《ご注意》シャル×マリです。小菅の別れ当日から開始。
16万ヒット記念テーマソング創作(兼)2016マリナBD創作。
全10話程度を予定。
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愛すればこそロマンチック(8)
8 大逆転、海へ向かって愛のダイブ!?
「あんたがピエールなの!?」
あたしがたずねると、岬の上に広がる芝生に立てたイーゼルの前に立つその男は、体を少しひねるようにしたまま小さく頷いた。
西日の海に、白いシャツが映える。
断崖を駆け上るようにして吹いてくる風に長い金髪が散らされて、幾筋もが、ほおや少し肉厚な形のいい唇にはりつくようにかかっている。
横から照りつける日光で浮き彫りにされた顔は、陶器のように白く、恐ろしいぐらいに甘美で、まるでアフロディーテが男になって目の前に現れたようだった。
波と風の騒ぐ音のなか、彼は答えた。
「君はだれ?」
日本語だ!
声は小さいけれども、しっかりとした日本語らしいアクセントに、あたしは一瞬びっくりしたんだけども、よくよく考えてみると、エリナの恋人なんだから当たり前よね。
だって、エリナはフランス語喋れない。
相手が日本語できないと、いつまでたっても恋どころか会話すら成立しないわよ!
「あたしはマリナよ。あんたの婚約者池田エリナの二番目の姉」
その説明でピエールはすぐに思い当たったらしく、目をハッとしたように大きく見開いた。
西日の強い光を受けたせいもあるんだけど、羽毛のようなまつげの下にある彼の茶色の瞳はとても印象的で、エリナの言う通り、燻したばかりのアーモンドのような、なんとも言えない深い眼差しだとあたしはその時思った。
「エリナの姉……聞いてる。彼女には二人の姉、ユリナとマリナがいると。でも、どうしてマリナ。あなたがここに来たの?」
ピエールの視線は、あたしと、あたしの斜め後ろに立っているシャルルに向けられていた。
警戒感たっぷりの眼差しに、あたしは少々むっとしたのよ。
あーあー、そりゃ、あんたにはわけがわからないかもしれないわね。
あんたとしては愛するエリナだけが来て欲しかったんでしょうよ。
でもね、そうは問屋が大根おろしよ。
あたしは芝生を踏みつけるように歩いて、ピエールの前に立ち、腰に手を当てて胸を張って言ってやったの!
「なんでじゃないわ! あんたが急にいなくなるから、エリナは泣くわわめくわ、大変だったのよ。だから、この天才のシャルルに頼んで、あんたが残した聖書とメッセージを解読してもらって、ここまでたどり着いたってわけよ!」
ピエールは一瞬にして顔をこわばらせる。失望がありありとその顔には浮かんでいた。
「じゃあ、エリナは一緒に来ていないと……?」
あたしは大きくうなずき、後ろのシャルルを手で指した。
「このシャルルが気遣ってくれたのよ。あたしたちが先にあんたの懺悔を聞いた方がいいだろうって。ピエール、あんたの犯した重大な罪ってなんなの? サミュエルの代わりに絵を描いていたってこと? それとも、愛人がいたってこと?」
ピエールは口に布を押し込まれたような顔をして黙り込む。
「それとも、サミュエルを殺したのは、あんたなの?」
「殺してない!」
毅然とした口調だった。
殺していない?
いぶかるあたしに、ピエールは再び言った。
今度は弱々しい声で。
「でも、やっぱり僕が殺したのかもしれない。あの夜、僕があんなことをしなければ、サミュエルはあの車にひかれることもなかった……」
煮え切らない言い方に、あたしのいらいらは最高潮っ。
えーい、男らしくはっきりしろっ!
「ひき逃げの夜に何があったっていうの? ちゃんと言わないと、エリナには会わせないわよ!」
すると、ピエールはとんでもないことを言った。
「あの日は、僕とサミュエルの結婚記念日だったんだ」
けけけ、結婚記念日!!
ど、どーいうことなの!?
あぜんとして言葉もでないあたしの横で、シャルルがほうっと息を吐いた。
「聖書のペトロの特徴として、イエスの弟子の中で、唯一はっきりと妻帯者であることが描かれているんだ。つまり、ピエールは結婚していると思っていた。法律婚か事実婚かはともかくね。だから、エリナには知らせない方がいいかと思ったんだが」
だ、だって、サミュエルは男、ピエールも男。
ふたりは、完全なる男同士!!
アブノーマルよ、禁断の世界だわ!
青くなったり赤くなったりするあたしを見て、シャルルは笑った。
「おや、漫画家のくせに、君は愛に保守的だな。それじゃ、時代を革命する漫画はかけないぞ。いつまでたっても三流止まりだぜ」
うるさい、ほっといて!
純情な大和撫子のあたしは、シャルルにとびきり大きな鼻息を浴びせておいてから、ピエールに向き直ってたずねた。
「じゃあ、あんたの罪って、サミュエルと結婚してたってこと?」
エリナの心の傷を最小限に食い止めるためにも、あたしがちゃんと事実関係を調査するのよ。
と意気込んだんだけど、ところがどっこい、愛の革命家ピエールはしぶとかった!
「エリナをここに呼んでほしい。彼女以外に、これ以上話す気はない」
そのあと、ピエールはあたしが何を言おうが、それきり亀のように黙ってしまい、断崖の上に置かれた石のようにピクリとも動かなくなって、ただ彼の長い髪だけがパタパタと風に揺れるばかりだった。
あたしは困り果てて傍のシャルルにすがった。
「ね、どうしたらいいと思う?」
シャルルはくだらないという風に、胸の前で腕を組んで答えた。
「呼ぶしかないだろう」
それで、急遽シャルルは乗ってきたロールスロイス内の車載無線を用いて、ルーアンにいるルパートに連絡を入れたのよ。
それで、エリナが到着するまでの間、あたしとシャルルはぬくぬくと車の中で待っていたんだけど、ピエールのやつは石のようにイーゼルの前で固まったまま、ほとんどお地蔵さんと化していた。
正月明けのドーバー海峡、しかも断崖絶壁の上で、遮るものも何もなく、びゅうびゅうと吹きさらしの風が通り過ぎていく凍えるような寒さの中、綿素材だろうと思われる白シャツ一枚とジーンズのみの軽装でよ!?
信じられない、人間じゃないわ!
車の窓からそんなお地蔵さんピエールをチラ見しながら、待つこと30分。
昨日サミュエルの家の前で聞いたバリバリという轟音が再び聞こえてきて、ヘリコプターの小さな黒い機体が見えた。
あっという間にそれは近づいてきて、上空でホバリングして、ヘリのドアがバタンと開いて、ルパートが小脇にエリナを抱えてロープを伝って飛び降りてくるまで一瞬の出来事で、あたしは華麗なマジックを見せられている気分だったわよ、ホントに。
「ピエールっ!」
エリナは悲鳴のような声を上げて、ルパート大佐の腕の中から、あたしたちのいる芝生の庭へと飛び出してきた。
ピエールは動かずに、顔を斜めに上げて、そんなエリナを眩しそうに見つめた。
「ひどいわ。どうして突然いなくなっちゃったの!? どんなに心配したか……っ! もう、ひどい、ひどいわっ!!」
ピエールの元に駆け寄ってきて、今にも泣き出さんばかりの勢いで、彼の胸をバシバシと叩くエリナ。
そのエリナの腕を優しく取ると、ピエールはたった一言でエリナの興奮を制した。
「エリナ、ごめん」
エリナは動きを止めて、ピエールを仰いだ。
「これから言う話を聞いてほしい。君に隠していた僕の罪を」
あたしは、そんな二人を見つめながら、いよいよその時が来たのだと思った。
ピエールの罪が明かされる時が。
ますます太陽が西に傾いて、左からの光がまぶしくなってきた。
足元の芝生が黄色く照らされている。
ヘリコプターはすでに旋回していなくなって、ルパート大佐もどこかに消えていた。
ピエールは、まずエリナに、自分とサミュエルが事実上の夫婦だったということ、ひき逃げのあった9月19日は結婚記念日であったこと、自分はサミュエルのゴースト画家であったということなどを、とつとつと語り始めた。
エリナは衝撃のあまり、言葉も出ない様子だ。
無理はないわね、エリナにとってのピエールはただのアニメおたくだったんだもの。
とあたしがため息をついていると、ピエールはその先を続けた。
それは、ピエールがなぜサミュエルのゴーストになったのか、そのいきさつと、そして、彼らがどんな人生を歩んできたかという話だった。
「サミュエルがこの施設に入所してきたのは、僕が十歳で、彼が五歳の時だった。僕は彼を見て、はじめは女の子だと思った」
あたしは新聞記事で見たサミュエルを思い出していた。
ふむ、たしかにマッシュルームカットが特徴的なかわいい感じの男の子だった。
チェック柄のジャケットと蝶ネクタイがとっても似合っていた。
一八歳であれだから、さぞかし五歳のころは愛くるしかったにちがいない。
「その頃、僕は使われていない倉庫に閉じこもって絵を描いていた。誰にも観られたくなかったからだ。ところがサミュエルは倉庫に入って来た。僕はとても嫌だった。他の連中のように絵を描く僕を馬鹿にしに来たのかと思った。でもサミュエルは、僕が描くのをただじっとそばで座って見てるだけだった。絵が仕上がるまで彼はずっとそばにいた。そして仕上がった絵を見て、ニコッと笑って『素敵だね』と言った。次の絵もその次の絵もそうだった。
『素敵だね』
次第にサミュエルのその言葉を楽しみに、僕は絵を描くようになった。
不思議とサミュエルが来てから、僕をからかっていた連中も手出しをしてこなくなって、僕たちはほとんどの時間を倉庫で一緒に過ごすようになった。
そのうちサミュエルは、とても素敵な絵だから発表すべきだと言いだした。目立つことは嫌だと答えたら、『じゃあボクの名前で出すよ』と彼は言った。そうして僕の絵は五歳のサミュエルの作品として発表され、なんと国際コンクールで入選した。
僕は驚いた。サミュエルは『ほらね。ボクが言った通りでしょ?』と笑った。
それからも僕が倉庫で描き、サミュエルの名で発表していった。世間を欺いている自覚はあったけれど、罪悪感は不思議となかった。これは僕たちだけの生き方で、僕たちだけが受け入れていればよかったからだ。
彼のコレージュ卒業をきっかけに、僕たちはルーアンに越して、ふたりだけで結婚の誓約を交わし、一緒に生きていくことを決めた。でも、その頃から、サミュエルは少しずつ変わっていった。彼は金にこだわるようになった。別に使い道なんかない。家は建て替えたけど、それ以外に大金を彼が使ったことは一度もない。ただ施設育ちの僕たちは、金を持つことに不慣れで、サミュエルも、自分の名をつけた絵に人が群がって、見たこともないような高値になって、預金通帳に0がどんどん連なっていって――そういうことが快感になっただけだと思う。
サミュエルは僕が絵を仕上げても『素敵だね』と言ってくれなくなった。『売れる絵を描いて』そんなことしか口にしなくなった。この頃、ようやく僕の中に悪い事をしているという自覚が生まれてきたんだ。僕の筆は遅くなった。彼はちゃんと描けと怒った。僕はこんなことはもうやめようと言った。それで僕たちはよく喧嘩をするようになった」
そういえば、サミュエルの隣家の女の子が、二人の喧嘩を見かけたと言ってったっけ。
売る、売らないと二人は激しく言い争っていたという。
それはこのことだったんだ。
「彼から離れればよかったのかもしれない。でも、僕はどうしてもサミュエルから離れることができなかった。彼はこの世でたったひとりの僕の理解者だったから。
だから僕は絵を必死で描いた。けれどやっぱり売るための絵を描くのは苦しくて苦しくて、その時、僕がサミュエルを捨てられないのなら、サミュエルの方から僕を捨てるように仕向ければいいと考えたんだ。だから女を金で雇って毎晩家に引き込んだ」
あたしは思わず口を挟んだ。
「じゃあ、家に出入りしていた女の人って、あんたの愛人じゃないの!?」
ピエールは悲しそうに答えた。
「僕の不義にサミュエルが怒って別れを切り出すように、手配した商売女だ。調べて、口の堅いプロを探したんだ」
なんてことだろう。
「僕の寝室は一階で、アトリエは誰にも見られないように三階にしていたから、ゴーストの件は女にもばれることなく、ことは運べた。
けれど、サミュエルは僕の思惑を見通していたらしく、女が来ても、僕が女と寝室に消えても、少しも動揺を見せなかった。朝になると、サミュエルは女が来ていたことなど何も見なかったような顔でおはようと笑うんだ。僕は辛抱強く数週間女を呼び続けた。そうして結婚記念日がきた。
たぶん、サミュエルはまさかこの記念日にまで僕が女を呼ぶとは思っていなかったんだと思う。でも僕は女を呼んで、そしていつも通り寝室に連れ込んだ。女が帰った後、リビングのソファに座っていたサミュエルがいきなり立ち上がって、玄関から飛び出していって、直後に急ブレーキ音がして――」
ピエールはあたしから見てもわかるぐらい歯を唇にくいしばって、顔を伏せた。
あたしはなんといっていいのかわからなかった。
ピエールの震える白いシャツの肩から、金の髪がはらりと下に落ちる。
その姿はとても辛そうで、見ているだけで心が痛んだ。
ふと、シャルルが言った。
「エリナと結婚して再出発するにあたって、わざわざここに来たのは、サミュエルにゆるしをもらうためにだろう?」
ピエールがバッと顔を上げた。信じられないというような目つきでシャルルを見つめる。
あたしはシャルルにたずねた。
「それ、どういう意味なの?」
「聖書のペトロはイエスを裏切ったといっただろう?」
あたしはうなずいた。
「イエスが十字架にかかって死んだあと、三日後に復活したのは誰でも承知だろうが、そのあと、ペトロは復活のイエスと再会を果たしている。その際、イエスはペトロに、その愛の真価をたずねている。ペトロがイエスのことを知らないと言った回数と同じ、三度だ。そうすることで、イエスは自分を裏切ったペトロをゆるしたとされている。そしてイエスとペトロが再会した場所は、彼らが初めて出会ったガリラヤ湖畔だ」
と、いうことはぁ……。
「ピエールが聖書のペトロになぞらえた本当の理由はそれだ。ピエールもペトロのように、自分の人生をずっとリードしてくれた恩人サミュエルと出会ったこの場所で、犯した罪を彼にゆるしてもらおうと思ったんだ。そのために再び絵筆をとって、この寒空の下、必死で絵を描いていたのだろう。死んだサミュエルの声を求めてね」
そうだったんだ!!
あたしは目が開かれた思いで口を開こうとした。
けれど、それよりも先に、エリナが叫んでいたの!
「ゆるすわ。ピエール。私がゆるす! 何度だってゆるすわ! あなたは悪くない!」
必死のその声に、ピエールは首を強く横に振った。
「エリナ、君が来てくれて、嬉しかった。謎かけまでして君に僕のことを知って欲しかったのは、君がゆるしてくれれば、もしかしたら、僕の罪はゆるされるんじゃないかと思ったからだ。来日してすぐ行ったカフェで、君がかけてくれたあの言葉に、僕は救われたから」
「え……」
びっくりしたというエリナの様子に、あたしはそばによってたずねた。
「あんた、何を言ったの?」
「えっと、確か……彼がメニューを見て迷ってたから、『私のオススメはホットミルクです。私ね、コーヒー嫌いなんです。コーヒー屋の店員だけど、“世界からコーヒーを無くそう同盟”を立ち上げた反逆児なの、あははは』って……」
なんなの、それ!
その言葉に救われるピエールって変!
「好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという、すなおで飾らない君に僕は強く惹かれた。君と一緒にいると、世界が輝いて見えた。けれど……やっぱりダメだ。ダメなんだ、エリナ! ここで三日間絵を描き続けてわかった。裏切り者がゆるされるなんて、聖書の中だけの奇跡だ。サミュエルは僕をゆるさない。愛を誓いながら裏切った僕を、サミュエルは一生ゆるしてくれない。だからエリナ、結婚のことはなかったことにしてほしい」
「なんで!? 死んだ人が生きている私より大切なの!?」
「ちがう! そうじゃなくて、僕は怖いんだ。いつか君のことも裏切ってしまうのかもしれないと思うと、自分がもう信じられない!」
ピエールの激しい口調に、一瞬場が静まり返った。
ただ風と波の音だけが続く。
「……それがあなたの結論なのね」
エリナが涙声で言った。
瞬く間に大きな黒い瞳に溢れるような涙が浮かび上がり、エリナの白いほおを伝ってどんどん顎に滴り落ちていく。
と思った途端に、エリナは涙を振り切るようにあたしたちの元に走ってきて、突然シャルルの腕をとって、自分の手をむっちりと絡ませたのよ!
「ちょうどいいわ。実はね、私、昨夜、このシャルルさんとラブしちゃったのよ。彼ったら激しくて、あなたよりずっと情熱的だったわ。これも運命ね。だから、あなたとの結婚はやめてあげる。シャルルさんと結婚するから」
ピエールは目を開いてエリナとシャルルを見た。
あたしだって同じだった。
エリナとシャルルがラブだって!?
じょ、情熱的だったですって?
まさかぁ!!
「ね、シャルルさん?」
とエリナがシャルルに体をすり寄せたその瞬間だった。
シャルルがすっと真顔になったかと思うと、目にも留まらない速さでエリナの腰を両手でつかんで、エリナの頭を背中側に、エリナのお尻を自分の前にと、まるで米俵をかつぐような要領で乱暴に肩に担ぎ上げたのよっ!
「きゃあ! 何するの!?」
とエリナが悲鳴をあげる。
かまわずにシャルルはエリナを担いだまま芝生を突っ切って、柵を長い足で軽々と乗り越え、ごつごつした岩場へと踏み出して、海の方へ向かいだしたのだった!
何をする気なの!
「馬鹿にするのも大概にしろ。アルディの当主は百倍返しが原則だ。二度とオレの前にその顔をみせられないようにしてやる」
言いながら、シャルルはどんどん岬の先端へ!
それは、どう見ても、エリナを断崖絶壁の海に投げ捨てに行こうとしているようだった。
ちょ、ちょっとまったぁ!
とあたしが止めようとしたとたん、
「エリナを放せ!」
大声をあげてピエールは雄々しくシャルルに立ち向かっていったんだけど、シャルルの強烈な後ろ蹴りにあって、あえなく地面に蹴り倒されたのよ!
ええい、このにぶちんっ!
いっくら美青年でも、好きな女のコ一人守れない文科系軟弱男子なんて、マリナシリーズの男キャラとして失格よ!!
一方、担ぎ上げられたままのエリナはもちろん怪獣のように激しく暴れていたんだけど、見た目のわりに力の強いシャルルに抑え込まれてまったく歯が立たなかったようで、最後には絶命寸前の猫のような甲高い声で叫んだ。
「や、やめて、放して。助けて、おねえちゃん!! シャルルさんを止めてよ、早くっ!!」
あたしも必死で柵を乗り越えて、二人のそばに行った。
そこであたしは見てしまったのよ、シャルルの顔を。
西日を真正面に受けて、するどく光るそのブルーグレーの瞳を。
……わかったわよ、シャルル、あんたの意図がはっきりと!
ありがとう。
あんたって素直じゃないし、信じられないくらい性格がひねくれてるし、考え方もまっとうじゃないけど、根はすごくイイ奴よね。
「やっていいわ、シャルル」
言うと、エリナもピエールも目をひんむいてあたしを見た。
狂ったのかとでも言いたげな二人のその顔に、あたしはベーと舌を出した。
残念でした、あたしはシャルルの味方よ!
シャルルは岬の突端で足を止め、左足に重心を置くように前に一歩出した。
じゃり、と革靴の下で乾いた砂音が立ち、シャルルの足先はもう崖すれすれのところにまで到達して、エリナの下半身は断崖の空中に浮く格好になった。
と、ピエールが地面にガバッと跪いた。
「お願いだ、エリナを放してくれ! なんでもする! 僕が代わりに飛び込んでもいい! だからやめてくれ!!」
うーん、だったら力づくでエリナを奪い取ればいいのにと思うんだけど、つくづくこいつって文科系なんだわ。
まあ、シャルルの足の半分は岬から出ちゃってるような状態だし、ピエールは強引にやってエリナが落ちることをおそれたのかもしれない。
彼は両手を地面につき、その真ん中にこすれるほど額をつけて、ただひたすらに何度も繰り返しシャルルに懇願した。
もうね、見守っているこちらが辛くなるぐらい。
ところがシャルルは冷血だった!
「それなら、いますぐお前がここから飛び込めよ」
ああ、なんて非情なんだろう。
あたたかい血が通っている人間とは思えないセリフだわ。
シャルルって、氷河期のマンモスの生まれ変わりなのかもしれないと、あたしが感心していたら、シャルルに担がれたままエリナが絶叫した。
「いや! それなら私を投げ込んで!!」
あの小悪魔エリナがまさか、と思った。
けれど、それはまさしく愛にあふれた悲痛な叫びだったのよ。
ピエールは一瞬息を呑んだような表情をして、エリナを見上げた。
二人の視線が熱く絡みあったのが、そばのあたしからもはっきりとわかった。
シャルルはエリナを地面に下ろした。
エリナはふらふらと地面に跪いたままのピエールに近づいて行き、彼の前にぺたんと座った。
二人は見つめあって手を伸ばしあい、互いのほおに触れあい、その直後、見ているあたしの胸が痛くなるほど、強く激しく抱きしめあった。
あたしはそんなエリナたちの姿に感動しながら、思った。
サミュエルがピエールをゆるしているのかどうか、あたしにはわからない。
けれど、過去を後悔してばかりじゃ、何もはじまらない。
あたしは背後にあったイーゼルをちらりと振り返りながら、ピエールが、贖罪のためではなく、エリナとの未来のために絵を描く日が一日でも早く来ますようにと願ったの。
「ありがとう、シャルル」
あたしが彼のそばに寄ってそう言うと、シャルルはつまらないというように腕を組んで唇を歪めた。
何も言わない。
あたしはもう一度お礼を言った。
心を込めてね。
「ところでエリナ。僕には罪がもうひとつあるんだ」
抱き合っていた腕を解いて、ピエールが突然言った。
は? まだあるの!?
「君の気をひきたくて、コーヒーが嫌いだと言ったけど、あれは嘘なんだ。僕、実はコーヒーが大好きなんだ」
別にそんなことどうでもいいでしょ!
と思ったのはあたしだけだったみたいで、エリナは烈火のごとく怒った。
「重大な裏切り行為だわ。結婚は取りやめ!」
「そ、そんな! ゆるしてくれよ」
「いや!」
「一日一杯しか飲まないから!」
あたしは目の前で唐突に始まった夫婦漫才のようなやり取りに、空いた口が塞がらなかった。
まさか、手紙にあった『重大な罪』ってコーヒーなの!?
だったら、あたしはゆるさないわよ、永遠に!!
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