《ご注意》第一話冒頭の注意事項をよくご確認の上、ご了承いただける方のみ閲覧してください。
「現当主ルパート・ドゥ・アルディに国家反逆罪の疑いだ」
―――国家反逆罪っ!
「やはりそうか。外事第二課が動くわけだ」
シャルルは小さく頷く。
「タレコミによると、ルパートは空軍時代に付き合いのあった国内軍需会社の役員を抱き込んで、かなりヤバいことをやっているらしい」
「フン。落ちたものだな。で、相手は?」
「これはまだ未確認なんだけど……」
カークは黒い瞳にサッと厳しい光をよぎらせると、小さな声である名前をささやいた。その途端、シャルルの顔色が変わる。
「まさか……っ」
「確証はない。そして、多分、永遠に確証は得られないと思う」
カークがもどかしそうに言い、シャルルは信じられないというように首を振る。今までにない重々しい雰囲気の中、先刻の驚きから立ち直り心臓が元通り逞しく動き出したマリナはしばし考え込む。ルパートが国家反逆罪というものすごく悪そうなことをしているのはわかった。けれど、その内容がまるでわからず、二人の醸し出す深刻さに全く同調できなくて、「ルパートは一体どんな悪さをしてるの?」と二人の椅子のそばにすっ飛んで行った。二人はマリナを無視して話を続ける。
「今、ボイエ警部は何人か連れて軍需会社を内偵してる。成果はまだないけど、そっちのほうは警部にまかせていいと思う」
「なるほどね。問題はアルディというわけだ」
「そうなんだ。特に今、ルパートの周りはマスコミだらけだし、本人も隙を見せない。どこでどう問題の人物と接触しているのかすら、わからない。正直言ってお手上げなんだ」
「それは君の知能が足りないだけだ」
シャルルは切って捨てると、前のめりになっていた身体を起こして椅子にもたれる。
「まあ、心配はいらないさ。もう作戦は始まっている」
「え? 何のこと?」
「オレのかわいいシルヴァン叔父様だよ」
驚くカークに、シャルルはにこやかな笑みを向ける。
「君が知っているかどうかは不明だが、アイツはアルディ家の中で信頼と愛情を勝ち得ている。当主の座に上ったルパートよりもよっぽどね。見てるがいい。シルヴァンは必ずオレのところに反ルパートの連中を連れて来るよ。それも一人ずつね」
「どうして一人ずつ?」
「一対一でオレが攻略できるようにさ。アイツはその辺を考えて行動できる男だ。だてに軍神マルスの称号をフランス軍から与えられちゃいないぜ」
「え? あのシルヴァンがっ!?」
カークが意外そうに大声を上げる。隣でマリナもビックリしていると、シャルルは面白そうに笑った。
「一年前の東地中海戦争。イスラム諸国と渡り合って、イギリス・ドイツ・イタリアとの連合軍を指揮し、過去に例のない機上実践作戦を用いて連合軍を勝利に導いたアルディ将軍がいただろう。それが、アイツだ」
カークは目がこぼれ落ちそうなほど見開いて絶句し、マリナは「うそでしょ―――っ!?」と絶叫する。シルヴァンに出逢って数時間しか経っていないけれど、どう見てもその輝かしい経歴が似つかわしくないイメージしかない。シャルルオタクで性格の悪いひょろひょろモヤシ。そんな程度だ。「アイツの空軍歴は極秘事項だからな」というシャルルの言葉に、能ある鷹は爪を隠すと言うけれど、隠すというよりもマニキュア塗り過ぎでしょっと思いながら、くらくらする頭をコンコンと叩いていると、シャルルがフッと真顔に戻って姿勢を正した。
「カーク。オレはシルヴァンが連れて来る連中を必ず説き伏せ、協力者に変える。その後は、君の出番だ。君は協力者になったヤツと連携して、ルパートの周辺を探り、証拠を押さえろ。できるか?」
「あ、ああ…もちろんっ!」
ハッとしたようにカークは頭を震わせると、強く頷く。
「まかせてくれ、必ずやってみせるよ!」
力強い返事に、シャルルは満足そうに微笑みながら立ち上がる。
「第一作戦―――始動だ」
がっちりと握手を交わす男二人を見上げていたマリナは、慌てて二人の重なった手の上にぎゅっと両手を被せる。
「いよいよねっ、がんばりましょうっ!!」
細かなことはよく分からないが、とにかくシャルルが当主に戻って、カークの仕事が上手くいって、二人が仲良くやってくれれば、文句なんか何もない。本当に二人の関係が修復できて良かった。だって、友達こそが宝だから。
―――信じられる友達あってこそ、戦いができるのよっ!
マリナが満面の笑顔を二人に向けたその時だった。
ぐぐぐぅぅぅるるるる~。
地底から轟き出てきたような怪音が部屋に響き渡った。
「なんだっ!? 今の、絶滅寸前のカバの叫びのような音は!?」
警官らしく周辺に視線を配るカークを横目に、シャルルがため息と共に一言。
「絶滅寸前のマンガ家の腹の虫だ」
カークのぎょっとした顔と、シャルルの心まで凍りそうな冷凍光線を浴びながら、マリナはにへらと笑って、頭をかく。
「腹がへっては戦ができぬって言うじゃない。とにかく、ぐだぐだ言ってないで、さっさと食べるものを用意してちょうだいっ! 美味しいのを沢山よ、でないとでないと……」
「でないと、何?」
シャルルとカークの二人にずいと顔で迫られて、う、とつまったマリナは起死回生の一声を発した。
「シルヴァンとあんたたちの激しいボーイズラブマンガを、パリ警視庁とアルディ家に送りつけてやるんだからっ!」
それから数十分後、山盛りのカバ用エサと記された草の山が運び込まれたマリナは、平身低頭、二度とそんな忌まわしい妄想はいたしませんと誓わされることになった。
*
キュンツェル湖の上を吹き渡った後、人の頬をなぶる風は、生命萌え出ずる春を殺そうとする凍てつく冬の冷酷な神去る息だった。
「シャルル……!」
声に反応して振り返った顔は、確かに小さな頃からの幼なじみだった。心からホッとした和矢は思わず大きな息を吐きながら、顔に笑顔を浮かべる。
「良かった。オレ、ずっとお前を……」
そこまで言った時、シャルルが右手の人差し指を立てて自らの唇に押し当てた。静かに、という意味らしい。
「あ、わりぃ」
咄嗟に頭に手をやって、身をすくませていると、シャルルが唇に当てていた指をそのまま前に出して、こちらに来いという仕草をした。
「了解。すぐ行くよ」
こんなに簡単に確かめられたことに安堵しながら、もう一度、目にしっかりとシャルルの姿を焼き付けた後、バルコニーから目を反らし、もと来た道を本館の裏口に向かって歩き出す。その時、後ろの森で遠吠えが一つ聞こえた。哀しげなその声に振り向くと、漆黒の森がベルベットのような空にそのまま繋がっていて、相変わらず三日月だけが雲の切れ間に泣きはらした瞳を閉じている。
「この月がシャルルとオレを会わせてくれたんだな」
和矢が「サンキュ」とお礼を言って視線を戻そうとした時、先ほどシャルルがいた、バルコニーに漏れ出る三階の部屋の灯りが消えているのが目に入った。
どうして?
和矢は突如、嫌な予感がして、慌てて裏口を開け、本館の廊下を走り抜けると階段を駆け上がった。フロントマンが何も注意してこないのを一瞬いぶかしく感じながら、三階までたどり着くと、一階の自分の部屋とはまるで違う豪奢な扉を強くノックする。
「ウイ」
七回目のノックで応じる声がして、扉が開いた。