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Channel: りんごの木の下で
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守ってあげたい

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あの日、本当は怒ってなんかいなかった。
君は笑って、フォークに肉を指してオレのドレスにシミをつけて。
オレが怒ると、
「シャルル ドゥ アルディがせこいことを言わないの!」
と反ってさんざんにののしられた。
ドレスの値段が五百万円だというと、目を見開いていたっけ。
その顔が可愛いなんていわない。
動物か、公園を駆け回るヨダレを垂らした子供。
オレの目はちゃんとそう見分けられるのに。

どうしてだろう。
カークと再会した彼女が、カークに抱きついていったのを見たときには、
やつを絞め殺してやりたいほどに嫉妬した。
華麗の館で、拷問されるオレを、
目に涙を浮かべながらも、目をそらさずに見守ってくれていたときには、
彼女を好きになってよかったと思った。
この恋を後悔しない。
たとえ死んでも、マリナだけは守り抜いて、日本に帰国させる。
そう誓ったあの華麗の館の夜、
思いがけず彼女からの愛の告白を聞いて、
キスをして、抱きしめて、
ランプを消して、ベッドに二人で入って。
息が止まるほどの彼女の香り。あたたかさ。
髪の感触。体の小ささ。
その全てが、オレに、恋の末期が来たことを静かに教えた。

わかっているよ。
マリナ、君が誰を愛していたかを。
君をずっと見て来たんだ。
君が笑っているときも、ふとしたときに空を見上げて、
らしくなくため息をつく瞬間も、
どんなときも、君を見つめて来たんだ。
オレは知りすぎる。
この世を。すべてを。
そして君を。

森閑とした世界で、情熱の骸だけを抱えて、
吐く息を数えて、それでも生きていくしかすべを知らない。
触れれば、氷みたいに溶ける唇に指を伸ばして、
口づけの跡を辿る。髪を伸ばす。
迷子にならぬように、オレは夢をこの世にくくりつける。

嗚呼。
二人で、一つのベッドで過ごしたただ一度の夜。
あの夜、いっそ消えてしまえばよかった。






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