ白いキャンバスのような素朴青年ガイとの友情物語を考えました。

④「アルディ家の金の夜と銀の夜」
金といえば、「白金の髪」の我らの王子様です!
マリナに金のアクセを送るとか、シャルルの髪がツリーの光で金色に見えるとか、それこそそういう偉大なるマンネリも考えたのですが、前にそういうのは書いたがことあるので、今回は一歩踏み込んでみました。
「金と銀、セットで捉えるとどうなるだろう?」
銀とはすなわち、シャルルの影でありシャルルの片割れ、ミシェルです。
生まれてすぐ引き離された二人が、それぞれに生きる道を見つけ、和解して、幸福に暮らす未来を無性に描きたくなりました。
私が動くミシェルを書いたのは、実はこれが初めてです。ミシェルというキャラがなかなかつかめずにこれまで回避していたのですが、ついにこの時がきました。ということで、これは私にとって記念碑的創作になりました♪


銀バラも新花織もマリナシリーズも、問題山積で原作は終わってますので、みんながそのあとどんな風に大人になったのか、私たちは想像することしかできませんが、
「どこかで、キャラたちがこんなクリスマスを送ってるかも♪」
とちょっとでも思っていただけたら、幸せです。



2016年も残すところあとちょっととなりました。
これが今年最後の更新となります。
今年も情熱と愛をたくさんぶちまけることができました。

長編「愛に濡れた黙示録」全50話。
中編「愛の波、罪の海」
中編「勲章」
連載中「愛すればこそロマンチック」
あと、短編はちょこちょこと。

えーっと、実は仕上がりに非常に不満足なものがあるのですが。。
もう直さないことに決めました(笑)
どれもその時の私の「大好き!」が詰まっている記念碑。
そう思っちゃおう。うんっ。

来年、どんな活動をするのかまだ未定ですが、これからも心のなかにいるシャルルたちを大切にしていきたいと思っています。
ご訪問くださったみなさま、お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました。
ぜひ、新年も宜しくお願いします♡

2017年が、皆様にとりまして、素晴らしい年になりますように。


愛すればこそロマンチック 8

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《ご注意》シャル×マリです。小菅の別れ当日から開始。
16万ヒット記念テーマソング創作(兼)2016マリナBD創作。
全10話程度を予定。
++++++++++




愛すればこそロマンチック(8)




8 大逆転、海へ向かって愛のダイブ!?




「あんたがピエールなの!?」

あたしがたずねると、岬の上に広がる芝生に立てたイーゼルの前に立つその男は、体を少しひねるようにしたまま小さく頷いた。
西日の海に、白いシャツが映える。
断崖を駆け上るようにして吹いてくる風に長い金髪が散らされて、幾筋もが、ほおや少し肉厚な形のいい唇にはりつくようにかかっている。
横から照りつける日光で浮き彫りにされた顔は、陶器のように白く、恐ろしいぐらいに甘美で、まるでアフロディーテが男になって目の前に現れたようだった。
波と風の騒ぐ音のなか、彼は答えた。

「君はだれ?」

日本語だ!
声は小さいけれども、しっかりとした日本語らしいアクセントに、あたしは一瞬びっくりしたんだけども、よくよく考えてみると、エリナの恋人なんだから当たり前よね。
だって、エリナはフランス語喋れない。
相手が日本語できないと、いつまでたっても恋どころか会話すら成立しないわよ!

「あたしはマリナよ。あんたの婚約者池田エリナの二番目の姉」

その説明でピエールはすぐに思い当たったらしく、目をハッとしたように大きく見開いた。
西日の強い光を受けたせいもあるんだけど、羽毛のようなまつげの下にある彼の茶色の瞳はとても印象的で、エリナの言う通り、燻したばかりのアーモンドのような、なんとも言えない深い眼差しだとあたしはその時思った。

「エリナの姉……聞いてる。彼女には二人の姉、ユリナとマリナがいると。でも、どうしてマリナ。あなたがここに来たの?」

ピエールの視線は、あたしと、あたしの斜め後ろに立っているシャルルに向けられていた。
警戒感たっぷりの眼差しに、あたしは少々むっとしたのよ。
あーあー、そりゃ、あんたにはわけがわからないかもしれないわね。
あんたとしては愛するエリナだけが来て欲しかったんでしょうよ。
でもね、そうは問屋が大根おろしよ。
あたしは芝生を踏みつけるように歩いて、ピエールの前に立ち、腰に手を当てて胸を張って言ってやったの!

「なんでじゃないわ! あんたが急にいなくなるから、エリナは泣くわわめくわ、大変だったのよ。だから、この天才のシャルルに頼んで、あんたが残した聖書とメッセージを解読してもらって、ここまでたどり着いたってわけよ!」

ピエールは一瞬にして顔をこわばらせる。失望がありありとその顔には浮かんでいた。

「じゃあ、エリナは一緒に来ていないと……?」

あたしは大きくうなずき、後ろのシャルルを手で指した。

「このシャルルが気遣ってくれたのよ。あたしたちが先にあんたの懺悔を聞いた方がいいだろうって。ピエール、あんたの犯した重大な罪ってなんなの? サミュエルの代わりに絵を描いていたってこと? それとも、愛人がいたってこと?」

ピエールは口に布を押し込まれたような顔をして黙り込む。

「それとも、サミュエルを殺したのは、あんたなの?」
「殺してない!」

毅然とした口調だった。
殺していない?
いぶかるあたしに、ピエールは再び言った。
今度は弱々しい声で。

「でも、やっぱり僕が殺したのかもしれない。あの夜、僕があんなことをしなければ、サミュエルはあの車にひかれることもなかった……」

煮え切らない言い方に、あたしのいらいらは最高潮っ。
えーい、男らしくはっきりしろっ!

「ひき逃げの夜に何があったっていうの? ちゃんと言わないと、エリナには会わせないわよ!」

すると、ピエールはとんでもないことを言った。

「あの日は、僕とサミュエルの結婚記念日だったんだ」

けけけ、結婚記念日!!
ど、どーいうことなの!?
あぜんとして言葉もでないあたしの横で、シャルルがほうっと息を吐いた。

「聖書のペトロの特徴として、イエスの弟子の中で、唯一はっきりと妻帯者であることが描かれているんだ。つまり、ピエールは結婚していると思っていた。法律婚か事実婚かはともかくね。だから、エリナには知らせない方がいいかと思ったんだが」

だ、だって、サミュエルは男、ピエールも男。
ふたりは、完全なる男同士!!
アブノーマルよ、禁断の世界だわ!
青くなったり赤くなったりするあたしを見て、シャルルは笑った。

「おや、漫画家のくせに、君は愛に保守的だな。それじゃ、時代を革命する漫画はかけないぞ。いつまでたっても三流止まりだぜ」

うるさい、ほっといて!
純情な大和撫子のあたしは、シャルルにとびきり大きな鼻息を浴びせておいてから、ピエールに向き直ってたずねた。

「じゃあ、あんたの罪って、サミュエルと結婚してたってこと?」

エリナの心の傷を最小限に食い止めるためにも、あたしがちゃんと事実関係を調査するのよ。
と意気込んだんだけど、ところがどっこい、愛の革命家ピエールはしぶとかった!

「エリナをここに呼んでほしい。彼女以外に、これ以上話す気はない」

そのあと、ピエールはあたしが何を言おうが、それきり亀のように黙ってしまい、断崖の上に置かれた石のようにピクリとも動かなくなって、ただ彼の長い髪だけがパタパタと風に揺れるばかりだった。
あたしは困り果てて傍のシャルルにすがった。

「ね、どうしたらいいと思う?」

シャルルはくだらないという風に、胸の前で腕を組んで答えた。

「呼ぶしかないだろう」

それで、急遽シャルルは乗ってきたロールスロイス内の車載無線を用いて、ルーアンにいるルパートに連絡を入れたのよ。
それで、エリナが到着するまでの間、あたしとシャルルはぬくぬくと車の中で待っていたんだけど、ピエールのやつは石のようにイーゼルの前で固まったまま、ほとんどお地蔵さんと化していた。
正月明けのドーバー海峡、しかも断崖絶壁の上で、遮るものも何もなく、びゅうびゅうと吹きさらしの風が通り過ぎていく凍えるような寒さの中、綿素材だろうと思われる白シャツ一枚とジーンズのみの軽装でよ!?
信じられない、人間じゃないわ!
車の窓からそんなお地蔵さんピエールをチラ見しながら、待つこと30分。
昨日サミュエルの家の前で聞いたバリバリという轟音が再び聞こえてきて、ヘリコプターの小さな黒い機体が見えた。
あっという間にそれは近づいてきて、上空でホバリングして、ヘリのドアがバタンと開いて、ルパートが小脇にエリナを抱えてロープを伝って飛び降りてくるまで一瞬の出来事で、あたしは華麗なマジックを見せられている気分だったわよ、ホントに。

「ピエールっ!」

エリナは悲鳴のような声を上げて、ルパート大佐の腕の中から、あたしたちのいる芝生の庭へと飛び出してきた。
ピエールは動かずに、顔を斜めに上げて、そんなエリナを眩しそうに見つめた。

「ひどいわ。どうして突然いなくなっちゃったの!? どんなに心配したか……っ! もう、ひどい、ひどいわっ!!」

ピエールの元に駆け寄ってきて、今にも泣き出さんばかりの勢いで、彼の胸をバシバシと叩くエリナ。
そのエリナの腕を優しく取ると、ピエールはたった一言でエリナの興奮を制した。

「エリナ、ごめん」

エリナは動きを止めて、ピエールを仰いだ。

「これから言う話を聞いてほしい。君に隠していた僕の罪を」

あたしは、そんな二人を見つめながら、いよいよその時が来たのだと思った。
ピエールの罪が明かされる時が。
ますます太陽が西に傾いて、左からの光がまぶしくなってきた。
足元の芝生が黄色く照らされている。
ヘリコプターはすでに旋回していなくなって、ルパート大佐もどこかに消えていた。
ピエールは、まずエリナに、自分とサミュエルが事実上の夫婦だったということ、ひき逃げのあった9月19日は結婚記念日であったこと、自分はサミュエルのゴースト画家であったということなどを、とつとつと語り始めた。
エリナは衝撃のあまり、言葉も出ない様子だ。
無理はないわね、エリナにとってのピエールはただのアニメおたくだったんだもの。
とあたしがため息をついていると、ピエールはその先を続けた。
それは、ピエールがなぜサミュエルのゴーストになったのか、そのいきさつと、そして、彼らがどんな人生を歩んできたかという話だった。

「サミュエルがこの施設に入所してきたのは、僕が十歳で、彼が五歳の時だった。僕は彼を見て、はじめは女の子だと思った」

あたしは新聞記事で見たサミュエルを思い出していた。
ふむ、たしかにマッシュルームカットが特徴的なかわいい感じの男の子だった。
チェック柄のジャケットと蝶ネクタイがとっても似合っていた。
一八歳であれだから、さぞかし五歳のころは愛くるしかったにちがいない。

「その頃、僕は使われていない倉庫に閉じこもって絵を描いていた。誰にも観られたくなかったからだ。ところがサミュエルは倉庫に入って来た。僕はとても嫌だった。他の連中のように絵を描く僕を馬鹿にしに来たのかと思った。でもサミュエルは、僕が描くのをただじっとそばで座って見てるだけだった。絵が仕上がるまで彼はずっとそばにいた。そして仕上がった絵を見て、ニコッと笑って『素敵だね』と言った。次の絵もその次の絵もそうだった。
『素敵だね』
次第にサミュエルのその言葉を楽しみに、僕は絵を描くようになった。
不思議とサミュエルが来てから、僕をからかっていた連中も手出しをしてこなくなって、僕たちはほとんどの時間を倉庫で一緒に過ごすようになった。
そのうちサミュエルは、とても素敵な絵だから発表すべきだと言いだした。目立つことは嫌だと答えたら、『じゃあボクの名前で出すよ』と彼は言った。そうして僕の絵は五歳のサミュエルの作品として発表され、なんと国際コンクールで入選した。
僕は驚いた。サミュエルは『ほらね。ボクが言った通りでしょ?』と笑った。
それからも僕が倉庫で描き、サミュエルの名で発表していった。世間を欺いている自覚はあったけれど、罪悪感は不思議となかった。これは僕たちだけの生き方で、僕たちだけが受け入れていればよかったからだ。
彼のコレージュ卒業をきっかけに、僕たちはルーアンに越して、ふたりだけで結婚の誓約を交わし、一緒に生きていくことを決めた。でも、その頃から、サミュエルは少しずつ変わっていった。彼は金にこだわるようになった。別に使い道なんかない。家は建て替えたけど、それ以外に大金を彼が使ったことは一度もない。ただ施設育ちの僕たちは、金を持つことに不慣れで、サミュエルも、自分の名をつけた絵に人が群がって、見たこともないような高値になって、預金通帳に0がどんどん連なっていって――そういうことが快感になっただけだと思う。
サミュエルは僕が絵を仕上げても『素敵だね』と言ってくれなくなった。『売れる絵を描いて』そんなことしか口にしなくなった。この頃、ようやく僕の中に悪い事をしているという自覚が生まれてきたんだ。僕の筆は遅くなった。彼はちゃんと描けと怒った。僕はこんなことはもうやめようと言った。それで僕たちはよく喧嘩をするようになった」

そういえば、サミュエルの隣家の女の子が、二人の喧嘩を見かけたと言ってったっけ。
売る、売らないと二人は激しく言い争っていたという。
それはこのことだったんだ。

「彼から離れればよかったのかもしれない。でも、僕はどうしてもサミュエルから離れることができなかった。彼はこの世でたったひとりの僕の理解者だったから。
だから僕は絵を必死で描いた。けれどやっぱり売るための絵を描くのは苦しくて苦しくて、その時、僕がサミュエルを捨てられないのなら、サミュエルの方から僕を捨てるように仕向ければいいと考えたんだ。だから女を金で雇って毎晩家に引き込んだ」

あたしは思わず口を挟んだ。

「じゃあ、家に出入りしていた女の人って、あんたの愛人じゃないの!?」

ピエールは悲しそうに答えた。

「僕の不義にサミュエルが怒って別れを切り出すように、手配した商売女だ。調べて、口の堅いプロを探したんだ」

なんてことだろう。

「僕の寝室は一階で、アトリエは誰にも見られないように三階にしていたから、ゴーストの件は女にもばれることなく、ことは運べた。
けれど、サミュエルは僕の思惑を見通していたらしく、女が来ても、僕が女と寝室に消えても、少しも動揺を見せなかった。朝になると、サミュエルは女が来ていたことなど何も見なかったような顔でおはようと笑うんだ。僕は辛抱強く数週間女を呼び続けた。そうして結婚記念日がきた。
たぶん、サミュエルはまさかこの記念日にまで僕が女を呼ぶとは思っていなかったんだと思う。でも僕は女を呼んで、そしていつも通り寝室に連れ込んだ。女が帰った後、リビングのソファに座っていたサミュエルがいきなり立ち上がって、玄関から飛び出していって、直後に急ブレーキ音がして――」

ピエールはあたしから見てもわかるぐらい歯を唇にくいしばって、顔を伏せた。
あたしはなんといっていいのかわからなかった。
ピエールの震える白いシャツの肩から、金の髪がはらりと下に落ちる。
その姿はとても辛そうで、見ているだけで心が痛んだ。
ふと、シャルルが言った。

「エリナと結婚して再出発するにあたって、わざわざここに来たのは、サミュエルにゆるしをもらうためにだろう?」

ピエールがバッと顔を上げた。信じられないというような目つきでシャルルを見つめる。
あたしはシャルルにたずねた。

「それ、どういう意味なの?」
「聖書のペトロはイエスを裏切ったといっただろう?」

あたしはうなずいた。

「イエスが十字架にかかって死んだあと、三日後に復活したのは誰でも承知だろうが、そのあと、ペトロは復活のイエスと再会を果たしている。その際、イエスはペトロに、その愛の真価をたずねている。ペトロがイエスのことを知らないと言った回数と同じ、三度だ。そうすることで、イエスは自分を裏切ったペトロをゆるしたとされている。そしてイエスとペトロが再会した場所は、彼らが初めて出会ったガリラヤ湖畔だ」

と、いうことはぁ……。

「ピエールが聖書のペトロになぞらえた本当の理由はそれだ。ピエールもペトロのように、自分の人生をずっとリードしてくれた恩人サミュエルと出会ったこの場所で、犯した罪を彼にゆるしてもらおうと思ったんだ。そのために再び絵筆をとって、この寒空の下、必死で絵を描いていたのだろう。死んだサミュエルの声を求めてね」

そうだったんだ!!
あたしは目が開かれた思いで口を開こうとした。
けれど、それよりも先に、エリナが叫んでいたの!

「ゆるすわ。ピエール。私がゆるす! 何度だってゆるすわ! あなたは悪くない!」

必死のその声に、ピエールは首を強く横に振った。

「エリナ、君が来てくれて、嬉しかった。謎かけまでして君に僕のことを知って欲しかったのは、君がゆるしてくれれば、もしかしたら、僕の罪はゆるされるんじゃないかと思ったからだ。来日してすぐ行ったカフェで、君がかけてくれたあの言葉に、僕は救われたから」
「え……」

びっくりしたというエリナの様子に、あたしはそばによってたずねた。

「あんた、何を言ったの?」
「えっと、確か……彼がメニューを見て迷ってたから、『私のオススメはホットミルクです。私ね、コーヒー嫌いなんです。コーヒー屋の店員だけど、“世界からコーヒーを無くそう同盟”を立ち上げた反逆児なの、あははは』って……」

なんなの、それ!
その言葉に救われるピエールって変!

「好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという、すなおで飾らない君に僕は強く惹かれた。君と一緒にいると、世界が輝いて見えた。けれど……やっぱりダメだ。ダメなんだ、エリナ! ここで三日間絵を描き続けてわかった。裏切り者がゆるされるなんて、聖書の中だけの奇跡だ。サミュエルは僕をゆるさない。愛を誓いながら裏切った僕を、サミュエルは一生ゆるしてくれない。だからエリナ、結婚のことはなかったことにしてほしい」
「なんで!? 死んだ人が生きている私より大切なの!?」
「ちがう! そうじゃなくて、僕は怖いんだ。いつか君のことも裏切ってしまうのかもしれないと思うと、自分がもう信じられない!」

ピエールの激しい口調に、一瞬場が静まり返った。
ただ風と波の音だけが続く。

「……それがあなたの結論なのね」

エリナが涙声で言った。
瞬く間に大きな黒い瞳に溢れるような涙が浮かび上がり、エリナの白いほおを伝ってどんどん顎に滴り落ちていく。
と思った途端に、エリナは涙を振り切るようにあたしたちの元に走ってきて、突然シャルルの腕をとって、自分の手をむっちりと絡ませたのよ!

「ちょうどいいわ。実はね、私、昨夜、このシャルルさんとラブしちゃったのよ。彼ったら激しくて、あなたよりずっと情熱的だったわ。これも運命ね。だから、あなたとの結婚はやめてあげる。シャルルさんと結婚するから」

ピエールは目を開いてエリナとシャルルを見た。
あたしだって同じだった。
エリナとシャルルがラブだって!?
じょ、情熱的だったですって?
まさかぁ!!

「ね、シャルルさん?」

とエリナがシャルルに体をすり寄せたその瞬間だった。
シャルルがすっと真顔になったかと思うと、目にも留まらない速さでエリナの腰を両手でつかんで、エリナの頭を背中側に、エリナのお尻を自分の前にと、まるで米俵をかつぐような要領で乱暴に肩に担ぎ上げたのよっ!

「きゃあ! 何するの!?」

とエリナが悲鳴をあげる。
かまわずにシャルルはエリナを担いだまま芝生を突っ切って、柵を長い足で軽々と乗り越え、ごつごつした岩場へと踏み出して、海の方へ向かいだしたのだった!
何をする気なの!

「馬鹿にするのも大概にしろ。アルディの当主は百倍返しが原則だ。二度とオレの前にその顔をみせられないようにしてやる」

言いながら、シャルルはどんどん岬の先端へ!
それは、どう見ても、エリナを断崖絶壁の海に投げ捨てに行こうとしているようだった。
ちょ、ちょっとまったぁ!
とあたしが止めようとしたとたん、

「エリナを放せ!」

大声をあげてピエールは雄々しくシャルルに立ち向かっていったんだけど、シャルルの強烈な後ろ蹴りにあって、あえなく地面に蹴り倒されたのよ!
ええい、このにぶちんっ!
いっくら美青年でも、好きな女のコ一人守れない文科系軟弱男子なんて、マリナシリーズの男キャラとして失格よ!!
一方、担ぎ上げられたままのエリナはもちろん怪獣のように激しく暴れていたんだけど、見た目のわりに力の強いシャルルに抑え込まれてまったく歯が立たなかったようで、最後には絶命寸前の猫のような甲高い声で叫んだ。

「や、やめて、放して。助けて、おねえちゃん!! シャルルさんを止めてよ、早くっ!!」

あたしも必死で柵を乗り越えて、二人のそばに行った。
そこであたしは見てしまったのよ、シャルルの顔を。
西日を真正面に受けて、するどく光るそのブルーグレーの瞳を。
……わかったわよ、シャルル、あんたの意図がはっきりと!
ありがとう。
あんたって素直じゃないし、信じられないくらい性格がひねくれてるし、考え方もまっとうじゃないけど、根はすごくイイ奴よね。

「やっていいわ、シャルル」

言うと、エリナもピエールも目をひんむいてあたしを見た。
狂ったのかとでも言いたげな二人のその顔に、あたしはベーと舌を出した。
残念でした、あたしはシャルルの味方よ!
シャルルは岬の突端で足を止め、左足に重心を置くように前に一歩出した。
じゃり、と革靴の下で乾いた砂音が立ち、シャルルの足先はもう崖すれすれのところにまで到達して、エリナの下半身は断崖の空中に浮く格好になった。
と、ピエールが地面にガバッと跪いた。

「お願いだ、エリナを放してくれ! なんでもする! 僕が代わりに飛び込んでもいい! だからやめてくれ!!」

うーん、だったら力づくでエリナを奪い取ればいいのにと思うんだけど、つくづくこいつって文科系なんだわ。
まあ、シャルルの足の半分は岬から出ちゃってるような状態だし、ピエールは強引にやってエリナが落ちることをおそれたのかもしれない。
彼は両手を地面につき、その真ん中にこすれるほど額をつけて、ただひたすらに何度も繰り返しシャルルに懇願した。
もうね、見守っているこちらが辛くなるぐらい。
ところがシャルルは冷血だった!

「それなら、いますぐお前がここから飛び込めよ」

ああ、なんて非情なんだろう。
あたたかい血が通っている人間とは思えないセリフだわ。
シャルルって、氷河期のマンモスの生まれ変わりなのかもしれないと、あたしが感心していたら、シャルルに担がれたままエリナが絶叫した。

「いや! それなら私を投げ込んで!!」

あの小悪魔エリナがまさか、と思った。
けれど、それはまさしく愛にあふれた悲痛な叫びだったのよ。
ピエールは一瞬息を呑んだような表情をして、エリナを見上げた。
二人の視線が熱く絡みあったのが、そばのあたしからもはっきりとわかった。
シャルルはエリナを地面に下ろした。
エリナはふらふらと地面に跪いたままのピエールに近づいて行き、彼の前にぺたんと座った。
二人は見つめあって手を伸ばしあい、互いのほおに触れあい、その直後、見ているあたしの胸が痛くなるほど、強く激しく抱きしめあった。
あたしはそんなエリナたちの姿に感動しながら、思った。
サミュエルがピエールをゆるしているのかどうか、あたしにはわからない。
けれど、過去を後悔してばかりじゃ、何もはじまらない。
あたしは背後にあったイーゼルをちらりと振り返りながら、ピエールが、贖罪のためではなく、エリナとの未来のために絵を描く日が一日でも早く来ますようにと願ったの。

「ありがとう、シャルル」

あたしが彼のそばに寄ってそう言うと、シャルルはつまらないというように腕を組んで唇を歪めた。
何も言わない。
あたしはもう一度お礼を言った。
心を込めてね。

「ところでエリナ。僕には罪がもうひとつあるんだ」

抱き合っていた腕を解いて、ピエールが突然言った。
は? まだあるの!?

「君の気をひきたくて、コーヒーが嫌いだと言ったけど、あれは嘘なんだ。僕、実はコーヒーが大好きなんだ」

別にそんなことどうでもいいでしょ!
と思ったのはあたしだけだったみたいで、エリナは烈火のごとく怒った。

「重大な裏切り行為だわ。結婚は取りやめ!」
「そ、そんな! ゆるしてくれよ」
「いや!」
「一日一杯しか飲まないから!」

あたしは目の前で唐突に始まった夫婦漫才のようなやり取りに、空いた口が塞がらなかった。
まさか、手紙にあった『重大な罪』ってコーヒーなの!?
だったら、あたしはゆるさないわよ、永遠に!!






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愛すればこそロマンチック 9

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《ご注意》シャル×マリです。小菅の別れ当日から開始。
16万ヒット記念テーマソング創作(兼)2016マリナBD創作。
全10話程度を予定。
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愛すればこそロマンチック(9)




9 運命を告げるウエディング・ベル!




かくて、翌日の一月四日、エリナとピエールの結婚式は予定通りに行なわれることになったのだった。
朝からパリは目にしみるぐらいの青空で、あたしは心からほっとしたの。
でも、びっくりしたことがひとつ。

「聞いてないわよ。会場がマドレーヌ寺院の裏のティーサロンだなんて!」
「あれ、いってなかったっけ?」

控え室でエリナはドレスの着付けをしながら、鏡越しにあたしを見る。
普通、教会で結婚式っていったら、礼拝堂だと誰でも思うわ。
それがなんで裏のティーサロンなのよ?

「だって、私はクリスチャンじゃないもの」

とあっさりエリナはいう。

「それにティールームのほうが素敵だわ。お日様もいっぱい入って明るいし。礼拝堂ってステンドグラスが綺麗だけど、重苦しいっていうか、暗いもの。だから、却下。ランチもできる素敵な喫茶室なのよ。うふふー、借り切ったのー」

あっそ。
じゃあ、別にあたしもこんなかっこしなくてもよかったんじゃない?
というのも、昨夜、映画のような再会を果たしたエリナとピエールを連れて、パリのアルディ家に戻ってきたあたしたち一行は、そのままアルディ家に泊まった。
で、翌朝目覚めてみたら、メイドさんがあたしの部屋に薄ピンク色のワンピースを持ってきたのよ!
見るからに上等なサテン生地のワンピースで、丈はちょっと短めの膝上くらい、全体的にきっちりとしたAラインなんだけど、肩のところにはオーガンジー素材のマーガレットがこれでもかといっぱいついていて、とんでもなくかわいいのっ!

「本日の結婚式にお召しくださいとのことです」

どうやら、唯美主義のシャルルの命令らしい。
ありがとう、シャルル!
あたしはすぐに本人にお礼を言おうと思って彼を探したんだけど、なぜかシャルルはまたもや邸内のどこにもいなかった。
うーむ。朝っぱらからシャルルがいないなんて。
昨日はピエールのことを調べに行ってくれていたからだけど、今日はなぜだろう。
あたしは不思議に思った。
ま、あいつもいろいろ忙しいのかもね。
お礼はあとで言えばいっか。
そしてあたしは、シャルルの用意してくれたワンピを着た。
メイドさんはとっても親切で、髪のセットもお化粧もやってくれたのよ。
あたしは目を閉じて、ブラシでまぶたの上をパフパフされるのを感じていたの。
気分はまるでシンデレラ。
ああ、やっぱりアルディ家って最高、このまま永遠に居ついてしまいたい!

「どうぞ。終わりました」

と声をかけられてあたしは鏡の中の自分を見た。
途端、愕然っ!
あまりにも、に、似合っていない!
お姫様のようなメルヘンちっくなワンピに、このデカすぎる頭が見事なアンバランス!
あたしは一気に魔法が解けた気分になって、ワンピを脱ぎ捨てようとして、慌てたメイドさんの華奢なその外観に似合わない馬鹿力に羽交い締めにされのよ、ゼイゼイはあはあ!
くっそ、もういいわ!
たった一人の妹の晴れ舞台。こうなったら、覚悟を決めよう!
そういうわけで、恥と外聞を捨てる悲壮な決意を固めたあたしは、にこやかに手を振るメイドさん一行に見送られつつ、アルディ家のロールスロイスでマドレーヌ寺院までやってきたというわけよ。
エリナとピエールはあたしよりもずっと前にアルディ家を出発していた。
ピエールは別室で準備をしているようで、姿は見えず、花嫁控え室には、コルセット姿のエリナが、モード学園の先生のようなパリジェンヌにテキパキとお化粧をされているところだったの。

「でも、よくこんなところが貸し切れたわね」

あたしが言うと、エリナは鏡の中から答える。

「大したことじゃないわ。私の第一希望はエッフェル塔だったんだけど、ピエールってば高所恐怖症だから、ダメだったの」

あたしは驚いて声もでなかった。
昨日の騒動を思い出したからよ。
シャルルがエリナを崖の上から投げ捨てようとしたあの一件!
ピエールってば、高所恐怖症のくせに、よくあの何十メートルもある岬の突端に立つシャルルに食ってかかったものだわね、うーん、愛だわ。
とあたしが感心している前で、化粧とヘアセットを終えたエリナはウエディングドレスの着付けに取り掛かった。
上半身はしゅっと細くしぼり、スカートはたっぷりとしたシフォンでボリューム感をだしたプリンセスラインのとっても可憐で清楚なウエディングドレス。
妹の晴れ姿に、あたしは胸が熱くなった。
エリナは花嫁にふさわしい紅潮をほおに浮かべながら、ゆっくりとドレスを揺らしてあたしの正面までやってきて、立ち止まり、恥ずかしそうに「てへ」と笑った。
あたしはなんて声をかけていいのかわからなくて、ただ、
「とってもきれいよ」とだけ言った。
ああ、この姿をお父さんやお母さん、ユリナちゃんにも見せてやりたいな。
あたしはそう思った。

「おねえちゃん、ごめんね」

え?

「無神経だとか、幼稚だとか言っちゃって」

ああ、そのこと。
あたしはううん、と首を横に振った。

「もう気にしていないわよ」
「そう。よかった!」

エリナはホッとしたように大きく胸に手をあてた。
心の底から安心したというその様子に、なかなかかわいいところもあるわね、とあたしが思ったとたん、

「本当のことを言いすぎたなって反省してたの」

こ、このやろう!
本当のことっていうセリフのどこが反省してるのよ!
一度、懺悔ルームでバケツの水でも浴びて、心の底から悔い改めるがいいわ!!

「あのね、おねえちゃん、ひとつ聞いていい?」

怒りにみなぎるあたしに、エリナが打って変わったようなぽつりとした小さな声で言った。

「今度はなによ?」
「おねえちゃんの恋人って、本当に和矢さんなの?」

思いがけない質問に、あたしはかなり驚いた。
もちろん怒りなんか宇宙の彼方!

「どうしたの、急に?」

エリナは少し言いづらそうにしてから、続きを言った。

「本当のおねえちゃんの恋人は、シャルルさんじゃないのかなって私は思ったから」

ええっ!?
あたしは慌てて首を横に振った。手も一緒に振った。

「ちがうわ! あんたに話したでしょ。シャルルとはもう何もないんだって。アデュウしたぐらいなんだし」
「それは聞いたわ。ルーブルの地下でたっぷりと。おねえちゃんは和矢さんを選んで、シャルルさんがさよならって身を引いてくれたんでしょ」
「わかってるなら、どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、おねえちゃん、私を助けてくれなかったじゃない?」

あたしは一瞬なんのことか迷った。
そしてすぐに思い当たったのよ。

「それ、昨日のこと?」

エリナはコクンとうなずいた。

「妹が崖から落とされそうになっていたら、普通の姉なら必死で止めるわ。でも、おねえちゃんはシャルルさんを止めなかったわね。それどころか、やっていいって!」

確かにそうは言ったけど……。

「私はびっくりしたの。あの時、おねえちゃんはシャルルさんと一瞬だけ目が合ってた。それだけで、彼の意図が完全にわかったのね。どうしてそんなことができるの? 父さんと二十年も一緒にいる母さんだって、父さんが何考えてるのかわからないって、しょっちゅう愚痴ってるのに」

あたしは焦ったんだけど、エリナの声は凛としていた。

「シャルルさんは本気で怒ってたはずだわ。ラブしちゃったなんて大嘘ついた私に対する、なんていうのか、青白い炎みたいな怒りを全身で感じたんだもの。だから、私、本当に崖に捨てられると思ったのよ」

あたしは思わず強く頷いてしまった。
だって、それは確かよ。
シャルルはあんたに相当怒っていたと思うわ。
よくあんたが無事だったと思うもの。

「どうして? どうしてシャルルさんがそうしないと思えたの?」

そう追求されると、どうしてなのだろうとあたしもよくわからなくなった。
あたしは必死で自分の頭の中を整理した。
そして、一つの答えを発見したのよ。
それは見つけてみると、ごく当たり前で、言葉にするのも今更という気がするほど、あたしの中では特別な感慨のない答えだった。

「あのね、シャルルって変わりもので、偏屈で冷たくていじわるよ。あたしなんか、山猿女だの、バカだのスカタンだのと、罵詈雑言をさんざん浴びせられたもの」
「や、やまざる?」
「そうよ。基本的にシャルルってそういう人間なのよ。でもね、一つだけあたしは確信をもっていることがあるわ。それは、シャルルはあたしが悲しむことは絶対にしないってことよ。たとえ太陽が西から上ろうとも、よ」

エリナはあたしをじっと見て、ほうっと息を吐いた。

「すごい自信……」
「自信?」
「そう、自信。おねえちゃんはシャルルさんを信じているのよ。ズバリそれは」

それは?

エリナはニヤッと笑った。

「愛よ」

なんですって?
目を剥くあたしに、エリナはニヤニヤと笑い続ける。

「目と目で会話する二人……ロマンチック。愛すればこそ、だわ」

わーんっ、何だか誤解を生んだ気がするわ!
違うわよ!
あたしはエリナの言葉に大いに反論したかったんだけど、エリナがあんまりにも意味ありげに笑うもんだから、何だか非常に居心地が悪い気持ちになって、ぐっと黙り込んでしまったのだった。

「おもしろいわね。シャルルさんとおねえちゃんって、全然似てないでしょ? 性格もまるで違うし、家柄も身長も、顔もぜんぜんつり合わない」

あたしはムッとした。
顔がつり合わないは、余計よ!
あんたもあたしと同じDNAが入ってるってこと、忘れないでちょうだい!

「おねえちゃん、交織って知ってる?」

突然飛び出した耳慣れない単語に、あたしは目をパチクリ。

「コウショク?」

エリナは両手で織る仕草をしてみせる。

「まぜておる、と書いて交織。縦糸と横糸、わざと種類の糸を使って一枚の布を織るやり方。丈夫なのにあたたかいズボンとかあるでしょ。交織でできた布は、両方の糸の良さを持ってて、お互いを殺しあわない。おねえちゃんとシャルルさんって、そんな感じなの。一人ずつだとヤバイ変人なんだけど、二人一緒だととても楽しそうで生き生きとして、最高級のシルクみたいに輝いて見える」

あたしはドキッとした。
確かにあたしは最近、シャルルと一番多くの時間を過ごしている。
シャルルと過ごす時間。
それがあたしの日常になっていて……。
むしろ、シャルルがそばにいないと、木枯らしの日にタイツを履き忘れて、冷たい風がスカートの下のパンツ一枚の下半身に直接吹き込んでくるような感覚になってしまうのだ。

「私、昨日ピエールに『自信がない』と言われて、一旦はやぶれかぶれになったんだけど、そんなおねえちゃんたちの姿を見て、やっぱり私は心底ピエールを愛してるんだって自覚することができたのよ」

エリナはティアラを乗せた頭を少しだけななめに傾げて、にこ、と微笑んだ。

「いっぱい心配をかけたけど、私はもう大丈夫。これからピエールとしっかりと歩いていきます。朝までかけて愛も確かめ合ったしね」

エリナの満たされた笑顔に、あたしはしばし沈黙。
直後、その意味をさとって、どっかんと顔から火が吹き出るかと思った。
そうなのよ、エリナは昨夜、アルディ家に戻るなり、妹のために奔走したあたしのことなんかには目もくれず、ピエールと絡み合うようにして寝室に入ってしまったのよ。
結婚式の前夜よ、少しはきよく過ごそうって気はないの!?
と問いただしたいけど、口に出せないあたしは、ああ、純情の大和撫子!
あたしの動揺を含み笑いしてチラ見していたエリナは、急にすうっと表情を真面目にしたかと思うと、ドレスに包まれた姿勢も折り目正しくしてあたしに言ったのだった。

「私もピエールと素敵な布を織りたい。言葉がなくても信じ合えるような、そしていつか誰かをあたためられるようなそんな二人になりたい。おねえちゃんたちを見ていて、心からそう思ったの」

しあわせになるね、おねえちゃんみたいに。
エリナはそう締めくくった。
誤解だ、シャルルとはそんなんじゃない、あたしの好きな人は和矢だけ、と言いたかったのだけど、口を挟むことがゆるされないような妹のきっぱりとした旅立ちの言葉に、あたしはなんて言っていいのかわからなかった。
その時、

「花嫁様、お時間でございます」

スーツ姿の男性がノックの音とともに、式の開会時間を告げに来た。
ちゃんと日本語であることにあたしが驚いていると、全員日本語のできるスタッフを配置してあるとエリナは事もなげにいう。
すごい、お金のかかっている結婚式だと感心したのだけど、そういえば、ピエールの正体は人気の画家、ニュースになるぐらい高値で絵は売れていたのだから、実は彼はお金持ちだったんだ。
エリナってば玉の輿だったんだ!
と、あんまり考えていなかったその事実に新鮮さを感じながら、のちに入場するエリナと一時の別れをして、あたしが会場であるティーサロンに行くと、総ガラス張りで、太陽の光があふれるほどに差し込むそのサロンには意外な人があたしを待っていた。

「よ!」

元気よく、そしてちょっと場が悪そうに顎を引いて片手を上げるのは、いつもどおりのスタジャンとジーンズ姿の和矢だったの!!
どうしてここに?!
日本にいるはずじゃなかったの!?

「今日はおめでとう。エリナちゃんの結婚式に、こんなカッコでホントごめん」

和矢は心底申し訳なさそうに後頭部をかきながら頭を下げる。
えーい、格好なんて、裸じゃなければどうでもいいわよ!
それより、あんたがどうしてここに、パリにどうしているのよ!?

あたしがそれをたずねると、和矢はちらっとティーサロンの出入り口に視線をやった。
そこには、目の覚めるようなインディゴブルーの軍服を着たルパートが立っていた。
しかも、何人もそばに同じ軍服を引き連れている。
な、なんなの、一体!?

「年末年始、オレはずっと寝正月してたんだ。テレビ見て家でのんびりとさ。そしたら、昨日、急に家にフランス軍の連中がやってきてさ。問答無用でそのまま車に連れ込まれて、たぶんあれは厚木かな? どっかの基地から今度は軍用機に乗せられて、そのまま空の上。んで、ついさっきここまで連行されたってわけ」
「ルパート大佐の指図?」

和矢はうなずいた。

「でも、指示したのはシャルルだろ。現当主はシャルルなんだから」
「どうして、シャルルが、そんな」
「わからない。オレにはまったく、何がなんだか」

あたしもわからなかった。
和矢はそんなあたしをちょっと眩しそうに見た。

「かわいいな」
「え?」
「そのワンピース、とても似合ってる。なんだかよくわからないけど、おまえにこうして、会えてすげー嬉しい」

その瞬間、あたしは思い出した、和矢と交わした三つの約束!!

『シャルルに会わない』
『シャルルとの思い出の場所に行かない』
『シャルルのことを考えない』

そして、もしこの三つの約束を破りそうになった時には、和矢の名前を三回唱えて、自分を押しとどめると誓ったあの言葉を!
ああ、見事に全部、きれいさっぱりと破り切ったんだわ。
どどど、どーしましょう?!
なんて言えばいいのって、バレてるわよね当然。
そうよ、ルパート大佐が迎えに行った時点で、あたしがアルディ家に行った、イコール、シャルルに会いに行ったってことだもの。
ああ、もうだめだわ……。

『愛を誓いながら裏切った人間は、ゆるされる資格があると思うか?』

昨日、ピエールに会いに行く時に、車中で聞いたシャルルの問いかけがふとあたしの頭をよぎった。
その時、教会のベルが高らかに鳴りはじめた。
エリナがさっき言っていた。
ティールームで結婚式はするけれど、ベルだけは教会のものを鳴らしてもらうの、と。
ガランゴロンとベルが澄んだ音で鳴り響く中、ルパートをはじめとした軍人たちに囲まれた入口のガラスのドアがさっと開いて、タキシード姿の花婿に手を引かれた花嫁が、真っ赤なヴァージンロードを厳かな歩みで入場してきたのだった。







next(最終話)

愛すればこそロマンチック 10 最終回

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《ご注意》シャル×マリです。小菅の別れ当日から開始。
16万ヒット記念テーマソング創作(兼)2016マリナBD創作。
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愛すればこそロマンチック 最終回



10 かくてマリナの現状は



ガラス張りのティーサロンには太陽の光がまばゆいぐらい降り注いでいた。
真ん中に敷かれた真っ赤なヴァージンロードを、新郎新婦であるピエールとエリナがゆっくりと歩いてくる。
ピエールはちょっと緊張しているみたいで、ひょろ長い体をさらにまっすぐに伸ばして、唇をしっかりと引き締め前を見据えている。
彼に寄り添うエリナは、普段の小悪魔ぶりなどどこかにしまいこんだように、ピュアさが匂い立つような綺麗な花嫁さんだった。
結婚行進曲はなし。
ベルの余韻だけが響く中、二人はサロンの中央に簡易的に据えられた誓いの場まで進み出た。
いつの間にか、黒いガウンをまとった神父様らしきおじいさんがそこには現れていた。

「では、これより、ピエールとエリナの結婚式を執り行います」

日本語で式は始まった。
隣に立つ和矢をちらちらと見ると、彼は優しい表情を浮かべてエリナたちを見つめていた。
それはまるで自分の妹が結婚するのを見守るかのような嬉しそうな笑顔で、どう見ても虫の居所が悪そうとか、まして怒っているという様子には見えなかった。
それで、あたしは少しほっとしたのよ。
この分だと、三つの約束を破ったことは、特に気にしてないみたい。
よし、ここはお互いのためにも三つの約束にはもう触れず、結婚式が終わったらさっさと日本に帰って、和矢との熱い恋をリスタートしよう!!
そう思いつつ見つめるあたしの前で、厳粛に誓約式は進んだ。
実は、この結婚式には普通の結婚式にはないことが二つあった。
一つは肩に大きな銃をぶら下げた軍人数名が出入り口をしっかりと固めていること。
もちろんその先頭はルパート大佐よ。
なんでまだいるんだろ、変なの。
そしてもう一つの変わった点は、「病める時も健やかな時も…」というおきまりの誓いの言葉のあとに、新郎新婦それぞれが自分の言葉で誓いを述べたことだったの!
二人は向き合い、まずピエールがエリナをまっすぐに見つめて言った。

「僕はサミュエルが死んだ時、筆を捨てる決心をしました。僕の絵は彼のためのものだったからです。でも、その僕の絵が彼を死なせました。僕は自分のあまりの罪深さに正面から向き合うことができず、日本に逃げました。日本を選んだのは、アニメがあるからです。アニメの世界は純粋に作品作りを楽しむ人たちばかりで……罪深い自分をそこでいやしたかったのです。でも神様は、その日本ですばらしい出会いをくれました。エリナです。彼女は僕に生きる勇気と力を与えてくれました。僕はもう二度と逃げません。一生をかけてサミュエルに対して犯した罪と向き合っていきます。エリナ、こんな僕ですが、どうかそばにいてください。君を心から愛しています」

義理の弟となるピエールの毅然とした決意に、あたしは胸がいっぱいになった。
こんな彼ならいつかきっと天国にいるサミュエルもゆるしてくれるにちがいない。
続いてエリナも、きらきらとした瞳で彼を見上げて言った。

「私は料理人になりたいと思っていました。そのために、必要な技能は高校で学んでいたし、自信もありました。でも、私は肝心なことを知らなかったのです。誰に食べてほしいのか。私は何のために料理人になりたいのか。――今思うと、ただの自己実現だった気がします。ピエールがいなくなった時、とても不安でした。その時、私は自分の恋がどれだけ弱いものであるかを知りました。私がこうして花嫁姿になれたのは、私が強かったからではありません。言葉がなくても信じ合う姉とシャルルさんの姿に、本当の愛を教えられたからです」

んなっ、なにを言うの!?
あたしとシャルルはそんな関係じゃないっていったでしょーが!!
和矢に誤解されちゃう!
あたしは身震いがするぐらいぎょっとしたんだけど、そんな可哀想な姉の様子にちっともかまうことなく、エリナはただピエールだけを見つめて、一度大きく深呼吸した。
そして再び口を開き、明瞭に言った。

「私はピエールを愛します。彼の背負った罪ごと愛していきます。一生ずっと。
これからはピエールのために料理を作ります。ピエールが二度と私から離れられなくなるような、世界一の食卓を作って見せます!」

エリナの宣言に、あたしは先ほどの焦りもどこへやら、もう我慢できないぐらい感極まって、ついにわんわんと号泣してしまったのよ。
小さな頃から要領がよくて、小憎らしくて姉を姉とも思わない小悪魔だけど、でも誰よりもかわいいたった一人の妹。
ウエディングドレス姿で幸福そうに微笑む妹は、自分の道をしっかりと見つけた大人の顔をしていて、あたしの全身を熱くした。
よかったね、エリナ。
しあわせになるのよ……っ。
ピエールがエリナのヴェールを上げて、二人は誓いの口づけを交わした。
あたしと和矢は盛大に拍手をした、それこそもう壊れたシンバルモンキーのようにね。
……したんだけど!
二人のウエディングキッスは、あたしと和矢がいくら手を叩き続けても終わらず、ついにはあたしたちの方が音を上げ、だらりと椅子にもたれ込んでしまうぐらい、長く濃厚に続いた。
あのね、結婚式ぐらい清純にやったらどうなのよ!?
いつまでもやってろ、もう知らんっ!!







そうして怒りと退屈に満ちたあたしをよそに、なんとか無事に結婚式は終わり、誓いを終えたエリナとピエールに、あたしと和矢を加えた四人で、サロンパーティとなった。
扉のそばにはインディゴブルーの軍服姿のルパート大佐たちが相も変わらず彫像のように立っているけど、その頃にはもう見慣れて、あたしは彼らの存在をすっかり気にしなくなっていた。

「和矢さん? わぁ、はじめまして!」

エリナは相当びっくりしたようで、意味ありげな視線をあたしに寄越しながら、あたしの脇腹をつんつんと肘でつついてくる。
ピエールと和矢が挨拶をしている隙に、あたしはエリナをサロンの脇の方に連れて行った。
余計なことを言わないように釘をさすと、エリナはふふんと笑う。

「本物の恋人の登場ってわけ? おねえちゃんもやるわね。シャルルさんを結婚式にこさせないで、和矢さんをこさせるとか。シャルルさんにもう一度引導を渡す気なの?」
「そんなんじゃないわ!」
「じゃあ、どうして和矢さんを呼んだの?」

だから、あたしじゃないってば!
あたしは首を急いで振った。

「シャルルが呼んだのよ。ルパート大佐を使って」
「シャルルさんが?」

エリナはちょっと驚いた顔をした。

「ふーん。何か思惑がありそう」
「思惑?」
「だって、シャルルさんって天才でしょ? 和矢さんを呼んだのも絶対理由があるわよ。たとえば、宣戦布告するつもりだとか」
「まさか!」

あたしは思わず叫んでしまった。
そんなことはありえない。
シャルルは、あたしにアデュウを言ってくれた、和矢としあわせにおなりって。
今回は、ピエール捜索のために頼っちゃったけど、本来ならば、シャルルとは永遠のさよならをしていたはずだったのだ。
彼は誇りにかけても、一旦自分の口から出した言葉を裏切ったりしないだろうし、守り通すにちがいないだろうと思う。
あたしの知っているシャルル・ドゥ・アルディはそういう人間だもの。

「絶対にちがうわ。宣戦布告なんかじゃない」
「じゃあ、どういう理由で和矢さんを呼んだの?」
「それはわからないけど……」

あたしがちょっと口ごもると、エリナは呆れたという顔をしてから、さっとウエディングドレスを翻してサロンの中央に戻って行き、ピエールと談笑している和矢に話しかけていったのだった。

「和矢さんに会えて嬉しいです。おねえちゃんね、ずっと和矢さんのことを言ってたんですよ。和矢和矢和矢って呪われたみたいに」

うわっ、黙りなさいっ!
あたしが焦ってエリナを止めようとした時にはすでに遅く、和矢が意外そうに首をかしげていた。

「へえ、マリナが?」

オレの約束を守ってくれたんだ、と言いたげな顔だった。
エリナは深く深くうなずく。

「空港に着いた時でしょ。ルーブルに行くと決めた時もだし、シャルルさんに会う直前も。三つの約束があるんだってぶつぶつ言って。あの姿をお見せしたかったわ」
「そっか……変な約束させて、オレ、カッコ悪いね」

と和矢は気まずそうに頭をかく。

「いいえ、それほどおねえちゃんを思ってくれているんだって、感激しました。おねえちゃんの和矢さんへの愛は並じゃないですから安心してください。まあ、もちろん私のピエールへの愛の方が一段上ですけどね!」

そのエリナの言葉に、たちまち和矢もピエールも、それから言ったエリナ本人も笑い出し、サロンの中に和やかなムードが満ちあふれた。
でも、三つの約束を破ってシャルルと会ったあたしは、内心汗をダラダラ流していた。
ちょうどその時だった。
出口を固めていた軍人たちが、急に騒然としだしたのだった。
サロンの外から走ってきた一人が、ルパート大佐の耳に何かを囁き、それを聞いた彼はそばにいた部下たちになにやら指令を出し、幾人かが走り出て行って、残った人間は抱え持つ銃の装備を確認しはじめる。

「何かあったのかな?」

和矢が目線をあたしと同じようにそちらにやってつぶやいた。
と、ルパート大佐があたしたちの方に突如、早足でやってきた。
白いピータイルの床に、深緑色の軍靴がカッカッと硬い音を立てる。
あたしたちの前に立ったルパート大佐は、青く澄んだ瞳であたしたちをぐるりと見渡した。
その瞳は、凛としてするどく、底が見えるぐらいに光っていて、あたしはなぜか背筋がぞくっとした。
ルパート大佐はほとんど顔の筋肉を動かさず、機械的な声で言った。

「アルディ家からの通達だ。本日たった今をもって、我がアルディの全権はこの私に委譲された。よって貴様らには、今後一切アルディ家への立入りを禁ずる。通達は以上だ」

え?
あたしは一瞬、なにを言われたのか、理解ができなかった。
アルディの全権をイジョウする? イジョウってなに?
頭の回転があたしよりもずっと早い和矢が、黒い瞳をきらりと輝かせて、ルパートの顔を見返した。

「どういうことですか? シャルルはどうしたんですか?」

すると、ルパート大佐は顔色ひとつ変えずに答えた。

「シャルルは今しがた、マルグリット島に送致された。理由は貴様らも承知のとおり、アルディ家が関与した政治工作を当局に握られた件、およびミカエリスの剣について失策があったからだ。彼には一週間の猶予を与えたが、その間に問題をクリアできなかったため、親族会議は彼を資格喪失者とみなしたのだ」

まさか――嘘でしょ!?

「そんな! あいつに限ってそんなわけが!?」

和矢が信じられないという悲鳴のような声を上げる。
あたしもたまらずに叫んだ。

「だって、シャルルはそれはもうすぐ解決するって言ってたわ。人を使ってやってるって。報告を聞くばかりだって」

ルパートは馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて、あたしを見下ろした。

「残念ながら、シャルルの協力者とは私のことだ。私はシャルルの指示を受けて、検察当局への根回しとミカエリスとの交渉人を務めていた。だが一月二日以降、シャルルの指示はすべて途絶えた。理由は池田マリナ、貴様のくだらん用件だ。シャルルはすべての仕事を放棄し、あげくに私にまでルーアンに行くよう命令した。結果、期限内にどちらの仕事も成立しなかった。シャルルの当主復権が失敗に終わったのは、池田マリナ、貴様のせいだ」

あたしは夢の中にいるような気持ちでルパート大佐の言葉を聞いていた。
あたしのせい?
あたしがピエールを探すのを手伝ってほしいと頼んだから?
会話の流れからエリナもシャルルに何か異常事態が起きたということは察しがついたのだろう、目を見開いてあたしとルパート大佐の顔と代わる代わる見る。

「おねえちゃん……シャルルさんは一体どうしたの? マルグリット島ってどこ? シャルルさんがそこに行ったからって、なんなの?」

あたしは答えられなかった。
和矢が言葉少なめに、エリナとピエールに事情を説明した。
つい数分前までは薔薇色に染まっていた二人の顔色が、たちまち蒼白に変わる。

「私たちのせいっ!? 私とピエールのせいで、シャルルさんは追放されたの!?」

動揺する花婿と花嫁を視界に収めながら、あたしは首を横に振った。

「ちがうわよ。あんたたちのせいじゃない……」

でも、首がうまく動かないっ。
赤ベコのようにあたしの首は不自然にかくかくと揺れただけだった。

「あたし、わかってたもの。シャルルが当主復権中だったこと。わかってて彼に会いに行ったのよ」

再会した時のシャルルを思い出した。
あの時の、怒りのような、絶望しきったようなまなざし。
そして直後の、穏やかな微笑み。
きっとあの瞬間、シャルルは当主復権をなげうつ覚悟をしていたんだと思うと、あたしは胸が引き裂かれるような後悔を感じたの。
シャルルの様子に気づくチャンスはいくらでもあった。
再会した時、当主復権問題はもう解決ずみで退屈を持て余していると言われて、小菅で別れてたった数日しか経っていないのにと仰天したし、ルーアンにルパートがヘリで駆けつけてきてくれた時には、シャルルの不気味な優しさに若干の違和感をもった。
なのに、あたしはそれ以上不審には思わず、シャルルにたずねようともしなかった。
もちろんエリナのことで気持ちがいっぱいだっということもあるけれど、一番の理由はあたしが彼の心の内を考えようとしなかったからだ、これっぽっちも……。
ああ、本当にあたしってバカだ!
どうして気づかなかったんだろう!?
再会した時、いや、せめてピエールを迎えにいく車中ふたりで話した時にでも彼の異変に気づいていれば、まだ間に合ったかもしれないのに!!


一週間前、シャルルが「アデュウ」と言った時、永遠のさよならじゃない気がした。
なんだかんだ言っても、きっと会えるにちがいないって……。
でも、今度の別れは本物だ。
だってシャルルはマルグリット島に行ってしまった。
今度こそ一生シャルルに会えない。
あたしは、シャルルと本当のアデュウしてしまったんだ!!
そう思うと、喉の奥からマグマに似た熱いものが一気に込み上げてきて、気がつくとあたしの目頭からは水道の蛇口をひねったような大量の涙があふれでていたの。
ルパートが身を翻した。

「では私はこれで失礼する」

ルパート大佐は二人の部下だけを残し、ヴァージンロードを踏みつけてガラス扉から出て行った。
ティーサロンはしんとなった。
和矢は黙って、泣くあたしをただじっと見つめている。
エリナがそばのテーブルからナプキンをとって、あたしのほおにあてた。

「おねえちゃん……そんなに泣かないで。シャルルさんは天才だから、きっとどうにかするわよ。そうよ、もう逃げてきていて、その辺まで来てるかもよ?」

エリナの気遣いが、今のあたしには余計辛かったの。
あたしは涙を飛ばすようにして叫んだ。

「絶対無理よ。あたしはシャルルにもう二度と会えないんだわ!」

とその時、出口に立っていた軍人の一人がつかつかとあたしの方に近寄ってきた。
え?
と思う間もなく、軍帽を目深にかぶった長身のその軍人は、あたしの腕を強引に掴んで引き寄せ、なんといきなりあたしの唇を吸ったのよっ!!
突然のキスにあたしの心臓も息もぴたっと停止!
何がおこったのかわからず、ただボーゼンとして唇をうばわれたままだったあたしは、至近距離にあるその端正な顔を食い入るように見つめて、そしてただちにその正体に気づいたのだった!

シャ、シャルルっっ!!

あたしは夢中で彼の胸を押して、ちゅぽんと唇をひきはがして叫んだ。

「マルグリット島に行ったんじゃなかったの?!」

シャルルがかぶっていた軍帽を床に捨てると、帽子の中に収納されていた白金の髪が肩の上に散った。
彼はあたしの両肩をつかみ、上目遣いであたしの顔をのぞきこみながら、その顔が見たかったんだと言わんばかりにニヤッと笑う。

「オレと一生会えないと思うと、どう? 少しは寂しいと思った?」
「な、な、な……まさかあんた、そのためにこんなことを?」
「ルパートは名役者だっただろ?」

完全絶句するあたしに、シャルルは真顔に戻して続ける。

「ごめん。オレ、自分の愛を裏切った。君にカズヤとしあわせになれと言ったけれど、再び君に会って、君の顔を見たら、どうしても君への思いを抑えられなくなった。だから、ちょっと強引だけどこんな方法をとった。もしオレがマルグリット島へ行ったと聞いても、君が涙をこぼさなかったら、今度こそ本当にあきらめるつもりだった」

あたしはカッとした。

「卑怯者っ! あたし、あんたを尊敬してたのにっ!」

シャルルの顔が泣きそうに歪んだ。

「尊敬なんかいらない。尊敬されて、一人でも大丈夫だと思われるぐらいなら、この世でもっとも弱い人間になって君から愛されたい」

青灰色の瞳には踏みつけても踏みつけてもなおも燃え上がる火のような強い光があって、あたしは飲み込まれそうになって、たまらずに夢中で首を横に振った。

「でもあたしが好きなのは……っ」

和矢よ。
あたしが好きなのは和矢だけ。
だから、彼さえそばにいてくれればいいのよ。
そう言おうとしたのに……。
まるで口が縫い付けられたように動かなかった。
シャルルと一生会えなくなると思ったら、ナイフで貫かれたように胸が痛くて、殺されるってこんな風なのかって思うぐらい苦しかった。
何もかも頭の中からふっとんだ、そばにいた和矢の存在も。
あの時のその感情をなんと表現していいのか、明確な言葉を探し当てることができなくてあたしが戸惑っていると、シャルルが突然、昨日崖の上でエリナにしたのと同じようにあたしを米俵みたいにガバッと肩の上に担ぎ上げたのよっ。
ぎゃあぁ、このワンピは丈が短いのよ、パンツが見えちゃう!!

「悪いな、カズヤ。バカなマリナちゃんは自分のことがわかってないみたいだから、オレがもらってくぜ。マリナをひとりじめしたければ、おまえも三つの約束なんてみみっちいこと言わずに、力づくで奪い返しに来いよ!!」

ええっ!?
まって、あたしの意思はどーなるの!?
でも大丈夫よ、和矢が止めてくれるわ!
あたしが万感の期待を込めて和矢の方を見ると、なんと彼は動こうとせずに口に手を当てて叫んだのよ!

「わかった。きっと奪い返しに行く!」

きっとって何よ、今でしょ!?
もうこの際パンツが見えようがなんだろうがかまっていられず、恥を捨ててあたしはシャルルの軍服をつかむは蹴るわと死に物狂いで暴れたんだけど、シャルルはあたしを担いだまま颯爽とサロンを出て行く。
後ろでエリナのはしゃぐ声が聞こえた。

「きゃあ、やっぱり愛はロマンチックだわ! 結婚式場から愛する人を連れ去るなんて、まるで映画の『卒業』みたい! がんばってシャルルさん! おねえちゃんは小学生なみのウブウブだから、初体験は優しくしてあげてね!」

エリナのアホンダラーーーっ!!
サロンの外には真っ赤なオープンカーが待っていて、あたしはその後部座席に押し込まれ、なんと運転席にはルパート大佐がいたっ!!
彼はこの世にこれほど不愉快なことはないというような顔をして「くだらん…実にくだらん」とつぶやいてから、一気に車をスタートさせた。
かくて、あたしたちを乗せたオープンカーは冬の風をきるようにパリの街中を疾走しはじめたのだった。

「どこへ行くの?」
「ランス」
「ランスって、まさか!?」

けけ、結婚式をあげるつもり?!
そんな、心の準備が整ってないっ!

「式の前にせめて電話を一本! 日本にいる父さんと母さんに『育ててくれてありがとう』って言わせて!」

貞節と礼儀を重んじる大和撫子のあたしがそう提案すると、シャルルは信じられないという顔であたしを見た。

「本当? マリナ、本当にオレの花嫁になってくれるの?」
「え? あ、いや……」

あれ? あたしって実はシャルルが好きだったの?
あたしが頭をひねりながらつぶやくと、シャルルはいきなり肩から下げていた銃を祝砲のように空に向けて撃ったの!
ガガーンという音が青い空に鳴り響いて、あたしは鼓膜が破れるかと思った。
何やってんのよ、警察に捕まるわよ!
シャルルは天を仰いで大声で叫んだ。

「トレヴィアン!! やっとマリナを手にいれたぜ!!」

わーんっ、本当にこれでいいのかしら!?
誰かお願い、暴走するシャルルを止めてくださいっ!
天才の華麗なる策略に乗って、煙に巻かれたような状態であたしの未来が決定されようとしてる!!
悶絶するあたしと輝くような笑顔のシャルルを乗せたオープンカーは、石積みの建物に囲まれた真冬のシャンゼリゼを、戦闘機のような猛スピードで駆けぬけていった。









テーマソングのご紹介と解釈は、あとがきにて。

愛すればこそロマンチック あとがき

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うわーん、年をまたいじゃった!
……というのが、正直な感想です。2016年マリナバースディ創作だったのに、もう2017年(笑)
でも、シャルルの誕生日までに完結できたから、そこだけは自分を褒めてやろうかな?

バースディ記念と兼ねて、このお話は訪問者数16万ヒット記念リクエスト創作でした。
ゲッター様のリクエスト内容は、
「中島.みゆきさんの『糸』で、テーマソング創作をお願いします」でした!
ズバリ名曲です。中島みゆきさんは以前から大好きで、もちろんこの曲も知っていましたが、しみじみと歌詞を考えて聞いたのは、今回が初めてでした。
こんなすばらしい機会を与えてくださったゲッター様に心から感謝を☆

歌詞の中で特に着目したのは、
「めぐり合うこと」
「二人の関係が誰かを益すること」
この二点でした。

目を閉じてこの歌詞からイマジネーションをしていると、小菅で別れた直後のシャルマリの再会が浮かんできました。それも、大人になってからとか、人生経験を積んでからとかじゃなくて、できる限り、原作のあのまんまのライトで深刻すぎない二人のままで。めぐり合いって、偶然出会うという意味です。
けれど、偶然ってなんでしょう。偶然って神様とか運命とか、そういう人知の及ばない世界かもしれません。でも人と人との出会いは、星の数ほど出会う人々の中から、もう一度会いたいと思う人を見出していくことにこそ価値があるのだと私は思います。
ですから「会いたいと思って会いに行くこと」。私にとってこれが最高のめぐり合いの形です。
だって、そこには「意思」が働いているのですもんっ!

そして、この「糸」の曲は限りなく明るく、力に満ちた曲だと感じました。
シャルルとマリナが一緒にいることが、彼らの恋を成就させるだけでなく、誰かの人生を励ますものならば、どんなに嬉しいだろう……。そう思い、今回のお話を作りました。シャルルの「知」+マリナの「パワー」。ふたつが絡み合って、エリナたちの勇気になる。そんな感じになっていたら、嬉しいなぁ~。

「愛を裏切った人間は、ゆるされる資格があると思うか?」

シャルルは、決してパラドクスで自分を振ったマリナを恨んだり憎んだりしないと思いますよー。
もし憎むとすると、和矢とのしあわせを願いつつ、それでもマリナを求めてしまう自分自身じゃないかなと。
コンピュータ並の冷静な頭脳と、それと相反する自滅的な愛情……。
ううっ、泣けるっ!
でもだからこそ愛しい!!
その男、素敵至極なり!(…IQ269だし!23勝ってる笑)


ゲッター様、こんなんでよかったでしょうか?
イメージが違っていても、精一杯がんばりましたので、どうか笑って許してやってくださいませ(_ _)


さて、来週はシャルルのバースディですね♪
今年も何かできたらいいな。
大人なシャルマリを考えてたりしますが、形になるかどうかな?
そして次のキリ番リクエストは20万あたりできればと思っています。


頂戴するナイス!やコメントが、私にとって大きな励ましでした。
毎回毎回、泣けちゃうぐらい嬉しかったです。
拙筆にお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。
敬礼! きりっ!



I wish you a blessing!

2017.1.17
by えりさべつ

夜明けのない世界

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隣で起きてる気配に ベッドの中で息を殺す
長い夜の過ごし方 勝手にまなんだの
さみしい… そのひとことが遠くて
あなたに触れる体だけが ただ冷えていく

I love you なんて何年言ってない
強情さを武器に 鎧をつけ
あなたを敵にしたのは 私

Remember me
聞こえない声 どうか愛して
神様になれなんて言わない
あの日の約束を 今も覚えているなら
ベッドの隣の 殺した吐息に
気づいてほしい

朝の光 他愛ない会話 コーヒーの香り
今日は誕生日ねと言うと 遅くなると答える
あっそ 好きにすればいい
私も今夜は帰らないわ それでおあいこ

I forget you ライトを消して
何もかもを壊して 無地にして
まっさらになりたい 少女のように

Remember me
聞こえない声 どうかみつけて
神様になれなんて言わない
あの日の約束を 今も覚えているから
左の薬指に 指輪を気まぐれに
はめたりしないで

愛が日常にかわった日
もう戻れないふたり 遠いEternal Love
今は もう恋してないの?

Remember me
聞こえない声 どうか愛して
神様になれなんて言わない
あの日の約束を 今も覚えているなら
ベッドの隣の 殺した吐息に
気づいてほしい






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