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Channel: りんごの木の下で
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愛に濡れた黙示録 2

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《ご注意》第一話の注意事項をご確認の上、ご了承いただける方のみ閲覧ください。






「あんたっ!? どうしたのっ!?」

エレベーターから姿を表したのは、大親友の薫だった。見上げるほどの長身を濃紺のタキシードに包み、焦げ茶色のバイオリンケースを左肩に背負っている。
マリナはまじまじと彼女を見た。
だって、薫はパリにいるはずだった。
死刑になった兄上にショックを受けて、心臓破裂を起こして、シャルルに手術をしてもらって、今はまだ生死の境をさまよっているはず。
なのに、どうしてこんなところにいるの―――?

「どうしたもこうしたも、ここは甲府の殿様の結婚式場だろ?」
「そうだけど……」
「ちょっとお邪魔するぜ」

そう言うと、薫はバイオリンケースを肩から下ろして、マリナの目の前の受付テーブルに置いた。よどみない仕草で蓋を開け、すばやくバイオリンと弓を取り出しパタンと蓋を閉めると、そのまま楽器だけ持って、受付の横にある大広間の扉に向かう。
マリナは慌てて追った。

「ちょっと待ってよ! あんた、まさか……」
「お祝いの演奏をしに来たんだ」
「美女丸は知ってるの?」
「アホ。こういうのは飛び入りって相場が決まってるだろ」

冗談じゃないと思った。
飛び入りっていうのは、せめて進行役とかが知っていて、あらかじめ打ち合わせ済みで、当事者だけをびっくりさせるものなはず。それが、誰もしらない真の飛び入りなんて、もし、美女丸にとって頭の上がらない人が祝辞なんかしている最中だったら。
普段ならマリナはおもしろがるところだが、今日は勝手が違った。受付という大役を仰せつかっている。つまり、これは阻止しないとならなかった。でないと、あとで美女丸から怒声を浴びるはめになるかもしれないのだ。
マリナは、薫の腕をぐいっと掴んで、ぶらさがるようにしながらわめいた。

「美女丸の結婚式は普通の結婚式と違うわ! スポーツ選手や芸能人も来てるし、甲府だけじゃなくて、日本中の大物も来てるのよ。突然飛び込んできたあんたが演奏をはじめてゆるされる雰囲気じゃないわ!」
「そんなこと知らないよ。いつか世話になったみたいだからさ。その借りを返すだけさ」
「借りって……やめなさいよっ! 美女丸の立場ってものを」
「あたしは祝いをするんだ。誰が止める権利がある? マリナ、止められるもんなら止めてみろよ」

薫はマリナを斜めに見下ろした。
下方がこころもちあいた美しい三白眼に、これ以上の反論はゆるさないという明確な意思が光り、あまりのその迫力にマリナがぐっと黙り込むと、後ろから和矢が薫の前にすばやく立ちふさがった。

「響谷、ひさしぶり」

一瞬薫は動きを止めたが、すぐに険しい顔で和矢を睨んだ。

「どけよ、黒須」
「どいてもいいけど、その前にオレ、提案があるんだ」
「提案?」

和矢はおだやかに微笑みながら、「ああ」と頷いた。

「飛び入り演奏も素敵だけど、どうせなら『これぞバイオリン!』ってとこ、みせないか?」

そう言いながら、すっと手をのばして、薫の後ろを指差す。

「披露宴が終わると、ほら、向こうの大階段を美女丸たちは下りるんだ。そこでフラワーシャワーを受ける手はずになってる。螺旋階段になってて、客は一階のロビーで待ち受けてるってわけさ。だから、その階段の一番上で、君が演奏するってのはどうだい?」
「階段の上で?」
「ああ。すげーカッコいいぜ! 天使が祝福してるみたいでさ。これって持ち運べるバイオリンでなきゃできないし、美女丸だって絶対よろこぶと思うんだ」 

薫は和矢を睨んだまま黙り込んだ。提案を思量しているように見える。和矢はそれ以上、何も言わない。マリナはハラハラしながら、ふたりを交互に見つめた。
扉の向こう側で、打ち上げ花火のように拍手が何度も何度も上がった。
やがて、薫がぽつりと言った。

「……いいよ。手を打つ」
「よかった」

和矢が安心したように頬を緩めた。
マリナもホッとしながら、頼もしげに和矢を見つめた。
やっぱり、和矢はすごい。
決してダメだ、やめろと言わない。相手をありのままに優しく受け入れながら、みんなにとって最良の道を導く天才と言えた。誰もが持てないそのたぐいまれな力を、和矢は生まれるときに神様にプレゼントされたにちがいない。

「音出ししてくる」

薫はそう言って、バイオリンを肩にのせたまま身を翻した。マリナが止めようとかけよったけれど、一瞬早く薫はエレベーターに消えた。

「薫……身体は大丈夫なのかしら?」

マリナは閉まったエレベーターの前で振り返った。

「どうして突然帰ってきたのかしら? 兄上はどうしたのかしら?」
「わからない。シャルルも何も言ってなかった」
「え? あんた、シャルルと連絡取ってたの?」

友情を破壊したままだったはずなのに。
和矢はあきらかにしまったという顔をして、口元を覆った。

「例の剣を取り戻す手伝いを少し頼まれただけだよ。それっきり」
「……薫のことはそのときは……?」

和矢は首を横に振った。

「何も」

マリナは黙り込んだ。
広間でははじけるような笑いが起こっていた。




結果、フラワーシャワーは大成功だった。
美女丸が花嫁と大階段を降りてきたとき、突然天雷のように鳴り出したバイオリンに、参列者たちはおどろくとともに、粋な演出だと褒めそやした。
彼女の音は変わらなかった。
以前と同じ、いや、前よりも澄んでいた。
透明で、軽やかで、そして深い哀愁に満ちた愛情の音―――英国で聞いたキラキラ星を思い出して、あれから人生をひっくり返すほどの試練を味わった彼女が、それでも、これほどの素晴らしい音をつむぎだすことに、ロビーの隅にいたマリナは、涙を止めることができなかった。
リンカーンに乗った美女丸たちを見送って、白い大きな紙袋に入った引き出物をもらって、さぁ、いよいよ薫を問いただそうと思ったときには、もう彼女の姿は式場のどこにもなかった。

「どうしてよっ!? 薫はどこ行っちゃったのっ!?」

和矢もとまどった顔を見せた。

「わかんない……どうしたんだろ……」

マリナと和矢は顔を見合わせた。
突然現れて、綺羅星のような音を残して消えた薫。
まるでわけがわからなかった。








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