ディア・フレンズ
シャルルに会いたい。
そう思って、和矢と別れた。
突然の申し出だったけれど、和矢はちょっと驚いた顔をしただけで、優しく受け入れてくれた。
「そっか。お前の気持ちが通じるといいな」
なんて優しい人なの!
あたしだったら、他の人を好きになったなんて言われたら、頭からガリガリ食べちゃって、ごっくんとのみこんじまうわっ!
そう言ったら、ボカって額を殴られた。
「最後ぐらいカッコつけてんだよ。察しろ」
おどけたように言う和矢の笑顔はとても悲しげで、みたことがないくらい寂しそうで、彼が精一杯強がっているだってわかって、あたしは何も言えなかった。
だって、言えない!
卑怯なことをしたのはあたしだもん。
だったら最後まで、あたしはわるいやつのまんまでいるわ。
それしか、あたしが和矢にしてあげられることはないのよ……。
「シャルルにオレが連絡とってやろうか? それともパリ行きの航空券を手配してやろうか?」
やった! お願いします!
といいたいところだけど、すんででその言葉は飲み込んだ。
「いいわ……ありがと」
「本当に大丈夫か?」
「うん。自分でやるから」
そうしてあたしは和矢の見送りを受けて、もう二度を来ることはないと思いながら、横浜の黒須家を出て、東海道線に乗り、飯田橋に帰ってきた。
シャルルに連絡をしようと思って、でも勇気がなくて、グズグズしている間に一週間が経ってしまった週末。
突然、国際電話が鳴った。
「アロー」
夜明けの光を思わせる澄んだテノール。
忘れもしないシャルルの声。
「話がある。明朝、小菅で会いたい」
**
生まれてきた時から、引越しの繰り返し。
お父さんは家が変わるたびに、会社でえらくなって。
お母さんは文句をいいながら、片付けが上手くなって。
ユリナちゃんは転校しても委員長やクラブ長になった。
エリナはお気に入りのリカちゃん人形さえあれば文句は言わない。
そしてあたしの住所録は、順調に増えていった。
「お前みたいに面白いやつはいないよ。いつかまた会おうぜ!」
男の子とは、再会をからっと約束したし、
「マリナちゃんに会えなくなるなんて寂しい…。忘れないでね。手紙やりとりしようね」
女の子とは、長続きしないだろうと思われる約束をした。
もちろん、泣きながら別れた時は文通をずっと続けるつもりだったけれど、彼女たちからの手紙は二、三回で途絶えた。あたしは一度も返事を返さなかった。
引っ越すたびに新しい友達ができて。住所録がどんどん埋まっていって。
「また会おうね!」
先のことはわからないのに、結ぶ約束。別れる時に流す涙。惜しむ言葉。
それが友情だと思っていた。
「アデュウ!」
再会を拒否したのは、後にも先にもひとりきり。
あたしの友達の中でも、一番美しくて、一番プライドの高い、めんどくさいやつ。
ねえ、あたしはそれほど嫌われたの?
あんたの中には友情のかけらもないの?
ううん、違うよね。
それぐらい、バカだって言われるあたしだってわかるわ。
あんたには愛だけしかない。
それしかないから。
三年の時が流れて、幸せに埋もれるように暮らす中で、なんども思い出した。
幸せにおなり、といってくれたあの鮮やかな微笑みを。
もう会わない約束は、破るね。
幸せになるという約束は、一旦置かせて。
ただ、会いたかった。
**
「よっ、マリナちゃん、こんな寒い朝にどこにいくんだい?」
一月末の寒い朝、あたしがアパートの階段を降りていると、箒を手に表で掃除をしていた大家さんがあたしを認めて訊ねた。
時間は午前七時。
あたしが朝に外出することなんて滅多にないから大家さんはびっくりした顔をしていた。
「小菅までちょっと」
「小菅?ーーって拘置所のあるあの小菅かい?」
「はい。その小菅です」
「なんでまた朝から小菅に?」
大家さんはあたしを胡散臭げな顔でジロジロとみた。
普段だったら失礼ね!って怒るところだけど、今朝のあたしはその不躾な視線すら心地よい。
「人に会うんです」
すると大家さんはあたしが収監者に会うと勘違いしたのか、ますます顔を歪ませた。
「友達が、その……中に入っているのかい?」
「違う違う。拘置所の前で会うの! それに会うのは友達じゃないわ」
シャルルはあたしの秘蔵のバインダーに掲載されていない。和矢の紹介で彼と出会ってから、いろいろなことがあった。他の友人よりもたくさんの出来事を共にしたけれど、住所交換という基本的なことはしていなかった。
バインダーに載ってないから友達じゃない、とはいえないけれど、シャルルは友達と呼べない気があたしはするのよ。
アデュウって言われちゃったし。
「友達じゃないなら、誰と会うんだい?」
大家さんはなおも探りを入れてくる。
あたしはシャルルを思い、小菅で待っているであろう彼を想像して、ほおが緩んでくるのをとめられなかった。
もうすぐ会える!
「あたしが会うのは、世界一プライドが高くて、世界一面倒くさい男よ」
大家さんは目を見開いた。
「大丈夫なのかい、そんな男と会って……」
心配してくれる大家さんに、あたしはくすっと笑ってしまう。
そうよね、普通は心配するわよ。
シャルルったら、偏屈だもの。わかりにくい性格しているし。
どうせならもっとわかりやすく愛をあらわしてくれると良かったのに。マリナと別れたくないんだーっ、ってあの時も泣いてくれればあたしだって思いとどまったかもしれないのに。
でも、強がるシャルルが好きなんだけどねっ!
あたしはにっこりと笑って答えた。
「大丈夫。あたしはその面倒くさい男がずっと好きだったの! だからそれを伝えにいくの! じゃあ、いってきまーす!」
あたしは唖然とする大家さんを尻目に、冬の飯田橋に駆け出した。
おわり