《ご注意》シャルマリ2次創作。大人向け。 第十話 五日ぶりのパリは、曇り空だった。空港のエントランスから出た途端、真夏だということを忘れるような冷たい風が吹いており、背筋が少々冷えた。迎えの車で自宅に向かう途中、街を見渡していても、歩いている人影が少ないように思った。セーヌは白い泡が立ち、いつもより若干早い勢いで流れていた。 アルディ家では、使用人たちと、ジルがオレを待っていた。オレは、療養室として使用している母の部屋にまっすぐ向かい、ソファに深く腰をかけて、ジルが入れてくれた芳醇な紅茶を舌の上で転がした。午後によく合うだろうと彼女が選んだのは、アッサムティーに赤ワインをほんのわずか垂らした彼女のオリジナルブレンド。朝はダージリンをストレートで。就寝前はごく少量のシャンパンをオレに提供するのが、オレが患ってからの彼女の決まりだ。 「それで、すべてのゲームに負けたのですか?」 庭から摘んできたばかりの純白のバラを両手いっぱいに抱えたジルは、ひどく驚いた顔をしていった。 「そんなに驚くことか?」 「何をおっしゃってるのですか。驚くことですよ、これは」 そう言いながら、ジルは、オレのベッドの枕元にあるセーブル焼きの花瓶に、持ってきたバラを丁寧に生けていく。 「また、ミシェルがシャルルのふりをしているのかと思いました」 三ヶ月前、オレの双子の弟ミシェルは、当主資格喪失者として幽閉されていた、地中海の孤島マルグリット島から、どういう方法を使ったのか脱出して、当家に現れ、闘病生活を続けるオレの代わりに当主になると宣言したのである。 「あなたは本当にシャルルですか?」 やれやれと思いながら、オレは肩で息をついた。ミシェルの侵入以来、ジルはたまにこの確認をする。 「あいつは、セントヘレナ島に送っただろう。マルグリット島とは違い、大陸から遠く離れた、本当の孤島だ。週一回しかない定期便は英国の支配下だし、英国にはミシェルを絶対に島外に出さないように厳命してある。あいつが、あそこからは出られる日は来ない」 「それにしてもセントヘレナ島に送るとは、英国がよく首を縦に振ったものです」 オレは微笑むだけに留めて、またカップをすすった。 「ミシェルなら、セントヘレナからでも脱出してきそうですが」 「ナポレオンも断念した絶海の孤島だ。いくらオレの弟でも、無理さ」 「そうでしょうか? これほど楽しいゲームはないと思いますよ。戦になると燃えたぎるアルディの血がミシェルの中でも沸き立っていることでしょう。セントヘレナは温暖な島ですので、余計にね」 「本当に君は馬鹿なことをいう」 「最初に、馬鹿なことをおっしゃったのは、あなたですよ」 「日本でつまらないゲームに負けたということか?」 「そうです。ミシェルがゲームに負けたというのなら、それほど驚きませんけれどね」 ちらっとオレを振り返ったジルは、「あなたは勝つべき人ですから」という挑戦的な顔つきをした。 「『ワニワニパニック』と申しましたか。そういったゲームの実物は見たことがありませんが、あなたなら簡単にクリアできるでしょう。それが仕留めるべきワニの1/3も逃してしまうとは……。どうやら療養期間をもっと伸ばさなければならないようですね」 「おいおい、勘弁してくれよ。オレはもう大丈夫だ」 「そうですか?」 もちろん、とオレは強くうなずいた。 「日本にも行けたし、この分なら、当主の仕事に戻っても、なんら差し支えないさ」 「なら良いのですけど、あなたはすぐに無理をしますから」 ジルは、諦めたように微笑んで、それから顔を上げて、自らが活けた花の出来栄えを確認した。 オレの言葉を全く信じていないというジルの口ぶりに、オレはムッとした。本人が大丈夫だといっているだから、信じろよ。それにオレは医者だ。ジル、君が連れて来た医者達には、救急時には世話になったけど、本来、オレは自己管理能力が高い人間なんだよ。 「シャルル、あなた、わざとゲームに負けたのではありませんか?」 ジルは、ベッドシーツを手で伸ばしながらいった。 「なぜそんなふうに思う?」 「ゲームマシンであなたが負けるなど、考えられないからです」 ジルはオレに尻を向けたまま、言葉を続けた。 「日本のゲームセンターは、アメリカ文化が色濃く反映されていて、あなたが最も嫌うものであるはず。やすやすと負けて、笑って『負けたんだ』と私に報告するなど、信じられません」 「待てよ、ジル」オレは手をかざした。「日本で何があったのか話せっていうから、報告したんだ。それを逆手にとって、オレを責めるなよ」 ジルは手を止め、ため息を吐きながら、悲しげな目でオレを振り返った。 「責めていません。わざと負けたのでは?と聞いているだけです」 「同じことだよ」 「で、答えは?」 詰問口調のジルに、オレは深いため息をついた。どうやら言い逃れは許してくなさそうだ。肘掛にほおづえをついて、ついでに足も高く組んで、威勢だけは張った。 「だってさ、仕方がないじゃないか。カズヤを超えたら横浜に行くっていうんだから」 「つまり、あなたはわざと手をぬいたわけですね? マリナさんを横浜に行かせたくなくて」 「そんなつもりはなかったんだけど、自然と体がそう動いていた」 「愛ですわね」 オレは苦笑した。 「恥ずかしいことをいうね」 「すみません」 「いや、かまわない。実際、横浜に行くとマリナがいったとき、動揺したからな」 「あらまあ、打って変わって素直ですわね」 ジルは意味ありげな微笑をして、また背中を向け、白魚のような美しい手で、ピローを優しく整えはじめた。 「素直な方が楽に生きられると、この歳になってはじめてわかったよ。もう少し早くわかっていれば、人生も楽しかったのにな」 「まあ。臨終のような言い方をしないでください」 「人の寿命なんてわからないさ。明日にでもオレは死ぬのかもしれないぜ」 とたん、パンっ!と、ジルがピローを叩いた。 「やめてください。あなたのお墓はまだ用意していません。どうしても明日に死にたいのであれば、今日中に教会に行って、葬式とお墓の手配をご自分でなさってくださいませ」 ジルはそう言い放ち、そのあとは、彫像のように硬直してしまった。オレはさすがに、彼女を刺激しすぎたと反省し、優しい声で謝罪した。 「悪かったよ。日本でろくに眠っていなかったから、ちょっと疲れていたんだ」 これは本当のことだった。一日目は海老名パーキングで車中泊、二日目はゲームセンターとカラオケで寝ずじまいで、横になれたのは成田空港で飛行機を待つ間のファーストクラス専用ラウンジと、機内のみだった。これからようやく自分の部屋で眠れるのだ。 「そうですわね。まだ病み上がりの体ですし。よく眠ってくださいまし」 下手に出たオレを見て、ようやく機嫌を直してくれたジルは、今度はいそいそとオレのバスローブの準備を始めた。 ジルとは昔からの付き合いだが、こういう人間くさいところが彼女にあると知ったのは最近だ。モザンビークから戻ってきた彼女は、昔と違って、精神的に成熟したたくましい女性に成長しており、さらに現地で看護師の資格を取得していた。今は、アルディ本家のビジネス・コーディネーターとして、辣腕を振るっており、その才覚は、ルパートにも認められているのである。 「とにかく、シャワーを浴びてくる」 「機内で浴びなかったのですか?」 「浴びたけど、機内のシャワーブースは嫌いだ。水を止めたそばから、また汚れる気がする」 まあ、とジルは鈴のような笑い声を立てて、口を手で覆い、体を揺らした。神経質なやつだと思われていることは重々承知のうえだが、だからといって、自分の感覚を捨てるつもりもない。 「ジェル、いりますわよね?」 ジルはバスローブを手に、キャビネットに手をかけた。ピンクの液体が入っているガラス瓶を取り出している。 「いや、今日はバスルームにあるソープだけでいい」 と、オレは軽い目眩を覚えて、二、三歩ふらついた。すかさずジルの声が飛んでくる。 「私もご一緒に入ります」――何だってぇ!? オレは眉をひそめていった。「冗談じゃない。一人で入れる」 「でも、中で倒れたら」 「ササッと済ませるから、大丈夫だ」 「そうですか?」 なおも心配そうなジルから逃れるように、オレはバスルームに向かった。 「コンデ公爵様とシャルロット様が、明日おいでになるというご連絡が、今しがた入りました」 オレがバスルームから出たとたん、待ってましたとばかりに、タオルを持ったジルはいった。 「そうか。じゃあ、いよいよオレも復職だな」 髪をかきあげるオレの頭に、すかさずジルがタオルをかぶせる。そのタイミングと呼吸の合わせ方といったら、すでに芸能の世界に達していると感じる。バーンアウト症候群になってからというもの、ジルはこまめにオレの身の回りの世話をしているのである。 「よろしいのですか?」 「何がだ」 「シャルロット様とご結婚されて、よろしいのですか、と聞いています」 オレは小さく笑いながら、化粧台に向かい、背もたれのない椅子に座った。ジルは、オレの頭からタオルを外し、新しいタオルで、頭を抑えるようにして髪から水分を拭き取っていく。 「コンデ公爵家は由緒ただしい家柄だし、あの家とは、ちょっとした縁があるからね。結婚相手としては申し分ない」 「けれど、コンデ家は、まだご嫡子が一歳にもなっておられないのに」 「ああ、アンドレのことか? それは仕方がないさ。あの事件のあと、新しくコンデ氏が迎えた後妻との間に生まれた待望の息子君だ。早いうちにシャルロットを嫁に出して、あとを継ぐのは息子だということを、内外に明確にお披露目したいんだろう。あんな事件のあったあとだからこそ、余計にね」 「だからといって、あなたがシャルロットと結婚しなくても」 「親族会議が良しとしたことだ。オレの意思じゃないし、それは君も承知だろう?」 「………」 「彼女はグラマラスないい女だ。子供をたくさん産めるだろう。親族会議の連中には、オレの花嫁は、家柄と下半身があれば、十分なのさ」 ジルの手が止まった。 「下品ですよ、シャルル」 たぶん、怒りの表情を浮かべているだろうジルの気配を背中に感じつつ、 「失礼。日本でくだらないゲームをしてきて、頭がいかれちまったかな?」 オレはおどけたふりをしながら立ち上がった。「あっ、ドライヤーがまだですっ」とジルはすがったが、「いらない」と答えて、ベッドに勢いよく乗った。とにかく眠い。 「明日の朝、毛玉がひどくなりますわよ」 「それは君の仕事だろう」 オレは幼児ほどの大きさもあるピローに抱きついて、目を閉じた。呆れたといいたげなジルの優しいため息が聞こえた。 「わかりました。明日のことは心配なさらないで、どうぞ、ごゆっくりとお休みくださいませ」 そういうと、ジルは、三重になっているカーテンを、一枚ずつ音を立てないようにしずかにひいてから、そっと扉を閉めて部屋を出ていった。 薄暗くなった部屋のベッドの中で、バスローブを脱ぎ捨てたオレは、何を考える間もなく、すぐに眠りに落ちた。 * 三ヶ月後の晩秋、オレはシャルロットと結婚した。ランス・ノートルダム大聖堂が献堂されて、もっとも会衆数が多かったと聞いたが、むろん、オレが集めたわけじゃない。親族連中とルパート、それからジルが勝手に手配したことだった。 ジルのすすめで、オレが輝ける青春と呼んだ十代の頃、親交があった連中を式に呼んだ。その中には和矢とマリナの姿もあり、二人は睦まじげに寄り添いながら、末席の方に、美女丸らとともに列席していた。 「幸せにするよっていわないの?」大胆にも、誓いの場で、花嫁は私語をした。 おい、神父の顔を見た方がいいぞ、とオレは焦った。 「幸せにするよ」とオレが答えると、シャルロットはククッと小鼠のように笑った。世界で最高級のドレスブランドといわれるプロノビアスが、プライドにかけて製作した純白のウエディングドレスは、シャルロットの素晴らしい体にたいそう似合っていて素敵だったが、オレはそんなものでは騙されない。 「今更そんな嘘はやめて。結婚しても私は自由にさせてもらうわ。男もお金も遊びもね。だから、あなたも自由にして。ここでそれを互いに誓約しましょう」 こういうことをわざわざ結婚式の誓約の場で言う必要があるのだろうか? つくづくシャルロットの性格の悪さを感じるオレの横で、シャルロットは、私こそ従順な花嫁でありますといわんばかりに、おもむろに腰をかがめた。 オレは彼女のヴェールをめくり、立ち上がったシャルロットの両腕を掴んで引き寄せ、誓いの口づけをした。舌をするりと差し込んで、深く、激しく口づける。 「………っ!」逃れようとした花嫁の口を、さらに吸うと、すぐに抵抗はなくなり、だらんと肩から力が抜けたようになった。その瞬間、オレは唇を素早く離した。 「これが、君とする最後のキスだね」 「えっ!?」花嫁は臭いものでもかいだかのように、顔をひきつらせた。オレは彼女の耳元に口を寄せて、ささやいた。 だって、オレも自由に遊んでいいって誓約だもんな?―― 落胆の色を隠せない花嫁。オレはニヤッと笑いながら、神父が読み上げる神聖な婚姻の儀式文を聞いていた。 この言葉の効果があったのかどうか、それは皆目わからないけれど、一年後、オレは父親になった。体格がいいわりに、シャルロットはひどい難産で、三日間も陣痛で苦しんだ。最高のスタッフ。最高の施設。だがそれらは彼女にとって何の意味もなかったらしい。「助けて」とよく喚き、よく食べることで苦痛を発散していた。 そんな風に騒然とした中、元気な産声をあげたのは女の子。目の色は、グレイだが、これから何色になるのか、まだわからない。成長するに従って色が変わっていくからだ。金とも銀ともつかない薄い髪が、わずかに頭を覆っている。 名前は母の名前からとって、エロイーズと名付けた。 next |
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綺麗に抱かれたい 第十話
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