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綺麗に抱かれたい 最終回

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《ご注意》シャルマリ2次創作。大人向け。




最終回



セントヘレナ島はナポレオンが幽閉された地で有名である。
ジルの話によると、オレがいるのはナポレオンが暮らしたロングウッドハウスからほど近い場所にある一軒家だという。そこでオレはこの家を『ショートハウス』と名付けた。
ジルはその名を聞いて、ホッとしたように微笑んだ。
「短い滞在にする、という決意表明ですわね?」
まさしく以心伝心。説明せずともわかってくれる彼女に心強さを感じた。――だが、オレは果たして本当に短い滞在で済むのだろうか、と本当のところは、薄く小さな希望しか持っていなかった。
セントヘレナ島は絶海の孤島である。それはマルグリットも同じであるが、そもそもミシェルの幽閉の地としてここを選んだのはオレ自身だった。なぜセントヘレナ島を選んだのか?
ミシェルがマルグリットから脱走したので、あそこではあいつの幽閉に適していないと判断したからだ。セントヘレナ島は最も近いアフリカ大陸西岸から二千八百キロ、隣のアセンション島とも千キロ以上離れている。島全体が切り立った崖で、定期的な航路は、ケープタウンやアセンション島からの三週間に一度の船便のみ。島唯一の港を押さえておけば、脱出することはほぼ不可能だった。
島を統治する英国との密約を取り付けて、オレは、船が出るときには必ずミシェルの所在確認をするように命じていた。手作りの船などで渡り切れる距離ではないし、たとえ陸側からアクセスしようとしてもヘリコプターの可能航行距離を優に超えている。
以上のような理由から、ミシェルの幽閉の地としてここを選んだのだが、まさか自らが閉じ込められることになろうとは……。
「ムッシュ・アルディ。どうぞよろしくお願いいたします」
オレが覚醒してすぐ、そういって挨拶にきた髭面の大男は、ジェームズと名乗った。セントヘレナ駐在のイギリス軍人だという。肩章から階級は少佐だと見た。
「困ったことがあったならなんでもいってください。食べ物でも飲み物でも女でも、すぐにお持ちします」と彼は愛想よく笑った。
「だったら、フランスに帰る手はずを整えてもらおうか」
「オー……それはできません」とジェームズは困った顔で大仰な仕草で手を振った。「あなたをこの島にとどめておくことが私の仕事です。もし逃げようとしたら、その時はこれを使っていいといわれていますね」
いいながら、彼が懐からチラリと見せてきたのは黒光りする銃だった。それも短筒ではない。連射式のものだ。背筋がゾクッとする。
オレのこわばった顔を確認したジェームズは、ニコッと笑った。
「おいしい果物を持って来させましょう。早く傷を治してくださいね」
ジェームズが帰った後、ジルはいった。
「シャルル、私たちはどうなるのでしょう?」
「どうもこうも、絶対に帰ってみせるさ。このままにはしておかない」
そうだ、絶対に帰る。
オレはそう決めていたのだが――
オレは一カ月半、ベッドに寝たきりの生活となった。太ももに被弾した傷は大動脈をうまいこと損傷せず、神経も痛めていなかったが、完治するまでにはそれなりの時間がかかったのだ。ルパートの腕の良さを改めて見せつけられたようで、傷が疼くたびに胸糞が悪い。
ようやく歩けるようになり、ジルに介添えをしてもらって家の周囲を散策した。すると、五分も経たないうちに、崖の先端にたどり着いた。そこからは絶海の孤島の名前にふさわしい広い海が見渡せた。息を呑むほどのディープブルー。水平線は空と一直線に交わって、限りなく続いている。
ここから、どうやって帰ればいいんだ?
船か? それとも飛行機か?
それらをどうやって調達すればいい?
定期便に紛れてか? しかし、あのジェームズが許してはくれないだろう。定期便が出港する時、オレの顔を見ながら、出港の合図をするのだと、ミシェルのときに聞いた。
だったら、どうやってこの広い海を渡っていくんだ?
オレは絶望した。あっけないほど簡単に絶望した。
「疲れた、横になりたい」
芝生の上に倒れこんだオレをジルは心配して、担ぎ手としてジェームズを呼んでくるといった。やめてくれ、とオレは素っ気なく答えた。
「あいつの顔は見たくないんだ」
オレはジルの手を借りてなんとか帰り、ベッドに横になった。ジルは食事を用意してきます、と部屋から出て行った。この家にはセントヘレナ 人の使用人が二人、どちらも四十代の女性で働き者である。ショートハウスは、オレのベッドルームの他に、もう一つベッドルームがあり、そこをジルが使用している。あとは二十畳ほどのダイニング兼リビングルーム、バスルーム、書斎、二階にゲストルームが二つある。
リビングルームにはワインセラーも小さいながらあり、豊富な種類のワインが貯蔵されていた。テレビはないが、ダーツ、トランプなどはあった。
だが、誰とこれらで遊べというのか?
ジル? 彼女には悪いことをしたと思っている。オレが腹心の部下として扱っていたせいで、彼女までここに送り込まれたのだ。それだけではなく、今後、ジルがオレの逃亡を画策するのを阻止するために、初めから二人まとめてとらえておいたのだ。
なんにしろ、疲れた。
「シャルル、食事ですよ、シャルル?」
ジルが声をかけてくれたが、オレは眠ったふりをして答えなかった。気力がなかった。ジルは黙って部屋から出て行った。シャルロットのことを考えた。アルディを出てから三ヶ月が経っている。もう腹が目立つようになっただろう。エロイーズは、サミュエルはどうしているだろう? パパはどこに行ったのと訊ねたりはしていないだろうか? そういう時、シャルロットはどういう風に答えているのだろうか? オレのふりをしているミシェルと、今後社交界で会うこともあるだろう。そうしたら、シャルロットは「あれがパパよ」と教えるのだろうか。
オレは泣きたくなった。ミシェルがオレの子供達にどんな態度をとるか、考えてみるまでもない。その時、子供達がどれほど傷つくか――
帰りたい。帰って、子供達を取り戻したい。なのに、どうしていいかわからない。
定期便に乗り込む? ジェームズが見張っているから無理だ。たとえ彼一人を倒しても、彼の率いる小隊はジルの報告によると三十人体制だという。全員の目をかいくぐって、どうやって、乗り込めばいいのか? しかもケープタウンまで五日間かかり、その間にバレたら捕まってしまう。船便の運営会社も英国の支配下なのだから。
ミシェルが、ルパートの手はずでこの島を出てきたように、外部からの許可がない限り、どうやっても出られない気がした。そしてそういう手はずを取ったのは、他でもないオレ自身だった。
オレは寝返りをして、明るい日差しに照らされた白漆喰の天井を見上げる。
「はっ、笑わせるね。自分の仕掛けた罠にかかるなんてさ」
諦めるつもりなんか毛頭ない。パリに帰って、ミシェルを殴ってやりたいし、シャルロットに会って、オレの真意を伝えたい。君を一番大切に思っていると。そのためにモザンビークに引っ越そうと決めたことを。説明が足りなかったことを詫びて、抱きしめて、それから、シャルロットが望むならパリで暮らそうと伝えたい。オレの本当の願いは、家族で暮らすことだと、どれほど言葉を重ねてもいいから、伝えたい。
翌日、オレは朝食の席で、ジルに相談した。
「パリに戻りたい。どうしたらいいと思うか?」
ジルは待ってましたとばかりに、身を乗り出した。
「やはり、身代わりがいいと思いますわ。私があなたのふりをしますので、あなたは私のふりをして定期便に乗ってください」
「それでは君が」
ジルはにっこりと笑った。
「当主に戻ったら、迎えにきてくださればよろしいことですわ」
有難い申し出を素直に受け入れ、オレはそれで了承した。島に一つしかないジェームズタウンまでジルはいって、二種類の毛染め薬を買ってきた。毛色を変えて、週末にやってくる定期便に乗り込む計画を立てた。
だが、その前に、突然ジェームズがやってきた。
「良からぬことを考えてはいけませんと申し上げたはずですが。昨日、ジル殿が毛染め薬を購入されたという情報を得ています。馬鹿馬鹿しい計画はおやめになった方がよろしい」
というと、どっかりと椅子に腰を下ろして、オレとジルとをかわるがわるに見た。
「どちらがジル殿かな? まあ、どちらでもいいが、すみませんが、ワインを一杯頂けるか?」
ジルはワインセラーからヴィンテージもののワインを取り出し、栓を抜いて、二つのグラスに注いだ。それをオレとジェームズの前に置いた。ジェームズは「ありがとう」とグラスの足を取った。
「いいかおりだ。さすがフランスのワインは違いますな」
とティスティングをしてから、クイッと飲む。一気に半分も飲む、豪快な飲み方だった。
「さて」とグラスを置いて、ジェームスはオレの顔を見た。「いい忘れておったかもしれませんが、定期便が出港する際に、確認するお顔はあなただけではなく、ジル殿もです。港までお二人にはきていただいて、私の横に立って、船を見送っていただきます、これからずっと」
オレは小さく吐息を吐いた。
「オレは観光大使じゃないんだけどね」
「いやいや」とジェームズは手をかざした。「あなた方のような美しい人たちが見送ったとなれば、セントヘレナ島の評判が上がります。天使のいる島と呼ばれるでしょう。この島は観光客誘致に積極的でしてね。なんでしたら、あなた方のお友達も呼んでくださって構いませんよ」
「どうやって? 手紙も電話も禁止されていて」
「そうでしたな。最近物忘れが激しくて。失礼、ワハハハ」
と笑い、ジェームズは帰っていった。彼の姿が見えなくなると、ジルがすぐさま、
「どうしましょう。これでは身代わりはできません」
「他の方法を考えよう」
とオレはため息をついた。
「でも、他の方法などあるのでしょうか。あの船を使う以外、どうやってこの島から出られるというのでしょう?」
絶望に満ちたジルの声色。オレはグラスをとって、呷った。日に日に絶望が濃くなってくる。ダイニングでは使用人の女性たちが、楽しげな声を立てて料理を作っていた。野菜を洗う音。包丁で何かを刻む小気味いい音。茹でる音。カレー粉を炒める匂い。それらはだんだんとオレの帰りたいという情熱を蝕んでいく感覚がした。
「シャルル、諦めてはなりませんよ」
というジルの声だけが、励みだった。


週末になって、定期便がやってきた。三週間ぶりの到着に島全体が沸き立っているのがよくわかる。近くにあるナポレオンの暮らしたロングウッドハウスも、普段は静まり返っているのだが、今日は観光客が引きも切らずきているようで、その歓声がショートハウスまで届いていた。
「船が出るのは、明日十時だそうですわ。三十分前に迎えにくると、ジェームズからの伝言が届いています」
編み物をしながら、ジルがいった。セントヘレナ人の使用人に教わったかぎ針編みを、彼女はやるようになっていた。書物やパソコンなど一切ないショートハウスでの生活で、することを探した結果、これだったと彼女はいう。
「見送りか」
「ええ。お天気だといいですわね」
ジルの言葉を聞きながら、いっそ雷雨なら、雨に紛れて船に乗り込むのにと思ったが、やはりジルを残してはいけるわけはなかった。
つまらない思いで窓の外を見た。見慣れない連中が通りかがっていく。ロングウッドハウスにいくのだろうと、思った。その時、チャイムが鳴った。
「ジェームズでしょうか」
とジルは立ち上がり、玄関に向かった。直後、彼女の悲鳴が上がり、オレは慌てて駆けつけた。するとそこにいたのは、かつて日本で交友を持った美女丸だったのだ。きりりとした短髪は昔の通りで、清潔な白いポロシャツにジーンズ姿。
「やあ、元気か?」
と額のところで手をかざす。ぎこちない仕草で挨拶をする彼に、オレはあっけにとられた。
「元気かって、お前、なぜ、ここに?」
美女丸がそれに答えるまでもなく、また玄関が開き、今度はカークとガイが入ってきた。二人とも息急き切って、肩は荒く上下していた。
「美女丸、歩くの早いよ。置いていくなよ」
とカーク。こちらは真っ黄色のTシャツにダメージジーンズ、アーミィ柄のナップザック。
「そうだよ。オレ、間違えて、ロングウッドの方にいっちゃった」
ガイも文句をいった。ガイはシンプルな白いTシャツにジーンズ。荷物は見当たらない。
叱られた美女丸は涼しい顔をして、
「だから最初に地図を見せただろう。一回みて覚えないお前たちが悪い」
といった。カークとガイは顔を見合わせて、ガッデム!という顔をした。
「おい、ちょっと待て。なぜ、君たちがここにいるんだ?」
オレが聞くと、やっとオレの方を向いた彼らは、そうだったという顔をした。
「もちろん、君をこの島から脱出させるために来たんだ。君がピンチだって聞いたからさ」
真剣な顔でいうカークに続いて、美女丸も、
「忙しかったが、なんとかスケジュール調整をした。感謝しろ」
「感謝しろって」
と戸惑っていると、ガイはニコニコ顔でいった。
「マリナに頼まれたら、断れないよ。だから、パパに無理いってきちゃったよ」
マリナだと?
オレはヘラヘラ笑うガイの胸ぐらを力任せに掴み上げた。
「じゃあ、お前らを召集したのは、マリナか?」
「ぐ、ぐ、苦しい」とガイは暴れた。
「答えろ。マリナなのか?」
「そうだよ」とカークが後ろであっさりと答えた。「もちろん、マリナも来てるよ」
「えっ」オレはガイを離した。ガイは床に尻餅をついて、激しく咳き込んだ。
「港でケントのオムツを替えるから、先にいっててくれっていわれてさ。そろそろ来るんじゃない?」
といいながら、カークは玄関から出て、道の向こうを見、「あっ、おーい!」と手を大きく振った。オレは息を飲んで道の果てを見た。小さく現れてくる人影。走って来ているのか、どんどん近づいてくる。それは紛れもない健人を抱いたマリナで――
「ハアハア、ごめん、遅くなっちゃった!」
マリナはオレ達の前にくると、体を折り曲げて、深呼吸を何度もした。それから姿勢を正して、オレ達を見た。いや、オレをつぶさに見た。
「よかった、シャルル、元気そうね」
と安心したように微笑まれて、オレは「ああ」としか返せない。
「マリナさん! 来てくださったんですか!」
ジルがマリナに駆け寄っていった。
「きゃあ、ジル!」
と二人は、まるでここで同窓会会場であるかのように、抱き合って、再会を喜びあった。二人に挟まれて健人がもがいた。
「事情は聞いたぜ。大変だったな」
と美女丸がオレの肩に手を置いた。奴の顔を見ると、同情に満ち溢れていて、オレがどうしてここにいるのか、事情をわかっているようであった。
「なぜ、オレ達がここに囚われていると知ってるんだ?」
マリナはジルの手をそっと下ろして、カバンから一枚の封筒を取り出した。白いよくある洋封筒だったが、蛇の封緘がある。明らかにコンデ家のものである。
「シャルロットが手紙をくれたの」
オレは驚いて、その手紙を奪うようにして取り、中を開いた。癖のない美しい日本語で記されてあった。

『マリナ、突然の手紙をごめんなさい。私はシャルルを裏切りました。シャルルは、弟とルパートによってセントヘレナ島に追放されました。ジルも一緒です。私は子供達と実家に帰りました。
なぜこんなことをしたと思うでしょうか。でもね、仕方がなかったの。シャルルが牙のない普通の男になってしまったのだもの。モザンビークで病院作りでも何でもいいけど、ルパートに攻め込まれるようなやり方をしてしまったのは、はっきりいって馬鹿だわ。かつてのシャルルは、いくら家庭で優しくても、アルディの中でつけいられるような隙は作らなかった。
牙のない蛇は死ぬの。牙があるから蛇は戦えるのよ。我が家の事件を経験したあなたなら、わかるでしょう?
あなたとシャルルが愛し合っていたことは知っているわ。子供達のために、シャルルはあなたへの思いを捨てた。でも、それで牙を失ってしまったのなら、私が一緒に暮らしているのはシャルルの抜け殻ね。それはごめんよ。子供達のことも考えたけれど、やっぱり私だって、私だけを愛してくれる人がいいです。
あなたが彼に会いに行くのはあなたの自由よ。子供達にはパパは長い仕事に出かけたといってあります。べべが産まれるまでに戻ってこなかったら、いよいよ見捨てようと思っています。
私は世界一厳しい妻かしら? ううん、世界一寛容な妻ね。そう伝えてちょうだい。
じゃあね、マリナ!』

オレは読み終わると、自分が震えていることに気づいた。
「和矢から伝言よ。マウラと一緒に待ってるって。だから早く来いっていってたわ」
「君たちは連絡を取っているのか?」
「別れても健人のパパだもの。もちろんよ。それであんたと協力して病院作りをしようとしていたことを聞いたのよ。それから薫と兄上からも伝言。自分たちの健康状態については心配しないでくれって。美女丸がいい医者を手配してくれたからって」
美女丸の顔を見ると、彼は照れてそっぽを向いた。
「シャルルのために祈るって。毎日朝晩七時には二人で必ずあんたのために祈るって伝えてくれって」
次々に告げられる伝言に、オレはどう受け止めていいかわからず、その場にうずくまった。頭上で、皆が笑いながら、今後の相談を始めた。
「どうしたら、シャルルとジルを脱出させられるか、だな」
と美女丸が思案げな声でいえば、
「オレが敵を倒そうか? 戦闘なら負けないぜ」
とカークが請け負う。そこですかさずガイが、
「話し合ってなんとかならないかな。戦うのは最後の手段にしようよ」
と日和見的な見解を出した。
「そんなことでなんとかなる相手じゃない!」
とカークとマリナが一斉に叫んで、途端に笑い声が起こる。
オレはその笑い声を聞きながら、顔を上げた。マリナが笑いながら、皆の輪の中にいて、背負ったリュックとは別の、ボストンバックをよいしょっと皆の前に下ろすところだった。そのボストンに、オレは見覚えがあった。
健人は一人で路肩の蝶を追いかけている。
「やっぱり世の中は金でしょう! 賄賂よ!」
といいながら、マリナがボストンのチャックを開けた。おおっ、と声が上がる。
「すげー札束。これ、どうしたの?」
「あたしの財産よ。袖の下に使いましょう」
「低俗だが、いいかもしれんな」
「うん、そうしよう!」
かくて、皆は袖の下作戦で一致団結。気をよくしたマリナは手招きをした。
「ほら、みんな来て! 円陣組もう!」
「なんで円陣なんだよ?」
と美女丸が眉をひそめる。
「決起集会よ。ほら、文句いわないの! シャルル、こっちきて、ほら、あたしと肩組んで!」
マリナはオレ達の腰を押してあれよあれよというまに円陣を組ませた。マリナはオレの脇から手を入れて、肩を大きく持ち上げてきた。オレの左側にはマリナが、右側には美女丸が組み、オレ達は円陣を組んだ。
「がんばろうね、シャルルを絶対、ここから出すわよーーっ!」
とマリナが大声で呼びかけると、
「お、おお!!」
皆は奇声を上げたが、オレはまだ事態が飲み込めず、間抜けな返事しか出てこない。円陣を崩しながら、マリナがオレに小声でいった。
「色々とごめんね」
オレは驚いて身を起こした。
「大丈夫よ、あたしに任せて。あんたをシャルロットのところに返してあげる。だって、あたし、昔に誓ったの。必要としてくれるみんなのところに分身していってあげたいって。今こそあんたのために働く時だわ。そうでしょう?」
マリナはオレを見て笑った。オレは息を飲んだ。明るい彼女の顔の中には、決断を下した強さがあった。そして、彼女の大きな二つの瞳の中には、炉で精錬される銀のような朽ちない愛情が輝いていて、それは大きな渦となってオレの胸に押し寄せてきた。甘美な津波に飲み込まれたように、オレの呼吸は停止した。
「さて、そうと決まったら、腹ごしらえ!」
まるで遠足に行く子供のようにマリナはリュックをゴソゴソとかき回して、するめの大袋を取り出した。
「シャルルも好きでしょ? みんなで食べようと思って持ってきたの、お買い得袋」
にこやかに笑い続けるマリナを見て、オレはこの恋心を一生捨てられない、と確信した。結ばれなくても、オレの心の一番深いところに、彼女はずっと住み続ける。マリナも同じように感じているはずだ。美女丸達を連れてきたのも、自分は仲間とはっきり宣言するため。マリナは島を脱出後に、オレが問題なくシャルロットのところに戻れるように考えてくれたのだ。
ありがたいと思った。その厚意に感謝しなければならない。
しかし、とオレは思った。
円陣を組んだ時、マリナに組み合わさった胸が、脇が、皮膚が熱かった。口づけを交わすよりも、裸で抱き合うよりももっと、触れたところがとろけて、火傷したみたいだ。
あれはセックスだ。これまで経験したことのないほど美しく、きっとこの先の人生でも経験することのない綺麗なセックスだった――
オレは黙った。不自然なほどに黙っていたのだろう。
「シャルル?」
マリナだけでなく、皆が怪訝な顔でオレを見た。オレは、グッと唾を飲み込んで、久方ぶりに使う社交的な微笑を向けてやった。
「するめなんか好きじゃない」
と、いいながら泣きそうになった。「だって、マヨネーズが付いてない」
マリナは袋を見てのけぞった。
「げ。ここまで来て、まだそこにこだわる?」
「魚臭いのは苦手だといっただろう」
「するめはイカよ。シャルルのバーカ」
「わかってる! 魚介類の匂いがするという意味だ!」
オレが怒ると、マリナはひどく愉快そうに笑った。ガイも美女丸もカークも笑い、オレは憮然と、腕を組んだ。ジルは、噛みつかれながらも健人を抱いて、喜びの涙を流した。



それから、皆はショートハウスの中に入っていき、家内からはロングウッドハウスに負けないほど賑やかな声が、滝から溢れ出る水のように聞こえるようになった。オレは彼らと一緒に入らずに、玄関の前に座って、空を見た。雲がゆっくりと流れて、青い空が洗われていくようであった。
アジアからの観光客らしき数人が前を通った。ロングウッドハウスに向かうのだろう。ガイドブックを持って、いそいそとした足取りであった。どの顔にも喜びと好奇心と、幸福がある。見送った背中すらリズミカルに揺れていた。その向こうにある小さな由緒正しいロングウッドハウスはいつもと変わりない静かな佇まいを見せていた。畑は緑が美しい。
視線を下ろすと蟻が二匹、クッキーのかけらのようなものを背負って運んでいた。側にはピンクの花。コスモスに似ている。たおやかな茎が風に揺れて、そよいでいた。その花を一輪摘んで、花びらを一枚一枚、ちぎった。
脱出できる、できない、できる……できない。
オレは花芯だけになった茎を捨て、もう一輪摘んだ。来年生まれる予定の子を思い、花びらをちぎる。
男、女、男、女……男。
子守唄を口ずさみながら、裸になった茎を空に向かって振った。オレは目を閉じた。フランスに戻ったら、ミシェルを殴りにいくよりも先にシャルロットを迎えにいこうと、オレは思った。



おわり

____
あとがき

最後までお読みくださりありがとうございました。
シャルマリが結婚とか、恋の成就を期待しておられたら、ごめんなさい。ずっと考えていたんです。恋のゴールって何かなって。告白し合うこと? 交際? A、B、C、それとも、とことんor?(覚えてますか?)
今回はマリナとの恋を通して、シャルルが青春を卒業する物語です。これも私にとってはシャルマリ創作。受け入れていただければ幸いです。

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