《ご注意》シャルマリ・銀バラ二次創作です。かつ本作品はフィクションです。楽しく読んでください。
そっかぁ、口のべたべたはよだれだったのね。
うわ、汚いっ。
あたしは枕カバーで口元を拭いながら、不思議に思った。
ユメミは、どうして自分のベッドで寝ていないのかしら?
首を傾げながら、あたしが上半身を起こすと、シーツの引っ張りでユメミは起きたみたい。
「あっ……マリナっ」
何度かまばたきしながら顔をあげ、たちまち嬉しそうに微笑む。
「気がついたのね。よかった。気分はどう?」
気分?
別にどうもないわよ。
あたしがいうと、彼女は安心したように微笑んだ。
「ものすごく長い間眠っていたのよ。お腹がすいていない?」
言われた途端、お腹がぐう。
きゃあ、正直すぎるわ、あたしのお腹。
「待っていてね。すぐに何か食べるものを用意するから」
立ち上がるユメミを見ながら、あたしは起き上がって、ベッドのふちに腰掛けて、もしゃもしゃになった髪をかきあげた。
サイドテーブルに髪ゴムが置いてあったから、それを取り、ちょんちょりんを縛る。
ふう。
久しぶりにすごくいい夢を見たわ!
父さん、母さん、ユリナ姉さん、みんな元気かなぁ。
日本に帰ったら会いに行こうっと。
それにしても父さんがハゲるとは!
最近、うちのお父さんはすっかり薄毛になってきたから、きっと近いうちに正夢になっちゃうわね、今から父さんが騒ぐ心の準備をしておこう。
でも、本当にハゲ薬の代わりにプロポーズしてきたら、ぶっ飛ばしてやらなきゃね。
と、くすくす笑った途端――
ズキンっ!
頭がひどく痛んで、あたしはうめいて、頭を抱え込んだ。
「大丈夫!?」
「うん。平気」
「待っていて。すぐに鈴影さんを呼んで来るから」
ユメミは部屋を飛び出していき、あたしは頭をさすりながら首を傾げた。
どうしてレオンハルトを呼ぶの?
あいつ、医者だったかしら?
そう思いながら、ベッドの端に腰掛けて待っていると、たくさんの走る足音がして、みんなが一斉に部屋に入ってきたの!!
みんなってつまり、みんなよ!!
美馬とイツキ、カレル、クリームヒルトの顔は見えなかったけどね。
「マリナ、大丈夫かっ!?」
真っ先に薫があたしの元に来てくれて、ひざまずき、顔を覗き込んでくれた。
うっう、ありがとうね、やはり持つべきものは親友よ。
「大丈夫よ」
「気分は?」
「悪くないわ」
薫は安心したように、ほおをゆるませた。
いつもは皮肉ばっかり言っている彼女が、そういう風に微笑むと、とっても胸キュンするのよ、綺麗すぎて!
薫は腕を伸ばして、大きな手であたしの前頭部をくしゃっと撫でた。
バイオリンをしているせいか、薫の手は大きい。
でもちっともごつごつしていなくて、爪の先までピンク色をした美しい手なの。
「よかった。大丈夫だよ。誰もお前さんのことを責めたりしないから」
ん?
あたしは思わず大きな声で言っちゃった。
「なんのこと? どうしてあたしが責められなくちゃいけないの?」
その瞬間、薫の目が大きく見開かれたの。
びっくりした。
まるで、ありえないものに出会ったかのような目。
「マリナ、お前、覚えていないのか?」
だから、何をよ !?
あたしが聞こうとすると、薫は右手をあげてあたしの言葉を制した。
そして首をちょっとひねって、かすかなため息を吐いてから、ぐいっとあたしの方を見た。
ひどく真剣な顔で。
「いいか。これは大事なことだから、ちゃんと聞く。お前さんもちゃんと答えてくれ」
いいけど……。
少し不吉な予感がして、あたしは顎を引くようにしてうなずいた。
「マリナ、王立劇場での戦いを覚えているか?」
もちろん、覚えているわ。
みんなが死闘をしたこと。
ユメミが奇跡を起こしたこと。
それでみんなが復活して、アクスクーも心を入れ替え、シャルルの機転でレオンハルトも絶望の呪いから解放されて万々歳だったじゃない。
あたしがそう言うと、薫はいった。
「そのあとのことは覚えていないのか?」
そのあと?
あたしが首をひねると、薫は一瞬黙り、それから厳しい顔で答えた。
「お前はシャルルを刺したんだよ」
あたしは笑った。
まさか。
どうしてあたしがシャルルを刺すのよ?
「冗談いわないでよ、薫」
薫は首を横に振り、絶望的なまなざしであたしを見た。
「冗談じゃないんだ。シャルルは今、集中治療室にいる。あれから二日経ったが、出血多量で今も予断を許さない」
心臓がドクンと強く打った。
うそ、でしょう?
シャルルが?
どうして?
あたしは薫の顔を見て、それから周りにいるみんなを見て、心臓が狂ったように動悸を始めた。
……本当にあたしが?
「これを見ろ」
人垣の後ろにいた冷泉寺貴緒が、栓をした試験管を手に前に出て来た。
「あんたの腹の中から出て来た水だ。成分分析をしてみたところ、北海の水だった。北海というのは、ヨーロッパ大陸の北にある海だ。レオンの話では、あんたはシャルル ドゥ アルディと一緒に、飛行機からパラシュートで北海に飛び降りたらしいな。その時に海の水を飲み込んだろう?」
あたしは、シャルルと二人でルパートから逃げていた逃避行の日々を思い出した。
ミサイルで飛行機のエンジンを撃ち抜かれて、やむなく海に飛び込んだから、その時に海の水を飲んだかもしれないけれど……。
だったらどうだというの?
「あんたが意識を失ったあと、レオンが魔払いの儀式をしたんだ。それで採取できたのがこの水だ。つまり、あんたは魔に取り憑かれていて、それでシャルル ドゥ アルディを刺した」
魔、ですって?
またオカルトか。
あたしはがっくりとしながら、冷泉寺貴緒を見た。
「あのね、あんたたちの騎士団がオカルト大好きなのはわかるけど、あたしを巻き込まないでちょうだい。あたしはオカルトなんて信じないわ。だいたいあたしがシャルルを殺そうとするなんて、絶対にないもの。だってあたしは……」
そこまで言って、あたしは胸の前で手を握りしめた。
自分の中の真実を見つめて、決意をする。
目をしっかと開けて、みんなを見渡した。
「あたしはシャルルが世界で一番好き」
自分で言って、照れた。
「ミシェルに捕まった華麗の館で、あたしはシャルルに永遠の愛を誓ったわ。正直に言うと、あの時は本当にこれでいいのかしらって不安だった。シャルルを本当に好きなのかと自信がなかった。でも、シャルルと一緒に飛行機から飛び降りなきゃならなくなった時、やっとシャルルを本気で好きになっているってわかったの。だから彼に『何があってもずっと一緒よ』って言ったのよ」
すぐさま、端にいた美女丸がいった。
「しかし、お前は小菅の朝、旅立つシャルルに別れようと言われて、素直に了解していたじゃないか?」
そういえばそうね。
あたし、どうしてあんなことを言ったんだろう?
ガイも言った。
「俺も見ていた。マリナは和矢とやり直すと言っていた」
あたしは必死で思い出そうとした。
そう……言った気がする。
和矢と抱き合ったりもしたわね。
でも待って。
あたしはシャルルが好きなの。
それは本当よ。
彼以外に好きな人なんていない。
どんなに苦しい時にもくじけず、泣き言をいわず、あきらめず、敵と戦い、自分と戦い続けるその姿を間近で見ていた。
そして、あの飛行機の上で、絶対絶命となった時、シャルルは笑ったの。
「いいね」と。
恐れも何もないその見事な笑顔を見た時、あたしは心底惚れたのよ。
このすごい人をもっと知りたい。
シャルルとずっと一緒にいたい。
そう思った。
それなのに、どうして?
日本に帰って、ちょっと和矢と再会したからといって、あたしはどうして和矢の方がいいと思ってしまったの?
和矢に戻りたいと思ってしまったの?
わからない。
自分のしたことがわからない!!
まるで自分の中に得体のしれないもう一人の自分が生まれてきたようで、気持ち悪くて、おぞましくて、あたしは無我夢中で頭をかきむしった。
そんなあたしの手を、ユメミの暖かい手が力強く止めた。
「落ち着いて。みんな、マリナをあまり責めないで。まだ目が覚めたばかりなのよ」
ユメミがあたしの隣に来て、あたしの肩を後ろから抱いてくれた。
レオンハルトは、かすかな吐息をもらして、低い声で言った。
「火のサラマンドラの聖冠は対象者にあらゆる方法で絶望を植え付ける。アクスクーが聖冠を所有しているとは知らなかったが、もしもの時を考えて、俺はグノームの聖剣を携えて日本を離れる際、ユメミ、高天、光坂、冷泉寺と彼らの周りの人間が魔から守られるように、皆には内緒で、守護の儀式をしておいた。前に冷泉寺が操られたことがあったから」
冷静そうな彼女が?
びっくり。
皆の視線が集中して、それを嫌ったのか、冷泉寺貴緒は、思い出したくないというように、ぷいっと目を背けた。
「だから、魔はユメミたちに手出しはできず、シャルル ドゥ アルディへ向かったのだろう。それも、彼本人ではなく、彼が最も大切に思う池田マリナを操り、恋を破れさせることで、彼をグノームの聖剣奪取に燃えさせ、俺に立ち向かわせた」
アキは、いった。
「魔はこわいな。レオンさんと直接関係な人にまで、そんな……」
辛そうな顔をして、口をつぐんだアキの背を、高天が勢いよく張り飛ばす。
「しけた顔をすんなよっ。起きたことは仕方がないじゃん。池田マリナだって悪気があったわけじゃない。魔の仕業なんだからしょーがーねーよ」
そうだねというように、みんながうなずき合うけれど、あたしは納得がいかなかった。
ちょっと待ってよ!
「でもそれなら、どうしてあたしはシャルルを刺したの? カレルの血で呪いは解けたはずでしょう。それにシャルルが刺されても、レオンハルトは絶望しないでしょう? 仲良くないもんね。だったら、その『魔』とやらは、どうしてあたしにシャルルを襲わせたの?」
レオンハルトは一瞬、その目をチカっと光らせ、そしてすぐに目を伏せた。
なに、あの目って……。
見渡すと、みんながレオンハルトと同じ表情をしていた。
暗く、悲しげで、あたしを哀れむような表情。
戸惑うあたしの前に、一番後ろにいたガイが、いった。
「俺、わかるな」
みんなが、ガイを振り返った。
ガイは一言一言を確かめるようにいった。
「俺は昔、マリナに恋をしたんだ。その時、彼女を振り向かせたくて、夢中だった。マリナが困っているのに、自分の気持ちばかりをぶつけた。でも薫に『お前は愛する女のために何ができる? 抱いてキスするぐらい痴漢でもできる。お前は何ができるんだ?』って言われてはじめて、恋は理性でしなくちゃいけないんだって気づいた」
ああ、と薫が嘆息しながら、ガイの肩に右腕を乗せた。
「そんなこともあったな。懐かしいぜ」
「薫、いうねぇ。厳しいな」
窓辺に立っていたカークのあしらいに、薫は顔を背けて鼻白んだ。
「だってさ。その頃のガイときたら、好きだ好きだ好きだって、マリナの尻ばかり追い回しててさ。あれじゃあ、まるでイノシシだ」
瞬間、みんなが笑った。
ただ一人、美女丸だけは、口をへの字にして、
「イノシシ……」
と漏らした。
笑いに包まれた空気を払うように、ガイは、大きく咳払いをした。
サファイア・ブルーの目にかかる金の髪が揺れる。
「ともかく、薫の言葉に俺は目が覚めて、マリナのためにできることを考えた。その結果、和矢を探しにモザンビークへ行ったんだ。でも辛かった。だって、マリナを欲しいと願ったのは紛れもない事実だ。それが恋ってことだろ? キスしたい。抱きしめたい。心からそう思ったし、そう思った自分を恥じていない」
がっ、ガイ!
真顔でそんなことを力説しないで!
みんながまた笑うわよ!
だけど、今度はガイを笑う人は誰もいなかった。
「その激しい思いを、マリナの役にたつ人間でいたいという意思で必死に堪えた。我ながらよく耐えたと思う。自分を褒めてやりたい」
言いながら、ガイは一度息を整えた。
そして一気にいった。
「俺の場合とは少し違うけれど、マリナも、理性と愛情の狭間で懸命に戦ったんだ。しかもマリナの理性は、聖冠がむりやり植えつけたものだ。本当はシャルルが好きなのに、聖冠の呪いがそれを拒絶した。小菅以降のマリナの心理状態は、相当危うかったはずだ。実際俺から見ていても、マリナは変だった。和矢を好きだといいながら、和矢がシャルルを好きだと聞くと、あっさりとあきらめ、シャルルのことなんか全然好きじゃないと言いながら、突然プラハに行くと言い出した。首尾一貫していない行動が多かった。
そんなマリナにとって、再会した和矢とシャルルの姿はショックだったはずだ。なぜなら、和矢から実はシャルルを好きだったという告白を受けたからだ。こうなると、もしかしてシャルルも実は和矢を……と考える。じゃあ、なぜ二人は自分を好きだといったのか? 男同士で愛し合うなんてゆるされないからか?
こうして、マリナは聖冠による心のアンバランスを抱えながら、屈折した男の友情の緩衝材に利用された感覚を抱いたんだろう。
さっき愛のパラドックスについて、巽と話したんだが、俺はこう考える。
愛しているのならば、相手に幸せでいてほしい。これは正論。でも、愛しているから相手を滅ぼしたい。これもまた正論だ。だって、愛する人は独占したいものだ。誰にも渡したくない。自分だけを見て欲しい。他人のものになるぐらいなら、いっそのこと死んでくれと考えても、その考え自体を責められるだろうか。どうだろう?」
ガイの問いかけに、部屋は水を打ったように静まりかえった。
触れたら張り裂けそうなほど、空気が緊張していた。
ガイは、底が見えるほど青い瞳で一人一人を見渡し、誰からも返事が出てこないことを確認してから、あたしを見つめた。
それは、今までの彼の声の中で、もっとも暖かく、悲しい声だった。
「マリナが凶行に及んだのは、聖冠の禍々しい力が働いていたためだ。意思が弱かったからじゃない。だからマリナが自分を責める必要はどこにもない」
「その通りだ」
兄上は、はっきりいった。
「マリナ君は悪くない。誰も君を罪に定めない。本当の罪人は、悪いと知りながら自制できなかった弱い人間だ」
言われてあたしは兄上を見た。
兄上は、憂いを含んだ眼差しであたしを見ていた。
こけたほおと兄上自身の言葉が、これまでの彼の半生をまざまざと思い出させる。
それでも、兄上はあたしから目をそらさなかった。
あたしが息をのんでいると、ガイがいった。
「だけど一つだけ、今回の出来事で明らかになったことがある」
あたしがガイに視線を戻すと、彼は優しく微笑んだ。
「マリナ。君のシャルルへの愛情は、抱きたいとかキスしたいとか、そういうのをはるかに超えたものなんだ。だから、君はシャルルを殺そうとしたんだ。和矢ではなく、シャルルの方をね」
あたしは呼吸するのすら、忘れた。
もう冗談じゃないってわかった。
本当にあたしがやったんだ。
この手で。
大好きなシャルルを、あたしが刺した。
本気で。
それが事実だ。
どうしよう。
取り返しがつかない!!
「すべては俺の責任だ」
みんなの後ろから聞こえて来たのは、聞き慣れた和矢の声。
レオンハルトと冷泉寺貴緒が身を引き、ひどく疲れた様子の和矢があたしの正面に出て来た。
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