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Channel: りんごの木の下で
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愛に濡れた黙示録 18

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《ご注意》第一話の注意事項をご確認の上、ご了承いただける方のみ閲覧ください。







「ほんとにあんたシャルル……?」
「ああ」

シャルルは身を起こした。顎から鼻、額にかかる線まですべてが美しい。人間とは思えないような透明な肌の色、宝石のような瞳、ゆるく着こなした黒いコートまで含めて何もかもが完璧だと思った。ほとんど白に近い金髪が肩から落ちる。

「で、君は一体何をしてるの?」

マリナはようやく我に返り、自分がしようとしていたことを思い出した。

「あたし、あんたに会いに行こうとしてたのよ!」
「へえ。わざわざパリまで?」
「うん」
「なぜ?」
「あのね。兄上が」

マリナは説明しようとした。途端、シャルルが彼女の顔の前に手をかざした。

「ストップ。ここで聞く話じゃなさそうだ。場所を変えよう」
「どこに行くの?」
「いいからついておいで」

シャルルはさっさと歩き出す。マリナは慌てて立ち上がって彼の後を追った。







白いリムジンが向かった先は、空港からすぐの大きなホテルだった。シャルルについて最上階の部屋に入る。広いリビングルームには長方形テーブルに六脚の椅子とソファセット、それから一人がけソファのそばにはワインセラーがある。
シャルルがコートを脱いでソファに投げた。

「ワインでも飲む?」

マリナは首を横に振る。

「いらないわ。それよりも話を聞いて」
「せっかちだね。久しぶりの再会だってのに」

シャルルは笑って、ワインセラーから深緑色のボトルを取り出した。

「だって大変なことになってるのよ!」
「大変なこと?」
「薫が動揺しちゃってるの。もう耐えられないって」

マリナは一連の流れを話した。その間、シャルルは奥のソファに座ってワインの栓をキュッと抜き、グラスに注いでいる。

「でも心臓はもってるだろ?」

一瞬、言葉に詰まった。それから思わず声を荒げた。

「だからいいわけじゃないわっ! 起きるように兄上を説得してよ。兄上が起きないから、みんなが苦しんでるわ。やっぱりこんなの変よ。あのままじゃ薫はかわいそうすぎるし、薫に殴られてる和矢も壊れちゃうわ」

シャルルは優雅にワインを一口飲んだ。

「無理だね」

マリナはムッとする。

「どうしてよ?」
「オレがどうこう言う筋合いじゃない」
「そんなことないわ! 兄上は言ってたもの、あんたは唯一の協力者だって」
「だったらなおさら彼の敵にはなれない。そうだろ?」

死体だって平気で解剖するシャルルらしい冷静な理論だと思った。確かにそれは正論だ。だけど、そんなことが今なんの意味があるだろう。実際に苦しんでいるのは薫だ。たとえ兄上とシャルルの間にどんな協定が結ばれているにしろ、関係ない。

「じゃあ薫の敵にはなれるっていうの?」
「あいかわらず短絡的だね」

シャルルは苦笑しながら再びグラスを傾けた。

「順番の問題だ。彼と契約を交わした方が先だった。それだけだよ」
「契約ってなによ! これは仕事じゃないのよ!」
「仕事だよ。忘れたかい?」

シャルルが立ったままのマリナを仰ぎ見る。

「医師のオレに依頼したのは君だろ?」

ちかり、と透き通る青灰色の瞳が光って、マリナは黙り込んだ。一瞬、真顔になってから、すぐに彼は顔に笑みを戻した。

「だから彼らを健康にした。そのあとは彼らの自由だ。束縛する気はない」

話はそこで途切れた。シャルルはグラスにワインを注ぎ足した。男性とは思えないほど長いきれいな指が神経質そうに動くのを眺めながら、マリナは焦れた。兄上のことを頼みたかったのに、彼が起きるようにシャルルに働きかけてもらいたかったのに、思うように話が進まない。
一生懸命そのことを考えていて、ふとあることが気になった。
つい先ほど彼と出会ったのは成田空港だ。しかも出発ロビー。どうしてあんなところにシャルルがいたのだろう。仮に仕事で来日して、帰国するところだったのだとして、パリ行きの便もすべて終わった夜の出発ロビーに彼がいる理由など見当たらない。

「シャルル、あんたどうしてあそこにいたの?」

急に変わった話題に、シャルルは驚く様子もなく答えた。

「用事があったから」
「用事?」
「そう」
「なんの?」

彼はそれには答えず、突然別の話を始めた。

「たとえばマリナちゃん、君がお姫様だとする。父である城主は君を大事に思うがあまり、君をお城に幽閉同然に閉じ込めて、君は一歩も外に出られない。憧れていたのは窓から見える鳥だ。自由に飛べる鳥になりたい。そう思っていたある日、目がさめると君は鳥になっていた。喜んで、窓から外にとびたとうとしたら、外は殴りつけるような暴風雨だ。さあ君はどうする?」

マリナは目をパチクリさせる。

「鳥?」
「そう、君は鳥」
「なんなの?」
「いいから答えて。君なら、どうする?」

マリナは勢い込んで声を張り上げる。

「そりゃもちろん、レッツゴーでしょ! 雨だろうか風だろうが槍だろうが、とにかく外に出てみなくっちゃ! じっとしてても運命は開けないわ」

シャルルは「なるほど」と満足げに頷いた。マリナは首を傾げる。

「シャルル、なんなのよ、これ?」
「彼らにもパリにいるとき、別々に聞いてみたんだ。カオルの答えは君と一緒だ。けれど、タツミの答えはなんだと思う?」

マリナは少し考え、「わからないわ」と首を横に振った。シャルルはグラスを口に運んで、それを空にしてからようやく続きを言った。

「タツミはこう言った。城にとどまると。なぜ? と聞くと、自由はこわいから、と彼は言った」

兄上の答えにマリナはドキッとした。マリナが揺すろうと薫が泣こうと、絶対に演技を崩さなかった彼の姿を思い出し、彼が最も恐れているものは、自由を手に入れたときの自分自身なんだと改めて気づいた。
シャルルはまた突然、話題を戻した。

「タツミから連絡があって、日本に来た」
「兄上が?」
「君に秘密を打ち明けた。万一のときには妹を助けて欲しいと言ってきたんだ」

驚きながら、マリナは「あれ?」と首をひねる。

「パリからってこんなに早く来られるんだっけ?」

「国際会議で上海にいた」というシャルルの説明を聞いて、嬉しくなった。兄上からの連絡で会議を放り出してすぐに駆けつけてくれたなんて、なんだかんだ言っても、やっぱりシャルルは優しい。

「じゃあ薫のために来てくれたのね? よかったわ!」
「違う」
「え?」
「君のために来た」
「あたしのため? 何よそれ?」
「わからなきゃ、わからないでいい。ただどうしても言いたいことがある」

シャルルはグラスを置いて立ち上がり、マリナに向き直った。

「君を愛してる」

マリナは魂が抜けたようにシャルルを見つめ返した。

「……なんですって?」
「しばらく会わないうちに耳が遠くなったのか。なら叫んでやろうか?」

あたしは老人じゃない、と思いながら、マリナは声を高くした。

「そういうことじゃないわ、薫がこんな大変なときに何言ってるのよ!」
「友情と愛は別ものさ。それをごちゃまぜにしようとするヤツがいるから、君は傷ついている。そうだろ?」

マリナはすぐに言葉が出てこなかった。そのあと、笑顔を作った。

「あんた、おかしなこと言ってるわ。あたしは別に傷ついてなんかないわよ」
「そう?」
「そうよ。あんたの勘違いよ」
「勘違いか」
「うん」

強く頷いてから、マリナはシャルルに背を向けた。
傷ついているのは薫だ。泣いているのも薫だ。苦しんでいるのも薫だ。だから彼女のためにできることは何だってしてあげたい。
中学時代、薫とした話を思い出した。
「知ってるかい、マリナ。聖書にはさ、『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』って言葉があるんだぜ」
マリナが命を捨てるのは食い物のためにだな、とさんざん人をバカにしてから、彼女は急に真剣な声で言った。
「あたしはマリナのために、いつかこの命を捨ててやるよ」
感動したマリナはすぐに返事をした。
「あたしだってあんたのために命くれてやるわよ! もちろん食べ物なしでもね!」
薫は照れくさそうに笑った。同性ながら惚れ惚れする笑顔だった。
確かに和矢の行動にちょっと動揺はした。でも、友情篤い彼なら当然だし、むしろ薫のためにそこまでやってくれて感謝している。
マリナはシャルルに背を向けたまま、ピンと胸を張った。

「和矢は誠実よ。だから、あたしが傷つく必要なんかちっともないんだわ」
「ずいぶんものわかりがいい大人になったな」

呆れた、とでも言いたげな口調だった。

「……だってハタチ過ぎたもん」
「そうか」
「そうよ」

それきりふたりとも黙った。チッ、チッ、チという時計の音がやけに響いて聞こえた。それをかき消すように飛行機の音が聞こえる。ここが空港のそばだったことを思い出した。
突然シャルルが小声で言った。

「響谷家に行ってもいいよ」

驚いて振り返った。

「ほんとっ!?」

シャルルが頷いた。マリナは両手を何度も叩いた。これで薫が救われると思うと心からほっとした。マリナは彼の手を取った。

「じゃあ早速行きましょう! さあ、すぐに!」
「わかった。ただこれだけは覚えておけよ、マリナちゃん」

えっ、とマリナが振り返った。彼は彼女の手を外しながら言った。

「オレが君を愛してるってことを」

息をのむマリナを横目に、シャルルは部屋の出口に向かって歩き出した。







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