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綺麗に抱かれたい 第二十八話

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《ご注意》シャルマリ2次創作。大人向け。このお話はフィクションです、実在する国・団体とは無関係です。




第二十八話


薫がいわんとすることはよく理解できた。つまり、オレにマリナのところにいけといいたいのだ。いかないまでも連絡を取ったらどうだと。細い眉を縮み上がった鳥のように寄せたジルが、オレに気遣わしげな視線をよこしている。オレはそんな彼らの眼差しを軽い吐息をついて払った。
「そうか。マリナも元気でやっているのなら、よかった。君やタツミがそばについているのなら、心配ないだろう。よく面倒を見てやってくれ」
オレがそういうと、薫はさも胡散臭いといった顔をして、テーブルに片肘をつき、手の甲の上に顎を乗せて、日本のヤクザがハッタリをかますようなポーズでオレを睨みあげた。そうすると彼女独特の物憂げな三白眼はさらに切れ味を増して、そこらのモデルなど足元にも及ぼないほどシンボリックな顔になる。
「あんた、それ、マジでいってる?」
ドスのきいた声。声だけ聞いていると本物のヤクザだ。
「大マジだ」とオレはあえて口汚い彼女の言葉を真似ていってやった。
「未練はないの?」
「ないといったら嘘になるが、妻を悲しませるようなことはもうしない」
「マリナがまだあんたを愛してるといってもか?」
オレは一瞬のためらいもなく頷いた。薫は目を見開いた。
「そうか……」
薫は目にかかる長い前髪を振りながら大きなため息を吐いた。椅子に背をもたれ、天井を大きく仰いで、額を何度も手でゴシゴシっとこする。自分に必死に言い聞かせているような、葛藤しているような、そんな感じを受けた。
「これであいつも完璧な失恋だな」
「すまない」とオレが頭を下げると、薫はチッと舌打ちした。
「あんたが謝るな。仕方ないじゃん。そもそも六年前にちゃんといわなかったあいつが悪いんだしさっ」
それはその通りだが、マリナの親友である彼女からしてみると、オレは完全に悪役だろう。マリナを振り回した悪い男なのだろうか。――しかし、なぜオレがそういう役割になるのか、という気持ちもあった。オレは昔、和矢と友情を破壊してまでちゃんと彼女にぶつかっていったが、それでもオレは和矢に勝てなかったので、諦めたのだ。そのあと、「やっぱり好きだった」といってもらえるなんて誰が思うか。
考えていると、また後悔の波が押し寄せてきそうなので、やめた。
なんとなく重苦しくなった空気を払うように、薫が紅茶のおかわりを勧めてくれたが、
「シャルル、そろそろ出発しませんと」ジルは、左手で額にかかった金色の長い髪をかきあげながら手首にはめた腕時計を見て、小声でいった。
それを聞きつけた薫は「ああ、引き止めてごめん」とすぐに立ち上がった。
「ちょっと待って。タクシー呼んでくる」
それから十分ほどしてタクシーが到着した。薫はタクシーの運転手に何やら話していた。そしてオレとジルは薫に見送られて響谷邸を出発した。来るときとは違い、芳香剤の強いタクシーだった。
タクシーは、響谷邸を出てすぐの角で路肩に寄せて停車し、ププッと三度ほどクラクションを鳴らした。
「何事ですか?」
とジルが運転手に聞いた。見事なハゲ頭の運転手は、「私は頼まれただけでして」と、亀のように首をすくめて答えた。そのとき、目の前のアパートの二階の右端の部屋からマリナが飛び出してきた。原稿でも書いていたのか、ダボダボのシャツに黒いスエット生地のズボン。サンダル。階段を駆け下りてこちらに走ってくる彼女を見て、オレはパワーウィンドウを下ろした。
「シャルル!」
マリナは近寄ってくるなり、車枠をガシッと掴み、オレの顔を覗き込んだ。 至近距離で見つめあう形になり、オレは早まる鼓動をこらえながら尋ねた。
「元気か?」
マリナは大きな瞳を見開いて頷いた。
「うん、元気……」
「ならよかった。これからも元気でな」
オレが微笑みかけると、マリナは人形のように何度も頷いて、それから泣きそうな顔で笑った。無理して笑っていることが一目瞭然でわかる不自然な笑い方だったけれど、笑ってくれただけで充分だった。
そうとも、マリナは強い女だ。オレのことを引きずったりはしない。健人もいる。きっとこの車が見えなくなった頃には、上を向いて歩いていくだろう。いや、彼女はマンガ家だから下を向いてか。瞬時にそんなことを思った自分に苦笑した。
――ありがとう、どうか幸せに。
祝福を告げる言葉をいいたかったけれど、それは飲み込んだ。
「じゃあね」
とマリナは車から離れて手を振った。
「じゃあ」
オレは頷き、窓をあげた。それから運転手に「出してくれ」といった。
車が動き始め、マリナの姿がすぐに視界から消えた。ずっと黙っていたジルが、
「よろしいのですか?」と控えめに尋ねた。オレは前を向きなおして「ああ」と答えた。
「会えてよかったよ。これで本当に終わることが出来た気がする」
爽やかな気持ちに浸るオレの横で、ジルがいった。
「終わりですか。物事に終わりがあるのでしょうか」
「どういう意味だ?」
横を向くと、ジルは車窓を見ていた。
「この空がフランスと日本、モザンビークをつないでいるように、私は物事に終わりというものがない気が最近しているのです。良いものも悪いものも形を変えながら、つながっていって、受け継がれていく。だからこそ、私たちはその流れの中で、こうして命をいただくことが出来たのではないでしょうか?」
「何がいいたい?」
「いえ」とジルは車窓から身を引いた。「地雷撤去は終わりがある事業です。絶対にやり遂げましょう」
車が高速道路に入って、しばらく走った頃、携帯電話が鳴った。
「私よ」シャルロットの溌剌とした声が聞こえた。エロイーズの笑い声もする。「ボンジュール、シャルル。こっちは朝から雨よ。そちらは?」
オレは車窓を見ながら答える。
「さっきいった通り、炎天だ。凄まじい暑さだよ」
「そういえば、そうだったわね。さっき、寝ぼけながら電話を取ったから」
シャルロットはクスクス笑いながら、子供達の報告をした。エロイーズは禁止されたサロンでダンスをしてお小言をくらい、サミュエルは朝から素晴らしい排泄があったという。
オレは家のドタバタぶりを思い浮かべながら、いった。
「予定通り今成田に向かっている。三時間後の便で帰るよ」
「わかったわ。待ってるわね。私の最愛の人」
受話器越しに熱いキスをよこしてから、シャルロットは電話を切った。オレは電話を胸ポケットにしまいつつ、ジルに「成田で何を食べようか?」と相談した。
空港についてすぐ、オレは家族への土産を探した。シャルロットには扇子を、サミュエルには熊のぬいぐるみを、エロイーズにはピンク色が美しい中とろの握り寿司の食品サンプルを買った。ウインドウに飾られるような実寸大のものではなく、五分の一ほどのミニチュアのものだ。パリでは絶対見かけないこの土産をエロイーズは大変喜び、オレはようやく一年近く前に交わした娘との約束を果たすことができたのである。



親族会議の前日、オレはルパートを執務室に呼び出し、翌日のために打ち合わせをした。長老がいなくなったとはいえ、七十名を越す親族連中の同意を取り付けるためにはそれなりの根回しをする必要があった。ミシェルとの抗争に勝利して当主に復権したのち、オレは地道に協力者を獲得してきた。だが、それでも議会勢力の三分の二。あとは議長であるルパートの意思が大きく結果を左右する。
ルパートは甘言や賄賂に籠絡される男ではない。強いアルディ。それが彼の一番の価値観である。その価値観を満足させてやることができれば、オレに協力を惜しまないだろう。
現在のアルディは強いアルディとは到底いえない現状にあった。アメリカのブラックマンデー以降、先祖伝来の財産をほとんどの分家が食いつくし、土地家屋の維持のために保有している宝飾品や絵画などを怪しげな密売人に売って生計を立てる連中もいた。本家にその波が押し寄せて来ないのは、分家が納める不動産管理料という名目の奉納金、本家当主の名義で保有している会社株式からの配当金、国内にある不動産からの利益などである。だが、本家および関連施設の維持管理をするにはそれでも賄えず、オレが持つ特許料を充填していた。
「マルグリットを売却する?」
ソファに座ったルパートの眉間がきつく寄った。
オレは頷きながら、「アメリカの企業から買いたいという話が来ている。価格はこの通り」と書類をテーブルに出した。ルパートは書類を取り、さっと目を走らせた。
「悪い話じゃない。それに今、あの島に何人いる?」
「収容されているのは、一人だ」
「たった一人のために、島一つを維持しているなんて、愚の骨頂だぜ。売ろう」
「この先、島が必要な事態になったらどうする?」といいつつ、ルパートは書類をテーブルに放り出して、足をくみ、腹の前で手を組んだ。
「当主の権利を犯す奴が出たらって意味か?」
とオレは尋ねた。
「そうだ。当主権相続の問題が一番のネックとなって、あの島が誕生したんだ」
「だから、それをやめればいいだろ」
「というと?」
「家訓を変える。当主資格剥奪者云々のところをすべて削除して、資格を剥奪された人間もお咎めなしにするんだ」
一瞬、奇妙な間が空いて、直後、ルパートは血相を変えて、立ち上がろうとした。
「そんなことは許さない。アルディの秩序が乱れる!」
オレは慌てて両手をかざして、ルパートをいなした。
「興奮しないでくれ。だが考えてみてくれ。今のアルディははっきりいって斜陽だ。名前だけはきらきらしいがどの分家も屋根の修理代すら悩むような有様。そんなお粗末な家の当主に誰が陰謀をめぐらしてまでなりたい? 資格争奪者云々というこの家訓自体が前世紀的な遺物だ。時代は二十一世紀。アルディにも変革は必要だ。強いアルディでいたいのならば、変わることを恐れてはならない」
ルパートはしかめ面をして腰を下ろした。足を高く組んで仰け反る。
「……つまり、どうしろと?」
「オレは当主を降りる。後釜にはミシェルをセントヘレナ島から戻して据えろ」
ルパートは絶句したらしい。口がaの形で停止していた。
彼が何かいう前に、オレは畳み掛けた。
「ミシェルがやりやすいようにオレはアルディから離脱する。ただ、モザンビークの地雷撤去支援だけはアルディの名前でやりたいんだ。アルディの名前があれば、政府の協力も得やすいし、巨額を動かしても銀行は信用する。明日、一千万フランで動議を提出するから、可決されるように頼む」
終わりまでオレの話を聞いたルパートは「ふうむ」と唸って、自分の顎を指先で摘む。
「それで、君はその後、どうするつもりだ?」
「モザンビークに移り住む」
「永住か?」
「もちろん。病院を建てて、地雷にかかった人々を治療して、暮らしていきたい」
厳しい顔をしてルパートはしばし考えていたが、
「オレが断ったら、どうする?」
と尋ねた。
「これから毎日君のところに日参して、君がウンというまで、枕元で頼み込むよ。空軍大将の孫娘である君の可愛い奥方が、夫を取られたといって泣きながら実家に帰っちまうかもしれないけどさ」
ルパートの青い目が鷹の目のように残忍に光った。
「きさま、正気か」
オレは片手を振って笑った。
「だから、そんな無粋な行動をせずにすむようにこうやって相談しているんだ。オレも妻とのベッドタイムを邪魔されたら狂うと思うからね」
茶化したようにわざといってやると、ルパートは鋼鉄の仮面のような顔をして目をきつく閉じて黙った。オレも黙った。ねっとりとした沈黙が空気を満たしていき、肌にまとわりつくようであった。時計の音だけが嫌に大きく響く。
やがて口を先に開いたのはルパートであった。
ダムが開くように重々しげに瞼をあげると、ルパートはいった。
「承知した」
たった一言。だが、それでオレは満たされた。ホッとしてオレは立ち上がり、右手を差し出した。ルパートもそれに答えて立ち上がり、オレ達は握手をかわした。


翌日、親族会議ではエルネストの葬儀報告に続いて、新長老として分家のオードリーが推挙され、満場一致で承認された。その後、オレは緊急動議を提出し、貴族としての社会福祉精神に則って、モザンビークの地雷撤去支援を提案、ジルの的確な現状説明資料とルパートの援護射撃によってこれもまた満場一致で一千万フランを拠出することに決まった。
その夜、子供達が寝静まったあと、シャルロットに親族会議の結果を報告すると、彼女はオレに抱きついて一緒に喜んでくれた。
「よかったわね。これで、その国の人たちが救われるのね!」
そういいながら、オレの顔中にキスをする妻が可愛くて、会議で張り詰めた緊張がようやくほどけていくのを感じた。
腹の子も順調で、現在三ヶ月に入っている。シャルロットは大好きなワインをやめて、ハーブティーを夜に飲んでいる。彼女は妊娠中いつもそうだ。授乳期間が終わると、すぐにワイン党に戻るのだが。
自分では飲めないワインをオレのためにグラスに注いでくれている彼女を見ながら、オレはバスローブを脱ぎつついった。
「たぶん、年末ごろになると思うんだけど、モザンビークに引っ越すから」
「え?」シャルロットは手を止めて振り返った。オレはルパートに話した構想を妻に聞かせた。妻は「はあ」と気の抜けた返事をした。
「突然で驚いたと思うんだけど、前から考えていたんだ。というのも、サミュエルのことがあって」
「サミュエルの?」
オレはベッドに入りながら、ベビーベッドで鼻水をすすりながら眠っている息子を見やった。
「サミュエルは体が丈夫でないし、少しぼうっとしたところがあるだろう。なんでも積極的なエロイーズとは違って、臆病だしね。それがサミュエルのいいところではあるんだが、アルディ当主には向いていない。だから、サミュエルが守られるように考えた」
「ちょっと、待って。それでどうしてモザンビークに引っ越しなの?」シャルロットはグラスをテーブルに残して、ベッドに駆け寄ってきた。
オレは天井を仰いだ。
「モザンビークの空は綺麗なんだ。車も人も少なくて、自然がいっぱいだ。あそこでなら、サミュエルものびのびと成長できるよ」
シャルロットはシーツを引っ張りながら、オレに顔を近づけた。
「でも、エロイーズは?」
「あの子はどこでもやっていけるさ」
「私は?」
と自分を指すシャルロット。オレは笑って、そんな妻の手を掴んで引き寄せて、きつく抱きしめてやった。
「君はオレがいればいいだろう? モザンビークにいったら、病院を建てて、そこで医者をする。当主じゃなくなれば、もうどこにもいかないよ。いつも一緒だ」
妻の柔らかい体の温もりを感じながら、オレはそうなんだと思っていた。オレが欲しかったのはアルディの当主でも実権でもない。長老どもが死んでそれがよくわかった。彼らに押さえつけられている時は、それがなくなったらアルディをこう変革しようとか、前進させるために何をしようとか色々考えていたが、エルネスト大叔父の危篤の知らせを聞いたときに、そのすべての野望は、オレとオレの家族の幸福を叶えるための野心へと瞬時に変わった。
オレのような思いを子供達にさせたくない。アルディから離れて、普通の家族としてモザンビークで暮らそう。
「モザンビークは暑い国だ。産着も薄いものだけでいいね」
オレの言葉に答えて、シャルロットは小さな声で「そうね」といった。眠いのか、ぼんやりとした言い方だった。ネグリジェを着たままの彼女をベッドに連れ込み、腕枕をして抱きしめると、案の定シャルロットはすぐに眠ってしまった。


数日後、シャルロットの許可を得て、オレはジルとともに南アフリカに旅立った。ぜひスカウトしたい看護師がいたからである。ジルに命じて、その人物の所在地は確認してあった。オレが以前訪ねた場所に今も居住していた。
到着してすぐ、シャルロットから電話があり、サミュエルをルパートの戦闘機飛行に乗せてもいいかと許可を求めてきた。サミュエルが生後半年の頃から二、三ヶ月に一度は行なっていることであったので、オレ特製のヘルギアを必ず装着することを条件に許可した。
オレとジルは、ケープタウンの空港からタクシーに乗り市街地に出て、ロングストリートと呼ばれる繁華街にほど近いアパルトマンの一室を訪問した。相変わらず目をぎらつかせた男たちが一階の階段付近には多数たむろしていた。ジルは少しおびえた様子だった。
「こんにちは。私を覚えていますか?」
オレが挨拶をすると、先方はひどく驚いた顔をした。
「確か、カズヤさんの友だち……」
「そうです。お久しぶりですね」
困惑げな顔をしてオレを迎えたその女性は、マウラ・シバ。和矢がかつてゲリラの襲撃から助けた少女だ。今は看護師としてケープタウンにある病院で勤務している。
オレは、モザンビークで作る病院の看護師として彼女をスカウトしたいと告げた。マウラはひどく驚いた顔をした。
「なぜ、私を?」
「もちろん、現地で医療スタッフは雇うつもりだが、君なら私の主旨を理解して、良いスタッフになってくれる思ったんだ」
マウラは考える様子を見せた。それから顔を上げていった。
「カズヤさんに相談していいですか?」
電話で相談するのかと聞いたら、違うと、彼女は答えた。
「カズヤさんは今、ケープタウンに来ています」
「ほう。なぜ?」オレが驚いて尋ねると、
「勤めていた小学校をやめて、NGO職員になったんです。南アフリカやモザンビークの子供達を貧困から助けたいと思ったといっています。離婚後、パパと相談して、五年間ならという条件付きで許可がもらえたって。そのついでにと改めて会いに来てくれて」
その話を聞いて、オレは天啓だと思った。
「カズヤに会いたい、案内してくれ」
着替えたマウラの案内で、オレとジルはロングストリートにある小さなホテルに向かった。和矢はそこのカフェで遅いランチを食べているところで、マウラとともに現れたオレ達を見て、腰をぬかさんばかりに仰天した。
「な、なな、なんでここにいるの?」
ジュースを口から垂らす和矢に苦笑しながら、オレは勝手に同席をさせてもらって、早速話を切り出した。地雷撤去支援のために、モザンビークに新病院を建設して永住したいと思っていること。そのためにスタッフとしてマウラをスカウトしに来たこと。
ジルが気をきかせて、全員分の飲み物を買って持ってきた。
オレの話を聞き終わった和矢は、頭の上で手を組みながら、椅子が揺れるほどもたれた。
「家族で永住って……そりゃまたすげー決心をしたもんだな。シャルロットもえらいぜ。でも、どうしてマウラを? お前、確かオレを迎えに来た時、マウラにすげー怒ってたじゃん」
黒い瞳をキラッと用心深く光らせて、じっと見据えられて、オレは肩をすくめる。
「まあ、そうなんだが」とちょっと息を吐いてから、続けた。「彼女を探して病院を訪問した時に聞いた評判がとても良かったことと、それからこれが一番の理由だが、彼女が内戦の被害者だということだ。被害者の気持ちはやはり被害者でしかわからないからね」
「そうか」
和矢はしばし考えこんだ。
そしてすぐに「わかった」といって、マウラを見た。
「マウラ、どうする? オレは反対しないよ。こいつは口は悪いし、態度も最低だけど、心根は悪いやつじゃないから、信用していい。万が一何があったらすべての責任はオレがとるからさ」
「うん、でも……」
マウラはなおも浅黒い顔を曇らせて不安げにうつむく。
――もうひと押し必要か。
「カズヤ、君も一緒にやらないか」
とオレは誘った。
「えっ? オレ?」
オレは頷いた。
「君はこの地域の子供のために来たとマウラから聞いた。だったら、病院の一室で子供達に勉強を教えてやればいい。オレが病院を作ろうと思っているのはマプトみたいな都会じゃなくて、田舎だ。そういうところで暮らす子供達に学習の機会を与えてやることも、君のやりたいことに適ってはいないだろうか?」
和矢は見知らぬ外国の言葉を聞かされたように、目を見開いてオレを見つめた。しばしそうやって黙っていて、やがて、深いため息を吐いた。
「オレ、お前のせいで離婚したんだけど」
そういわれると、オレとしては言葉もない。
「それで、お前は一家揃って新病院設立? オレはかわいそうに一人でその手伝いをしろっての?」
テーブルに突っ伏すようにして悲嘆にくれる和矢にオレは焦った。
「いや、手伝いというか、協力できるところは協力しあっていければと思って」
「嘘だ。絶対エロイーズの子守とかさせられるんだぜ」
「しないよ」
「お前がしないといっても、エロイーズが来るだろ」
「それはまあ」
「息子もいるしな。二人か。子沢山で何より」
「いや、三人目が来年生まれる」
オレがそういうと、和矢は完全にテーブルに突っ伏してしまった。ジルはオレを非難がましい目で見た。色々あった仲だというのに、一緒にやっていこうというのはさすがに無神経な申し出だったかなと思いはじめた時、和矢がガバッと顔を上げ、ニッと笑った。
「なーんてな。冗談。そんなケツの穴のちいせぇこといわねぇよ。よっし。やってやろうじゃん!」
オレはカップを置き、前のめりになった。
「いいのか?」
「ああ。お前の子供も一緒にオレが教育してやるぜっ」和矢は彼らしい明るい笑顔を浮かべて強く頷いてから、マウラの方を見た。「マウラ。一緒にモザンに帰ろう! 両親のそばで暮らそうよ」
この和矢の言葉にマウラもすぐさま了承し、オレ達は力を合わせて新病院を作ることで一致団結した。
オレは胸が軽くなった。マウラだけではなく和矢という協力者が得られたことは大きな収穫だ! 彼はモザンビークの風土に詳しいし、何よりも人を惹きつける魅力がある。人付き合いが苦手なオレをカバーしてくれるだろう。
それになんだかんだいって、幼い頃のように、和矢とまた一緒に過ごせることがオレは嬉しかった。
夕食を囲みながらジルが今後の計画について説明した。次の親族会議が一か月後。そこで家訓の改訂を行い、オレは当主から勇退する。と同時に、保有するすべての個人資産を売却して新病院設立会社を立ち上げる。着工後、完成予定はクリスマス頃、診療開始は来年一月中旬。
「どんどん連絡を入れるから、いつも居場所を明らかにしておいてくれよ!」
オレは和矢とマウラにそういいおいて、ジルとともにフランスに戻り、親族会議の準備に没頭した。新しい家訓の条文を決めるのにかかった日数は二日。ジルは非常に優秀な秘書官で、オレが訂正した箇所はほぼなかった。




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