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愛という名の聖戦(74)
どうして“アルディの青バラ”がここにあるのっ!?
あたしは驚きのあまり、ケンを抱いたまま、あんぐりと口を開けて、目の前で燦然と輝くブルーダイヤモンドを見つめるばかりだった。
ことの起こりは、一本の電話。
数奇な運命を経て、ようやく普通の恋人同士としての歩みをはじめていたあたしと和矢が、ディズニーランドからの帰りにあたしのアパートで初めての夜を過ごしたその翌朝、電話のベルが鳴ったのよ。
電話の主は「アルディ公爵家特別医療チーム看護士アンドレ・ベネトー」だと名乗った。
忘れたくても忘れられないアルディという名前にあたしがどっきんとしていると、その冷ややかな声のベネトーは、さらに衝撃的なことをあたしに告げたの!
薫の心臓が停止し、補助的に人工心臓に切り替えた。
だが、これは一次的な措置なので、彼女の命はもって数日だろう。
もし最期の別れがしたいのならば、今のうちに来た方がよいでしょう。
いきなりそう言われてあたしは頭が真っ白になったのよ!
だって、薫はあたしの親友!
もうすぐ死にますっていわれて、はいそうですかってわけにはいかないのよっ、天才シャルルはどーしたの!?
「シャルルをだせ!」
と電話に叫んだんだけど、「それはできません」と、ベネトーは断固拒否。
らちがあかない電話をたたきつけるように切ったあたしは、すぐさまパリ行きを決意。
後ろでかたずを飲んで聞いていた和矢に次第を話すと、
「オレも一緒にいく!」
と言ってくれ、あたしたちはその日のうちに機上の人に!
それからまあ色々あって、あたしは和矢とお別れして、アルディ家に残り、シャルルの助手となって、薫の治療のために力を尽くすことを決意したのだけど、その治療の第一工程が、薫につけられた補助人工心臓をいかにして強化するか、という点だったの。
これを解決する方法が、アメリカのコーネル大学モラン・ブルックス教授が所有している最新型人工心臓だった。
この最新型人工心臓は、従来のものとは違い、血液を凝固することなく、長期間にわたって心臓の代わりをしてくれるっていう優れもの。
これさえあれば、薫は当面の危機を脱出できる!
所有者モラン・ブルックス教授は、これを提供する代わりに、アルディ家家宝“アルディの青バラ”をよこせと要求した。
“アルディの青バラ”とは、ブルーダイヤモンドを使ったリングのことよ。
別名「奇跡の湖」。
大きく美しい結晶のままをとどめたブルーダイヤモンドというのは、世界でもほとんど存在しないらしくって、その希少性をたたえて、アルディ家では“アルディの青バラ”と呼んでいるらしい。
代々当主夫人だけが持つことを許されるこの宝を、シャルルの亡きお母さん、つまりエロイーズママンは、ことのほか愛した。
このダイヤが、シャルルの目の色にそっくりだったからよ。
普段は一緒にいることのできない息子を思って、エロイーズママンは“アルディの青バラ”をはめて、いつも触れたり口付けたりしながら、シャルルのことを思っていたんだって……。
ママンの死後、シャルルはそのことを初めて知った。
それ以来、シャルルが“アルディの青バラ”を所有していて、パパが、後妻の松本由香理に“アルディの青バラ”を渡そうとしたときも、パパとの仲が悪くなることも顧みず、“アルディの青バラ”を守り抜いたという。
つまり、シャルルにとって、“アルディの青バラ”はママンの愛そのものだったんだけど、その大事な大事な宝石を、なんとシャルルは、モラン・ブルックス教授の要求に応えて、アメリカに渡してしまったのよっ!!
もちろんシャルルがそんなことをあたしに言うわけもなく、そのすべての顛末を、固く口を閉ざしていたジルを脅すようにしてようやく聞き出したあたしは、ショックでボーゼン。
きゃあ、どうしようっ!
あたしが薫を助けてなんて言ったからシャルルに犠牲を払わせちゃった!
あたしは申し訳なく思い、かと言って薫を助けてほしかったのも本音で、それを後悔すべきかどうかもわからなくて、でも、じっともしていられなくて、アメリカから届いた人工心臓との交換手術を終えたシャルルに謝ったの。
「ごめんね、何も知らなくて」
すると、シャルルは首を振り、こう答えた。
「覚えておいてマリナ。オレは君のためならなんだってやる。なんだってしてみせる」
今でもはっきりと覚えている、あの時のシャルルの目。
男の人が本気を出した時ってこんなに迫力があるんだって思い知らされたもの。
綺麗とか、美しいとかを超えて、命が光っていた。
「どうして、これがここにあるの?」
かすれた声であたしはようやくそれだけ言えた。
ビロードの指輪ケースを軽く握りしめたシャルルは、目元にひとすじの甘さをにじませながら、ふわっとやさしい笑いを浮かべた。
「買い戻した。昔からアルディの当主は、結婚式で花嫁にこの指輪を贈るから」
買い戻した!?
うそ!!
だって、あの時、ジルが言っていたもの!
モラン・ブルックス教授とは金銭的交渉も試みたけれど、ダメだったって。
どんなにお金を積んでも、教授は“アルディの青バラ”以外の対価で、新型人工心臓を渡す気はないと言っているって!!
なのに、その教授をどうやって口説いたっていうの!?
「何を渡したの!? 別の家宝!?」
シャルルは首を横に振った。
「いや、家宝じゃない。たいしたものじゃないから、君は気にしなくていい」
気になるわよ!
あたしはシャルルににじりより、ぐいっと顎を突き出してたずねた。
「なに!? なにを差し出したの!?」
ところがシャルルは完全無視。
そっぽを向いて、口笛なんて吹いちゃってるのよ、バカやろう。
「言いなさいよ、それともあたしに言えないようなことなの!?」
あたしはわめきたて、シャルルは黙りこくる。
そんなあたしたちの騒ぎに辟易したのか、よく眠るカイを抱っこしてくれていたジルが、ため息をつきながらあたしたちの間にすっと割って入ってきたのだった。
「まったくお二人とも、式の当日まで何をやってらっしゃるんですか。シャルル、妻となる女性を悲しませてどうするんですか。わざわざ思わせぶりな態度をとるのは、非常に罪深いですよ。それからマリナさん。夫となる人を信じないというのも、同様に罪深いことですよ」
ぐっ。
たちまちあたしは塩をかけられたなめくじみたいにしゅんとなった。
チラッと見ると、シャルルも、先生に叱られた子供みたいに、口を尖らせてすねている。
「夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、どうせ最後にはこちらが胸焼けを起こすぐらいベタベタするのですから、最初から喧嘩などしないでください。私も仲裁に入るのが、いい加減バカバカしくなってきました、まったくもう」
なんだか若干キレ気味のジルに、あたしは冷や汗がたらり。
わーん、ごめんなさい!
怒らないで、怖いから!
あたしは困ってすがるようにシャルルを見たんだけど、そのシャルルはというと、青灰色の目を輝かせながら「君が謝ってくれよ」ビームを炸裂してくるのよっ!
ひどいわっ、女に謝らせる気っ!?
えーい、男のくせに卑怯者、恥を知れ!!
「もう二度とくだらない喧嘩はいたしません。末永く仲良く暮らします」
場をおさめるため、やむなくあたしが、ケンを抱いたままペコペコと頭をさげると、ジルはようやく険しくなった眉根をちょっとゆるめてくれたのだった、ほっ。
「あのですね、マリナさん。シャルルがモラン・ブルックス教授に渡したのは、ものではありません。権利です」
権利?
「シャルルが開発した万能細胞とそれに付随する再生医療についてのすべての権利を、シャルルはモラン・ブルックス教授に譲渡したのです」
あたしは目がパチクリ。
それって薫の再生心臓に使ったあれよね?
それを渡すってことは……つまり……。
いやーな予感がこみ上げてくるあたしの前で、ジルがきっぱりと言った。
「おそらく明日にでも、あの画期的な治療法は、アメリカから発表されるでしょう。開発者はシャルル ドゥ アルディのままですが、権利はあちらに移りましたので、これからこの技術を使用しようとするものはブルックス教授の許可をとらねばなりません。医療のみならずあらゆる分野への応用が期待できる技術ですので、教授の元に入る使用料は、最終的に、おそらく我が国の国家予算をはるかに超えるでしょう」
びっくりした。
だってあれはシャルルが命をかけた開発だったのよ。
その権利を人にあげちゃうなんて……。
それでいいのとたずねようとしたあたしは、こちらを見て微笑んでいるシャルルの瞳にぶつかり、そのまなざしのあまりの静かさに、彼の考えていることがやっとわかったの。
きっと、シャルルがそうしたのは、あたしのためだ。
あたしは彼の目を見つめたまま何も言えなくなり、そんなあたしの心を読み取ったかのように、
「マリナさんには内緒だったのですけど……もう話してもいいですよね、シャルル?」
ちょっとシャルルに目配せをしてから、ジルは言った。
「実を言うと、お二人のご結婚をアルディ家として受け入れるため、親族会議側から出された条件が“アルディの青バラ”の奪還だったのです」
やっぱりあたしのためだ!
あたしは心臓が痛み、腕の中で眠るケンを思わずぎゅっと強く抱きしめた。
アルディ家に、あたしとシャルルの結婚を反対する人たちが大勢いることは知っていた。
仕方がないと思ったのよ。
だって、あたしはただの平民。
家柄も何もないし、チビだし、美人でもないし、漫画家としても売れてないし、しかも腹ボテときた!
愛人っていっても反対されたかもしれないのに、正妻だもの、絶対許してもらえないわよ!!
それで、シャルルがあたしとの結婚を表明してからというもの、本家には入れ替わり立ち代り親族がやってきて、お腹の大きなあたしに罵声を浴びせるものだから、あたしは、さてこれからどうしたものかしらねと頭を抱えていたの。
すると、出産してまもなく、その親族連中の訪問がピタリと止んだの。
何かあったな、とは思っていたんだけど、なるほどそういうことだったのね!!
「言ってくれればよかったのに、シャルルったら秘密主義なんだから」
あたしが口を尖らせると、シャルルは心外そうに眉をひそめた。
そして、言ったの。
「秘密主義というのとちょっと違うだろう。オレには家族を守る責任がある」
家族!
シャルルの口から出たその言葉に、あたしはびっくりして、思わず彼を凝視してしまったの!
窓から差し込む日の光が、やわらかく彼の顔を照らしていて、その光の中で輝く青灰色の瞳は、息をのむほど美しく、真剣で、かつてないほど頼もしく見えた。
「あたしたち、もう家族なのね」
シャルルはうなずきながら、
「そうだ。君とオレとケンとカイで、四人家族だ。だから、家族はオレが何があっても守る」
それは揺るぎない決意に満ちた言葉で、あたしは感動した。
ありがとう……!
「大好き、シャルル」
素直にそう言うと、シャルルは天使のようなほおをやさしく緩めて、照れた感じで笑った。
そのシャルルの幸せそうな笑顔ったら、もう!
ダイヤより100倍も1億倍も魅力的♡
あたしは惚れ惚れと見とれ、直後、ハッとした。
あれ、そういえば、あの簡素リングはどうなったの?
味もそっけもないデザインだとはいえ、素材はプラチナ、ほっとくぐらいなら、あたし、欲しいな。
「ねえシャルル。せっかく作ったあのリングはどうするの? あたしのために作ってくれたんだから、あたし、貰うわよ」
つとめて平静にいったつもりだったんだけど、声に物欲しさが出ていたのかしら。
シャルルはフンと大きな鼻息をついて言った。
「君にはやらん。すぐ金に代えそうだから」
わーん、どうして分かったの!?
じゃあ、一体どうするのよ!?
あたしが食い下がって聞くと、シャルルは自分が身につけるのだと答えた。
それも左手の薬指だというから、あたしは二度びっくり!
「あれ、あんたの指にもはまるの?」
とたん、シャルルは目をむいてあたしを睨んだ。
「君はサイズも確かめてなかったのか?」
うう、ごめんなさい。
だってあんまりにもシンプルすぎて、興味がわかなくて。
正直者のあたしが身をすくめて謝ると、彼はどうせそんなことだろうと言いたげな、深く長いため息を吐いたのだった。
「アルディ当主は、結婚指輪をする習慣はないが、新しい伝統を作ってもいいだろうと思ってね」
淡々とアルディ家革命を宣言するシャルルに、あたしは胸キュン。
だって、結婚指輪をつけるってことは、あたしという妻の存在をいつでも大っぴらにするってことでしょ?
アルディ家当主は、愛人持ちが普通。
シャルルのおじいさんは何度も結婚を繰り返したツワモノだし、シャルルのパパなんて分厚いリストにできるぐらいたくさんの愛人がいたんだもの。
それを聞いた時はさすがアムールの国だなって感心しちゃったけど、いざシャルルと結婚するとなってからは、彼もそのうち愛人を作っちゃうのかしらって、心が騒いでいた。
でも、シャルルは指輪をつけると言ってくれている。
誰から見てもわかる結婚のしるし。
つまり、それは、あたしだけのものになってくれるということだと思っていいのね!?
そう思うと、あたしの胸の中には彼への思いがあふれて、とまらなくなって、あたしはその思いに突き動かされるようにして言った。
「ありがとう、シャルル、あたし、心の底からあんただけが大好きよ」
シャルルは言葉では答えなかったけれど、嬉しそうな微笑を浮かべて、うなずいてくれたの。
あたしたちは今、心と心が通じ合っているわって、思った。
そうしてあたしたちが、お互いへの最高級の愛情を込めて、相手を見つめたその時だった。
「時間です。シャルル、さあいきましょう」
ジルの冷徹な声が飛び、彼女はあたしの腕に押し付けるようにカイを抱かせて、先に入場する手はずになっているシャルルを連れて出て行ってしまったのだった。
かくしてあたしは、ケンとカイを両腕に抱えてひとりぼっちになり、さすがに重くて、背後にあった椅子に慎重に腰を下ろした。
見下ろすと、二人とも気持ち良さそうにスヤスヤと眠っている。
ふふ、本当によく寝る子たちだわ。
この分だと式が終わるまで起きないかもね。
式の間、ケンとカイは、ジルが雇ってくれたベビーシッターさんに預ける予定にしていたけど、でも、起きない方がお互い平和よねぇ……。
それにしてもシッターさん、遅いな。
ううっ、式が始まっちゃうわ!
なんてことを思ってあたしがソワソワしながらドアに目を向けたとたん、そのドアが、ノックもなしに突然ガチャッと開いたのよっ!
開いたドアの向こうには、ついさっきジルと一緒に出て行ったばかりのシャルルがいた。
あれ? どうしたの?
「あんた、ジルと聖堂に行ったんじゃなかった?」
しかも、なんで着替えたの?
シャルルは、さっきまでの結婚式用に特別に誂えた純白のタキシードはどこへやら、黒の細身なジャケットに白シャツ、ブラックスキニーパンツという普段着そのものの装いだったのだ。
どうして?
あたしがたずねると、シャルルはそれを全く無視しながらツカツカと部屋の中へ入ってきて、あたしの前まで来ると、いきなり腰を屈めてあたしの胸元にガバッと頭を突っ込んできた。
え?ええっ?
あたしの目の前には、シャルルの綺麗なつむじがドーン、そこからさらりとした長い白金の髪がすだれのように垂れ下がっていて、彼の顔はあたしからはまったく見えない。
でも、その気配で、彼が何をやっているかははっきりとわかった。
シャルルはキスをしていた。
眠っているケンとカイのほっぺに、それぞれちゅって。
あんた、さっきもしてたじゃない。
何やってんの!?
すぐにシャルルは顔を上げ、その精悍なほおを歪めてあたしをじっと見つめた。
じいぃぃっと瞬きもせず、何秒間も。
直後、シャルルは、自分の中の激情をねじふせるように顔をそむけ、さっと身を翻して、疾風のようにすばやく部屋を出て行ってしまったのだった。
後に残るのは、いつも彼がつけている香水のかおりだけで、激しい音を立てて閉められた扉を見つめて、あたしはポっカーン。
なに、あれ?
なんであんなに暗く、激しく、やりきれない悲しみに満ちた目であたしを見るの!?
シャルルは一体どうしちまったの?
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