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瞳をとじて 中編

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瞳をとじて



中編



他人の恋愛感情を察する能力は持っていない。
でも、バスタオルを抱きしめて眠るシャルルはわかりやすかった。

午前10時。
朝食の準備をしていると、シャルルも起きたようだった。洗面所にもいかず、気だるげにソファで寝返りを打っている。
芳しい香りを立ててカフェを淹れた。

「マリナと連絡とってる?」

スクランブルエッグとグリーンサラダ、ハニートーストとネルドリップのカフェ。
簡単な朝食をダンボールの上に広げ、ようやく起き上がったシャルルにその質問をしてみたところ、ゾクッとするような目で睨まれた。
目は口ほどに物を言う、だな。
やはりマリナか。
ほかに女がいる可能性もないわけではなかったが、シャルルがこの有様になっている理由はマリナだとアタリをつけた。刑事としてのカン。年末の二人の様子と、人嫌いのシャルルの性格を考えれば、まあ、妥当な結論だ。

「オレ、出かけるところがあるからここで自由にしてて。冷蔵庫のもん、好きに食べていいよ」

「昨夜のことを聞かないのか?」

「ケンカのこと?」

オレは苦笑した。
聞かなくても大方予想はついている。
あの手のいかがわしいホテルの前でチンピラにやられていたのだ。女と間違って連れ込まれそうになったか、もしくは美人局か。

カフェを飲み干し、自分の食べた食器を手早く洗いながら言った。

「話したくなったらでいいよ。洗い物はしなくていいからその辺置いといて。ーーあっと、シャワーも良ければ使って。安物のシャボンだけど結構いい香りだぜ♪ 服も自由に着て」

ジャンバーを着て、警察手帳を内ポケットにしまう。

「じゃ、いってきます」

オレはシャルルを残して家を出て、まっすぐに勤務先である市警支部へ向かった。



***

出入国管理局に電話した。

「19区、カーク・フランシス・ルーカス。階級は巡査部長。アンベール警部をお願いします」

少し待たされてのち、野太い男の声が応答した。

「カークか⁉ わはは、久しぶりじゃないか! どうした!」

「すみません、少し知りたいことがありまして」

「何の事件だ?」

「事件ではなく、プライベートで」

「ん……?」

相手の声が曇った瞬間、それ以上話す暇を与えないようにオレは言葉を継いだ。

「女を探してるんです。大事な女」

「ーー! それは本当か⁉ いくら嫁を取れと勧めても赤面するばかりで逃げていた君が、自分から女を探すとは……いやー、めでたい! どこの何という女だ? すぐに連絡がつくようにしてやるぞ!」

受話器が壊れそうほど、アンベール警部は興奮していた。

「ありがとうございます、では早速。彼女は日本の池田マリナと言いまして、昨年出入国してます。東京に在住しております。電話番号が知りたいのです」

「承知した。すぐに調べて折り返すから電話の前で待機してろ。めでたい、わっはっは!」

結果は15分でもたらされた。
日本時間は夜7時頃。
オレは早速受話器を取り上げた。3コールで先方は応答した。

「もしもし、今いません。後にしろ!」

なんだそれは。

「オレだよオレ」

「誰よあんた、オレオレ詐欺師ならお断わりよ!」

「違うって。カークだよ。覚えてない? フランス警察のカーク・フランシス・ルーカス」

「えっ……」

受話器は一瞬静かになり、直後割れんばかりの大声が上がった。

「ええーっ⁉ 本当にカーク⁉ 本物⁉」

「本物だよ、マリナ、久しぶり」

「うわあ、嬉しいわ、連絡してくれてありがとう! あれからどうしたのかなって、ずっと気になってたのよ」

オレは、あの時の政治工作の主犯は、当主復権したシャルルの協力で逮捕できたこと、その功労でボイエ警部と共に昇進を果たし、今は19区のパリ市警支部刑事課にいることなどを簡潔に話した。

「それでさ。昨夜シャルルを拾っちゃって」

「えっ、シャルル?」

「彼、アルディを出て、ホームレスになったって言うんだ。まさかって思ったけど、着の身着のままでチンピラに殴られててさ……」

マリナの絶句した気配が伝わってくる。

「なあ、あいつ、お前を好きなんだろ?」

「!」

「でも失恋した。お前にはカズヤがいるもんな。それで自暴自棄になって、あんなことになっちまったってところか?」

少し沈黙してから、マリナは慎重に答えた。

「それはないはずだわ。シャルルはそんなに弱い人間じゃない。あの時、微笑みながら、和矢と幸せにおなりって言ってくれたもの。シャルルのあの笑顔を信じてる」

マリナは、シャルルとの間にあったすべてのことを残らずオレに打ち明けてくれた。
他人の恋愛にうといオレはーーあの時二人がそんなことになっていたなんて、ちっとも気づいてなかった。

ーー特に華麗の館でーー

抱き合って、キスして、プロポーズしてーー

すげーとこにオレ、乗り込んだんだな……

クソっ! 絶対これ、また赤面しちまってるぜ!

「マリナ、お前、今恋人いるの?」

気を取り直してして訊くと、マリナは少女のように恥じらった声で答えた。

「和矢……」

そっか。やっぱりな。

「でもそんなシャルルをほっとけないわ。……よし! あたし、すぐにパリに行く」

「来てどうするんだよ、お前、カズヤと付き合ってるんだろ?」

「そうだけど、いいでしょ。友達だもん!」

「友達って、アデュウしたんだろ?」

「そんなもん、くそくらえよ。友情はアデュウに勝つ‼」

勝つか? そもそも友情しかやらんと言ってる時点でダメな気がするぜ。
そのアデュウのせいでシャルルが荒んだんじゃないのか、とオレは思った。

「アルディ家に疲れたのね、シャルル」

マリナはため息をついた。

「シャルルが当主に復権したということは、弟のミシェルをマルグリットに幽閉したってことだもの。いくら仲の悪い兄弟でも嫌よね、そんなこと。シャルルがアルディから出たくなるのもムリはないわ」

「本当にそれが理由かね」

「あたしね、昔思った事があるの。困っているみんなのところに分身していければいいのにって。そうしたら、それぞれでお役に立つ事ができるし、その間に漫画も描ける」

くす。マリナらしい。
アルディ分家の事件の時。
犯人のマドレーヌの境遇に同情して、マリナはひどく泣いていた。
ドジで、突っ走るところがあって、知識も経験もまだまだ足りないと思ったけれど。
マリナには熱いハートがある。
彼女は人間が大好きだ。だから、人と関わることに恐れがないんだな。

分身してみんなのところに、か。
欲しい奴がきっといっぱいいるだろう。

オレだってひとつ……

「カーク?」

よほどオレは黙っていたのか、不審そうに呼ばれて正気に返り、慌てて、受話器を握りしめて首を強く振った。

なにを考えてるんだ、オレは⁉

「心意気は認めるけど、分身なんてできないだろ」

「だから、一番困ってる人のところに駆けつけるしかないわ」

「一番困ってる人のところ?」

まさかそれがシャルルだというんじゃないだろうな、と恐れながら尋ねたら「そうよ」とマリナはアッサリ答えた。社会福祉か。

「あたしには美貌も才能もないけれど、唯一の宝が千人を越す秘蔵の友達バインダーなの。困った時はお互い様。それがあたしのポリシーよ。そうしておけばそいつらはいつかあたしの漫画を強力にバックアップ……いやともかく、あたしはパリに行くわ。カーク、あんた、貯金いくらある?」

「へ⁉」

「全額、即刻あたしに送ってね。あたし、旅費ないから、じゃよろしく、待ってるわ‼」


***


「はあ」

市警支部を出たとたん、ため息が出てしまった。
それなりに貯金はある。シャルルのためになるなら、マリナに送金してやることなど、ちっとも惜しくない。
だけど、それが本当にシャルルのためになるのか?

「友情はアデュウに勝つ、か……残酷だな」

とにかく帰ってシャルルの気持ちを聞いてみよう。
マリナが好きか。彼女に会いたいか。
オレはシャルルのしたいように、手助けしてやるだけだ。

「おや、今日は非番じゃなかったかい?」

署の前を警備するアルニーが、制帽を被りながら出てきた。昼食交代か。

「ちょっとした用事で」

「そうか。独り身は自由でいいな。オレなんか、非番の日には赤ん坊の世話を押し付けられるよ。それで女房は出かけちまうのさ」

警備棒に顎をつけて、アルニーは深いため息をついた。

「大変ですね」

「ああ、大変だ」

アルニーは顔をあげて、ヤニで茶色く染まった歯を見せて笑った。

「でも、女房のことも子供のことも愛してるから、ちっとも苦にならねぇな。うるさくて小汚い家だけどよ。オレと女房で作った愛の家だぜ」

嬉しそうにいうアルニーの話を聞いて、その意味がオレはわかる気がした。

カーテンもないダンボールだらけの侘しい部屋に帰るのが嫌で、この3ヶ月仕事に没頭してきた。休みは好きなバーや映画館でつぶした。


ーー愛の家、か……


「その顔はオレの幸せに感化されたか? よしよし、あんたも早く結婚しろ。相手はオレが世話してやるからよ」

「ちょ、勘弁してくださいよ、もうっ!」

オレは全速力で署を後にした。

シャルルがまだ部屋にいてくれることを願いながら。




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